辞めれば?
「仕事ってそんなに悪いものでもないよなぁ」っていう個人的な気持ちから始まったオフィスコメディです。ゆるく読んでいただけたら幸いです。
「鷹野ぉ!お前、まだあの契約とれてないのか?!」
本日何度目かの怒号がフロアに響き渡る。苛立ちのままにペンで机を叩く部長を前に、鷹野はただひたすら頭を下げる。
「も、申し訳ございません!先方から一点仕様についてご要望をいただいており、実現可能か、今社内で確認してまして…」
周囲の社員はいつものこととでも言うように、電話をとったり、PCと睨めっこしたりと、黙々と己の作業に没頭している。
「あのなぁ、いつも言ってるだろ!実現可能か?じゃなくて、実現するんだよ!!顧客に『できるか?』って聞かれたら、返事は『できます』!これ以外ありえないだろーが!!」
鷹野の弁解も虚しく、オフィスを揺らすような部長の怒声が長いため息と共に容赦無く降ってくる。
「で、ですが正確な仕様を確認してからでないと……」
恐る恐る述べる鷹野を、部長の冷たい眼光がギラリと貫いた。
「結果も出してない奴が会社の方針に口を出すのか?顧客第一は営業の鉄則だろ!」
「……………っはい」
(……それを言われたら、何も言えない)
鷹野は唾と一緒に言葉を飲み込むと、もう一度頭を下げた。
「なんだ?まだ文句がありそうな顔だな。え?そんなに自分のやり方でやりたいなら、さっさと辞めて、違う会社にでも行った方がいいんじゃないか?」
はい、と即答しなかったことが気に食わなかったのか、部長は鷹野を睨みつけると、さらに追い討ちをかけてくる。
「そ、そんな…」
「ハッ、辞めたきゃ勝手に辞めろ。お前みたいなやつはどこ行ってもやってけないだろうけどな!」
部長はそう吐き捨てると、持っていたペンを雑に放り投げる。そして机の書類に視線を落とすと、もう鷹野の方を見ることはなかった。
「……申し訳ございませんでした。失礼いたします」
鷹野は力無い声でそれだけ言うと、いつも通り仕事を続ける社員たちの間をすり抜け、静かに自席へと戻った。
◇
(あ、お米もうなかったっけ…)
駅からの帰り道、鷹野はふと立ち止まる。確か、前回炊いたのが最後だったはずだ。カップ麺やレトルト類も切らしている気がする。
(…まぁ、テキトーに弁当でも買って帰るか)
(…いや、もう今日はいいか、夕飯。時間も遅いし…)
鷹野は自身の暗い足元を見つめながら、そんなことをぼんやりと考える。駅から遠ざかるにつれ、ネオンの光もまた遠のき、切れかけた街頭の灯だけがパチパチと音を立てながら不規則に道を照らしている。
(結果も出せてないしな。優雅に食事なんてしてる場合じゃないか…って、まぁそれは考えすぎだけど……)
内心、自分にツッコミを入れながら、鷹野は力無く笑う。
(辞めたきゃ勝手に辞めろ、か)
部長の言葉が黒い渦となって、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
(さすがにもう見限られたかな…しょうがないか。今回だって、俺の要領が悪いのが原因だし…)
(…この調子じゃ、明日も怒られ確定かな)
部長の怒った顔を思い出す。ゴミを見るような蔑んだ目。不機嫌そうにねじれた口元。呆れた声。
(……喉が痛い)
胃からこみ上げてくる酸っぱさが食道を圧迫し、喉につかえる。喉元に滞留する吐き気を無理やり飲み込みながら、鷹野は立ち止まった。
「……しにたい」
自然と漏れ出た声は、言葉というより泣き声のようだった。自分の口から溢れたそれに、鷹野は思わずハッと口を抑える。
(な、何いって…)
鷹野はしばらく立ち尽くすと、深くため息を吐いた。そしてなんとか重い身体を引きずると、倒れ込むように帰宅した。
◇
(もうこんな時間か…)
重い鞄を置いて時計を見ると、時刻はすでに夜の11時を回っていた。鷹野は何日か前の冷め切ったインスタントコーヒーを流しに捨てると、喉のつかえを取るように水道水を一気に流し込んだ。
「……はぁ」
鷹野は覚束ない足取りでふらふらとベッドに座ると、そのままシャツも脱がずに崩れるように倒れ込んだ。
(明日も早いから、さっさとシャワー浴びて寝ないと……)
そんな思考とは裏腹に、身体はどんどんベッドに沈んでゆく。白い天井をボーッと見つめたまましばらく動けずにいると、ポケットの中でスマホが小刻みに震えた。
「…?」
みると、画面に通知が出ている。
『ゲーム野郎さんが配信を開始しました』
「…………!」
ゲーム野郎さん。Youtubeでゲーム実況をしている配信者だ。配信者といっても、チャンネル登録者数は10人程度の超弱小チャンネルで、内容もゲームをしながらぶつぶつ文句を言うだけの低クオリティ動画だ。
(でも、それがいいんだよな…なんか素人感あって)
マイクは音割れ。サムネもテキトー。編集も雑。ゲームだって、お世辞にも上手とはいえない。
(登録者数を増やそうって感じも全然ないし。でもそのゆるい感じが落ち着くっていうか…それに…)
通知をタップして、動画を開く。すると、見慣れたサムネとともに、何度も聞いたゲーム野郎さんの声がスマホから流れてきた。
『はい、じゃあ今日はこのゲームね』
(……うん、いい声)
おそらく男性の、クリアな低音。
