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オフィスツアー

「ラーメンうまかったっすね〜。てか北見さんって毎回塩ラーメンっすよね。たまには冒険したらいいのに」


ラーメン屋からの帰り道、軽やかな足取りで歩きながら早瀬が言う。北見は薄い背中を丸めながらあくび交じりに答える。


「メニュー見るのめんどい」


「やっぱラーメンは豚骨っすよ。鷹野さんもそう思いますよね?」


早瀬は北見の返事など聞こえていないかのように、鷹野の方をくるりと振り返る。


「あ…僕は醤油ですかね。豚骨もおいしいんですけど、次の日胃がもたれてしまって…」


そう弱々しく笑う鷹野に、早瀬はあっけらかんと尋ねる。


「マジすか、やっぱ老いると胃が死ぬってやつですか?」


「お、老い……?!」


早瀬の悪気のない言葉が鷹野の心臓を直撃する。


(お、老いか……まだ20代なんだけどな……)


鷹野はガックリと肩を落としながら、ぐるぐると考え込む。


(でも確かに、20代で豚骨にやられるって胃が老いてるのかも……今からでも胃って鍛えられるのかな)


鷹野は軽く跳ねながら先を歩く早瀬を見ながら、そんなことを考えた。


◇


オフィスに戻ると、変わらず神谷が一人デスクに向かってキーボードを叩いていた。そばには、コンビニのパンの袋がきれいに畳まれて置かれている。


(神谷さんはお昼は席で済ませたのか……和泉さんの次くらいに忙しそうだもんな……)


そんなことを思いながら、神谷を横目で見る鷹野の斜め前では、北見がいつ取ってきたのか、コーヒー片手にデスクに戻ってきていた。早瀬も首をぐるぐると回しながら、椅子に身体を沈めるように座ると大きくあくびをした。


「あーお昼食べたら眠くなってきたぁ」


「…………」


営業が出払った静かなオフィスに、早瀬の声と打鍵音だけが響く。


「午後ってやる気でないすよね〜」


「…………」


神谷が無言でキーボードを叩き続ける。


「てか、この前実家帰ったんすけど〜」


「………おい」


神谷がキーボードを叩く手を止めて、顔を上げる。


「はい?」


早瀬がカラッとした声で返す。


「暇なら鷹野くん連れてオフィス案内でもしてこい」


(え?)


……オフィス案内?


神谷の指示に鷹野も顔を上げる。早瀬も大きな目を丸くして神谷を見る。


「え?俺すか?なんで」


「うるさいから」


「ひど!」


「鷹野くん、悪いけど暇な早瀬に付き合ってやって」


「は、はい」


「逆でしょ、神谷さん!」


突っかかる早瀬を無視して、神谷は再びキーボードをカタカタと鳴らし始める。


早瀬は大きく息を吐くと、得意げに腕を組んだ。


「ま、いいでしょう。任されたからにはちゃんとやりますよ。さ、鷹野さん、いきましょ」


「は、はい!よろしくお願いいたします」


早速立ち上がる早瀬につられて鷹野も慌てて席を立った。


◇


「じゃ、まずは俺のお気に入りの場所ベスト3を案内しますね。最初はみんな大好きドリンクサーバー!」


そう高らかに宣言すると、早瀬は意気揚々と鷹野を案内する。


「ド、ドリンクサーバーですか」


案内された先には、数種類のドリンクを備えたドリンクサーバーが鎮座していた。コーヒーやお茶だけでなく、コーラやジンジャーエールなどジュース類も完備している。


(前の会社にもドリンクサーバーはあったけど……ジュースはなかったな。たまの糖分補給にいいかも……)


「そ。コーヒー、ジュース、お茶、なんでもござれ。俺のオススメはオレンジジュース×ジンジャーエールっすね。あ、横にある紅茶パックもテキトーに使っちゃって大丈夫っすから!」


そう言って、早瀬はサーバーの横に置かれた缶を開けると、紅茶のパックを取り出した。


(あ、その缶、紅茶パックなんだ…それはありがたいかも…)


「じゃ、次は〜…え〜どうしよっかな。食堂はこの前行きましたもんね。あ、バックオフィスのエリア行きましょうか!あそこも居心地いいんすよ」


早瀬はポケットに手を突っ込んで、くるくると踊るように歩く。


(オフィス案内っていうより、早瀬さんのお気に入りスポット案内だな…)


早瀬の不規則な動きに小走りで着いていきながら、鷹野はそんなことを思った。


◇


「バックオフィス到着〜!総務とか労務とかそういう系の部署は大体この辺っす」


早瀬の後に続いて部屋に入ると、カレンダーや郵便物が置かれたカウンターが最初に目に飛び込んできた。その奥に社員が数名座っているが、お昼時だからかあまり人は多くなく、ゆったりとした静けさが漂っている。


