表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/103

96.水から、歩み寄る(前編) 〇★

 泡の中に意識を戻すと、アイオリスの野郎は寝ていやがった。

 こともあろうに、俺の胸に顔を預けてだ。


 いいご身分だなぁ、おい。

 イケメン無罪が俺に通じると思うなよ。


 ……まぁ、こいつが相当消耗していたことくらい、流石に分かる。

 眠っているというより、意識を手放しかけているだけなのかもしれない。


 だから、そっとしておく。


 だって、左肩にも背中にも矢が刺さったままだ。

 黄金で固めた傷口から、血は流れていないが、見ていて痛々しい。


 青白い泡の中、肌の一部が光を受けて金色に輝いていて、出来の悪い現代アートみたいだ。


 以前、黒髪を金髪にしたと思っていたのは、ただの勘違いだった。

 でも、これは違う。


 これは紛れもなく、俺がやったことだ。


「……どうすんだよ、これ」


 思わず声が漏れた。


 アイオリスは泡の中で、俺に抱えられたまま浅く息をしている。

 さっきよりは呼吸が落ち着いているし、顔色も多少は戻ったように見える。


 だが、このままでいいわけがない。


 このまま抜くのはまずい。

 いや、そもそも固まっていて抜けるのか?

 固まった状態で削ったり折れたりしたらどうなる。ヤバくないか。ヤバいよな。


 どうにかして黄金から戻して、その後に抜くとして、抜いたら血が出る。

 血を止めるには、包帯とか、薬とか、針と糸とか、そういうのがいる。

 あと、濡れたまんまなのも、たぶん不味い。


 そういや、傷口を焼くとか言ってたな、こいつ。正気か?

 そんなのお話の中だけにしてくれ。痛そうすぎるだろうが。


 それに、焼くって火だよな?

 火はなんか知らんがムカつく。水の底がぐつぐつする。


「あぁー、くっそ」


 火なんかのことを考えたせいで、思わず悪態が出た。

 でも、それくらい状況が詰んでいる。


 包帯。薬。手当ての知識。着替え。毛布。


 何一つ、ここにはない。


 あるのは水だけだ。


 世界を沈めるくらいの馬鹿みたいな量の水。


 森も、草も、家も、荷も、道具も。

 水に沈んだものは、全部、黄金にしてしまった。


 包帯があったとしても金だ。

 薬があったとしても金だ。

 針は金でも使えるかもしれないが、糸が金だ。


 金があれば何でも手に入るってよく言うが、ここには水と金しかない。


 ゴールドラッシュとかインフレってレベルじゃねえぞ。

 今じゃあ金なんて、石ころ同然の価値しかねえ。


 いや、金を増やしまくってるのも俺なんだけど。


 俺はアイオリスの傷口を睨みつけた。

 睨んでも何も変わらない。

 金色の傷は、静かにそこにあるだけだ。


 黒いのを消して痛みはなくなったのに、問題は終わらない。


 こいつは人間だ。

 水じゃない。


 俺みたいに、崩れても創り直せば元通りなんて、いい加減な身体じゃない。

 傷ついて、血を流して、心臓や呼吸が止まれば死ぬ。

 病気でも、寒すぎても、飲み食いできなくても死ぬ。


 そうだよ。

 こいつ、メシはどうする?


