北見
「よし、みんなそろそろ行けそうかな?」
和泉はそう声をかけると、PCをパタンと閉じ、財布を持って立ち上がった。
「うす」
神谷もまた素早くキーボードに指を走らせ、エンターキーを軽く叩くと、PCを閉じた。
「北見さんは直っすか?」
頭の後ろで手を組み、椅子の背に思い切りもたれながら、早瀬が尋ねる。
「うん、たぶん。伝えてはいるからまぁぼちぼち来るんじゃないかな」
「はぁ〜自由でいいすね」
「あの、大丈夫なんですか」
食堂へ向かおうと動き始める面々に、鷹野はおずおずと切り出す。
「え?」
椅子から立ち上がりかけた早瀬が鷹野を見る。鷹野は不安げにデスクに置いてある電話を見ながら、言葉を続けた。
「その……全員同じ時間に席を離れて」
「?」
早瀬が不思議そうに首を傾げる。鷹野は慌てて言葉を付け足した。
「いやその…お、お電話とか…問い合わせとかあった時、どうするのかなって…」
「あ、そういう………」
頷きながらも言い淀む早瀬に被せるように、和泉が笑って答える。
「大丈夫だよ、鷹野くん。営業と違って開発に電話ってあんまりこないしね。きたとしても後で折り返せばいいし、問い合わせも帰ってきてから確認でいい。さ、行こうか」
和泉はそう言うと、全員を促すようにドアの方に小首を傾げた。
「あ……は、はい」
「おなかすいた〜」
「食堂で食うの久々だわ」
ゾロゾロと部屋を出る3人の後を追うように鷹野もまた、部屋を後にした。
◇
食堂はたくさんの社員でごった返していた。あちこちで料理を注文する社員とスタッフの声が飛び交い、まるで競りのような賑やかさだ。
「久しぶりに来たけど盛況だねぇ」
食堂の様子を眺めながら、和泉がニコニコと笑う。
「ちょうどお昼時っすからね」
神谷はメニュー表を見ながら答えると、席の方をぐるりと見回した。
「和泉さん、俺先に席とっときましょうか」
「あぁ大丈夫だよ。俺がとっとくから、みんな先に食事とってきな。神谷は鷹野くんに頼み方教えてあげて」
「あざす、了解です。鷹野くん、何食べるか決まった?」
「あ、ええと…」
メニュー表を見る鷹野の横から早瀬も覗き込む。
「食堂システム意外と複雑っすからねぇ。お、今日のオススメ、オムライスじゃないすか!俺これにしよ」
「あれ?北見」
席を探していた和泉が声を上げる。
(……北見?)
思わず鷹野も顔を上げる。和泉の視線の先には、Tシャツ姿の男が座っていた。広い席の一角でラーメンをズルズルと啜っている。
(遅刻するって言ってた人か、)
「お前、先ついてたの」
和泉が北見の近くに行き、声をかける。
「和泉さん、遅いすよ」
「遅刻した奴が言うセリフじゃねぇだろ」
顔も上げずにひたすらラーメンを食べ続ける北見に、神谷が容赦無く突っ込む。
「北見さん!着いてたなら言ってくださいよ。てかもう食べてるし!」
早瀬が北見に詰め寄る。二人からの突っ込みに、北見はラーメンを啜ったまま、鬱陶しそうに顔をしかめた。
「はは、まぁでも席取っといてくれて助かった。じゃあ俺らも食事とってくるから」
「ん」
北見は終始ラーメンから顔を上げずに、小さく頷いた。
(あれが北見さんか…)
「よし、鷹野くん。注文いけそ?」
「あ、はい!」
鷹野は北見にチラリと視線を送ると、すぐに神谷の背中を追いかけた。
◇
「神谷さん、魚定食すか。渋いすね」
無事注文が終わり、各々頼んだ料理をトレーに乗せて席に着く。
「家だとあんま魚食べないからな。こういう時食べねぇと」
神谷は小さくいただきます、とだけ言うと、アジの塩焼きを箸でほぐし、丁寧に背骨を取り始めた。
「鷹野さんは?」
早瀬はスプーンでオムライスを崩しながら、鷹野のトレーを覗き込む。
「あ、生姜焼き定食です」
手をウェットティッシュで拭きながら、鷹野が答える。生姜のツンとした香りが鼻腔をくすぐった。
「おぉいいっすね!やっぱ男はガッツリ肉ですよ」
「早瀬に魚のうまさはまだわかんねぇか」
「どういう意味すか!」
「お前ら早くしろよ。もう食べ終わるぞ俺」
汁だけになったラーメンにお酢を足しながらぼやく北見に、神谷がすかさず突っ込む。
「つーかなんで俺らがくる前に食べ始めてんだよ。そっからおかしいだろ」
「5分くらいは待ったけどな。来るのが遅いのが悪い」
「そもそも遅刻してんだよ、お前は!」
「まぁまぁ。北見、改めて紹介するよ。こちら今日から配属になった鷹野くんね」
北見の不遜な態度にヒートアップする神谷を宥めながら、和泉は鷹野に視線を送る。
「よ、よろしくお願いします」
「北見だ。よろしく」
頭を下げる鷹野に、北見は目だけで挨拶する。眠そうに濁った目が一瞬だけ鷹野を捉え、すぐに伏せられた。
(…………?)
