営業部長、松田
三日目、鷹野はある目的を持って、いつもより早めに家を出た。
昨日と同様会社近くの駅で降り、オフィスへと向かう道すがら、とある店の前で立ち止まる。
『みんなのパン屋さん』
……という看板が立てかけられたこぢんまりとしたパン屋。窓を覗くと、様々な種類のパンが所狭しと並べられており、その奥にあるカウンターにはまばらに人が座っている。
(さすがにこの時間は空いているな)
店内の混み具合を確かめながら、鷹野は時計を見る。始業時間までまだ1時間ある。ここで軽く朝食をとってから行っても十分間に合うだろう。鷹野は顔を上げるとそのまま店内へと入っていった。
(ここ通るたび気になってたんだよな…でも閉店時間早くて仕事終わりだと行けないし)
店内に広がる小麦の匂いを鼻腔で感じながら、鷹野はトレーに並べられた焼き立てのパンを眺める。
(今日はモーニングセット目当てで来たけど……他のパンもおいしそうだな。お昼用に少し買ってくか)
そんなことを思いながら、鷹野はレジでモーニングセットを頼み、席に着く。
(店の雰囲気も落ち着いてていいかんじだ。余裕がある時はここでモーニングしてから出社するのもいいなぁ…あ、ここランチとかもやってるのかな)
店内をぐるりと見渡していると、店の扉が開いた。入店を知らせるベルがチリンチリンと鳴る。
「お待たせしました。モーニングセットです」
鷹野のもとにモーニングセットが運ばれてくる。出来立てのクロックムッシュにサラダとスープ、ホットコーヒー。これでしめて650円。値段も手頃だし、何よりとてもおいしそうだ。パンの間から蕩け出すチーズとベシャメルソースを眺めながら、鷹野は喉をごくりと鳴らす。いただきます、と小さく手を合わせてからまだホカホカと温かいクロックムッシュにナイフを差し入れた瞬間、レジの方からハキハキとした大きな声が聞こえてきた。
「えーと、メロンパンと焼きそばパン、あとじゃがバターパンにチョココロネにチーズパン……あ、ベビーカステラも!あと……」
思わず声のする方を見る。先ほど入店してきた人だろうか。男性が1人、レジでパンを次々注文している。
(すごい量注文するな…全部1人で食べるのか?)
クロックムッシュを切り分けながら、注文している男性を見る。しっかりとセットされたオールバックに、パリッとしたスーツ。足元の革靴も丁寧に手入れされてそうだ。
(いかにも営業マンってかんじだな…ちゃんとしたスーツ、久しぶりに見たな)
俺も数日前まではあんな感じの格好してたよな……自身のカジュアルな装いを見ながら、鷹野は口の端で笑うと、切り分けたクロックムッシュを頬張る。
(うん……思った通り、おいしい!)
チーズとベシャメルソースの旨みが口の中いっぱいに広がる。うん、今日もなんとか頑張れそうだ。鷹野はゆっくりと咀嚼しながら、心の中で小さく気合を入れた。
◇
「おはようございます」
一礼して椅子に座る。昨日と同様、先に来ていた和泉がPCから顔を上げて「おはよう」と笑って返す。まだ来たばかりらしく、ドリンクサーバーで淹れたらしいコーヒーが白い湯気を立てている。
(俺もわりと早い方だけど…いつも和泉さんの方がちょっと早いんだよな)
新人だし、もうちょっと早く来ようかな…いやでもあんまり早く来るとそれはそれで迷惑か…そんなことをぐるぐる考えつつ、鷹野はチャットに『勤務開始します』と打ち込んだ。
「はよーごぜーます」
「はよっすー」
神谷と早瀬がほぼ同時に出社してくる。北見はいつものごとく遅れてくるようで、その席にはタバコの空箱だけが散らばったままになっていた。
(北見さん、紙タバコも吸うんだ…今時珍しいな…あっ)
鷹野はモニター越しに散乱するフィリップモリスの空箱をぼんやり眺めながら、ハッと思い出す。
(忘れないうちに…)
鷹野は家でPDF化しておいた例のレポートをファイルから選択すると、部署のチャットに貼る。
