昼はラーメン
「……よし」
初出勤から二日目。鷹野はビルに映った自身の姿を確認する。
カジュアルな青いジャケットに柔らかいシャツ、ストレッチの効いたパンツ。ネクタイはなし。
(うーん、やっぱまだちょっと見慣れないな…)
一日目とは打って変わった緩やかなスタイルを眺めながら、鷹野はソワソワと落ち着かない様子で首を傾げる。
(でもやっぱ、ちゃんとしたスーツよりは全然楽だな…肩まわりも動かしやすいし…)
肩を軽く回して、その伸縮性に地味に感動しながら、鷹野は北見のコンビニに行くような格好を思い出す。
(新人だし、あそこまでラフな格好をする勇気はまだないけど…これくらいなら許容範囲、だよな?)
少々の不安を抱えながら、ジャケットの襟を整える。
(いや、和泉さんも働きやすい格好で、って言ってたし……大丈夫、大丈夫)
鷹野は髪を少し整えると、軽く深呼吸してからオフィスに向かった。
◇
「おはようございます」
オフィスに到着すると、和泉がちょうどPCを開いていた。
「おはよう鷹野くん、早いねぇ」
和泉は鷹野を見てにこやかに笑う。鷹野は一礼すると、自席に座ってPCを開いた。
(そうだ、チャットで連絡…)
鷹野は神谷の指示を思い出し、指定されたチャットに打ち込む。
『勤務開始します』
「お、いいねぇ」
チャットに気づいた和泉がグッと指を握って笑いかける。鷹野は軽く頭を下げると、昨日途中まで読んだ資料を開いた。
「おはよーっす」
少し遅れて神谷が眠そうな声で挨拶しながらやってくる。
「おはよう、神谷。悪いんだけど、俺これからしばらく会議続くから、ちょっと長めに席外すね。チャットは全然見てるからなんかあったら言って」
「あ、了解です」
「ん、いつも悪いね。よろしく」
「全然っす」
和泉はそう言うと鷹野に「なんかあったら神谷に聞いてね」と言い残すと、鷹野が返事をするより早く、足早に去っていった。
「和泉さん忙しいからな。ま、なんかあったら俺に聞いて」
和泉の後ろ姿を見つめる鷹野に、神谷が横から声をかける。
「は、はい。ありがとうございます」
神谷に頭を下げた数分後、早瀬もあくびをしながらやってきた。
「はよーっす…あー電車遅れてマジきつかったぁ…あれ?鷹野さん、ちょいラフになりました?」
「あ、はい。皆さんに倣って、少しだけ…」
控えめに答える鷹野に早瀬はPCを開きながら、ニッと笑った。
「いいっすね。逆に俺、明日スーツで来よっかな」
「早瀬、ネクタイの結び方も知らねーだろ」
「はは、そうだった。鷹野さん今度教えてください」
「は、はい。もちろんです」
悪戯っぽく笑う早瀬に頷きながらPCに視線を戻すと、カラッとした低い声が前から聞こえてきた。
「…っす」
定時より30分ほど遅れてやってきた北見は、一言そう言うと、そのまま椅子に身体を預けるように座った。昨日と同様、よれたTシャツにシャカシャカした素材のパンツ、足にはサンダルのようなペラペラの靴を引っかけている。
(北見さんの場合、むしろこの格好が様になってるのがすごいよな……あ、そうだ)
鷹野は変なところで感心したあと、思い出したように立ち上がる。
「北見さん、おはようございます」
鷹野は北見のそばまで近寄ると、小さな声で話しかけた。
「ん?おう」
「こちらお手隙の際にご確認ください」
やや怪訝な顔で見上げる北見に、鷹野はA4サイズのレポート用紙を数枚まとめたものを差し出す。
「…ん?レポート?」
「はい。ゲーム野郎さんの動画でどれが1番良かったか、こちらにおまとめしました」
「ぶはっ!」
「正直どの動画も甲乙つけ難く…一応全ての動画について良かった点を整理した上で、比較しやすいよう評価軸ごとに点数をつけさせていただき…」
淡々と説明する鷹野をよそに、北見はデスクに突っ伏しながら声を震わせる。
「おま…公開処刑だろこれ…」
「え?!も、申し訳ございません!そんなつもりは決して、」
慌てて弁解する鷹野に北見はうつ伏せのまま、手だけ上げる。
「や、わかってる、すまん、まさかそんなちゃんと見てくれるとは…」
「楽しそうすね。なにやってんすか?」
北見の隣のデスクから、2人の話を聞きつけ、早瀬が入ってくる。