(総務部ってここにあったのか…法務、労務、情シスも…バックオフィス系の部署はここにまとまってるんだな。これは普通に役立つ情報…)


開発部のエリアとはまた違った静けさに思わず足を止める鷹野とは対照的に、早瀬はお構いなくカウンターの奥へと進んでいく。


「総務の人とか結構優しくて。お菓子とかくれますよ」


「お、お菓子ですか」


「ですです。ね、永井さん」


早瀬が奥のデスクで作業している年配の男性に声をかける。


永井さん、と声をかけられたその社員はキーボードを叩く手を止めると、早瀬の方を振り返った。


「早瀬くん、今日はお菓子ないよ」


「えーマジすか」


早瀬はそう言って唇を尖らせながら、永井の隣の空いている椅子に座る。


「総務はお菓子屋さんじゃないっつの。で、今日は何用?まさかマジでお菓子?」


「違いますよ!新人のオフィスツアー係に任命されまして。ほら、俺先輩だから」


椅子をくるくると回転させながら早瀬が得意げに鷹野を見上げる。


「あ、はい、ご挨拶が遅れました。鷹野と申します。よろしくお願いいたします」


「おぉ、新人さん……って、鷹野さんか」


永井は目尻にシワを作りながら顔を綻ばせる。


「え?」


「知ってる知ってる。PCとか入館証とか手配したの僕だし」


一瞬固まる鷹野に、永井が笑って答える。


「あ、そうだったんですね…!どうもありがとうございます」


深々と頭を下げる鷹野に、永井が大袈裟に手を振る。


「いやいや仕事だから。あ、そうだ。ちょうどいいや」


永井は思い出したようにデスクの引き出しから、手のひらサイズの白い箱を取り出す。


「これ、名刺。用意できたから、取りに来てもらおうと思ってたんだ」


念の為間違ってないか確認してね、と言いながら永井は箱を開ける。手に収まり良い真っ白な紙に、部署名と名前がくっきりと記されている。


「あ…ありがとうございます!」


「おーよかったっすね、鷹野さん!」


名刺を覗き込んで早瀬も声を上げる。鷹野は永井から箱を受け取ると、まじまじと名刺を見つめた。硬めの紙が蛍光灯の光を控えめに反射している。


(新しい名刺……俺、本当に転職したんだなぁ)


名刺に刻まれた文字をしみじみと眺める鷹野に、永井が話しかける。


「ま、総務ってあんまり普段関わりないかもだけどさ。備品とかオフィス周りでなんかあったら相談して。それ以外でもなんかよくわかんない系は一旦全部総務に聞いてくれりゃいいから」


白髪混じりの髪を撫でつけながら、永井は人の良さそうな笑みを浮かべる。


「あ、ありがとうございます」


「永井さんは会社ができたばっかの時からの古株っすからね。あったら嬉しいドリンクとかも言ったら増やしてもらえるかもですよ」


悪戯っぽく言う早瀬に、永井はカラッと笑う。


「はは、ま、そうね。対応するかは別として、ご要望はいつでも募集してますよ」


「はは、期待してます!じゃ、そろそろ行きますね。お邪魔しました!」


早瀬はそう言うと、軽く手を振って席を立った。鷹野も慌ててお辞儀をすると早瀬とともに総務部を後にした。


◇


「最後に俺のお気に入りスポットNo.1、仮眠室!」


総務部を出て、まっすぐ廊下を進んだ先には、ベッドのマークが貼られたドアがあった。早瀬はそのドアを開けるや否や、部屋の隅にあるベッドに勢いよく座り込んだ。


「知ってます?ベッドの下、漫画あるんすよ。たまに北見さんに貸したりしてて、持って帰るの面倒なときとかここ置いてってます。置き勉ならぬ置き漫画っすね」


早瀬はそう言うと、ベッドの下から単行本を数冊取り出して、鷹野に見せた。


「鷹野さんも読んでいいっすよ、これとか結構おすすめです」


「あ、ありがとうございます…」


(仮眠室が漫喫みたいになってる……というか、漫画読んでたら仮眠にならないんじゃ……)


ベッドに転がってパラパラと漫画をめくる早瀬を、鷹野は戸惑いながら見つめる。


「あとこのアイマスクも俺のっすね。これつけるとよく眠れるんすよ」


早瀬はベッドのサイドデスクの引き出しを開けると、中身をガサガサと漁りながら話し続ける。


「あとはお菓子に耳栓、湿布、絆創膏…あ、充電器も。使いたかったら使っていいすよ!」


「あ、ありがとうございます」


(仮眠室っていうか、完全に早瀬さんの私物置き場だな…)