『お疲れ様です。以下共有いたします。お手隙の際にご確認ください。添付:ゲーム野郎さん配信動画に関する評価レポート.pdf』
「ぶはっ!!」
早瀬がいち早く反応する。
「レポートきたぁ!いやーめっちゃ待ってました!えぐい楽しみすぎる!!」
子供のようにはしゃぐ早瀬に神谷が笑いを噛み殺しながら、釘を刺す。
「早瀬、気持ちは痛いほどわかるが、まずは依頼チャット確認しろ。営業から何件か来てんだろ、レポートはそのあとな」
「はーい…」
「いや、にしてもこれすごいな。完成度だいぶ高いぞ」
「あ、ありがとうございます」
PDFを流し見しながら、感心したように呟く神谷に、鷹野は気恥ずかしそうに頭を下げる。
「神谷さんずるい!俺も見たい!」
「ちゃんとは見てねぇよ。いいから仕事しろ。俺も後でじっくり見させてもらうわ」
足をバタつかせる早瀬に神谷が再度釘を刺したところで、鷹野の斜め前のデスクにバサっとリュックが置かれた。
「お、きたな」
「………んだよ」
神谷たちからの好奇の視線に、北見が寝起きの不機嫌さで返事をする。レポートのことなどつゆ知らず、呑気に椅子に腰掛ける北見の横で早瀬が肩を震わせながら笑いを堪えている。
北見は怪訝な顔でPCを開くと、しばらくカタ…カタ…とキーボードを鳴らしていたが、はたと指を止めた。画面を見つめていた北見の眠たげな半開きの目がさらに細まる。
「…………鷹野」
「は、はい」
凄みのある声に思わず身を硬くする。
「……………チャット」
「えぇっと…」
「………………レポート」
「す、すみません…」
淡々と単語だけで詰める北見に耐えきれず、謝罪する鷹野の横から神谷が笑いを堪えながら口を挟む。
「俺の指示だ、文句言うな。安心しろ、ネタにして笑ったりはしねぇよ。ちゃんと真面目に……ククッ、『サムネのタイトルが絶妙にダサいのが逆にアクセント』か。言うねぇ、鷹野くん」
「ぶはは!!たしかにそれはそう!!」
「早速笑ってんじゃねぇか」
早瀬と神谷の笑い声にこめかみを押さえながら顔をしかめる北見に、思わず鷹野が弁解する。
「す、すみません…!これはけして貶しているわけではなく、むしろ評価しておりまして、というのもこのダサさがいわゆるレトロさにも繋がっていて、」
「やめろ、解説すんな」
鷹野のフォローがトドメとなったのか、がっくりと肩を落とす北見に早瀬が笑いながら声を被せる。
「いいなぁ俺も見たい!あ、あとでこのレポート肴にみんなでランチしましょうよ!」
「アリだな」
「ナシだ」
渋面を崩さない北見に和泉も微笑みながら頷く。
「ふふ、このレポート、鷹野くんらしさが光ってるねぇ。この分析力と考察力はさすがだよ」
「あ、ありがとうございます」
「あんたまで見るなよ、和泉さん…」
(前職時代、他社サービスとの比較資料やたら作らされたけど……こんなところで役に立つとは。……北見さんには申し訳ないことしたかもだけど)
項垂れる北見を横目に、鷹野は心の中で密かにそんなことを思った。
◇
時計の針が正午に差し掛かる。鷹野はPCから顔を上げると、軽く肩を回す。
(ずーっと同じ姿勢だと肩こるな…たまには姿勢変えないと…)
肩だけでなく首も一緒に回しながら鷹野は控えめに周囲を見る。
(そういや結局ランチはするんだろうか……うーん、とりあえず手洗いだけ先に済ませておくか)
鷹野は静かに席を立つと、廊下に出て手洗いに向かった。
◇
「神谷、そういえば今月のシステム計上、大丈夫そうかな?項目増えてなかったっけ」
PCを眺めていた和泉がふと顔を上げて神谷を見る。
「あー…かもですね。ちょっと確認しときます、すんません」
「ん、よろしく。まぁ、まだ余裕あるし大丈夫だよ、ありがとう」
そう笑いかける和泉の後ろから突き抜けるような明るい声が降ってくる。
「やっほー和泉!今日もかっこいいね!」
紺地のスーツに身を包んだ背の高い男が人懐っこい笑みで和泉のそばに立っている。