(なんだろう、この感じ……さっきからずっと引っかかって……)
(………声か?)
言い様のない感覚に箸を止めてじっと北見を見つめていると、北見が再び視線を向けた。
「なに?なんか顔についてる?」
「あ、いえ!すみません…でも、安心しました」
慌てて視線を逸らしながら、鷹野が言う。
「?なにが?」
首を傾げる北見に、鷹野は恥ずかしそうに言葉を続ける。
「あ、その、お身体の調子でも悪いのかと勝手に勘違いしてて」
「え?なんで」
「いえ、遅刻されると伺っていたので、何かやむを得ない事情でもあったのかなと……」
「ぶふっ!」
早瀬が吹き出す。神谷は肩を小刻みに震わせながら北見に問いかける。
「くっくっ………そうだよな、確かに。どうなんだ、北見。ん?」
「お前らな……いいか、鷹野。新人の君に教えてやる」
北見は神谷を一睨みすると、鷹野に視線を移した。光のない黒い目が真っ直ぐに鷹野を貫く。
「は、はい」
手帳を持ってくればよかった…などと思いながら、鷹野は思わず身構える。北見は鷹野を見たまま、淡々と言った。
「遅刻するとかしないとか、そんなのはどうでもいいんだ」
「え?」
(ど…どうでもいい?)
鷹野は落としかけた箸をなんとか持ち直す。理解が追いつかない鷹野を置き去りに、北見は言葉を続けた。
「要は、仕事さえしてりゃそれでいい。定時に来たって、仕事してないなら意味ないしな。そうだよな?和泉さん」
「まぁそうだね。とはいえ、他の部署は基本定時できてるから、開発も定時の方がいいんだけどね」
和泉は麺つゆに蕎麦を浸しながら、穏やかに返す。早瀬も頬張ったオムライスを飲み込むと、言葉を挟んだ。
「松田さんもよく言いますもんね〜、開発に聞きたいことあるのに誰もいない!とか」
「あの人の聞きたいことってほぼ雑談じゃん」
神谷はそう返すと、骨をきれいに端に寄せてからごちそうさま、と呟いた。
「……そ、そうですか……」
みんなのやりとりを聞きながら、鷹野は必死に頭の中を整理する。
(仕事さえしてれば、遅刻してもいい…ってことか?そんなことあるのか?)
言葉は理解できても、感覚が追いつかない。フリーズする鷹野をよそに北見が呟く。
「ま、俺くらいになれば許されるってことだよ」
「俺は許してねぇよ。鷹野くん、こいつをロールモデルにしたら終わりだからね」
「は、はぁ……」
神谷の忠告に曖昧に頷きながら、鷹野は冷めた生姜焼きを急いで口に突っ込んだ。
◇
「たまには食堂もいいっすね。結構リーズナブルだし」
食堂から戻りながら、早瀬は満足げにそう言うと大きく伸びをした。
「そうだねぇ、まぁ昔はもっと安かったけどね」
「たしかに。ワンコインで食べれるの減りましたよね」
和泉と神谷の会話に、へーと相槌を打つ早瀬の横から、鷹野が言葉を挟む。
「あ、あの、ありがとうございます」
「ん?」
「いえ、みなさんお忙しいのに、僕のためにお時間を作っていただき…」
頭を下げる鷹野に、和泉が笑って返す。
「いいんだよ、鷹野くん。新人さんがきた時はいつもやってるし、この部署自体、みんなでランチってあんまりしないからね。こういう時にしておかないと」
「最後にみんなでランチしたのいつでしたっけね。飲み会は期初にやりましたけど」
早瀬の問いかけに神谷がぶっきらぼうに返す。
「昼過ぎに出社するやついる時点で無理だろ」
「それはそう」
「あ?」
「………………」
北見が低い声で一言飛ばす。皆んなの取り留めのない会話を聞きながら、鷹野は黙って後ろを歩いた。
◇
デスクに戻って時計を見ると、気づけば2時間近く経っていた。
(2時間もデスクを離れていたのか…電話はきてなさそうだけど…)
電話の留守録をチラリと見る鷹野に、和泉が優しく声をかける。
「今日は新人歓迎も兼ねてるからね、これくらい長くてもいいよ。鷹野くんは午後は環境設定だね。神谷、あと頼めるかな?」
穏やかな笑みを浮かべながら、和泉が神谷に尋ねる。
「了解です。鷹野くん、今マニュアルのURL送るわ」
「は、はい!」
(北見さんの言葉は正直まだ理解できてないけど……あれは一旦、後で整理しよう……と、とにかくまずは目の前のことをちゃんとやらないと、)
鷹野は先ほどの北見との会話を一度思考の外にやると、大きく返事をした。