四次元ポケットのように次々と出てくる私物を見ながら、鷹野は曖昧に笑った。


◇


「ん〜あとなんかあるかな。この辺はお偉いさんたちが使う会議室だけど、そんな面白みないし……あ、そうだ」


仮眠室を出て、フラフラとオフィス内を歩いていると、早瀬は思いついたように立ち止まり、くるりと方向転換した。


「ちょっと営業部寄りましょっか」


反対方向に歩いていく早瀬を鷹野は慌てて追いかける。


「えっ、営業部って…他部署ですよね?」


「うん、でもよくお世話になってるんで。お疲れ様でーす」


鷹野の問いかけに構うことなく、早瀬は挨拶ひとつで営業部のエリアに入っていく。


「早瀬くん、お疲れー。どしたの?またお菓子?」


ショートカットの女性が振り返る。明るい声がフロアに響いた。


「はは、それもっすけど今新人さん案内してて」


「おっ、開発部の新人さん?」


女性は白い歯を見せながら、鷹野の方を向いて微笑みかける。


「あ、はじめまして、鷹野と申します」


「はじめまして〜、営業の今野です。え、てかお辞儀きれい!」


女性は今野と名乗ると、慌てて頭を下げた鷹野を見て目を丸くして驚いた。


「でしょ?俺が教えました!」


「えっ…?!」


堂々とほらを吹く早瀬を、鷹野は驚いて振り返る。その光景を見て今野がカラカラと笑う。


「はは、まーたテキトー言ってる。にしても早瀬くんが新人案内とはねぇ」


「俺、先輩っすからね!」


「早瀬くんが先輩かぁ、時の流れ感じるわぁ。鷹野さん、早瀬くんのことよろしくね」


「え?あ、はい」


しみじみとした表情で髪をかきあげる今野に一拍遅れて鷹野が返す。


「逆でしょ、今野さん!あ、てかこのお菓子デパ地下の新作じゃないすか!さすが営業部、情報感度高いすね!」


早瀬は今野のデスクに置いてある、キラキラ光る缶をめざとく見つけると、目を輝かせてお菓子を取り出した。今野は半ば呆れたように笑うと、手を振って促した。


「はいはい、もってきな。鷹野さんもどうぞ」


「あ、ありがとうございます」


鷹野は遠慮がちにひとつ、赤い個包装のクッキーを取る。


「営業部のお菓子ってほんと品揃えいいんで。たまにくるんすよ」


早瀬はちゃっかり違う種類の味を2つ確保すると、赤い個包装の方を開けてその場で食べ始める。


「早瀬くんもいいけどさぁ、たまには和泉さん連れてきてよ。あの人くると女性陣のモチベ上がるから」


「えー俺じゃ不満すか」


笑って話す今野に早瀬が唇を尖らせる。


(すごいな早瀬さん…総務に寄った時も思ったけど…他部署の人ともこんな自然に…)


滞りなく流れ続ける、2人の慣れたやりとりを聞きながら鷹野もまた早瀬と同様に赤い個包装のクッキーを開けた。


◇


「じゃ、最後に備品エリアっすね。ここも静かでいいっすよ。付箋とかペンとかもここにあるんで。開発はあんま使わないすけど」


営業部の今野さんと別れた後、早瀬に連れられて来たのは廊下の奥の備品エリアだった。コピー機や備品、自動販売機が置かれているが、あまり利用されてないのか、人気がなくどこか薄暗い。


「あと俺は吸わないっすけど、喫煙所も…ってあれ?北見さん」


備品エリアのさらに奥まった場所にこじんまりと併設された喫煙エリアを覗くと、見慣れたTシャツ姿の北見が電子タバコ片手に一人突っ立っていた。


「ん?あぁお前か」


早瀬の声に気づいた北見が少し顔を上げる。が、早瀬の顔を確認すると、すぐにまた視線を落とした。


「まーたサボりすか。いいかげん神谷さんに怒られますよ」


「サボりじゃねぇ。色々頭整理してんだよ」


鬱陶しそうに頭をかく北見に、早瀬が呆れた顔でため息をつく。


「ニコチンで整理っすか?ったく、それ吸ったら一緒に戻りますよ」


北見はフーッと長く息を吐くと、いつもの仏頂面でかったるそうに電子タバコの電源をカチカチと押した。


◇


「早瀬、ただいま戻りました〜!」


早瀬はそう元気よく叫ぶと、勢いよくドアを開ける。開発部のエリアでは、先ほど出て行った時と同様、神谷がデスクに座ってキーボードを叩いている。和泉も会議が終わったのか、デスクに戻っていた。