 飲むものは俺がいるとして、食い物なんか何もない。

 水の中のものは、魚だって黄金になっている。


『わたしの水だけを飲んでもらえたら、それでよくない?』


「いいわけあるか、ボケ! 水だけ飲んでろとか拷問かよ!」


 バカ女がバカなことを言い出したので、即座に却下する。


 こいつは基本、アイオリスのことしか考えていない。

 なのに、根本的なところで人間ってもんを分かっていない。


 メシを食わせるとか、体温を保つとか、人間としての当たり前を今まで忘れていた俺も俺だが……。


 結論、このままだとこいつは死ぬ。


 傷だけ塞いだってしょうがない。

 矢を取り除いて、手当して、乾いた服を着せて、栄養を取らせて、ちゃんと休ませなきゃ駄目だ。


 人間が生きるには水が絶対に欠かせないが、水だけじゃ生きていけない。

 絶対にだ。


『そんな……』


 “わたし”がショックを受けている。

 今更か。


 そういう面倒臭い生き物なんだよ、人間ってのは。


 あーあ、女神様ってなんだよ。

 こんな肝心な時に、何の役にも立たねぇじゃねぇか。


『……人なら、残っています』


 静かな声がした。


 “私”だ。


 真面目な良い子ちゃんぶった女神様な部分の俺。

 こいつも大概ヤバい奴だが、俺よりも広く細かく物事を見通せる。


「マジで? どこだ、街とか残ってんのか」


『いいえ……ミュルナたちのところに』


 ミュルナ。

 確か、ちびにそんな名前を付けたって言ってた。


 他は確か――。


『ミュリナ、ミュシアです。

 あの子たち三人が力を合わせて、人間たちを守っています』


 “私”が妙に誇らしげに言った。

 急にママぶってやがる。


 もう、お前がママでいいから、俺までママにすんなよ。


 言われて意識を向けてみると、遠くの水の中に、確かにそれっぽいのがいる。


 底に沈んだ丘みたいなところに、大きな泡があった。

 ちびたちが泡の内側から水を押し出すみたいに踏ん張っている。


 ちょっと覗いてみると、中にはたくさんの人間がいた。

 あの茶色い髪の女の子は、リディアって言ったか。


 他にも結構いる。

 ガタイの良い奴、兵士っぽいの、おっさん、爺さん、女、子ども。

 信者どもがよく着けていた、あの水色のタスキは半々くらい。


 生きている人間たちが、そこにいた。


『あそこでなら、人間の治療を頼めるかもしれません』


「……そこに、こいつを連れて行けって?」


 自分で言って、喉の奥が詰まった。


 喉なんて本当は無いはずなのに。

 こういう時だけ、身体は人間みたいな反応をする。


 俺が人間のところに行く。


 今、この状況でか……?

 森も家も人間も、みんな水の底で黄金になって沈んでいる。


 俺がバカ社員どもを止められなかったから、こうなった。

 そんな俺が、人間の前に出ていって、こいつを助けてくださいって言うのか?


 なんて言って、どういう顔をすればいいんだよ。


 社長女神として謝罪会見?

 責任取って辞職?

 辞められるもんなら辞めたいくらいだわ。


 大体、もう謝って済む段階じゃなくないか?

 賠償金……いや、金とか完全にゴミだ。

 いい感じの棒とか、どんぐり以下。


 そもそも、俺、人間と喋れるのか?


 アイオリスとは、なんか知らんが喋れるようになっていた。

 けど、別に前と話し方を変えたとかじゃないし、言葉の聞こえ方がおかしいのは前と一緒だ。

 どういうわけか、こいつの言ってることの意味が分かるようになっていた。


『心が通じ合ったのよ。愛されていて、愛しているから!』


 うん、お前は黙れ。


 じゃあ、百歩譲ってその通りだとしたら、他の人間とは通じないってことになる。


 女神パワー的なやつで、なんかいい感じになれーっ!

 ……そんな雑な理論は、もう信じていない。

 今までそれで散々な目にあったからな。


(いや、でも、通じないんだとすると、どうなる?)


