表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/141

73.分水嶺(中編) 〇★

 嫌な予感ってのは、たいてい当たる。特に、俺のは。


 兵隊の先頭にいる男が、もう一度何かを言った。言葉は分からない。

 けど、丁寧そうな顔をしておきながら、譲る気がまるでないのは見れば分かる。


 木こり野郎がすぐに言い返す。短く、強い声だった。間に割って入るみたいに。

 あの女の子も、怯えた顔のまま何か口を挟んだ。

 高い声が、ぴんと張った空気を余計に尖らせる。


 何なんだよ、この兵隊ども。何しに来たんだ。

 まだ黒いのは漏れてるし、化け物だってそこらにいる。

 こっちは身体を保つだけで精一杯だってのに。手伝いに来たんじゃないのかよ。


 俺は裂け目へ両手をかざしたまま、どうにか意識を集中させる。

 黄金に変えた時と同じ要領で――そう思っても、上手くいかない。

 そもそも前にどうやったのか、自分でもよく分かってないものを再現しろって方が無茶だ。


 浄化すると漏れ出す黒いのが溶けて、水面が白く泡立つ。

 けど、溶かした先から、また別のところから滲み出してくる。

 モグラ叩きかよ。しかも、こいつらは黙って叩かれるだけじゃない。

 じくじくした痛みを寄越す。ふざけんな。


 木こり野郎がもう一度、強い調子で何かを言った。

 兵隊どもも退かずに何かを言い返してる。


 ちびが桶の中で揺れて、分かってない顔で周りを見回した。

 そりゃそうだ。俺だって全部は分かってない。分かってたまるか。


 ただ、場の空気と視線の向きだけで、最悪な方向の想像はついてきた。


 あの兵隊どもは黄金目当てじゃない。

 何を言ってるのかは分からないが、桶を渡せ、みたいなことだろ。

 女の子はそれを嫌がって、木こり野郎が庇ってる。


 つまり、あいつらの目的は、ちびだ。


 そう思った瞬間、腹の中で渦が巻いて、身体の表面にさざ波が走った。

 とにかく嫌だって感情が、一気に膨れ上がってきた。


 ――私の大切なあの子を連れて行かないで。


(“私”じゃない、俺だ。……いや、でも、ちびは関係ないだろうが)


 女の子が兵隊どもへ訴えかけるように何度か叫ぶ。結構、度胸あるじゃないか。

 兵隊どもの顔つきが次第に変わっていく。図星を突かれたらしい。


 流れが変わったな。そう思った瞬間、木こり野郎が動いた。


 横合いから飛び出してきた化け物を一撃で片づけながら、女の子に向かって叫ぶ。


 たぶん、ちびを連れて逃げろって言ってるんだと思った。

 女の子が目を見開く。怖がってる。でも、頷いた。


 木こり野郎は本気だ。

 ちびをここから離そうとしてる。


 ――やめて。連れて行かないで。


 そう思う(じぶん)がいる。

 でも、ここに置いとくのがまずいことくらい、俺にも分かる。

 今の俺はちびまで抱えられない。裂け目を押さえなきゃいけない。

 黒いのはまだ増える。どうしたって手が足りない。


 分かってるのに、俺の中の“私”の部分は納得しきれない。


 桶の中から、ちびがこっちを見て騒ぐ。


『ヤァ! ヤァ!』


 ――うるさい。行かないで。さっさと行け。待って。黙れ。


 俺の中で、ぐちゃぐちゃしたものが一気に暴れた。


 木こり野郎がまた何か叫ぶ。たぶん、「行け」だ。

 女の子が桶を抱えたまま、水場の脇を走り抜けて茂みに向かう。


 その背を、兵隊どもが追おうとする。


 木こり野郎が地面に向かって戦斧を払った。


 ごしゃ、と嫌な音がして、泥と根がまとめて吹き飛ぶ。

 斬ったというより、ほぼ爆発だ。どんな怪力してんだ、あいつ。


 木こり野郎が一歩前に踏み出した、その時だった。


 また、黒いものが飛び出してきた。


 でも、それは獣じゃなかった。

 人の形をしてる。


 腕が妙に長い。腹のあたりから触手みたいなのが垂れている。

 顔も半分は人のままなのに、もう半分は崩れて、泡みたいな黒がぶくぶく漏れていた。

 脚も、肩も、輪郭の一部がまだ人間だった。だから余計に気持ち悪い。


「■█■□□■█■□□□□█■■■ッ!!」


 そいつは、人間の声が混ざったみたいな叫びをあげた。

 思わず、裂け目から意識が逸れる。


 何だこいつ。人間、だよな……?