「なんでもねーよ、散れ」
シッシと手を振る北見を無視して、早瀬がレポート用紙を覗き込む。
「なになに…『ゲーム野郎さん配信動画に関する評価のご報告』…はぁ?!なにこれ!面白すぎるでしょ!え、俺もみたい!」
「………っ!なんでもねーって言っただろうが………」
腹を抱えて笑う早瀬を北見が肘で押し返す。
「いやぁ、やっぱ鷹野さん最高っすね。こんなレアな北見さん見れるとは。あ〜なんかやる気出てきた」
鷹野は、目尻に涙を滲ませながら笑う早瀬と、頭を抱えてため息をつく北見を交互に見る。
(な、なんかまた余計なことをしちゃったみたいだ……早瀬さんは喜んでるけど……)
困った顔で笑う鷹野を見て、神谷がニヤニヤと笑いながら声をかける。
「よかったじゃん北見。鷹野くんそれ後でチャットで共有しといて」
「神谷……!」
噛み付く北見を無視して、神谷は何事もなかったかのように話を切り出す。
「ところでさ、さっき運用チームからきてた問い合わせ誰か対応してる?ちょっと気になるんだけど」
「あーまだっす。一旦俺見ます」
一頻り笑って落ち着いた早瀬が軽く片手を挙げる。
「ん。よろしく」
神谷はそう頷くと、作業を再開した。
(このレポート…持ち帰った方がいいだろうか)
所在なさげに立ち尽くす鷹野に、北見はようやく身体を起こすと、口元を隠しながら言う。
「……とりあえず、あとでみるから」
「あ、ありがとうございます!」
北見は鷹野からレポートを受け取ると、ん、とだけ言い、そのままPCを開くと業務を開始した。
◇
「神谷さんこれアレっすね、もしかしたら数字が二重で集計されてるかもです」
運用チームからの依頼を確認していた早瀬がモニターを見ながら呟く。
「え?マジ?」
神谷はキーボードを叩いたまま、声だけで反応する。
「たぶん。一旦、一次調査結果送ります」
「ありがと。…あーなるほど。ちょっと面倒だなこれ」
早瀬が送った内容に目を通しながら神谷が顔をしかめる。
「っすね。意外と影響範囲広いかも」
マスカット色のグミを食べながら早瀬が返す。神谷がモニターを睨みながらうーんと唸る。
「だな…これ自体はヤバい事故じゃないけど、直すとなると見るとこ多そうだな…北見、どう?」
「そうだな。一回本番からレコード抽出して範囲見た方がいいかも。あと差分も」
「だよなぁ」
北見の淡々とした回答に、神谷は眉間を押さえながらため息をつく。
「ガチでやるなら、一回DBの制約見直した方がいいかもな」
「そうね。ちょっとそれ今度やろう。悪いけど、一旦仮で修正できる?できれば今日中に直してほしいっぽいんだよな」
神谷がモニター越しに北見を見る。北見はコーヒーを啜りながらあっさりと返した。
「ま、30分あれば」
「OK。早瀬、テストどんくらいでいけそう?ざっくりでいいんだけど」
「えー北見さんの修正ですよね。したら通常より長めでほしいっす。1時間…いや、1.5で」
神谷の問いに、早瀬が眉をしかめながら答える。
「了解」
「今回の内容だったら1時間もあればいけると思うけどな。100点目指そうとすっから時間かかるんだよ」
北見は雑に足を放り出しながら、独り言のように呟く。
「北見さんのは100点どころか60点くらいじゃないすか。俺は北見さんのスピードは信じてますけど、品質はあんま信用してないっすから」
キーボードを叩きながら早瀬も淡々と返す。
「あっそ。じゃ、その辺は任せるわ」
「何か見つけたらすぐ直してもらいますから、修正終わっても席離れないでくださいね」
そう釘を刺す早瀬に小さく息を吐きながら、北見もまたキーボードを高速で叩く。
(なんかチクチク言い合ってるな…)
鷹野は資料を読み進めながら耳をそばだてる。
(ちょっと険悪なムード……早瀬さんと北見さんって仲悪いんだろうか……)
2人の言葉の差し合いに鼓動が早まる。努めて平静を装う鷹野の横から、神谷が軽快に言葉を投げた。
「じゃ、悪いけど一旦この件優先でよろしく。取り急ぎ運用チームには俺から返信しとくから」
「りょ」
「承知でーす」
2人は神谷の指示に短く返事をすると、何事もなかったかのようにキーボードを叩き続けた。
(……もう終わったのか……?)