「松田、どうした?」
別段驚いた様子もなく振り返る和泉に、松田と呼ばれた男が話を続ける。
「や、営業のみんな俺抜きでランチ行っちゃってさ。暇なのよ」
「松田さん〜身内にハブられてるからってだる絡みやめてくださいよ」
早瀬がモニターを見つめたまま口を挟む。松田は早瀬のにべもない言葉に腹を立てるでもなく、笑いながら返す。
「さすが早ちゃん、今日も辛辣だね!いや〜あいつらほんと冷たいよな。この前の懇親会で張り切りすぎて景品独占しちゃったのがまずかったかな?」
「そういうとこっすよ」
「それよりさ、開発に新人入ったんだって?俺にも紹介してよ!」
早瀬のバッサリとした切り返しをものともせず、松田は笑顔で尋ねる。
「あぁ鷹野くん?今席外してるけど…あ、帰ってきた」
和泉が鷹野の席を見ながら返したその時、ちょうど鷹野本人が手洗いから戻ってきた。
(?なんか賑やかだな…)
「おぉ、君か!」
松田はパッと顔を輝かせると、まだハンカチで手を拭いている鷹野に笑顔で近づいてきた。
「は、はい?」
突然のことに戸惑う鷹野の顔を松田が真顔でじーっと見つめる。
(な、なんだ?社員さんだと思うけど…開発部じゃなさそう…?)
松田のくっきりとした黒目にたじろいで思わず視線を外すと、パリッとした紺のスーツが視界の端に映った。
(あれ?このスーツどこかで……)
「うん、いい!」
「え」
松田は突然破顔すると、自分の目元を指差しながら軽快な調子で続けた。
「人ってのは大抵目を見りゃわかるからね!鷹野くんはキレイな目をしてる!誠実さが滲み出てるな!」
「あ、ありがとうございます?」
戸惑いつつお礼を言う鷹野に、和泉が困ったように笑いながら割って入る。
「コラコラ、いきなり困らせるな」
「はは、悪いな。あ、そうそう。今朝、パン屋でベビーカステラ買ったんだ。開発のみんなもどうぞ!」
松田はそう言うと、手に持った袋をデスクの上に置いた。画面を見ていた早瀬がパッと顔を上げると、目を輝かせて袋を覗き込む。
「おぉ!松田さんもたまにはイイことするっすね」
「たまには余計だ!」
(……ベビーカステラ?あっ!)
「あっ…それ」
「ん?」
「あ、あの、今朝買ってましたよね。ここくる途中のパン屋さん…えぇっと…あ、『みんなのパン屋さん』で…僕も今朝あのお店にいまして」
鷹野が袋に印刷されたパン屋の名前をチラ見しながら尋ねる。思えば、声の感じや佇まいも、あの時レジでパンを大量に注文していた男性と同じだ。
「え?!鷹野くんもみんパンいたの?!えー、ってことはすでに俺たち出会ってたわけだ!運命だな!」
松田は目を丸くしながら、表情筋を派手に動かして反応する。
「う、運命?ですかね」
みんパンって略すのか…なんて思いつつ、鷹野は曖昧に返す。
「いやもう運命だよ!やー、あそこのパンうまいよな!」
「は、はい。それはたしかに」
「おいおい、また困らせてるぞ。まずは自己紹介しないと。鷹野くん、改めて紹介するよ。こちら営業部長の松田。僕らが作ったモノをお客さんに売る人だね」
和泉が松田を制しながら鷹野に笑いかける。
「松田です!よろしくね、鷹野くん」
紹介された松田は片手でピースをすると、小さくイェイ!と言った。
「え、営業部長…!ご、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。この度入社いたしました、鷹野と申します。よろしくお願いいたします」
(営業部長って和泉さんと同格だよな……そんな偉い人だったのか)
鷹野が恐縮して頭を下げると、松田はまたも目を丸くして飛び退って驚く。
「うわっ!90度!すげー!こんなキレイなお辞儀できるやつ、うちにもいないよ。鷹野くん、営業部こない?優しくするよ!」
「え、えぇっと…」
松田の誘いに戸惑う鷹野の横から、和泉が笑いながら口を挟む。