 何であんなのがここに――


 木こり野郎は迷わず斧を振りかぶった。


 そして、一瞬のためらいもなく、戦斧が横薙ぎに振られる。


挿絵(By みてみん)


 銀の刃が、黒い泥と肉と骨をまとめて薙いだ。

 鈍い手応えが、こっちにまで伝わってくる気がした。


 上半身が、下半身とずれて、吹っ飛んだ。

 黒い泥が弾け、血や臓物と一緒に木の幹や地面へ飛び散る。


 真っ二つだった。


(ひっ――)


 助かった。助かった、のに。

 怖い。ぞっとした。


 人間だったかもしれないのを、あんなふうに。

 さっき何か言ってた。もしかしたら助けを求めてたのかもしれない。

 俺の浄化なら、戻せたかもしれない――いや、そう思いたかっただけかもしれない。

 今の俺にそんな余裕なんてないし、今更どうしようもない。


 でも、あいつは迷わず真っ二つにした。


 しなきゃ危なかったのは分かるけど、怖いものは怖い。

 あんなこと、平然とできる奴だったのか。

 

 この世界では、それが普通なのか。

 化け物がいて、武器や鎧とかある時点で、危ない世界なのは何となく分かってた。

 でも、俺には、本気の殺し合いなんて、無理だ。


 俺の知ってる世界じゃ、こういうのは画面の向こう側の話だった。

 遠いニュースの中の、痛ましいけど現実味の薄いもの。

 目の前で血と肉が飛び散るのを見せられて、平気でいられるわけがない。


 木こり野郎は、飛び散った黒泥を浴びたまま、もう次を見ていた。

 すぐそこに人だったものの下半身が転がってるのに、見向きもしない。


 今、どんな顔をしてるか分からない。

 俺がちびを抱いてるのを、あんな優しい顔で見てた奴が、こんなことするなんて。

 頼りになると思ってた背中が、急に得体の知れないものみたいに見えて、怖くなった。


 それでも、今はあいつが前に立ってくれないと困る。 

 あいつが、俺やちびに近付けさせないようにしたんだってくらい分かる。


 ――じゃあ、俺のせいで死んだみたいなものじゃないか。


 俺が動けないから、あいつも動けない。

 だから、敵は殺すし、ちびを逃がそうとしてる。

 俺がぐずぐずしてるせいで、状況がどんどん悪くなってる。最悪だ。


 余計なことばかり思い浮かんで集中できない。

 でも、そんなことに気を取られている場合じゃなかった。


※※※※※


 桶を抱えた女の子が向かおうとした先から、逃げ道を塞ぐように別の灯りが近付いてきた。

 金属の鳴る音。槍の穂先。さっきの連中と似てるのに、微妙に違う。

 細かい区別なんかつかない。ただ、また兵隊が増えた。


(まだ来るのかよ……!)


 新しく来た連中の先頭が、女の子を見て声を張り上げた。

 強い声。止まれ、みたいな調子。

 女の子がびくっと止まり、怯えたように首を振る。


 元いた兵隊どもが怒鳴り返す。互いの怒鳴り声が二つ、三つ、重なった。


 耳障りだった。


 この兵隊ども、味方同士じゃないのかよ。揉め事ならよそでやってくれ。

 何を言い合ってるのか分からないけど、どっちも俺やあいつの味方じゃないのだけは分かる。


 矢をつがえる音がしただけで、心臓が縮むみたいに苦しい。

 撃つなよ。撃つんじゃないぞ。人間同士の殺し合いなんか御免だ。


 木こり野郎が叫んだ。たぶん、止まれとか、戻れとか、そういう類だ。

 女の子は半泣きみたいな顔で、桶を抱えて足をすくませてる。


 その時、ひゅっ、と空気が裂ける音がした。


 女の子の近くの地面へ矢が突き立った。


(嘘だろ!? 本当に撃ちやがった! そんなことしたら戦争だろうが!)