「おーう、おつかれ」


神谷がPCを見つめたまま声だけで返事をする。


「オフィスツアー無事完了〜、北見さんも回収!ね、もう完璧!神谷さん、褒めてくれていいっすよ!」


「はいはい、えらいえらい」


ボールを咥えた犬のように自慢げに笑う早瀬に、神谷も仕方なしに顔を上げる。雑に褒める神谷につられて、和泉も顔を上げると鷹野に笑いかける。


「ありがとね、早瀬。どうだった?鷹野くん」


「大変勉強になりました。早瀬さんは社内でも顔が広く、どなたとも和気藹々とお話されていて…他部署の雰囲気も知れてよかったです」


「うんうん」


鷹野の言葉に早瀬が得意げに頷く。それはよかった、と和泉も頷きながら微笑む。


「あと、ドリンクサーバーの横にある紅茶のパック。あれも好きに使っていいとは知らなかったです。結構おしゃれなラインナップで…」


「あ、ちょ、それは…」


淡々と話す鷹野に、それまで自信ありげに腕を組んでいた早瀬が慌てて遮る。


「………その紅茶は俺のだな」


神谷が神妙な顔で口を挟む。


「え?」


「早瀬……お前か。たまに減ってると思ったら」


神谷がじとっとした視線を早瀬に向ける。早瀬はぎこちなく笑いながら顔の前で大袈裟に手を振る。


「い、いやいや!俺じゃないすよ、北見さんが…」


「俺は紅茶は飲まない」


「えぇ!」


「ちゃんと補充しとけよ」


「えぇ〜………はい」


早瀬がため息をつきながら、肩を落とす。


「はは、今日も平和だねぇ」


北見から素気無く切られ、神谷からも釘を刺され、渋々おとなしく返事をする早瀬を見ながら和泉が穏やかに笑う。


(オフィスツアー……結局ずっと早瀬さんに振り回されてただけだけど……なんだかんだ楽しかったな)


鷹野は他愛無い会話を続ける皆を眺めながら、頬を緩ませた。


◇


「ふぅ……今日も濃かったな」


鷹野はシャワーを浴びて部屋着に着替えると、そのまま机に座っていつも通り手帳を開いた。昨日書き込んだページの隣に日付を書く。


(二日目……まずは午前中)


鷹野は一瞬ペンを持ったまま静止する。頭の中で午前中にあったことを一つ一つ丁寧に思い返しながら、白紙のページに箇条書きで書いていく。


・運用チームからの問い合わせに関して

 ・DBの制約(ルールみたいなもの?)を見直す

 ・テスト対象にする数字については議論

 ・北見さんは実装がとても速い

 ・早瀬さんは品質保証の精度が高い


(北見さんと早瀬さんの言い合いには少しヒヤッとしたけど…)


今思い返せば……鷹野はペンを止めて自分の書いた文字を見つめる。


(実装は北見さん。品質保証は早瀬さん。立場が違う。スピードと品質…お互い譲れないから言い合ってたってことか…)


鷹野は前職の時のことを思い出す。あの時も言い合いは日常茶飯事だった。


(とにかく顧客の要求に応えたい営業と無茶な実装したくない開発の言い合いとか。いっつもギスギスしてたなぁ……まぁ、立場が違えば言い合いになるのは当たり前っちゃ当たり前か。違うのは……)


鷹野はペンを置いて、頬杖をつく。


(北見さんと早瀬さんは言い合った後、一緒にお昼に行くんだ)


前職の言い合いを思い出す。


『だからダメなんだよ』

『口も聞きたくない』

『あいつほんと嫌いだわ』


(言い合いは言い合いでも……そうか)


「……なるほどなぁ」


鷹野はメモをしばらくじっと見つめた後、続けて午後のことを書き出す。


・早瀬さんとオフィスツアー

 ・ドリンクサーバー横の紅茶は神谷さんの私物(使う際は許可を取って補充)

 ・総務部の永井さん。親切。何か困ったら総務に相談

 ・営業部の今野さん。明るい。お菓子のセンスがいい

 ・仮眠室。早瀬さんの私物がとても多い

 ・備品エリア。コピー機、喫煙室あり


(施設についての知識はあんまり増えなかったけど……それ以上に他部署の人と話せたのはよかったな)


鷹野は今日総務でもらった名刺を取り出す。白い紙に刻まれた自分の名前を何度も確かめると、静かに表面を撫でる。


「……うん、いい名刺だ」


鷹野は顔を綻ばせると、自前の名刺入れに数枚名刺を入れて鞄にしまった。


「あ、一応これも忘れないように…」


・『ゲーム野郎さん配信動画に関する評価』の報告資料をチャットで共有する


鷹野は一番最後にそう付け足すと、手帳を閉じた。

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