完璧
「いやー最高でしたね!鷹野さん作のレポート!めーっちゃ飯が進みましたわ!鷹野さん、マジでありがとうございました!」
早瀬が満面の笑みで跳ねるように先頭を歩く。その後ろを神谷と鷹野、そのさらに後をのろのろと北見がついていく。
「あ、はい。喜んでいただけて光栄です」
早瀬発案の「鷹野のレポートを肴にランチを楽しむ会」は予定通り緩やかに開催され、各々コンビニ弁当を突ついて(主に早瀬が)好き勝手言いながら、大変盛況のうちに終わった。
鷹野は満足そうに笑う早瀬に、ぎこちなく笑みを返しながら、後ろを歩く北見をチラリと振り返る。
「…………はぁ」
北見は疲れた顔で、長いため息をついた。下を向きながら、地面を擦るようにダラダラと歩いている。
(北見さん、早瀬さんたちに半強制的に連れてこられた感じだったもんな……しかも延々自分の配信動画を見せられて……心中お察しします……)
慰めの言葉の一つでもかけたいが、原因が自分にあることを考えると、余計北見の神経を逆撫でしてしまうかもしれない……鷹野は悶々としながら言葉を飲み込んだ。
「まとめ方もわかりやすくて説得力があったな。俺もそのうち見返してみるか。しぬほど暇な時に」
「和泉さん来れなかったの惜しかったすね。てか元々和泉さんの指示なんすよね?あの動画」
前を歩いていた早瀬が神谷を振り返って尋ねる。
「え、そうなんですか」
「あぁ。当時、エンジニアの動画配信を使った採用みたいなのが業界で流行っててな。うちもやってみるかぁってなって。一番暇してた北見に振ったのが始まり」
「な、なるほど」
(採用に動画配信か……前の会社じゃ考えられないな)
当時を思い出しながら淡々と話す神谷の横顔を見ながら鷹野は素直に驚く。
「和泉さんもあれで意外とテキトーなとこあるからな。雑に振って放置してたらこんなんなっちゃって」
「今じゃ完全に北見さんの私物チャンネルですもんね。ちなみに当時採用に繋がったりとかは…」
早瀬が悪戯っぽく神谷を見ながら尋ねる。
「ない。つーか、あれ見てうちに応募してくるやついたらその時点で落とすわ」
「はは、たしかに!」
「……………」
(こ、ここにひとりいます……なんて言えないよな……まぁあの時はアレが北見さんだってわかってたわけじゃないけど……)
でも、あの動画きっかけで前職辞めたのは事実だしな………鷹野は二人の会話に内心ドキドキしながら、後方の北見を盗み見る。
「……………はぁ」
北見は本日何度目かのため息を吐くと、眉をしかめながら片手で電子タバコを弄んだ。
◇
「お、おかえり。ランチ楽しかった?」
デスクに戻ると和泉がこれから外出なのか、PCを鞄にしまっているところだった。
「それはもう!和泉さんもこれたらよかったのに」
「はは、そりゃよかった。うん、俺も行きたかったな。次こそはぜひ」
和泉は笑いながらそう答えると、神谷の方を振り返った。
「じゃあ俺はこれからちょっとお客さんのところ行ってくるね。神谷、悪いけどなんかあったらよろしくね」
「了解す」
頷く神谷にありがとうと言うと、和泉はそのままオフィスを出て行った。
神谷はその後ろ姿を見届けたあと、鷹野の方に顔を向ける。
「鷹野くん、今日は社内向けのプロダクト資料の方読んでもらっていい?昨日読んでもらったお客さん向けのサービス資料より詳細なやつ」
「は、承知しました」
「ん。今リンクチャットに送ったから。この量なら定時までには読み終わるかな。ま、一回読んでもらって、わかんないことは明日聞いて。確認の時間作るから」
「は、承知しました。すぐに取りかかります」
頭を下げてハキハキと返事をする鷹野に、神谷は感心したように頷く。
「いい返事だな。早瀬、お前もこれくらい気持ちよく返事しろ」
「何言ってんすか、神谷さんの命令とあらばこの早瀬、いつでも馳せ参じますとも」
モニターを見つめたまま、いつもの調子で返す早瀬に神谷が書類を突き出す。
「そうかい。じゃ、この書類総務に出してきて」
「や、ちょっと無理っすね」
「こいつ……」
迷いすらせず、ある意味気持ちよく断る早瀬に神谷は静かにため息をつくと、重い腰を上げた。
「ったく、しゃーねーな。俺、ちょっと総務行ってくるから、なんか問い合わせあったら対応しといて。鷹野くんはさっき振った資料の読み込みよろしく」
「はい!」
鷹野の返事に軽く頷くと、神谷は書類を持って総務へと向かった。
