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今日の疑問は

「……うん、変なとこはないな」


4日目。ビルに映る自分の姿を確認しながら、鷹野は頷く。最近はこうしてオフィスに入る前、ビルを鏡にして自分の姿を最終チェックするのが鷹野の習慣になっていた。


(もうそんな気にしなくていいんだろうけど……)


鷹野は、前職で上司に毎朝細かく身だしなみをチェックされたことを思い出す。


(まぁ営業だったし……身だしなみも仕事のうち、ってのが染み付いちゃってるな)


鷹野は先日と同じジャケットを整えながら、うーんと唸る。


(変なとこはないけど…やっぱジャケットはレパートリーがないな…もともとカジュアル系あんま持ってないし…週末買い足そうかなぁ)


そんなことを思いながら、ビルと睨めっこしていると後ろから聞き覚えのある声が飛んできた。


「よ、鷹野くん。…って、なにしてんの?」


驚いて振り返ると、神谷が立っていた。まさにオフィスに入ろうとしていたのか、社員証を手に持っている。


「あっ…!か、神谷さん!おはようございます…!すみません、その、これは…えぇっと、軽い身だしなみチェックと言いますか……」


しどろもどろになりながら答える鷹野に、神谷はカラッと返す。


「なるほど?元営業だもんな、清潔感は大事か」


「す、すみません、前職でもよくやってたもので、つい……」


(は、恥ずかしい……)


完全に気を抜いていた……赤面しながら俯く鷹野の横で、神谷もビルに近づくと、反射する自分の顔をじっと見つめながら顔をしかめた。


「……ちゃんと見るとクマがひどいな。まじまじ見るんじゃなかった」


眉間を指で押さえながら神谷がため息をつく。


「はは……あ、アイマスクとかいいですよ。あったかいやつ…僕も眼精疲労ひどくて、たまにつけるんですけど。なんとなくクマもマシになってる気がします」


「あぁ、たしかに。血流良くするといいって言うよな。そいや早瀬が仮眠室に持ち込んでた気がするな、ちょっと拝借するか」


「あ、あの引き出しですね」


「あ、みた?仮眠室なぁ、あそこ早瀬の部屋みたいになってて使う気になれねぇよ。ま、向こうも紅茶パック勝手に使ったし、こっちも勝手に使っていいだろ」


神谷が悪戯っぽく笑う。その後も取り止めのない会話をしながら、鷹野は神谷と共にオフィスへと向かった。


◇


「俺コーヒーとってくるわ。鷹野くん先いってていいよ」


「あ、はい」


ドリンクサーバーに立ち寄る神谷とオフィス内で別れると、鷹野はそのまままっすぐ自分のデスクへと向かった。


「おはようございま……あれ」


挨拶を言いかけるも、開発部エリアのデスクは無人で、まだ誰も来ていなかった。


(早瀬さんや北見さんはともかく、和泉さんがまだ来てないなんて珍しいな)


小首を傾げながら自身のデスクに座ると、コーヒーを片手に神谷が戻ってきた。


「あ、言い忘れてたけど、和泉さん午前は客先訪問でいないから。なんかあったら俺に言って」


「あ、はい。承知しました」


(なるほど、そうか。開発部でも、部長になると客先へ行くこともあるんだな)


鷹野はあの爽やかな笑顔で整然と機能の説明をしている和泉の様子を思い浮かべる。


(まぁ、和泉さんがいてくれたら営業の人も心強いだろうな…)


そんな想像をしていると、横から神谷の声が飛んできた。


「あぁ、あと10時から資料確認の時間入れさせてもらったから。昨日のやつね」


「あ、はい。承知しました。よろしくお願いします」


鷹野は頭を下げながら、カレンダーを確認する。10時から1時間、『プロダクト資料質問会』のタイトルでスケジュールが入っていた。


鷹野はカレンダーから『出席』を押すと、そのままチャットを開き、『勤務開始します』と投稿する。チャットでの勤怠報告は日々のルーティーンとして、鷹野の身体に染みつき始めていた。


「うぃーす…」


早瀬がかすれた声でデスクにやってくる。みると、頭には寝癖、まぶたもいつも以上に重たげだ。神谷が視線を上げながら軽く尋ねる。


「どうした早瀬。顔、死んでるぞ」


早瀬は椅子に倒れ込むようにドサッと座ると、深くため息をつく。


「いやもう昨日ずーーっと電話で姉ちゃんの相手させられて…2時まで延々彼氏の愚痴っすよ。寝落ちしかけると怒鳴られるしもう散々…」


「お、おう。そりゃ災難だったな。北見は…まだこねぇか。ま、今日までのタスクは終わってそうだし、よしとするか」


北見の担当チケットを確認する神谷の横で鷹野は早瀬の家族を思い浮かべる。


(早瀬さん、お姉さんいるのか。なんか想像できるな…)


