第三話「31歳差の同学年」
【side:響】
(金くれるんなら、話は別、か)
急にカツアゲまがいのことを言われて、俺はハッとした。
「……金は持ってないです」
「……は?」
男の酔いでとろんとしている目が、驚きで丸くなった。
「金が無いって、お前どうやってここまで来たん?」
「俺にもわからないんですよ!」
俺もどう返せばいいかわからず、つい強気に返してしまった。
(未来から来ました、なんて言った瞬間にヤバい奴確定だ。どうにか話を逸らさないと…!)
「あの、今、何日の何時ですか?」
「今日?えと、9月17日の23時やけど」
「23時?もうそんな時間なんですか…!?」
俺は頭を抱えた。
スマホはただの少し重い黒い板、電子マネーも使えないし、
ましてや財布も持っていない。23時なら、じきに終電すら無くなる。
「おいお前、大丈夫か?顔色悪そうやし、汗ダラダラやん」
男は酔いが覚めたのか、こちらを心配してくれている。
さっきまで機嫌の悪そうな顔をしていたのが、嘘のようだった。
「俺なら、大丈夫ですよ。さっきまでずっと走ってたんで」
「なんで、走ってたん?…まあええわ、大丈夫なら」
男はめんどくさくなったのか、あまり詮索してこなかった。
この時、どうにかしてこの男の懐に潜り込むしかないと、俺は考えた。
「そんなことより、さっきのベース、聴きましたよ」
「あ?ああ、聞くに堪えんかったやろ、あんなヤケクソスラップ」
男は自嘲気味に苦笑いしながらタバコを咥え、ライターの火を近づけながら言った。
「その真逆です」
チリッ…と。男の点けていた火が消えると同時に、俺は言葉を続けた。
「確かに、少し乱暴だったかもしれないですが、
スラップの向こう側にいないはずのドラムの音が聞こえるほど正確で、
完璧なリズムとグルーヴのスラップでした」
心の底から出た、純粋で一片の曇りのない俺の本音だった。
その言葉を聞いた男は、咥えっぱなしのタバコをポロリと落としそうになり、
慌てて口元を押さえた。
さっきまで上から塗られていた、暗い様の顔も、晴れたようだった。
「逆に、あれが適当に弾いていたのなら、
バケモンとしか言いようがないですね」
「そっか、ありがとうな、お前のお陰でオレの気分も少しだけ上がったわ」
男はバツが悪そうに頭を掻きながら、
さっきまでのガラの悪い顔は嘘だと思うほど爽やかな顔ではにかんだ。
ぶっきらぼうだが、どう見ても嬉しそうだった。
「お前、名前は?歳は?」
「俺は響って言います。歳は二十歳です。」
「ハタチ!?お前、オレと同い年やんけ!!」
なんとなく近い年齢だろうなと、俺も思っていた。
しかし、まさか同学年だとは思わなかった。
二十歳と二十歳。字面だけなら、これ以上なく平凡な出会いだ。
ただし、片方が1995年の二十歳で、俺が2026年の二十歳だという点を除けば。
計算すると31年の年の差。
同い年なのに、31歳差。
矛盾しているのに、決して間違ってはいなかった。
「同い年やったら、敬語なんて使わんでええよ、気持ち悪いしな!」
笑顔で、男はそう言ってくれた。
この時代に来てから不安で仕方がなかった俺の心も晴れていった。
「そう?じゃあ遠慮なくそうさせてもらうわ。名前は?」
「オレ?オレは寿。よろしくな!」
「よろしく、寿!」
俺と寿の挨拶が終わろうとしていたその時だった。
「「おーーーーーい!!」」
寿の後ろ側から大きな声で呼びながら、5人の男の集団がこっちに迫ってきた。
「ちょっ、お前ら……!」
寿が慌てて振り返り、気まずそうに顔を引き攣らせる。
そして、あっという間に寿の周りを取り囲み、口々にまくし立て始めた。
「お前、外に出たきり、
いつまで経っても帰って来んから探してみたら、ほんまお前は……!」
「ほんまやで!こんなとこでなにしてたん?」
「会計済ましたけど、後できっちり払ってもらうからな……ってあれ、誰やこいつ?」
街灯の黄ばんだ光に照らし出されて現れたのは、
それぞれ楽器を背負い、
いかにも一癖ありそうな雰囲気をまとった若者たちだった。
その若者たちは全員揃って、
じろじろと不審者を見るような目で俺を見回している。
「なんや?寿、お前、カツアゲされてたん?」
「いや、相場逆やろ」
「逆ってなんやねんシバくぞ」
ビーニーを被った男と金髪パーマの男が軽口を叩き、
寿にシバかれそうになっていた。
そんな騒がしい連中を、
寿はやれやれといった様子で溜息をつきながら制する。
「お前ら、静かにせえ。こいつは……ええとな、
響や。さっき知り合った……まあ、連れや」
「連れって、またどこで変なもん拾ってきてんねん」
呆れたように肩をすくめてみせるのは、
ドラムのスティックケースを肩から下げた男だ。
ただ、俺を見るその目は、真っ直ぐで優しかった。
「……まあええわ。寿が連れてきたんなら、悪い奴ちゃうやろ」
「やから連れ言うてるやろ!」
寿の抗議を、その男は軽く笑って受け流した。
「大宮駿。ドラム叩いてる。こいつのお守り役や」
「誰がお守りやねん」
寿が間髪入れずにツッコむ。
「あ、俺行っちゃう?」
ビーニーの男が、待ってましたとばかりに前へ出てくる。
「一条健司!DJや!あ、迷子なら交番は、あっちやで!」
——さっき西暦を聞いた通行人と、一言一句同じだ。