別にすごくいい声ってわけじゃない。ダンディなわけでも、いわゆるイケボってわけでもない。でも、とにかくクリアで、音の輪郭がはっきりしているのに、固くない。まるでカラッと乾いたタオルのようだ。
(この声聞きながら目を閉じると、よく眠れるんだよな)
言ってることはただの文句なのにな。鷹野はふっと口だけで笑うと、身体を起こした。
『ドギメギ・メモリアル。名前は知ってるけど、やったことないんだよな。チュートリアルは…いいや、飛ばそ』
配信画面にゲームタイトルが映る。学園ものなのか、学生服に身を包んだ、様々なタイプの美少女たちが次々と現れた。
「今日は恋愛ゲームか…野郎さんってこういうのもやるのか」
画面の中でダラダラと取り留めなくしゃべるゲーム野郎さんの声を聞きながら、目を閉じる。
『どれが一番難易度低いんだろうな。幼馴染はアドとかある?』
静かな部屋に、ゲーム野郎さんの声だけが響く。その声を子守唄に、目の奥が徐々に沈んでいった。
『辞めたきゃ勝手に辞めろ』
(……………)
『お前みたいなやつはどこ行ってもやってけないだろうけどな』
(………うるさい)
封じ込めたはずの部長の言葉が、再びまぶたの裏から顔を覗かせる。
(消えろって、)
ゲーム野郎さんの声を邪魔するように、大量の部長の罵倒が何度も押し寄せる。それを振り払うように鷹野は髪をぐしゃりとつかんだ。
「……なんなんだよ……」
『顧客第一は鉄則だろ』
(……そんなのわかってる。だから俺なりに必死に……)
何度も顧客のもとに足を運んだ。
何度も打ち合わせをした。
何度も資料を読み返し、職場でも家でもひたすら分析した。
何が顧客のためになるか、それだけを考えて……
(……やばい、泣きそうだ)
目の奥に込み上げる苦味を飲み込むと、鷹野は縋るように動画のコメント欄を開く。そして、ぐちゃぐちゃの頭のまま、一件もないコメント欄に叩き込むように文字を打った。
『仕事がつらい。しにたいです』
『……大体な、いくら照れ隠しでもいきなり殴ることはないだろ。話くらい聞いて……ん?』
ツンデレ美少女に文句を言っていたゲーム野郎さんの声が止まる。
『コメント?めずらし』
「………!!」
心臓が跳ねる。
(こ、こんなすぐ見られるとは)
自分でコメントしたくせに、いざ認識されると……鷹野は逸る心臓を抑えて、画面を見つめる。
(しかもこんな重い…初めてのコメントだったのに)
自暴自棄になっていたとはいえ、いきなりこんな深刻なコメントをもらったら誰でも困るに決まっている。
やっぱり削除しよう、そう思って慌ててコメント欄をタップすると、画面から声がした。
『なるほど』
「………!」
ゲーム野郎さんは少し間を置くと、いつも通りのクリアな声で続ける。
『無責任なことは言えないが…辞めれば?そんなに辛いなら』
その言葉に、こわばった身体が一瞬緩む。と、同時に身体の芯がカッと熱くなった。
(そんな……そんなことしたって、なんにも、)
鷹野は、こみ上げてくる熱をそのまま打ち込む。
『辞めても、行く場所ないです。手に職もないし、どこいってもやってける気がしません』
(…そうだよ、部長の言う通りだ)
今まで散々怒られてきたじゃないか。散々呆れられてきたじゃないか。そんな無能、どこに行ったってやっていけるわけがない。
(…だったら辞めたって何も変わらないじゃないか)
苛立ちや悲しみが綯い交ぜになったまま打ち込んだコメントをゲーム野郎さんが拾う。
『あぁ、なるほど。そういうイジメられ方したわけだ。いるよな、どこ行ってもやってけない、とか言う奴。そういうやつに限ってずっと同じ会社いるんだけどな』
「………っ」
ゲーム野郎さんは美少女との会話を進めながら、淡々と続ける。
『俺的には会社の人間の言うことなんてあんま間に受けない方がいいと思うけどな。よそがどうかなんて、身内にゃわかんねぇだろ』
画面の中で、金髪ツインテールの美少女が恥ずかしそうに頬を染めている。どうやら告白イベントのようだ。
『いうて俺も昔DB吹っ飛ばしたことあるけど、全然やってけてるしな』
「……は?」
ゲーム野郎さんの言葉に思わず声が漏れる。
(……DB?)
(データベースのことだよな?)
ぐるぐると渦巻いていた脳内が急に停止する。
(……それを吹っ飛ばす?)
鷹野は、急いでコメントを打ち込む。
『DB吹っ飛ばして、生きてられるんですか?』
告白セリフの選択肢をぐるぐる移動しながら、ゲーム野郎さんが笑う。
『そりゃ生きてるだろ。たかがDBだぞ?人が死んだわけでもないんだ、戻しゃいいんだよ。つーかそんなんで飛んでたら命いくつあっても足りねぇって」
ゲーム野郎さんが一番下の選択肢を選ぶ。美少女は、頬を染めながら嬉しそうに笑った。
『お。これいったか?トゥルーエンド?』
「……………」
DBを吹っ飛ばしても死なない。
人が死んだわけでもない。戻せばいい。
頭の中に渦巻いていた部長の言葉を、ゲーム野郎さんの言葉が飲み込んでいく。
(そうか………)
頭の中の靄が少しずつ晴れていく。気づけば、鷹野はコメント欄に打ち込んでいた。
『ちょっと一回、辞めてみます』
ゲームを終えたゲーム野郎さんが軽やかに返す。
『ん、いいんじゃない。ま、なるようになるだろ』
『配信が終了しました』
鷹野は動画を閉じると、そのまま『辞表届け 出し方』と検索バーに打ち込んだ。




