EX(119.6).『復世巡行記・火の眠る山』⑥ 〇★
世界の“水”は、まだ引いていないのか。
だとすれば、目の前のこいつだけをどうにかして終わる話じゃない。
「なあ、オプロンティス」
『何だ、水』
「お前、この山の火を全部分かってんの?」
二つの白い火が細くなる。
オプロンティスの身体を作る火の枝が、むっとしたように尖った。
『我は、この山の火の一つだ。我とて、この山の幾つもの火と繋がっておる』
「じゃあ、お前より広く、この山の火と繋がってる奴は?」
『……この山の火を最も広く担う、大精霊と呼ぶべき御方ならば在る』
「いるんじゃん」
『大いなる火だ。我など及ばぬほど広く、この山の火と結ばれておられる』
やっぱりいた。
水に八海がいるように、この山にも、山一つへ広く繋がった火がいる。
よし。上の者を出せ。
……これだと完全にクレーマーだな。
「そいつは今どこにいる?」
『陰にある。眠っておるのではないぞ』
「まだ何も言ってねえよ」
『貴様は言いそうだから先に言ったのだ!』
「信用ねえな!」
「じゃあ、そいつもお前みたいに、陽へ出ようとしても出られないのか?」
すぐに返事は来なかった。
火柱は変わらず、岩の裂け目から噴き出す気を食って燃えている。
その中で、オプロンティスの二つの目だけがゆっくり揺れた。
『長らく、お姿を見せてはおられぬ』
「黒い奴らが来た頃から?」
『然り』
「それで、黒い奴らがいなくなってからも?」
『然り』
「ずっと陰にいるってことか」
『死んだわけではないからな!』
「だから言ってねえって」
少し近づきかけたところで、アイオリスに腕を掴まれた。
(イズミール。まず話を聞こう)
(……分かってるよ)
足を止める。
「俺の水が邪魔してんなら、そこを空けてやればいいんだろ」
オプロンティスの白い目が俺を見る。
「そいつも陽に出やすくして――」
『ならぬ!』
火柱が噛みつくように膨らんだ。
「なんでだよ。火を元に戻したいんだろ?」
『今のこの山で、あの御方を陽へ立たせれば、山が火を噴く』
「……は?」
アイオリスが黙って火口の底を見る。
「待て待て。それ、大精霊が陽に出るたび毎回噴火すんのか?」
『違う』
即答だった。
『かつて、あの御方とて陽と陰を行き来しておられた。
陽へ立つたび、この山が大きく火を噴いていたわけではない』
「じゃあ、今は何が違うんだよ」
『長すぎたのだ』
火の枝が、わずかに伏せられる。
『あの御方が陽へ立てぬ間にも、山の火まで絶えたわけではない』
細い炎が岩肌へ伸びた。
『水へ熱を渡す火もある。孔より気を吐く火もある。地の底を熱し、石を溶かす火もある。
それらは在り続けた。されど、以前のようには外へ渡らぬ』
「……火自体はあるのに、外へ出る働きが弱ってるってことか」
『然り』
『されど今、この山の火は以前とは違う。内に在る火が、大きい』
オプロンティスの声から、苛立ちが消えていた。
『今、大いなる火が本来のように陽へ立てば、この山は穏やかには済むまい』
「大噴火ってことか?」
『人が何と呼ぶかなど知らぬ。されど、山は大きく火を噴くであろう』
地鳴り。
熱くなった湯。
泡の強くなった泉。
地下の熱。
なのに、減っている噴気と山頂の煙。
今まで別々に見えていたものが、一本に繋がった。
山は静かになったんじゃない。
見えにくいところで、ずっとおかしくなり続けていた。
「……お前さ」
『何だ』
「昼間、あいつを連れて失せろって言ってたよな」
火が途端に尖る。
『我はあやつが嫌いだ』
「知ってる」
『顔も見たくない』
「それも知ってる」
『名の音すら聞きとうない』
「十分伝わってるわ。そうじゃなくて」
山腹のどこかに、エオリパイルの洞穴がある。
「この山にいたら、あいつも噴火に巻き込まれるからか?」
しばらく返事がなかった。
『……あの人間は、火の孔を見つければ何かを放り込む』
「うん」
『何も起きねば、次は別のやり方を試す』
「だろうな……」
『腹立たしいこと、この上ない』
二つの白い火がわずかに伏せられた。
『大いなる火が陽へ立てば、人の身でこの山に居続けて、ただで済むとは思えぬ』
