4.古典と歴史を学ぶ意義(宗教は政治に大きな影響を与える)
同様に、社会人が学ぶべき学問は、「古典」と「歴史」です。古典は、「生き様」が書いてあります。仏教でも、法華経は具体的なたとえ話です。これは、お釈迦様が具体的な悩み相談のケース・スタディーとして答えたものだからです。聖書も論語も同じです。古典は、具体的な相談に具体的に答えています。ですから、古典を学ぶことで、自分で悩みの答えを見つけることができます。ほとんどの新宗教の教えは、「儒教」(論語、大学・中庸、孟子)と「仏教」が元ネタ、ベースになっています。儒教と仏教をアレンジしてあるだけです。ですから、「宗教」をやらなくても自分で悩みの答えを見つけられます。
もう1つは、国際情勢は古典知識があると簡単に理解できます。宗教戦争は、聖書とコーランの解釈の違いをめぐってテロをしているだけです。怖い話を2つしましょう。
1つは、学生運動です。連合赤軍や様々な過激派があり、また北朝鮮や旧ソ連、中国共産党、元ネタはマルクスの「資本論」です。資本論は、1巻目はマルクスが監修しましたが、残りの大部分は、おそらくエンゲルスが加筆修正したであろうと考えられています。学生運動と過激派も争っていますが、「資本論」の解釈をめぐって争っているのです。なぜ、マルクスの資本論から大量に分派ができて分派同士で争っているのでしょうか?。
ほとんどの運動の参加者が、資本論そのものではなく、その学生運動の指導者なり、北朝鮮ならチェチェ思想、中国なら毛沢東が解釈した資本論を読んでいて、「資本論」そのものを読んでいない人が、「爆弾や火炎瓶」を投げ合っているのです。
ですから、プロテスタントのマルチン・ルターは、聖書を一般国民が読めるようにしたのです。従来の聖書は、ラテン語で一般人が読めなかったのです。ですから、ドイツ語訳の聖書を発行して、誰でも聖書を読めるようにしたのです。そして、プロテスタントが普及して、信者がカトリックと宗教戦争をはじめたのです。
イスラム教の過激派のタリバン、タリバンがイスラム教原理主義でアフガニスタンを統治していました。ただし、タリバン、アフガニスタンの識字率は10%もありません。タリバンというのは、「コーラン」の教えに忠実に行動しましょうという団体です。識字率がタリバンの兵士は10%以下です。「どうやって、コーランを読むのでしょうか?」
結論を書くと、コーランを読んでいないのです。コーランを読めるタリバンの指導者の独自の解釈を耳で聞いて、自爆テロをしているのです。過激派も、資本論そのものではなく、誰かが解釈した資本論を読んで過激派になるのです。「資本論に革命をやれ」とは書いてありません。マルクスは、「イギリスの経済予測をした結果、貧富の差が広まれば革命が起こりうる」と書いているのです。資本論は、普遍性はないとマルクスが言っています。資本論は、イギリス国内に限定した本です。マルクスが、「イギリス国内」に限定した結果、レーニンや毛沢東がオリジナルにロシア版、中国版で勝手に解釈した理論らしきものを作ったわけです。
これが、解釈書ではなく原典そのものを読んでくださいとしつこく私が書く理由です。資本論ではなく、「よくわかる資本論」みたいな本を読んで革命を起してしまう怖さがあるのです。
宗教紛争も、識字率が高まり教育が普及すれば、かなり改善される面もあります。例えば、ローマ法王ヨハネ・パウロはイスラム教、プロテスタント、ユダヤ教との和解に力を入れました。コーランも聖書も、「人々の幸せ」を説いている本です。大きな尺度でコーランや聖書を解釈すれば、「宗教戦争」は起こりえないでしょう。
イスラム教徒は、豚肉を食べられません。また、アルコールは禁止と「コーラン」に書かれています。驚いたことに、イスラム教圏は酒は禁止ですが、麻薬がOKな国があります。これは、ムハンマドが生きていた時代に、麻薬がイスラム教圏では一般的に知られていなかったからです。ですから、コーランには、麻薬は良いとも悪いとも書かれていません。
豚肉や、飲酒禁止の理由は簡単です。コーランに、書いてあることですが、酒を飲んで宴会して暴れている人達を見て、ムハンマドが神と相談して禁止したのです。豚肉も寄生虫がいますから、中近東で不衛生な環境で豚肉を食べると食中毒の可能性が高かったのでしょう。コーランは、ムハンマドの時代の客観的に見てベターなルールです。
