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78.あなたの名前は ◇★

 黒い湖面に浮かぶ小舟の上で、ミュルナは胸を張っていた。


 桶の縁からぴょこんと飛び出した幼い水の身体は、くるりと宙でひと回りすると、そのまま舟の舳先へ降り立った。

 それからこちらを振り向き、両手を広げる。


 小さな胸を精いっぱい張るその姿は、頼もしいというより危なっかしい。


『ミューナ、だぁーじょー!』


 自分の胸をぺちんと叩き、ミュルナは両手を黒い湖面へ突き出した。


『ミュィィィッ』


 叫びに呼応して、湖面が震える。


 舟のすぐ前方、夜を映した鏡のように静かだった水面が、じわりと押し下げられていく。

 見えない球体が水に沈み込んだように、水は丸く凹み、深さを増した。


 小舟の舳先がその窪みに乗り上げ、ぐらりと傾く。


「っ」


 滑り落ちる、と思った瞬間、私は反射的に舟縁を掴んだ。

 左肩と背中の傷が軋むが、水に落ちればどうなるか分からない。


「リディア、身を低く! 掴まれ!」


「は、はいっ」


 リディアも慌てて身を寄せ、桶を抱え込むように体勢を低くした。


 舟は水面に出来た窪みへ滑り込み、大きく揺れた。

 気づけば、椀のように凹んだ底、水面よりも低い位置にいた。


 かつて、イズミールが水底の斧を渡すため、泉の水を押し退けた光景が脳裏をよぎる。

 ミュルナは、あれと同じことをしようとしているのかもしれない。


「す、すごい……このまま下まで連れて行ってくれる気なんでしょうか……」


 だが、水の変化はそこで止まった。


 凹んだ水面の外縁がぴくりと痙攣し、見えない手に押し返されるように、ゆっくりと元へ戻ろうとし始めた。


『ミュ、ミュ……ミっ!』


 ミュルナが力む。丸い頬をふくらませ、両手を水面に向けて突っ張る。


 窪みはもう一度だけ深くなった。

 だが長くは保たない。黒い水は重たくうねり、小舟を上へ押し戻そうとする。


 舟底が、ぎし、と鳴った。


『ミューナ! だぁーじょー! ミュ! ミ゛ューッ!』


 ミュルナは引かない。

 むしろ意地になったように、何度も何度も両手で水面を押す。

 ひとりで出来ると信じて疑わない、子どもの必死さだった。


「ミュルナ、無理はしないで……!」


 リディアが声をかけても、振り返りもしない。

 自分で抱え込もうとするところがイズミールによく似ている。

 健気だが、幼子ひとりにやらせるのは酷だった。


 その時、舟の周囲の水壁に、ぽつり、ぽつりと別の波紋が生まれた。

 最初はミュルナの力みに水が震えたのかと思った。だが違う。

 丸く傾いた水の向こうから、小さな水珠が二つ、浮かび上がってきたのだ。


 月光を含んだ透明な珠が、眠っていた目をうっすら開くように、内側からかすかに脈打っている。


『マ……』

『ン、マ……』


 声というには曖昧で、泡が弾ける時の音に近い。

 けれど、確かに意思のある揺らぎだった。


 リディアが息を呑む。


「……これって」


 ミュルナも気づいたらしい。ちら、と肩越しに振り返り、ぱっと顔を輝かせた。

 片手をあげて、叫ぶ。


『ンマァッ!』


 その声に応えるように、一つ目の珠が弾けた。


 ばしゃり、と水が散る。


 小さな角。ヒレ。丸い頭。幼い水の身体。

 新たな御子が姿を現した。


 続けて、もう一つも弾ける。

 こちらは少し遅れて身を起こし、寝起きの子どものようにきょろきょろと辺りを見回した。


 二人。


 ミュルナによく似ている。だが違いもある。


 一人は表情が乏しい。だが、名の音を聞いた瞬間だけ、誰より早く目の色を変えた。

 もう一人は、水面にぺたりと座り込んで、眠たげに目を擦っていたが、隣が動くと真似をするようにミュルナを見つめた。


『マァー?』

『ンマ……?』


 イズミールの面影を写した幼い姿なのは変わらない。

 だが、それぞれに別の癖があった。


 ミュルナはそんな二人へ向かって、両手を振りあげた。


『ミューナ! リィヤ、キコォー、マッマ! いこぉ!』


 私たちのこと、これからしようとしていることを、一度にまくしたてているらしい。

 それでいて、得意げに胸を叩くものだから、遊びに誘っているのか、自慢しているのか分からない。


 二人は私たちではなく、ミュルナを見た。


 無表情な方が首を傾げる。


『ミュ……ナ?』


 眠たげな方も、遅れて反応する。


『……ミュー……? いー、こぉ……?』


 眼差しの色が変わった。

 仲間を認めるような色に、じわじわと別のものが混ざり始める。

 ミュルナだけが名を持ち、自分たちより先に何かを知っている。

 そのことへの羨みが、じわじわと滲んでいるように見えた。


『メー!』


 先に飛びかかったのは、無表情な方だった。ミュルナの髪を引っ張る。

 ミュルナが『ミュー!?』と叫んで振り向くより早く、もう一人も反対側からぺしぺし叩き始めた。


『メー! メー!』


『ヤーッ?!』


 お前だけずるい、とでも言いたげだった。


挿絵(By みてみん)