ドアが閉まった後、北見がおもむろに席を立つ。
「ちょっと俺も一瞬席外すわ。なんかきたら早瀬よろしく」
「は?どうせタバコでしょ。行かせないっすよ。それよりこの前のプルリク、コメントしたんで確認してください」
「チッ…」
早瀬の厳しい返しに北見は不満げに舌打ちすると、そのままおとなしく席に座った。
◇
「ただいま」
ビルに差し込む西陽が濃くなってきた頃、神谷がデスクに戻ってきた。出る時に持っていた書類はなく、どうやら総務への提出は問題なく完了したらしい。
「おかえりっす。遅かったっすね」
集中力が切れてきたのか、早瀬が椅子をくるくる回しながら神谷に尋ねる。
「や、同期と久々に鉢合わせてな。少し話しちまった。金子って覚えてる?北見」
「わかんねーな」
コーヒーを啜りながら気怠げに答える北見に神谷は呆れたように苦笑する。
「はいはい、お前は誰も覚えてねーよな。そいや、俺がいない間なんかあった?大丈夫そ?」
「特には」
「了解」
北見の短い回答に同じく短く返しながら、神谷は横に座る鷹野に視線を向ける。
鷹野は集中しているのか、こちらの会話も聞こえていないかのように、じっと食い入るようにPCを見つめている。
(えらい集中してるな。それ自体はいいことだが…)
神谷が腕時計を見る。時計の針はまもなく定時を迎えようとしていた。
神谷は椅子をゆっくり鷹野の方に回して尋ねる。
「鷹野くん、進捗どう?」
鷹野はハッと顔を向けると、画面を確認しながら答えた。
「は、神谷さん。えぇっと、今半分くらいですね」
「うん?その資料そんなあったっけ」
定時までには読み終えられる量のはずだが……神谷はそう思いながら、椅子を鷹野の方に寄せる。
「えっと…資料自体は30ページくらいですかね」
「で、半分か。内容で詰まって進まない感じ?…ん?これなんだ?」
鷹野のPCを覗き込む。みると、見覚えのない資料が画面に映っている。
「あ、リンク先にあった過去の資料です」
「………んん?」
怪訝な顔で目を細める神谷に、鷹野がさらに付け足す。
「あと、当時の議事録とかも一応見ておこうかと…」
「……なるほど」
神谷は画面を見つめたまま、口元に指を添える。
「え?」
「そこまで今、読む必要があるかって話だな」
「えっ……あっ、」
思わず神谷を振り返る。鷹野は弾かれたように目を見開くと、慌てて腕時計を確認した。時刻はまもなく定時になろうとしていた。
(こ、こんなに時間が経ってたとは……全然気づかなかった)
全身から血の気が引いていく。同時に、前職の上司の叱責が頭の中にジリジリと湧いてきた。
『いつまで資料読んでんだ』
『だからお前は要領が悪いんだよ』
(ま……また、同じミスを、)
次々と押し寄せてくる過去の罵倒に飲まれそうになりながら、鷹野は低頭して声を震わせる。
「も、申し訳ございません…無駄に時間を使ってしまいました。す、すぐに残りを確認します」
「や、無駄じゃない。ただ、今じゃないってだけ」
「え…」
軽い声に思わず顔を上げる。神谷はいつもの涼しげな表情で言葉を続けた。
「今、全部を完璧に理解してほしいわけじゃないからさ。つか、こんな短時間でそれは無理だろ」
「あ……はい」
「うん。明日も確認の時間取ってるしさ。わかんないところはそこで聞いてくれればいいから。ってなると、今鷹野くんがやるべきことは?って話」
神谷はPCに映る資料をスクロールしながら淡々と話すと、戸惑う鷹野に軽く視線を投げる。
鷹野はその視線を受け止めながら、恐る恐る返す。
「えっと…まずは定時までにざっと内容を読んで、不明点はメモしておく…とかでしょうか」
「そうね、それでいい」
神谷はそう返すと、満足したように目で頷いた。
「鷹野さん、そんなガチ読みできるなら北見さんの書いた手順書読んでくださいよ。もう雑すぎて意味わかんない」
突然、モニターの向こうから早瀬が割り込んでくる。椅子に浅く座りながら手をブラブラと振る早瀬の横から、北見も低い声で言い返す。
「あ?必要なことは全部書いてあんだろーが」
「端折りすぎなんですよ、あんたは!」
言い合う2人に呆れた視線を向けながら、神谷がため息交じりに釘を刺す。
「新人に仕事押し付けんな、手順書はお前らで解決しろ。でもそうだな、こんだけ深掘りできるならバグ探しとか向いてるかもな。今度早瀬とやってみる?」
「え…?」
(お、俺怒られてたんじゃ…?あれ?)