古典は、時代背景を無視して解釈すると危険です。そして、仏典も論語も聖書も孔子や釈迦本人が書いていません。例えば、論語には「中華思想」が色濃く出ています。仏典や論語は、その当時としてのベターな基準です。もう1つは、論語も聖書も仏典も言行録ですから、聞いている相手の人の知的水準やバックボーンを考慮して、孔子や釈迦、キリスト等によって話されたものです。論語も孔子本人は執筆していません。ひょっとしたら、下手に本を残すと一人歩きして危険だと思ったのかもしれません。
キリストもムハンマドも釈迦も文字が書けました。最初の仏典結集で、釈迦の言行録がまとめられたのは、釈迦の死後数十年以内と考えられています。ですから、文字はあったのです。本として残せたにも関わらず、釈迦ら本人が自分で本を書いていないのは、仏教は「諸行無常」、「全てのものが変わっていく」という教えで、釈迦が仏典を残したら矛盾しているのです。そもそも、言葉で伝えるのは無理(不立文字)と釈迦自身も断言しています。そこから派生したのが、達磨大師に始まる禅宗です。日本では、曹洞宗や臨済宗が禅宗です。
ムハンマドも、「ムハンマド」が生きていた時代のベターですから、1千年後のベターは変わることはわかっていたのではないでしょうか?ですから、自身の言葉であえて残さなかったのでしょう。
反米デモや自爆テロをやっていますから、過激な教えとイスラム教は考えられる傾向にあります。しかし、イスラム教では、ユダヤ教やキリスト教の聖典である旧約・新約聖書を否定していません。イスラム教では、ユダヤの預言者で洗うモーゼや、イエス・キリストも否定していません。
聖書の中で唯一、本人が残したものがモーゼの十戒です。しかし、十戒に忠実に生きると、「安息日だから、急病人を医者が診療しないとか、そういう弊害が起こってきて、「それを否定したのがキリストです。神が「人の幸せのために出した戒律」だから、人が救われるなら戒律を破っていいと布教したのです。そこで、キリストはユダヤ人に磔にかけられたのです。
ですから、ムハンマドは、旧約、新約聖書は認めていますから、過去の歴史を踏まえた上で、モーゼの十戒が原因でキリストが処刑されましたから、ムハンマドの教えを自分で本にしなかったのではないでしょうか?。文字として宗教の教えを残せば、1千年たって時代背景が異なってきて、教えとの矛盾が出てきたときに、悲劇が起こるからです。
国際情勢の大本は、宗教と歴史です。聖書とコーランを読んでも、歴史を学び、どんな時代的背景でコーランが出てきたのかを理解しないと、間違って聖書やコーランを理解する危険性があります。これは、資本論や他の政治理論、経済理論、あらゆる思想に共通していえることだと思います。
モーゼの十戒は、殺すなとかレイプするなとか、「神を語るな」とか、現代人から見ればかなり、当たり前のレベルが低い内容です。法令と同じで、根拠もなく、法令ができませんから、「神を語ったり、レイプしたり、泥棒する人がたくさんいたのでしょう。モーゼの時代には。アブラハムの息子、ヨセフ(エジプトの宰相)に連れられてエジプトに移住したユダヤ人は数百年間、奴隷階級になっていたのです。ですから、モラルや教育がなくなっていたのでしょう。モーゼは、エジプト王家の養子として高い教育を受けています。
一般のユダヤ人、全体としては、神を語ったり、レイプしたり、泥棒するようなモラルになっていたのでしょう。そこで、モーゼのトーラ(モーゼと神が決めた社会規範)は厳しいのです。キリストの時代になって、ユダヤ人の文化レベルが上がったため、「モーゼの時代より社会規範を緩くしたのでしょう。ですから、宗教は普遍的な部分もありますが、時代背景にあわせて修正が必要な部分も多々あります。
イスラム教圏で、一夫多妻が認められているのは、反対勢力からイスラム教を守るために宗教戦争をやっていたので、兵隊に行った男性が死んで未亡人が増加したことが背景にあります。そこで、財力があるイスラム教徒の男性は未亡人を扶養しなさいという社会保障政策ができたのです。個別に時代背景を考えたら、聖書もコーランも全く矛盾がないのですが、時代背景を考えないと、現代には適合しない部分も多くあります。
聖書も、キリスト本人がマリアの処女受胎の話をしている箇所はありません。




