イケてるもの
「鷹野くん、今マニュアルのURL送ったから」
神谷が鷹野の横にやってくる。見ると、個別のチャットにURLのリンクが送られていた。
「これに沿って環境設定やってもらえると。わかんないことあったら俺に聞いて」
「は、承知しました。ありがとうございます。えぇっと…」
鷹野はチラリと腕時計を見る。
(今、13時か…)
マニュアルをざっと確認する。うん、これくらいなら1時間あればできそうだ。
「大体14時頃には完了できるかと。すぐに取りかかります。万が一遅れそうでしたら、その旨迅速にお伝えいたします」
「お、おう。よろしく」
(よし、時間内に終わらせられるよう頑張るぞ)
鷹野は深く息を吸うと、早速一つ目の作業に取りかかった。
◇
(……よし、全部大丈夫そうだな)
鷹野はマニュアルと画面を見比べながら、問題なく設定できていることを確認する。
(時間も…うん、14時5分前。問題ない)
鷹野は静かに席を立つと、頬杖をついてモニターを眺める神谷に手短に声をかける。
「神谷さん、失礼いたします。環境設定すべて完了いたしました」
鷹野の声に、神谷は一瞬目を丸くして見上げる。
「おぉ…爆速。ほんとに営業出身?大体みんなGit周りとかつまずくんだけどな…まぁいいや。うーん、どうしようかな」
神谷は少し唸ると、奥に座る和泉に声をかける。
「すいません、和泉さん。鷹野くん、環境設定一通り終わったんすけど、次どうします?エンジニア向けの基礎講座とか受けてもらいます?」
和泉がPCから顔を上げる。
「おぉ早いね。うーん、それもいいけど…どちらかというと鷹野くんにはサービスそのものの理解に時間を使って欲しいかな」
「なるほど」
「うん、だからまずは営業向けのサービス資料を読んでもらおう。その次に社内向けのプロダクト資料。で、最後に技術仕様書を読んでもらって、わからない部分があったら質問するなり調べるなりして理解を深めてもらう。そんな感じがいいかな」
「了解です」
神谷は和泉に向かって頷くと、鷹野に視線を戻した。
「したら鷹野くん、今からサービス資料のURL送るからまずはそれ読んでもらえるかな。別で質問の時間作るから、わかんないとこあったらその時聞いて」
「は、承知しました」
軽く一礼して席に戻る鷹野の斜め横から北見の声が飛んでくる。
「技術の前にサービスか。開発部じゃ、なかなか無いパターンだな」
「………!」
(確かに…言われてみれば)
鷹野はふと視線を落とす。
(営業部ならまだしも、開発部ならまずは技術を学ぶべきじゃ…実務的にもそっちの方が役に立ちそうだし…いや…)
自分の手元をぼんやりと見つめながら、鷹野は止め処なくぐるぐると考える。
(俺が元営業でエンジニアの素養がないから…だから技術の習得は難しいと判断されたんだろうか…)
際限なく押し寄せてくる思考が、黒い渦となって脳内をめぐる。その渦を断ち切るように、和泉の柔らかい声が降ってきた。
「もちろん技術も身につけてもらうよ。ただ、開発の手前の要件定義…つまり、お客さんの要望を理解して、開発の言葉に翻訳できる。そんな人がいれば、よりイケてるものが作れると思ってね」
和泉は穏やかな笑みを浮かべながら、北見に返す。
「翻訳ね…まぁあんたが言うなら一定、そうなんだろうな」
北見は画面を見つめたままそれだけ返すと、それ以上特に何も言うことなく、キーボードをカタカタと叩いた。
「そのためには、まずうちのサービスをよく理解してもらわないとね。よろしく頼むよ、鷹野くん」
和泉はそう言うと、鷹野に笑いかけた。
「は、はい。努力いたします」
鷹野は恐縮しながらそれだけ言うと、小さく息を吐いた。
(お客さんの要望を理解して、開発の言葉に翻訳する……か)
果たして、そんなことが自分にできるのだろうか……鷹野は一抹の不安を抱えながら、神谷が送ってくれたURLを開いた。