突然の提案に頭が追いつかない鷹野に畳み掛けるように早瀬が明るく乗っかる。
「おーいいっすね。一緒に北見さんの爆速コードの粗探ししましょ」
「鷹野はお前みたいに性格悪くなさそうでいいな」
「は、はぁ……」
淡々と差し込む北見の言葉を聞きながら、鷹野は戸惑いの残る表情で曖昧に頷いた。
◇
「あ、あの神谷さん。資料読み終わりました」
定時ちょうど、鷹野は横で作業する神谷に控えめに話しかける。神谷はキーボードを叩く手を止めると、鷹野の方に身体を向ける。
「ん、オッケー。そしたら質問とかは明日ね」
「は、はい。その…申し訳ございませんでした。タスクに着手する前に、まず目的を正確に把握すべきでした。以降、気をつけます…」
頭を下げながら神妙に答える鷹野に、神谷は淡々と返す。
「別に謝るほどのことじゃないけど。でもそうだな、最初に目的を把握しておくと手戻りも少なくて済むし、そこは意識できるといいかもな」
「はい」
「あと最初から完璧にしようとしなくていいから。わかんないところは普通に俺とか他の人に聞けばいいし」
神谷が伏せた視線を上げて、鷹野の目を見つめる。切れ長の目が念を押すように瞬いた。
「は、はい」
「ん。じゃ、今日はもう終わっていいよ。お疲れ様」
「は、はい!ありがとうございます。お先に失礼致します」
もう一度深く頭を下げる。神谷は軽く手を振ると、また作業に戻った。
◇
(今日も色々あったな……)
自宅に帰ってシャワーを浴びた後、挿れたコーヒーを飲みながら手帳を広げる。一日目から始まって、今日で三日目。少しずつ溜まってきたメモに感慨を覚えながら、鷹野は今日のページを開く。
(午前は松田部長にお会いして…午後は……と)
鷹野は今日のことを思い出しながら、松田部長に関するメモの下に続ける形で書き始める。
・まず、目的を正確に把握してから取り組む
「これはそうだよな…」
(わかってたはずなのに、集中すると見えなくなっちゃうんだよな……昔からこうだ。気をつけないと)
そう心の中でつぶやきながら、鷹野は書いた文章に二重線を引くと、箇条書きの点の部分をぐるりと囲った。
「あとは……」
ページの余白を見つめながら、ふとペンを止める。そして、一瞬考え込んでからゆっくりと書き出した。
・最初から完璧にしなくていい
「最初から完璧にしなくていい…」
自分が書いた文章を口に出して読みながら、鷹野は前の会社で上司と資料を確認した時のことを思い出した。
(とにかく隅から隅まで質問攻めされて、答えられないとめちゃくちゃ詰められたっけ…)
鷹野は、当時を思い出しながら力無く苦笑する。
(あの時は何聞かれてもいいように、とにかく必死だったな)
……でも、今日はそうじゃなかった。
(神谷さんは最初から、わかんないところは明日聞いて、って言ってた…)
鷹野は小さく頷くと、メモに付け足した。
・わからないところは、誰かに聞けばいい