眠たげな目をこすりながら勤務開始報告をする早瀬を横目に、鷹野はそんなことを思った。


◇


「んじゃ、鷹野くん読み合わせやろっか。会議室抑えたからそっちで」


10時5分前、神谷はPCを持って立ち上がると鷹野に声をかけた。鷹野も前もって準備していたのか、スムーズにPCを閉じると頭を下げながら立ち上がった。


「あ、はい!よろしくお願いします」


会議室へと移動する道すがら、神谷の後ろから鷹野が控えめに言う。


「あの、会議室とっていただいてありがとうございます。次から僕の方でとりますね」


「あぁうん、全然いいけど。まぁそうだな、とり方は早瀬にでも教わって」


「はい、わかりました」


廊下を挟んで反対側に向かうと、6人ほどが入れそうな会議室に到着した。


目の前のモニターにPCを繋げながら神谷が念を押すように言う。


「よし、やるか。あ、最初に言っとくけど、この時間で全部理解しようとしなくていいからね」


「あ、はい」


「多分またやってく中でわかんないこと出てくるだろうし、その都度聞いてくれていいから。とりあえず今日は今日の疑問を解消する。そういうかんじでよろしく」


「は、承知しました」


神谷の言葉を噛み締めながら鷹野が静かに頷く。その様子を確認すると、神谷はモニターに資料を投影した。


「ん。したらまぁ一旦一通りは読んでもらってる認識だから、鷹野くんの質問ベースでやろうか。なんかある?」


「あ、はい。よろしくお願いします。えっとそしたら、まず3ページ目の…」


◇


「……ってかんじだけど、質問の答えになってるかな?」


「なるほど、はい、理解できました。ありがとうございます」


モニターを見ながら答える神谷の説明を、鷹野は手元のメモに書き記す。神谷はその様子に視線を向けると、鷹野が書き終わるのを待ってから軽く促した。


「ん。他はどう?一旦大丈夫そ?」


「はい、今のところ全てクリアです。ありがとうございました」


メモを見返しながら鷹野が頷く。神谷は少し寛いだように椅子にもたれかかった。


「ならよかった。繰り返しになるけど、わかんないとこあったら都度聞いていいからね。変な遠慮とかいらないから」


「はい、ありがとうございます」


そう言って軽く頭を下げる鷹野を見ながら、神谷は昨日の和泉との会話を思い出す。


『鷹野くんはかなり自走できるタイプだと思うけど、それが過ぎて、一人で抱え込んじゃうとこあるからね。だから、最初はとにかく周りを頼っていいんだよってのを教えてあげてほしいかな』


『了解です』


『うん。でもまぁ基本は神谷に任せるよ。実際にそばで指導するのは神谷だから、接していく中でこうした方が良さそうとかあればまた相談して』


(……ま、和泉さんの言う通りだな。人によっちゃあ『まず自力で調べてから質問しろ』っつーこともあるが……鷹野くんの場合はこっちの指導の方が効きそうだ)


神谷は、何度もメモと資料を見比べる鷹野を見ながら心の中で頷いた。


「よし、したら一旦この時間は終わりね。午後は別でやってほしいことあるからまた言うわ。ちょっと早いけど、昼行っていいよ」


「は、承知しました。ありがとうございます」


会議室を出て、デスクへと戻る廊下を歩きながら神谷が鷹野を振り返る。


「時間余裕あるし、アレだったら外でランチとかしてくれば?今日天気も良さそうだし。あ、弁当持ってきてるんだっけ」


「はい、基本はお弁当ですね。たいしたものじゃないですが…でもそうですね、せっかくだし、ちょっとデザートでも買って外で食べようかな…」


(みんなのパン屋さんにフルーツサンド売ってたよな…行ってみるか)


廊下の窓に映る青々とした空を眺めながら、鷹野はパン屋のショーケースに並んでいたイチゴのフルーツサンドを思い出す。


「いいね。弁当なぁ…俺もたまに持ってくるけど、なーんかいつも同じ中身で飽きるんだよな」


「あ、わかります…土日に頑張って何種類か作り置きとかするんですけど、なかなか続かなくて…」


「わかるわかる。ま、自炊してるだけ十分だろ。北見とか見てみ?ろくなもん食ってないから。昨日もカロリーメイトとおにぎりとかいう、わけわかんない食い合わせしてたし」


「はは……北見さんらしいですね」


(自炊してる北見さん……確かに想像できないなぁ)


鷹野は、北見の生活感の薄い暮らしを思い浮かべながら、心の中で苦笑した。

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