なるようになる
「うわ、この作業来週か」
サービス資料を読む鷹野の横で、神谷がカレンダーを見ながら小さく声を上げる。ドリンクから伸びるストローをガジガジと噛みながら、早瀬がモニターの奥から尋ねる。
「DBアップデートっすか?」
「それ。いやーちょっと怖いんだよな、これ。影響範囲でかいし。リリース後、ちゃんとログ追わないとだな」
「テスト環境では問題なさそうでしたけどね」
うーんと唸る神谷に、北見が口を挟む。
「ま、なんかあったら直せばいい。やれることはやったし、なるようになるだろ」
(……え?)
資料を読んでいた鷹野が思わず顔を上げる。
(なるように…なる?)
北見の言葉が輪郭を伴って、耳に張り付く。と、同時にあの夜耳にした言葉が音声を伴って脳内で再生された。
『ん、いいんじゃない。ま、なるようになるだろ』
(まさか、)
記憶の中の声と北見の声が一本の線になって繋がる。
気づけば鷹野は立ち上がって、斜め前の北見に向かって叫んでいた。
「あ、あの、北見さん!」
「ん?」
北見がモニターを見つめたまま声だけで反応する。神谷と早瀬がチラリと鷹野を見た。
(し、しまった…反射で…)
鷹野は赤面しながら俯く。
(し、視線が痛い……というか、こんなことみんなの前で聞くことじゃ……どうしよう………)
鷹野はぐるぐると悩みながら立ち尽くした後、ハッと我に返ったように顔を上げると、自身の手帳に素早く文字を書き込んだ。そして、北見のデスクまで移動すると屈みながらその手帳を見せた。
「………?」
北見が目だけで手帳を見る。
『もしかして、ゲーム野郎さんですか?』
「ぶはっ!」
北見が思わず吹き出す。
「え、なんすか?」
北見が吹き出すなんて珍しい。隣に座っていた早瀬が手帳を覗き込む。
「、なんでもねーよ、見んな」
「えぇっと、ゲーム野郎さんですか……って、え?!北見さんの配信の?!え、鷹野さん知ってたんすか?!」
早瀬が目を丸くして鷹野を見る。
「え、あ、す、すみません!以前より拝見しておりまして…!もしやとは思ったのですが、その、どうしても気になって……」
早瀬の想定外の反応に戸惑いつつ、鷹野は何度も頭を下げる。モニターの向こうでは神谷が肩を小刻みに震わせながら声を殺して笑っている。
「マジ?!世界一無駄な時間っすよそれ。だったらまだ壁のシミでも数えてた方がマシですって」
「お前な」
「そ、そんなことは…!俺、毎回楽しみにしてて、」
鷹野の言葉も聞こえてないのか、北見は頭を抱えて独り言のように呟く。
「身内以外で観てるやついたのか……完全に内輪ノリだったわ」
(か、会社の人にも知られてるのか…)
想定外の連続に、鷹野は言葉もなく立ち尽くす。
「つーか、まてよ…もしや…」
しばらく項垂れていた北見は、少し顔を上げると、唇をなぞりながら目を伏せる。
「それに、その…」
「あ、まて。ストップ」
言いかけた鷹野の言葉を遮って、北見が立ち上がる。
「あ、すみません!仕事中に関係ないお話を、」
鷹野が慌てて頭を下げる。北見はその様子を見ながら頭をかくと、ドアの方を顎で示した。
「お辞儀がキレイすぎるな。や、そうじゃなくて…まぁいい、ちょっときて」
北見はそう言うと、デスクを離れ、ドアの方へと向かった。
「あ、はい…」
(業務中に聞くことじゃなかったよな……はぁ)
叱られるのを覚悟で、鷹野は北見の後をついてとぼとぼと部屋を出た。
◇
「コメント」
休憩室の流しに寄りかかりながら、北見は床を見つめる。
「え?」
「してくれた?俺の動画に」
戸惑う鷹野に北見が続けて聞く。
「あ…はい。すみません、その…あの時は自暴自棄で…」
(そのことか…)
やっぱ気づくよな……鷹野は恥入りながら、頭をかいて俯く。
「え、前職辞めたの、そのせいか?」
北見が床から少し視線を上げる。その視線に一瞬たじろぎながらも、鷹野はすぐに弁解する。
「えっ……あ!後押しにはなりましたが、もちろんそれだけじゃないです!色々あって……その、なので、北見さんが責任感じる必要は全然ないというか、」
必死に話す鷹野の声をじっと聞きながら、北見は深く息を吐くと、虚な目で天井を見つめた。
「まじか…テキトーしゃべるもんじゃねぇな」
「いえ、本当に気にしないでください。正直…死ぬか、辞めるかってかんじだったので。むしろ感謝してるというか…」
鷹野は頭を下げながら当時を思い返す。今思えば、あのまま無理して続けていても、遅かれ早かれきっと壊れていた。
(一旦辞める、なんて発想もなかった。ゲーム野郎さんの言葉がなかったら…)
「まじか。知らん間に命の恩人になってたわけか?俺」
北見が視線を向ける。光のない黒い目が鷹野を映した。
「は、はい」
鷹野が大きく頷く。
北見は鷹野を見ると少し黙った後、目を伏せてふむ、とつぶやいた。
「まぁそうか。俺は確かに辞めれば?とは言ったが、決めたのはお前だしな。うん、俺のせいじゃねぇわ」
「は、はい」