 ミュルナも黙ってはいない。


『ミュルナ! ミュルナ!』


 今度は名を誇示するように自分を指差し、二人を押し返す。

 それはどう見ても逆効果だった。


 二人はいよいよ腹を立てたように、水の手でミュルナをぺちぺち叩き始める。

 止める間もなく、あっという間に三人は取っ組み合いになった。

 幼子の喧嘩に呼応するように、湖面の凹みが乱れ、小舟が大きく傾く。


「わっ、わっ……!」


 リディアが慌てて桶を抱え込む。

 私はとっさに彼女の肩を支え、舟の中心へ引き寄せた。


「やめるんだ! 喧嘩をするな、お前たち!」


 意味が通じるはずもない。だが声を張らずにいられなかった。


 足元には、船底一枚を隔てて、底の見えない神域の水がある。

 どうにかして宥めなければならない。


「ど、どうしよう……あの子たち……ミュルナだけ、名前があるの、ずるいって……」


 リディアが半泣きで三人へ手を伸ばす。

 止めようにも、どう声をかけていいか分からない顔だ。


 私は傷の痛みに息を詰めながらも、どうにか声を整えた。


「リディア」


「は、はいっ」


「ミュルナひとりでは、おそらくイズミールの元まで行くのは荷が重い」


 少女がはっとこちらを見る。


「だが、あの子たちが加われば、あるいは」


 争いの理由はひどく単純だ。

 ミュルナだけが持っている"特別"を、あの子たちも欲しがっている。


「力を借りよう」


「で、でも……」


「イズミールのもとへ辿り着けなければ、何も分からないままだ。

 なら、この子たちにも力を借りるしかない」


 リディアの目が揺れる。

 さっきようやくミュルナを呼び戻したばかりだ。

 そのまま立て続けに、さらに二人へ名を与える。

 迷うのも無理はなかった。


 だが、じりじりと元の高さに戻っていく水面を見れば、迷っている余裕もなかった。


 リディアは唇を噛んだ。桶を抱く手から、そっと力を抜く。


「……分かりました。やってみます」


 それから、三人へ向けて身を乗り出した。


「みんな、喧嘩しないで!」


 声が、夜の水面で小さく跳ねる。


 三人がそろってぴたりと止まった。完全に意味が通じたわけではない。

 ただ、自分たちへ向けられた強い声だと分かったのだろう。


 リディアはその隙を逃さなかった。


「あなたたちも、名前がほしいんでしょう」


 二人が目をぱちぱちと瞬かせる。その仕草や表情はミュルナそっくりだった。

 ミュルナはまだむくれているが、喧嘩は止まった。


「なら、こっちへ来て。ちゃんとお話ししましょう」


 真っ先に、無表情な方が舳先に降りてきた。

 眠たげな方はやや遅れて船縁にしがみついてくる。


 二人とも、身体の輪郭を小さく震わせていた。

 怯えではない。期待で落ち着かないのだと分かる。


 リディアはまず、一人目を見た。


 凪いだように静かな表情で、しかし、真っ先にミュルナに手を出した子だ。

 今も口を結んだまま、笑いもせずにじっと見返してくる。

 けれど耳代わりのヒレだけは、忙しなくぱたぱたと動いていた。


「わたしは、リディア。あなたは……ミュリナっていうのは、どう?」


 リディアが名前を口にする。


 その音が水面へ沈むと同時に、小さな身体の輪郭がふっと濃くなった。

 当の本人は、呆けたように目を見開き、小首を傾げる。


『ミュ……、ナ?』


「ううん。ミュ、リ、ナ」


 単語に区切って聞かせると、納得がいったように頷く。


『ミュ、リナ……ミュリナ!』


 表情こそ大きく変わらないものの、ヒレを大きく動かして喜んでいるように見えた。


