開発部へようこそ
「えぇっと…このビルだよな」
スマホのマップを確認しながら歩くことおよそ10分。目的のビルは、数多のビルに囲まれて無機質に立っていた。
(最終面接で一度来たけど念のため…えーっと、たしか20階だったよな…20階、20階……あ、あった)
『株式会社シスノ』の名前を確認し、鷹野は頷く。うん、やはりここで間違いなさそうだ。
時計を確認する。時刻は予定の15分前。うん、これも問題ない。
日差しを受けてキラキラと光るビルに、鷹野の姿が反射している。鷹野はビルに近づくと、自身の身なりを軽く確認する。
(スーツよし、ネクタイよし、髪も…よし)
うん、見た目的にもおかしいところはないだろう。
鷹野は大きく頷いた後、喉の調子を軽く整えると、ビルに向かって話しかける。
「はじめまして、本日入社いたしました、鷹野と申します。早く戦力になれるよう尽力いたしますので、ご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いいたします!」
何度も家で練習した挨拶だ。もう空で言える。最後にビルに向かって一礼。ピッタリ90度。うん、完璧だ。
道行く人の怪訝な視線をよそに、鷹野はもう一度時計を見る。そろそろ時間だ。
(にしても、まさか開発部に配属になるとは思わなかったな)
鷹野はふと当時を思い出す。前職の営業経験を全面に押し出して挑んだ面接。当然営業採用だと思っていたのに、最終面接で現れたのは開発部長だった。
(前職もシステム営業だったし、抵抗はないけど…本当に大丈夫なんだろうか)
生まれて初めての転職。その上、業界も業種も全然違う。
(正直……不安しかないが)
目の前に聳え立つビルを見上げ、息を呑む。ビルの背後から差し込む太陽の光がやけに眩しく、鷹野は目を細めた。
(………でも)
『なるようになる』
「…………よし」
拳にグッと力を込める。鷹野は大きく頷くと、ビルへと入っていった。
◇
「鷹野くんだね。久しぶり、開発部長の和泉です」
人事に案内されて部屋に入ると、最終面接で会った開発部長の和泉が立っていた。カジュアルなスーツに身を包んだ和泉は、にこやかに鷹野を出迎えると、名刺を差し出した。
「改めてよろしくね。ごめんね、この名刺ちょっと情報古くて…」
「あ、ありがとうございます。頂戴いたします。すみません、まだ名刺もらってなくて…」
「あぁいいのいいの。むしろごめんね、間に合ってなくて」
和泉はそう言って笑うと、人事に「じゃ、あとはこちらで」と軽く会釈し、鷹野を促すように手招きした。
「とりあえず初日だし、部署のメンバー紹介して、あとは環境設定あたりができればいいからね」
後ろを歩く鷹野を何度か振り返りながら、和泉が廊下を進む。
「は、はい」
「にしてもかっこいいスーツだねぇ。なんか久しぶりに見たよ、最近は着てもカジュアルだからなぁ」
ほらこういうの、と和泉は自身のスーツを撫でながら笑った。
(しまった、初日なのに気合い入れすぎたか)
たしかに、このフロアに着いてまだ自分のようにかっちりとしたスーツを着た人に一度もすれ違っていない。
(確かに面接の時も結構ラフだったよな…え、これもしかしてしくった?)
……服装についてちゃんと聞いておけばよかった。
鷹野はとりあえず第一ボタンを外すと、少しだけネクタイを緩めた。
◇
「はい到着。ここが僕ら開発部のエリアね」
和泉が廊下の突き当たりのドアを開ける。
「し、失礼いたします」
一礼して入室する。顔を上げると、たくさんの黒いモニターに白いデスク。そしてまばらに座る社員が目に入った。カタカタとキーボードを叩く音と、奥からは社員同士の話し声が聞こえてくる。
「奥は営業部だから、開発部の席はこの辺りまで。で、鷹野くんのデスクは…と」
「ここです。軽くキレイにしときました」
手前の席にいた男が指をさす。生活感のあるデスクの中で一つだけ、PCだけが置かれた、こざっぱりしたデスクがあった。
「さすが神谷。ありがとう。ってあれ?北見は?」
「遅刻っす」
「はは、了解。そしたら鷹野くん、とりあえず荷物とか置いちゃおうか」
「は、はい」
物珍しそうな周囲の視線を浴びながら、鷹野はいそいそと席に向かう。
「すごいっすね」
荷物を置いた瞬間、目の前の席から声が飛んできた。
「え?」
「スーツ。神谷さん、最後にスーツ着たのいつっすか」
男は、先ほど神谷と呼ばれた男に話しかける。神谷はPCの画面を見つめたまま、投げやりに答えた。
「しらん。冠婚葬祭とかじゃねぇの」
「そのレベルっすよね……つか俺マジでないかも、スーツ」
「し、失礼しました!」
「へ?」
鷹野が勢いよく頭を下げる。そして、次の瞬間、素早くネクタイをほどくと、ジャケットを脱ぎ始めた。
「え、ちょ、なんすか」
「いえ、この会社の服装について事前にもっと知っておくべきでした…明日からは皆さんと同じく、業務に適した服装で勤務いたします。大変申し訳ないですが、今日はこの格好でご容赦いただけると……」
深々と頭を下げ、謝罪を述べ続ける鷹野を、男が慌てて遮る。
「いやいやいや、なんの話?!ちょ、頭上げてくださいよ!」
「早瀬…お前、早速新人いじめんなよ」
「え?俺のせいすか?これ」
「ははは、そんな恐縮しなくていいよ、鷹野くん。うちは服装自由だから、スーツじゃなくてもいい。でもスーツがダメなわけじゃない。鷹野くんが働きやすい服でいいからね」
笑いながらフォローする和泉に、鷹野はようやく頭を上げる。
「す、すみません…」
「というわけで!こちら、本日からうちの部署に配属になった鷹野くん。鷹野くん、簡単に自己紹介できるかな?」
和泉は神谷と早瀬にそう呼びかけると、鷹野に視線を向けた。
「は、はい!えーっと、鷹野と申します。前職では会計システムの営業をしていました。は、早く戦力になれるよう尽力いたしますので、ご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いいたします!」
何度も練習した挨拶を一息で言い切ると、鷹野はピッタリ90度、頭を下げる。
(な、なんとか噛まずに言えた…)
「はは、元気があっていいね。ありがとう」
「すげぇ垂直、さすが元営業。にしても、元営業で開発って初じゃないすか?なんでまた」
鷹野のお辞儀の角度に感心しながら、神谷は和泉に尋ねる。
「いや、営業的な視点って開発にはなかなかないからね。面白いかなって。鷹野くんの営業経験は開発部にとって大きな武器になると思うんだ」
和泉はそう言うと、鷹野に微笑みかけた。
(開発部で営業経験って役立つんだろうか……)
「ご、ご期待に添えるよう頑張ります……」
少々の居心地の悪さを感じながら、鷹野は曖昧な笑みを浮かべると、小さな声で返した。
「よし、ってことで、今日はこのあとメンバーの紹介も兼ねて食堂でランチするから。北見もその頃にはきてるだろ。時間になったらみんなよろしくね」
「はーい」
「了解です」
2人はそう言うと、再びPCに向き直り、作業を再開した。キーボードーを叩くカタカタという音が再び戻ってくる。
(はぁ…不安だ…)
鷹野はそう心の中でため息をつくと、所在なさげに静かに席に座った。