火の枝が、ぷいと背を向ける。
『我はあやつが嫌いだ。されど、焼け死ねとまでは言っておらぬ』
「……先に言えよ」
『言ったであろう。連れて失せろと』
「言葉が足りねえんだよ、ばか」
嫌いだから出ていけ。
ここにいたら、死ぬかもしれないから出ていけ。
両方だったらしい。
だが、和んでいる場合じゃない。
水を退かせれば、火は戻るかもしれない。
そのせいで今の山へ最後の一押しをしたら最悪だ。
かといって、このまま押さえ続けて安全とも思えない。
(これ、俺一人で『たぶんヨシ!』していい規模じゃねえ)
(そうだな)
(要持ち帰り案件だ)
(洞窟に戻るか)
(いや。会議に持ち帰る。ここでやるぞ)
(分かった)
俺はオプロンティスへ向き直る。
「ちょっと席外す。しばらく受け答えしねえけど気にすんな」
『は? 何を言っておる――』
「おい」
アイオリスは慣れたように身を屈めた。
首の後ろへ腕を回す。
(……社内会議のためなんだからな。余計なことすんなよ)
(状況は弁えているつもりだ)
(お前のつもりは信用ならねえ)
顔を近づけ、唇を重ねる。
触れたところから、水を渡す。
アイオリスの中にある俺の水が応じ、二つの流れが一つに繋がった。
身体を火口へ残したまま、意識が沈む。
※※※※※
――いつもの白い世界だった。
何もない水面。
どこまでも続く白。
低い鼓動。
金色の“わたし”と銀色の“私”。
隣にはアイオリス。
もう誰も、この顔ぶれを珍しがらない。
最初にこいつをここへ連れ込んだのは俺じゃなかった。
あの金ピカが勝手にアイオリスを連れてきた時、何をしたのか。
今なら、だいたい想像がつく。
世界を戻し始めてから、厄介な案件が出るたび、何度ここへ引っ張り込んだことか。
「緊急会議」
「知ってるわ」
金色の“わたし”が頷く。
銀色の“私”は静かに俺を見る。
「確かなことと推測を分けましょう」
「はいはい」
白い水面から、ヘルクラネウム山が浮かび上がった。
「確定。この山には大精霊がいる。黒禍が広がった頃から長いこと、まともに陽へ出てない」
「そして?」
「今の山でそいつが本来の働きに戻ったら、噴火する可能性が高い」
銀色の“私”が山を見る。
「陽相へ転じること自体が、噴火を意味するのではありませんね」
「そう。長くまともに陽へ出られなかった。その間に山の状態までおかしくなった。
六号の言ってた“調整”が、ずっとまともに回ってなかったってことだと思う」
白い山の周囲へ、これまで見たものが浮かぶ。
地鳴り。
熱くなった湯。
強くなった泉の泡。
逆に減った噴気。
「全部が大精霊のせいとはまだ言えねえ。でも、一つの異常として見ると辻褄は合う」
「水の影響は?」
アイオリスが尋ねる。
「それも未確定です」
銀色の“私”が答えた。
「黒禍による損傷が残っている可能性があります」
「ただ、俺の水を弱めればオプロンティスが持ち直した。それも事実だ」
「では、徒に大きく水を退かせることも危険ですね」
「だから会議してんだよ」
「つまり」
アイオリスが白い山を見る。
「火を戻す必要はある。だが、不用意に戻せばスタビアエが危険に晒される」
「そういうこと」
「なら」
金色の“わたし”が、あっさり言った。
「黄金にしてしまえばいいでしょう?」
「何をだよ」
「ぜんぶ」
山の麓に、小さな町が現れる。
スタビアエ。
「人も、家も、町も。必要なら土地も」
端から黄金に染まっていく。
「噴火が終わるまで止めておけばいいの」
“わたし”は当然のように笑った。
「焼けない。壊れない。誰も失わないでしょう?」
当然、その笑顔はアイオリスへ向いている。
単純。
極端。
でも、馬鹿げてはいない。
俺たちは一度、その方法で世界を守った。
「能力上は可能です」
銀色の“私”も否定しない。
「黄金化した対象そのものは、長期間保存できます」
「……いけるか?」
そこで、アイオリスが言った。
「噴火の後、その町の周りはどうなっている?」
「火が収まったら戻せばいいわ」
「戻した人々が、そこで暮らせるのか」
俺も、黄金の町を見る。
……家と人が残れば、それで終わりか?