 すると今度は、もう一人が我慢できなくなったようにぴょんぴょん跳ねた。

 眠たげで、引っ込み思案のように見えて、この子も決しておとなしくはなかった。


『ヤー! ヤー!』


「あなたは……ミュシア」


 リディアに名を告げられた瞬間、目がぱちりとひらいた。

 先に名を得た二人を交互に見て、それからすぐ満面の笑みになった。


『ミュー、シア! ミュシア!』


 言葉の形を覚えたばかりの口で、嬉しそうに何度も自分の名を転がす。


 その間で、ミュルナがむっと頬をふくらませた。


『ミュルナ!』


 自分が最初だ、と言いたいのだろう。

 リディアは思わず吹き出しそうになりながらも、三人へ順番に手を伸ばした。


「ミュルナ。ミュリナ。ミュシア」


 呼ぶたびに、三人の身体が少しずつ安定していくのが分かった。

 透明なままなのに、そこにいると分かる重みが増していった。


 リディアの声に応じて、三人は顔を見合わせた。

 さっきまで喧嘩していたのが嘘みたいに、今度は互いの名を確かめるように呼び合う。


『ミュルナ!』

『ミュリナ!』

『ミュシア!』


 なんとも騒がしい。

 だが、その騒がしさが不思議と頼もしくもあった。


※※※※※


 三人は舟の周りをくるくると舞いながら、私達にも呼び掛けてきた。


『リィヤ!』

『キコォー!』

『ヤォー!』


 どうやら私の名だけは、まだ覚えてもらえないらしい。


 リディアが息を整え、三人へ向けて両手を広げる。


「ミュルナ、ミュリナ、ミュシア。わたしたち、女神様のところへ行きたいの」


 三人は揃ってこちらを見る。


「下まで、連れていってくれる?」


 ミュルナが、得意げに胸を張った。


『だぁーじょー!』


 すぐさまミュシアも真似する。


『だぁー……!』


 ミュリナは少し間を置いてから続けた。


『いこぉー』


 だが、三人が勢いに任せて湖面を押しても、舟はわずかに傾いただけだった。

 水面はぐっと凹む。黒い水が周囲で重たくうねる。だが、それだけだ。


 ミュリナが不満そうに『メーッ』と鳴く。

 足りない、と言いたいのだろう。


 三人は集まって額を合わせ、何やら相談するように声を交わす。

 やがて散らばり、舟を囲むように位置を取った。


 ミュルナが前方に立ち、ミュリナが右舷へ、ミュシアが左舷へ並ぶ。

 三人が一斉に水面へ手をつき、叫んだ。


『『『ミュィィィッ!!!』』』


 次の瞬間、黒い湖面が大きく、脈動した。

 周囲の水の壁がみるみる持ち上がっていく。


 いや、違う。


 壁が高くなっているのではない。

 舟の浮かぶ沈んだ水面が、底へと沈んでいるのだ。


 水の壁に囲まれた夜空が、みるみる遠く小さくなっていく。


 そして、ただ沈み込むだけでは終わらなかった。


 舟の真上に、透明な膜がゆっくり被さってきた。


 水だ。


 透明な天蓋が頭上で繋がる。

 その向こうを黒い湖水が流れているのに、内側の空気は失われない。


「う、わ……」


 リディアが息を呑み、私も一瞬、呼吸を忘れた。


 頭上で黒い湖面が閉じる。

 双子の月の光が揺らぎ、細く歪み、やがて黒い膜の向こうへ霞んだ。


 暗い水の中、三人の幼子たちが放つ淡い青白い光が、私たちと小舟を照らす。


 泡の内側には水は入り込んでこず、呼吸もできるし、黄金にもならずに済んだ。

 だが、四方を取り巻く水の圧は、目に映る以上に確かに伝わってきた。


 三姉妹は泡の外側にしがみつくようにして、小さな手足で水をかき、舟ごと泡を下へ下へと導いていく。


     挿絵(By みてみん)