 女神みたいなツラをして、泡をノックして入室。

 まず、その時点で大騒ぎだろう。


 この洪水が俺由来だろうってことは、誰だって思い付かないはずがない。


 信者どもを末端の従業員に例えるなら、俺は会社を傾けた上に、大量リストラをかました言葉の通じない外国人社長ってわけだ。


 地獄かよ。


 陰キャにいきなり特大級の謝罪会見やらせるんじゃねぇ。

 しかも俺が路頭に迷わせた奴らを相手に。


 例えが最低すぎる。

 やめろ。


『アイオリスを助けるためなら仕方ないわ』


 今度は“わたし”が囁いた。

 甘くて熱っぽい、うっかり頷きそうになる声。


「……簡単に言うな」


 人間の前に出るのは嫌だ。

 この景色を作った後で、ノコノコ顔を出すとか、考えただけで水底に沈みたくなる。


『アイオリスは難しいことをやってくれたじゃない』


「うるせえ、分かってんだよ……!」


 俺だって、こいつをこのまましておくのは嫌だ。


 俺はアイオリスを抱え直した。

 泡の中で、水の膜が揺れる。


 アイオリスが薄く目を開けた。


「イズミール……話し合いは終わったのか……?」


「起きてたのかよ」


「聞こえたのは、君の声だけだが」


 サラッと脳内会議を察するな。

 勘違い野郎のくせに、なんでそういうのは外さないんだよお前は。


「聞き流しとけよ……」


「すまない」


「すぐ謝るな」


 いつものやり取りに近いものが返ってきて、少しだけ息が抜けた。


 こいつはまだ生きていて、喋れる。

 そうだ、俺一人で全部をなんとかしなきゃいけないわけじゃなかった。


 これは、こいつ自身のことだ。

 こいつにも背負ってもらおう。それがいい。


「ちび……ミュルナたちのところに、まだ人が残ってた。

 リディアって子も無事だ。そこでなら手当くらいできるかもしれない」


「……そうか」


 アイオリスの目が、わずかに和らいだ。


「だが、君にとっては好ましくない場所のはずだ」


 それなのに、出てくる言葉がこれだ。

 自分のことより、他人のこと。他人のことより、俺のこと。

 だから、そんな怪我をしたんだぞ、お前。


「……お前にとっては必要な場所だろ。

 そのままずっと、イカれた飾りをブッ刺して過ごす気かよ」


 睨みつけてやると、何故か目を逸らしやがった。

 普段は滅茶苦茶覗き込んでくるくせに、たまにこうなるんだよな、こいつ。

 いや、ちょっと顔が赤いか? 熱がある? やっぱ着替えと毛布が要るな。


「……私から話そう」


「お前、自分の状態分かって言ってる?」


 矢が刺さってんだぞ。

 しかも身体の一部が金ぴかの変態野郎だ。

 いっぺん死にかけたってことを、理解してんのか、おい。


「分かっている。だが、君が無理に話す必要はない」


 アイオリスは、浅い呼吸のまま言う。

 そういうとこなんだぞ、本当に。


「彼らが恐れや恨みを抱いたとしても、私が受ける」


「説得力ねえんだよ、口下手のくせに。しかも怪我人だろ」


 そう、どう考えてもこいつが説明上手とは思えない。

 女信者なら絆されちまうかもしれないが、野郎には逆効果だぞ。


 俺にもな。何が、"私が受ける"だ。


「だが、もう君一人を矢面には立たせない」


「だから、矢が刺さってんの、お前!

 そういう綺麗ごとを言えば、俺が黙るとでも思うなよ」


 いかにもこいつらしい物言いに、俺はそっぽを向いた。

 と言っても、泡の中にはそっぽを向ける場所なんてほとんどない。


 こいつは典型的な、仕事を抱え込んで無理して潰れるタイプだ。

 自分一人で抱えて潰れる分には、自分のせいだけで済む。

 人を巻き込んで失敗して、そいつに詰られる方がキツいと思っている。


 暗い水の向こうには沈む黄金。

 こっちにはクソ重たい怪我人。


 どっちもロクでもない。


「……じゃあ、行くぞ」


「ああ」


「俺も話してみるから……まずそうなら、お前が何かいい感じにまとめろ」


「努力する」


「努力じゃねぇ。どうにかしろ。

 でも、かばうとかそういうのは無しだぞ。

 怪我は増やすな、今度こそ絶対の絶対だからな!」


 返事を待たず、アイオリスを包む泡ごと、水の中を進む。


 こいつは沈めない――そう思うだけで、ほとんど意識せずに周囲の水が退いていく。


 水はどこまでも澄んでいて、どこまでも深い。

 水が俺の動きを邪魔することはない。


 水の中を進むというよりも、空を飛んでいるみたいだ。


 泉が広がって湖になってから、水の中を飛ぶのは好きだった。

 旋回も宙返りも自由自在で、魚を追っかけまわしたりもした。


 けど、今、広がり過ぎた水の中には、魚一匹すら泳いでいない。


 水の底には黄金が沈んでいる。


 黄金の木々。

 黄金の屋根。

 黄金の荷車。

 黄金の人影。


 それらを見下ろしながら、俺たちは進む。


 見たくない。

 けれど、見えてしまう。


 誰かが腕を伸ばしたまま固まっている。

 誰かが子どもを抱えたまま黄金になっている。

 兵士らしい男が、剣を抜こうとした姿勢で止まっている。


 叫び声が聞こえてきそうな顔をしているのに、水の中はどこまでも静かだ。


 アイオリスも同じものを見ているはずだが、何も言わない。

 何か言われたら、責められているか、気休めだって思っていたかもしれない。

 だから、何も言われないことに少しだけ救われて、少しだけ苦しくなる。


(……いきなり、わけわかんねぇ状況に放り込まれんのはキツいよな)