ほんの数秒前まで言い合っていたのが嘘のように、普通の空気が戻っている。狐につままれたような気持ちで鷹野も資料の読み込みを再開した。
◇
「多分直った」
モニターを見つめながら北見が呟く。
(早いな……30分って言ってたけど実質20分くらいだ)
鷹野はチラリと腕時計を見ながら、心の中で密かに驚く。
「さすがスピードだけは鬼っすね。じゃ、テスト始めます」
早瀬は皮肉っぽく笑うと、テストを回し始めた。
◇
「北見さん、バグです」
テストを開始して30分。早瀬がキッパリと言い放つ。
「え、どこ」
モニターを覗き込む北見に、早瀬は指で該当箇所を指し示す。
「なぜかこっちの数値が消えてます。ちゃんとデータ紐づいてます?これ」
「あー…IDミスってるかも。ちょっとまって」
北見は自分のPCに視線を戻すと、数秒と経たずに返す。
「あー、やっぱ古い方の紐づいてるわ。今直した。もっかい見て」
早瀬が改めてモニターを確認する。
「あー……はい、大丈夫そうっす。ほら、これだから1時間じゃ足りないんすよ」
勝ち誇ったように言う早瀬に、北見はため息交じりに呟く。
「その数字ほとんど使ってないだろ。テスト対象にしなくてよくね?」
むっとした表情で反論しようとする早瀬に被せるように神谷が横から口を挟む。
「北見の意見もわかるが、それはまた別で議論だな。早瀬、気づいてくれてサンキューな」
神谷の言葉に、早瀬は言いかけた言葉を飲み込むと、わざとらしくため息をつきながら得意げに笑った。
「…まぁこれが俺の仕事っすから。いうて北見さんの爆速コードの穴を見つけて突っつくの、好きなんすよね」
「テストエンジニアってほんと性格悪いよな」
(…………………)
3人の会話に耳をそばだてながら、鷹野は資料を読み進めた。
◇
「神谷さん、テスト完了しました。9割方大丈夫と思います」
早瀬は大きく伸びをしながら神谷に報告する。時間は1時間15分。予定より少し早い完了だ。
「ん、サンキュー。したら俺の方でWチェックだけしてリリースするわ」
「よろしくです」
神谷はしばらくモニターと睨めっこしながら作業したのち、キーボードを鳴らす指を止めるとモニター越しに北見たちに向かって言った。
「よし、リリース完了。あとは俺の方で巻き取るわ。二人とも差し込み対応ありがとな。昼行っていいぞ」
「あざす!」
元気よく返事をする早瀬の横で、北見が大きくあくびをする。
「はぁ、朝から頭使っちまった。もう今日終わりでいいだろ」
「北見さんはそもそも来るの遅かったんだから、まだ2時間しか働いてないっすよ」
早瀬の毒をスルーしながら、北見は靴を投げ出して素足のまま足を組む。
「あー、ちょっとコーヒー飲みてぇな。早瀬、とってこい」
「はぁ?パシリじゃないすか!自分でとってきてくださいよ」
「チッ、しゃーねぇな」
重たい腰を上げる北見に、早瀬が頬杖をつきながら軽やかに尋ねる。
「つか飯どうします?ラーメン行きます?」
「ありだな」
北見が頭をかきながら無表情で返す。
「じゃ、それで。鷹野さんも行きます?」
「……えっ?あ、はい!ぜひ!」
モニターの隙間から顔を覗かせる早瀬に、鷹野が慌てて答える。
(あんなに言い合ってたのに、一緒にラーメン食べるのか…)
(……ってことは、仲が悪いわけじゃない?)
(うーん……わからん……)
鷹野は首をひねりながらPCを閉じた。