「はは、やらないよ。まぁでも、開発も営業も同じ会社の仲間だからね。これから松田たち営業メンバーと話すことも増えてくると思うからその時はよろしくね、鷹野くん」
「は、はい!こちらこそよろしくお願いいたします」
「イェーイ!よろしく!あ、神谷!この前の二重集計の対応ありがとね!うちの子たちも泣いて感謝してたわ」
松田の声に、奥のデスクで作業していた神谷がPCから顔を上げて淡々と返す。
「泣いてはないでしょうけど、まぁ、はい。どうもです」
「な、こないだのチャットみてみ?」
松田は神谷の横に移動すると、PCを覗き込んで、チャットを見るよう指で促す。
「………?」
神谷は一瞬怪訝な顔で松田を見たあと、言われた通りチャットを確認する。みると、営業宛のリリース完了報告にリアクションスタンプがついていた。
『さす神』
「………なんすかこれ」
神谷が無表情でつぶやく。
「さすが神谷さん、略して『さす神』。もう営業じゃ、システム系でなんかあったらまず神谷!だから!」
「なんすか、その俺だけ死ぬやつ。勘弁してくださいよ」
満面の笑みを浮かべる松田に、神谷ががっくりと肩を落とす。
「はは、頼りにしてるぞ!んじゃ、俺もそろそろひとり寂しくランチすっかな〜君らもこれからお昼?」
「俺らはこれから鷹野さんがまとめた『ゲーム野郎さん配信動画の評価に関するレポート』を見ながらランチっす!」
松田の問いかけに相当楽しみなのか、早瀬が食い気味に返す。
「おい」
今まで黙って作業していた北見がわずかに顔をしかめながら、低い声で一言発する。
「は?!なにその激アツイベント!!てか、あのチャンネルまだ生きてたんだ?!」
松田が声を弾ませて反応する。
(営業部長まで知ってるのか…すごいな…)
鷹野は眉間に皺を寄せてため息をつく北見を横目で見ながら、心の中でひとり感心する。
「バリバリ現役っすよ」
「マジか!えーちょっとそれあとで共有してよ。めっちゃみたいわ」
「やめろ」
嬉しそうに食いつく松田に、北見は眉間の皺をさらに濃くしながら少しだけ声を強める。
「ベビーカステラだけだとちょい弱いすね。あともう一声ほしいっすわ」
椅子の背に身体を預けながら、早瀬は真面目な顔で松田と取引を始める。
「おい……」
「ほんっとゲンキンなやつだな、早瀬は!仕方ない、ミスドのドーナツでどうだ!」
「乗った!」
取引成立!とばかりに膝を打つ早瀬の奥から、神谷もまた淡々と要求する。
「俺はピエールマルコリーニのチョコで」
「ちょ、なに、個別なの?!あと神谷はちょっとは遠慮しろ!」
「え、ずる。じゃあ俺もそれで!」
「お前らほんとかわいくないな!和泉、お前の育て方どうなってんの!」
エスカレートする要求に手を焼く松田に、和泉もまた悪戯っぽい笑みを浮かべながら返す。
「はは、じゃあ俺もそれで」
「この部長にしてこの部下ってか!よく躾けられてますねぇ!」
「おい………はぁ、もう勝手にしろ」
勝手に進んでいく取引に抵抗するのも面倒になったのか、北見はもうどうにでもなれとでも言うように力無くデスクに突っ伏した。
「しゃーない、必要経費と割り切るかね。あ、北見ちゃん、またいつもの場所で会おうね!」
松田は渋々要求を飲み込むと、タバコを吸う仕草をしながら北見の方を振り返った。
「この流れでよく言えるな。もういい、どっかいってくれ…」
「んじゃあねー!」
ため息交じりの北見のつぶやきをかき消すように、松田は明るい声でそう言うと大きく手を振りながら颯爽と去っていった。
「はは、賑やかだなぁ松田は」
手を振り返しながら和泉が微笑む。
「うるさいの間違いだろ」
苦々しげに吐き捨てる北見に、神谷が淡々と返す。
「まぁあの勢いがあればどんな客でも落とせそうだよな」
(営業部長か…前の職場の営業部長とは随分雰囲気が違うな。うーん、勢いがあるとこは似てるか……?)
鷹野は彼らしくぐるぐると考えながら、とりあえず手帳を開くと『松田さん:営業部長 勢いがある』とだけ書き記した。