 空気が変わった。さっきまでの「張ってる」どころじゃない。

 怒号が響く。弓矢を撃ち合う。槍を構えて前に出る。

 もう、完全に戦いが始まってしまった。それも、俺たちを巻き込んで。


 矢が飛び交う中、女の子が叫ぶ。

 なのに、ちびが桶の中で、きょとんとした声を漏らす。


『マァ……?』


 馬鹿、そんな声出すな。目立つな。頼むから今は大人しくしてろ。


 兵隊のひとりが、女の子に向かっていって手を伸ばした。

 女の子は悲鳴を上げ、身を捩って躱そうとする。

 別の手が桶へ伸びる。

 先にいた兵隊がそれを払う。誰かが押す。誰かが引く。


 黒いのの唸り。人間の怒号。風を切る矢の音。

 全部が一緒くたになった。


 俺に近寄る化け物を片付けて、木こり野郎が駆けつけようとする。


 裂け目を押さえながら、俺は動けないままそれを見るしかなかった。

 気を抜くと、身体が崩れそうになる。今、崩れたら次はたぶん創り直せない。


 やめろ。


 おい、よせ、やめろ。


 誰か止めろよ。木こり野郎、どうにかしてくれ。

 いや、どうにかしてる。してるけど間に合ってない。

 黒いのもいる。人間もいる。多すぎる。何でこうなるんだ。


 何で俺はここで裂け目を押さえてるだけなんだ。

 人間が勝手にこじ開けたのを、塞いでやってるのに。


 その時、風が裂けた。


 ひゅっ、と空気が鳴ったのが、やけに遠く聞こえた。


 矢だ、と分かった時には、もう遅い。


 今度の矢は、人にも地面にも行かなかった。


 桶の縁に突き立って、ばき、と嫌な音がした。


 桶が大きく弾かれる。

 女の子の手が空を掻く。

 ちびの小さな身体が、ふわっと浮いた。


 時間がゆっくりになった気がした。


 ちびの手が空を掴もうとする。

 丸い目が、こっちを見た気がした。


『ヤーッ!?』


 高い悲鳴。


 透明な小さな身体が、ばしゃり、と地面に落ちた。


 ひどく軽い音だった。


『ヤーッ、マァマ! ヤーッ――』


 地面に落ちたちびの輪郭が、みるみる崩れていった。


 泥を吸って透明な身体が濁る。小さな手が、まだ空を掴もうと動く。

 角も、ヒレも、顔も、水の塊へ戻っていく。

 必死にこっちを見て、叫んでいるけど、形が保てなくなっていく。


 水は広がって、土へ染み込んでいく。


挿絵(By みてみん)


 待て。


 待て待て待て。


 何だそれ。何でそんな苦しそうなんだよ。


 だって、お前、水じゃないか。崩れても、また戻るんじゃないのか。


 ――いや、違う。

 ――俺は戻れても、あいつがどうなのかなんて、何も知らない。


 駄目だ、駄目だ。駄目。戻れ。戻れよ。


『マァ……マ……』


 最後の声が、泡が弾けるみたいに途切れた。


 後に残ったのは、濁った小さな水溜まりだけだった。

 どんどん染みこんで小さくなっていく。


挿絵(By みてみん)


 見ているだけで心が軋んだ。


 さっきまでいた。確かにいた。


 私の腕の中にいた。私を呼んでいた。

 名前をつけてあげるって言ったのに。

 

 あんなに怖がって、助けを求めていたのに。

 助けてあげるどころか、声もかけてあげられなかった。


 あの子(ちび)はもういない。


(違う。俺はあいつの母親なんかじゃない。

 ああ、くそ。でも、こんなに悲しい。許せない。俺は、私は――)


 ――あの子が、死んだ。


 ――人間が、私の子を殺した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
次の話から決壊ってことですかね。 決壊って女神の形を保てなくなるって意味かと思っていたけど、これは主人公が自我を保てなくなるほど怒りに染まるって意味なのかも。 それはともかくあの御子が本当に死んでし…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