 やがて、深い闇の底に、別の輝きが浮かび上がった。


 鈍く、ぬめるような黄金色の光だ。


 水の幼子たちが発する光に照らされ、沈んだ社の影が見える。

 かつては青く塗られていた屋根が、今は金色に照り返していた。


 水底には、木の根のような黄金の筋が網目のように広がっている。

 細かな金の粒子が闇の中を舞い、その中には葉や小魚の形をした黄金も混じっていた。


 もはや、ただの湖の中の景色ではなくなっていた。

 ここはもう、イズミールの領域そのものだ。


「これ……全部、女神様が……」


 リディアが、畏れたように身を寄せてきた。


 泡は静かに、さらに深い闇へ沈んでいく。


 その時、ふと、泡の片側だけ水が震えた。


 私の手の中の瓶が、どくん、と跳ねる。


 中の水が、どくり、どくりと脈打った。

 まるで心臓の鼓動のように。


「アイオリスさん……?」


 リディアも何か感じたらしい。不安そうにこちらを見る。


 だが私は答えられなかった。


 視線を感じた。


 呼ばれている。


 そんな感覚が、水の向こう側からじわじわと迫ってくる。

 敵意とはまるで違う。もっと私的で、もっと重く、執拗なものだった。


 次の瞬間、泡の外の水が、ぐにゃりと歪んだ。


 三姉妹が一斉に振り向く。


『ミュ!』

『ヤー!?』

『マー!』


 すると、泡の側面から何かが現れた。

 生えたというより、そこにあった水が、当然そうあるべき形になったかのようだ。


 一つ一つが人の胴ほどもある五本の水の突起。

 リディアが息を呑む。


「……っ、なに、これ」


 それは五本の指だった。

 女のものを思わせる、しなやかで滑らかな指だ。


 続いて掌がかたちを成す。舟を掴めるほどの大きさの、水の手だ。


 その指のかたちは、あまりにも彼女を思わせた。


 手は泡の表面を破ることなくすり抜け、真っ直ぐに私へ向かってきた。


「……っ!」


 私は咄嗟に戦斧を掴んだ。

 だが、それを振るうべき相手だとは、どうしても思えなかった。


「あ、アイオリスさん!」


 リディアが叫ぶ。

 三姉妹も騒ぎ出した。


『キコォ!』

『ヤォー!』

『マッマ!』


 巨大な水の手が、私の身体を掴んだ。


 逃れようと思えば、もがくことくらいは出来た。

 だが、私は動かなかった。


 水の指は矢にも触れているはずなのに、不思議と痛みはない。

 舟から持ち上げられても、身体を締め付けるような苦しさもなかった。


「アイオリスさん、待って! 待ってください!」


 リディアが懸命に手を伸ばしてくるが、届かない。

 巨大な水の手は、私だけを泡の外へ連れ出そうとしていた。


「リディア、心配ない。……迎えに来たのだと思う。ミュルナ、リディアを頼――」


 落ち着かせるように声をかけたが、最後までは届かなかった。


 離れていく泡の向こうで、リディアの口が何かを叫んでいる。

 だが、もう音は届かない。

 三姉妹が小さな泡の周りへ寄り添っているのだけが見えた。


 ミュルナが最後までこちらを見ていた。


『キコィヤォ――!』


 その叫びだけが、水を一枚隔てた向こうから、ぼやけて胸へ届く。


 巨手は私を掴んだまま、さらに深みへと沈んでいく。


 次の瞬間、私の周囲へ別の泡が生まれた。

 舟を包んでいたものより小さい。私一人だけを包む、透明な球体だ。