 身動きの取れない状態になった人間たちを見下ろし、俺は心の中で呟いた。


(今は、もうちょっと待っててくれ……なんとかするから)


 誰に言っているのか分からない。

 黄金の人間たちにか。

 沈んだ森にか。

 自分にか。


 分からないまま、俺は水の中を進んだ。


 やがて、前方の水底に、大きな泡が見えてきた。

 俺が沈めた世界で、まだ人間が息をしている場所だった。


挿絵(By みてみん)


※※※※※


 透明な泡。

 その内側に、人間たちがひしめいている。


 泡の縁では、三つの小さな水の影が両手を突っ張り、必死に外の水を押し返していた。


 俺が近づいた瞬間、三人が同時にこちらを向いて叫んだ。


『マァマ!』

『マァマ!』

『マァマ!』


 声が、大泡を通り抜けて水を震わせて、こっちの泡の中に届く。


 言葉というより、意味が水に直接混ざってくる感じだ。


 うわぁ、本当に喋れるやつが増えてるじゃねえか。

 で、やっぱりお前らもママ呼びなのかよ。

 もう、量産型でも水フィギュアでもない、お子様の追加だ。


『ああ……なんて、なんて立派な子たちでしょうか』


 勝手に感心してる“私”は放っておく。


 ぱっと全身を輝かせて、ぶんぶん手を振ってきたのは、ちび――うん、あれがミュルナだな。

 で、後の二人が、ミュリナとミュシアだっけ?

 流石にどっちがどっちかまでは分からん。


 ちびたちは今にもすっ飛んできそうだった。

 だが、待って欲しい。大人にはいろいろ事情があるんだ、謝罪会見とか。


「待て待て、ステイっ! 俺はこれから大事な話があるから、ちょっと待て!」


 思わず声が出た。

 俺の声は水を震わせ、大泡の内側まで届いたらしい。


 ちびたちがつんのめるみたいに止まった。

 ヤーとかメーとか駄々をこねるみたいに叫んで、手足をじたばたさせている。


 いい子だからおとなしく待ってろ、後で構ってやるから。


 問題はそっちじゃない。

 泡の内側の人間たちが、一斉にこちらを見た。


 ざわめきが止まる。


 やべえ。


「イズミール……」


 腕の中からアイオリスが見上げてくる。


 やめろ。

 そんな目で見るな。


 確かに、ちょっと、やらかしたかもしれない。

 だが、まだだ。

 まだ取り返せる……はずだ。


 大泡の中の様子を恐々と窺いながら、ゆっくり近づいていく。


 泡の内側で、誰かが膝をついた。


 それが合図みたいに、次々と続いた。

 兵士も、信徒も、避難民も。


 泥まみれの人間たちが、黄金の水底の上で一斉に跪いていく。


 俺はまだ何も言ってないんだが。

 何も裁いてない。

 というか、何も分かってない。


 額を地面につける者。

 両手を組んで震える者。

 泣きながら何かを叫ぶ者。


「□□□□□□! □□□□□□□□!」


「□□□□、□□□□□□□……!」


 泡の内側から、声が重なって届いた。

 重なり合って聞こえないんだと思いたかった。


「□□□□□□、□□□□□□!」


(あー……)


 そんな予感はあった。でも、当たって欲しくなかった。

 俺は内心、天を仰いだ。今は水面だが。


「□□□□□□!」


 泣いている。

 震えている。

 たぶん、謝っている?

 赦しを乞うているとか、そんな感じ。


 そのくらいは、空気で分かる。


 でもな。


「□□□□□□□□、□□□□□□!」


 やっぱり、何言ってんのか、分かんねぇまんまじゃねぇか!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
まあ一般人には言葉が通じない方が良いよ 銀ならともかく、喋るとすごく残念になって神秘性がなくなるから そうなると信仰が薄れるて能力も落ちてしまうし
【超悲報】翻訳こんにゃく欠陥品だった件【アイドンノー】
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