この街には、迷子用の定型文でもあるのか。
駿がすかさず割って入る。
「迷子ちゃうやろ。連れや言うてるやんけ、話聞けや」
「え、あ、え?そうやっけ?」
健司はとぼけながら、ニカッと笑った。
「困ってるんやったら、遠慮せんと言いや! なんでも力になるで!」
その横で、金髪パーマの男が、俺の頭から足先までを、
興味深そうに眺め回していた。
「嵯峨日向、ギターや。……ふーん、ええ顔してんな。俺の次ぐらいに」
すぐに、どこからか気怠げな声が飛んだ。
「そんなええもんちゃう」
声の主は、一番端で飴を転がしている茶髪の男だった。
「はいもう許さん」
軽口の応酬の間に、ライターの音が三つ重なった。
夜の空気に、煙の筋が立ちのぼる。
(この時代の人、やっぱもれなく全員タバコ吸ってんな……)
思わず顔をしかめかけた、その時だった。
「あ、ごめんな。煙、苦手?」
黒髪を分けた男が、手で煙を払いながら、俺の隣に並んだ。
「……ちょっと」
「やんな。ほんま、あの人らは遠慮せえへんから。
烏丸泰示です。キーボード弾いてます」
小さく笑った顔は、驚くほど人当たりが良かった。
もれなく全員、というのは、どうやら言い過ぎだったらしい。
「今宮結弦です。歌、歌ってます」
さっき茶々を入れた茶髪の男が、もう片方の隣へ歩み寄り、
眠たげな目のまま、ふわりと笑った。
「これ、煙草やめた代わりの飴。……よかったら、一個どう?」
差し出された飴を、俺は戸惑いながら受け取った。
「……どうも」
さっきまで不審者を見る目をしていたはずの五人が、
いつの間にか、ごく自然に俺を輪の中に入れてくれている。
「……よろしくな、響」
ギターを背負った日向が、面白がるような目を向けながら、フッと笑った。
「ほな、そろそろ終電行こか」
タバコを吸い切った日向がギターを背負い直す。
「バイクは明日取りに来るわ。今日は大人しく電車や」
「当たり前やろ。どんだけ飲んどんねん」
駿の呆れ声の横で、泰示がふと俺を振り返った。
「……響くん、泊まるとこ、あるん?」
痛いところを突かれた。
財布も、身分証も、部屋の鍵すらない。
「……ないです」
「ほな、うち来い」
間髪入れずに、寿が言った。
「いや、さすがにそれは……」
「悪いも何も、行くとこないんやろ。ええから来い」
爽やかな顔で、あっさりと言い切られた。
「よかったなあ。ほな、おやすみ」
結弦が眠たげに手を振り、
日向と泰示と一緒に駅のほうへ消えていった。
鴨川の河川敷は、夜になっても人の気配がまだ残っていた。
ぽつり、ぽつりと座っているカップルの影が、
不思議なほど等間隔に並んでいる。
その横を、健司のスケボーがガラガラと小気味よい音を立てて転がっていく。
「響、お前、めっちゃ運ええで。
寿の家、居候するんならメシだけはほんまにうまいもんが食える」
「お前、メシ作ってもらったことあらへんやろ」
「あるある! 一回だけ!」
くだらない言い合いを聞いているうちに、
御池大橋のたもとまで来ていた。
「ほな、俺はここやから。実家、すぐそこやねん」
そう言って、健司が寿に向き直った。
「明日から後期やぞ。一限、遅れんなよ」
「……分かっとる」
寿が頭を掻いている間に、
駿がすっと俺の隣に寄ってきた。
「あいつ、音楽以外は、ほんまにあかんねん。……ちょっとだけ、見たってくれ」
さっき会ったばかりの人間に頼むようなことじゃない。
そう思ったのに、駿の目は少しも冗談を言っていなかった。
「……はあ」
曖昧に頷くと、駿はふっと笑って、
御池通りの暗がりに消えていった。
出町柳が近づいたころ、寿が思い出したように言った。
「そういや、お前、金ないんやったな。
ライブハウスで人手探してるって聞いたから、
明日、聞いといたるわ。家賃代わりや。機材運びからやけどな」
「あ、俺も口きいたろか?」
「お前は黙っとけ、余計ややこしなる」
健司が「ひどっ」と笑いながら、別の道へ滑っていった。
寿の部屋は、古びたアパートの六畳一間だった。
玄関の明かりが点いた瞬間、
寿が、俺の足元を見て固まった。
靴下。しかも、泥だらけだ。
「お前、靴は?」
「……なくした」
「どこでどうやったら、なくなるんや」
呆れながらも、寿は、玄関の隅から、
古いコンバースを引っ張り出した。
「明日から、これ使え。サイズ、合うとええけど」
「……ありがとう」
壁にはバンドと映画のフライヤーがびっしり貼られ、
畳の上には個人用としては大きなアンプとレコードの山、
灰皿。部屋全体に煙草の匂いが染みついている。
嫌いな匂いはずなのに、なぜか鼻につかなかった。
「布団は一組しかないから、お前そっち使え。
オレは座布団でええわ。風呂は明日の夜な、銭湯あるから。今日は顔だけ洗え」
「……ありがとう」
ぱちん、と電気が消えた。
暗闇の中、布団にもぐり込んでスマホの電源を長押しする。
落とす直前の画面に、電池の残量が出た。
——56%。
コンセントはあっても、肝心の充電器がない。
USBケーブル一本じゃ、どうにもならない。
目が慣れてくると、
部屋の隅に、細長いベースのケースの輪郭が浮かんで見えた。
知らない天井のはずなのに、なぜか落ち着いた。
俺はそのまま、ゆっくりと眠りに落ちていった。