 溺れない。黄金にも侵されない。


 だが、守られているという感覚とも少し違った。

 外の水を隔てているはずなのに、境目があまりにも曖昧だったのだ。

 薄い膜ひとつあるだけで、指先を伸ばせばそのまま水に溶けていけそうな、頼りない近さがある。


 手は私を掴んだまま、どこまでも沈んでいく。


 上も下も分からなくなっていく。

 頭がどこにあり、足がどこにあるのか、その当たり前の感覚が静かに剥がれ落ちていく。


 それでも、不思議と恐怖も焦りも感じなかった。

 抱え上げられているようでもあり、呑み込まれているようでもあり、深い深い眠りへ落ちていくようでもあった。


 やがて、ミュルナ達の光も、黄金の輝きも届かなくなった。

 自分の姿さえ見えない中で、瓶と斧の柄の感触だけが手に返ってくる。

 それすら、今も握っているのか、握っていた記憶の名残なのか曖昧になっていく。


 暗い。


 だが、それは夜の森や洞穴の闇とは違った。

 何も見えないはずなのに、何かに見つめ返されているような闇だ。

 黒ではなく、限りなく深い群青が幾重にも重なり、その奥にさらに別の深みがひらいている。


 闇の奥で淡い光が生まれては消える。

 そのひとつひとつが、私とは別の誰かの記憶の欠片のようにも思えた。


 水の底から見上げたような歪んだ視界。

 くぐもって遠い音が、耳ではなく身体の内側へ届いてくる。

 肌も、呼吸も、声もない。

 身体という輪郭だけが先に失われ、断絶の感覚だけがいやにはっきり残っていた。


 それらが、ひとつの大きな水の中で、沈殿もせず、混ざり合いもせず、ただ静かに漂っている。

 

 その闇の中を、私はどこまでも沈んでいく。


 どれほど時間が経ったのかも分からない。

 このままでは、自分が誰であったのかさえ曖昧になってしまうのではないか。

 

 そう思った、その時。


 どこまでも穏やかな闇と静寂の向こうから、音が聞こえ始めた。


『―――~~―~~――』


 歌だ。


 言葉ではない。

 意味も分からない。


 けれど、耳ではなく胸の内側へ柔らかく沈んでくる。


『~~――~――~~―』


 ひどく甘く、ひどく濡れていて、耳を澄ませばどこか哀しげで、それでも恐ろしいほど優しい。


『~―~―~』


 もっと深く、もっと近くへおいでと誘われているような響きだった。


 私は息を詰める。

 手の中で瓶が、歌声に呼応するように震えた。


『―~―~―』


 唄声は絶えない。


『―――――』


 やがてそれが、ただの歌ではないことが分かり始めた。


 繰り返されている。

 同じ場所を何度もなぞるように。

 優しく、執拗に。


『―――――』


 私の心に触れてくる、その歌声。


 ああ、これは――


 欲しがっているのだ。


 名を。


 私との繋がりを。


「――私の名は、アイオリス」


 歌声が止まる。


 闇の中に、幾重にも光の波紋が生まれた。

 雨粒が水面に描く無数の輪に似た光が、静かに広がっていく。


 無数の波紋から伝わってくるのは、圧倒的な歓喜だった。


『……AEOLIS(アイオリス)


 そして、すぐ傍らで声がした。


「――アイオリス。あなたは、アイオリスなのね」

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