21.ウイグル独立問題
ウイグル自治区は、中国の北部に位置します。この地域は、シルクロードに位置するため、10世紀頃からイスラム教が流入し、トルコ系イスラム教徒がウイグル語を話す文化圏として存在してきました。ウイグル系王朝が成立し、その後、モンゴル帝国や清王朝の侵略にあいながらも独自の文化圏が残っていました。清王朝は、辺境の土地であるウイグルの自治権を認めていましたが、19世紀後半のウイグル住民の反乱を受け、漢民族の移民と漢字の強要による清王朝への同化政策を行いました。この中国の同化政策に反発して、19世紀に民族名をウイグルとする集団が発生しました。
ウイグル人は1933年に東トルキスタン・イスラム共和国を建国しますが、中国軍とソ連軍の軍事介入により数ヶ月で独立は失敗します。1944年、東トルキスタン共和国をウイグル人が建国しますが、ソ連軍と中華民国軍が軍事介入し、国家が消滅します。
そして、1949年、中国共産党政府による中華人民共和国へのウイグル地域の編入(侵略)が行われ、1955年にウイグル自治区が成立します。ウイグル自治区には、中国政府による漢民族の大量移民政策により、1955年には75%だった自治区のウイグル人割合は、2010年代には、漢民族40%、ウイグル人40%と漢民族と同程度の割合にまで低下します。ウイグル自治区は豊富な天然ガス等の資源宝庫のため、ウイグル人の独立を中国政府は弾圧し続けてきました。
1960年後半~1970年代には、中国の独裁者である毛沢東の主導により、文化大革命という権力闘争が行われました。すでに中国で権力を失いつつあった建国者である毛沢東が権力を取り戻すために、反対者を粛清し、中国全土で数千万人以上の住民が虐殺されました。毛沢東独自の共産党理論だけが正しいと強制する文化大革命により、中国全土で寺院や中国の伝統文化が破壊されました。そして、ウイグル人の信仰するイスラム教も文化大革命により、信仰が禁止され、ウイグル人の文化施設やイスラム教の礼拝施設であるモスクを中国共産党は破壊しつくしました。
文化大革命は毛沢東の死後、良心的な中国共産党の指導者達により鎮圧されました。
現在、ウイグルでは中国共産党の侵略を廃し、ウイグル人の独立国家建設のために「世界ウイグル会議」が中国国内外で活動をしています。中国政府は、ウイグル自治区の砂漠で1964年から1996年までの間、32回の地下、空中核実験を行ってきました。
そして、漢民族によるウイグル弾圧により2009年にはウイグル人によるデモ等の大規模な抗議活動が起こりましたが、中国は治安部隊を派遣し鎮圧、ウイグル地域に監視カメラを大量に設置すると共に、ウイグル人を逮捕、拘束、処刑、拷問、イスラム教への弾圧等するという民族宗教弾圧を続行中です。