急に開き直る北見に戸惑いながら、鷹野は頷く。
「ほんの暇つぶし程度だったが……やってみるもんだな。ま、せっかく転職までしたんだ。気楽にやれば?あ、今度どの動画が良かったか教えて」
北見はそう言うと、口元をわずかに緩めた。そしてぐっと腕に力を込めると、流しにもたれていた身体を起こした。
「は、はい」
「じゃ、俺はそろそろ上がるわ。お疲れ」
「は、お疲れ様です」
北見は軽く手を振ると、背中を丸めながら休憩室を後にした。
(気楽にやれば?…か)
(そんなこと、前の会社で一度も言われたことなかったな)
北見の言葉をぼんやりと反芻しながら、鷹野はハッと顔を上げる。
(そうだ、とにかくまずは目の前の仕事をやらなければ)
腕時計をチラリと見る。定時まであと少し。
鷹野はよし、と呟くと急いで休憩室を飛び出した。
◇
デスクに戻ると、北見はすでに退勤していた。和泉も会議なのか、席を外しており、早瀬と神谷だけが変わらず作業をしている。
鷹野は静かに席に戻ると、読みかけの資料を確認する。定時まであと約1時間。キリのいいところまで終わらせよう。
よし、と小さく意気込むと、隣の席から神谷の声が飛んできた。
「鷹野くん、資料途中でも定時で上がっていいから。てかしばらくは基本定時で。キリのいいとこで切り上げちゃって」
「あ、はい」
神谷は鷹野の返事に頷くと、思い出したように付け足した。
「あ、あとごめん。言い忘れてたけど一つだけ」
神谷は座ったまま鷹野の方に椅子を寄せると、PCの画面を覗き込んだ。
「チャット開ける?」
「は、はい」
言われた通りチャットを開くと、神谷がチャット内のスレッドを指差して言った。
「勤務開始する時と退勤する時は、チャットで連絡してほしくて。うちはフレックスだし理由によってはリモートもOKにしてるから、稼働がわかりにくい。だから、把握できるようにここで連絡することになってる」
神谷の指差したスレッドを見ると、10分ほど前に北見のアイコンが『退勤』と投稿していた。さらに遡ると早瀬や神谷も『勤務開始します』と投稿している。
「こんなかんじで。北見なんてあんなだから、こうやって報告してもらわないとマジで野放しになる」
「なるほど、承知いたしました」
「ん、明日からでいいから。よろしく」
神谷はそう言って、座ったまま椅子ごと座席に戻ると、作業を再開した。
(勤務開始時と終了時にチャットで連絡か。忘れないようにしないと)
鷹野は軽く手帳に記すと、元の画面に戻り、資料の続きを読み始めた。
◇
「よいしょっと………」
自宅のドアを開けて、肩から鞄を下ろす。鷹野はそのまま洗面所に直行すると、手を洗って、シャワーを浴びた。烏の行水を終えて、ふとリビングの時計を見上げると時刻は19:30を指していた。
(まだこの時間……前職ならまだ全然オフィスにいる時間だな)
鷹野はカーテンを開く。外はまだ明るく、仕事帰りのサラリーマンや学生、主婦など多くの人が通りを行き交っていた。
網戸は閉めたまま、少し窓を開けてみる。まだ夜風とも言い難い。涼しい夕風がそろそろと網戸の隙間から吹き込んで、鷹野の頬を撫でた。
(そうだ、忘れないうちに…)
鷹野はハッと思い立つと、まだ濡れた髪をタオルで雑に拭きながら机に向かう。そして鞄から手帳を取り出して開くと、『勤務開始時と退勤時にはチャットで連絡』というメモの下に、続けて書き込んだ。
・執務スタイルはスーツでなくてもいい。働きやすい服装で可
・仕事をしているなら何時に出社してもいい。ただし、他部署との連携を考慮し、基本は定時
・開発技術も必要だが、まずはサービス理解
・北見さんによかった動画を伝える
「うーん…異文化だ…」
思わず唸る。特に2つ目。改めて文字にして字面を追ってみるが、どこか異国の言葉を読んでいるようで、うまく頭に入ってこない。
(『仕事をしているなら』って…逆に難しいな…定時に出社しろ、の方がまだわかりやすい…いや、理屈はわかるけど…)
鷹野はため息をつきながら、ボールペンでページの余白をトントンと叩く。
(何にしろ、前職とは何もかも違うんだ…ゼロから生まれ変わるつもりでやらないと…)
鷹野は目を閉じて、今日のやりとりを思い出す。
(神谷さん、たまに戸惑った顔してたな…早瀬さんも…なんか俺、変なこと言っちゃったんだろうな…)
「異文化でも慣れないと…気を抜かないように…」
鷹野は落ちていく思考を振り払うように頭を振る。髪の先に溜まった水滴が散ってページに少しシミを作った。
(開発技術は後からでいいって言われたけど、あるに越したことはないよな。勉強しておこう…)
「…と、その前に」
鷹野は閉じかけた手帳を開く。そしてスマホで動画サイトを開くと、ゲーム野郎さんの動画を一から見直した。
「やっぱ最初に見たやつかな…や、でもこっちもなかなか…」
ぶつぶつと呟きながら、鷹野は白紙のページによかった点を一つずつ書き込んだ。