「起こり得るものを考えましょう」
銀色の“私”が言った。
俺の頭に浮かんだ景色が、そのまま白い世界へ形を取る。
山が噴く。
赤黒い噴煙。
熱い灰と砕けた岩の濁流が山肌を駆け下り、黄金の町を呑み込んだ。
町は焼けない。
家も壊れない。
人も死なない。
ただし。
灰と石と土砂の下だ。
「……で、どうやって戻す?」
「水で押し流せば――」
「どこへ?」
アイオリスが聞いた。
「流したものは、別の場所へ行く」
「……」
金色の“わたし”が黙る。
「周囲の道や畑、人里を埋めるかもしれない」
「時間はあるわ。中の人間は止まっているもの」
まだ引かない。
「少しずつ片づければいいでしょう?」
「じゃ、こっちは」
今度は溶岩が流れ込む。
黄金の家の間で冷え、黒い岩へ変わった。
「家も道も畑も、岩の中に閉じ込められるぞ」
アイオリスが町を見る。
「町一つを岩の中から掘り出すのか?」
「……できなくはないわ」
「地面そのものは?」
「……あ」
町の片側が隆起すると、反対側に地割れが生じて沈んだ。
黄金化された街区は壊れないまま、大きく傾いた。
「保存した町だけ無事で、地形の方が変わってんじゃねえか」
「黄金化した土地そのものを保存できたとしても」
銀色の“私”が言う。
「その外側まで、同じ位置関係に保てる保証はありません」
「なら、もっと広く黄金にすればいいわ」
「どこまで?」
アイオリスが聞いた。
「山の麓までか。灰が降る場所までか。その先の道も、川も、畑もか」
金色の波が止まった。
「人と家が残れば、町を残したことになるのか?」
「……待て」
三人が俺を見る。
「水だ」
白い町に井戸が浮かぶ。
地面が動けば、水の通り道も変わる。
「井戸が枯れるかもしれない。別の場所から湧くかもしれない。熱くなるかもしれない。中身が変わるかもしれない」
「浄化はできます」
銀色の“私”が答える。
「ただし、水脈そのものを元へ戻せるとは限りません」
「だよな」
次に浮かんだのは、白い外套。
嘴みたいな面。
小鳥の籠。
「……ガス」
町の中に亀裂が走り、白い気が噴き出す。
「新しい噴気孔が町の中にできるかもしれねえ」
家は無傷。
住民も無傷。
でも、戻した瞬間からそこを吸う。
「町として終わってんじゃねえか」
「そうだな」
アイオリスが短く答えた。
銀色の“私”が、埋もれ、傾いた町を見る。
「黄金化によって保存できるのは、黄金へ変えた対象です。
その周囲で起きた変化まで、保存時点へ戻す能力ではありません。
人命を保存することと、その人が再び暮らせる場所を保存することは、別の問題です」
「それなら」
金色の“わたし”が言った。
「安全になるまで戻さなければいいでしょう?」
迷いはなかった。
「一年でも、十年でも。もっと長くても」
黄金の町を見る。
「失うよりはいいわ」
それも、こいつにとっては当然だ。
死なない。
失わない。
変わらないまま残す。
アイオリスが尋ねる。
「町の外に家族がいる者は?」
金色の“わたし”が彼を見る。
「十年後に戻した時、その者たちの十年も戻せるのか?」
「……」
一年。
十年。
百年。
黄金になった本人には一瞬でも、外の世界は止まらない。
「いつか取り戻す日が来る……」
アイオリスが静かに言った。
「だが、その日までスタビアエだけを取り残していくのか」
胸の奥に、少し引っかかった。
こいつが言うと、重い。
「……却下」
金色の“わたし”が俺を見る。
「でも、死なないわ」
「分かってる。だから黄金化そのものは捨てねえ」
埋もれた町を指す。
「でも、町ごと止めて噴火を食らって、後から戻せば元通り――って案はなしだ」
「緊急時の人命保護には使えます」
「保険だな」
アイオリスが白い山を見る。
「なら、大精霊を陰に留めたままにするのは?」
「それでは今と同じです」
銀色の“私”が答える。
「陽へ転じるべき火まで転じられない状態を、さらに維持することになります」
「今までの異常がそれで起きてんなら、先延ばしにした分だけ悪化するかもしれねえ」
「なら、どうするの?」
金色の“わたし”が聞いた。
「まだ情報が足りねえ」
山も町も、白い水面へほどけていく。
「今のまま押さえ続けるのも駄目。何も考えず大精霊を陽に戻すのも駄目。
町を金にして全部受けるのも駄目」
俺は手を下ろした。
「……なんも解決してねえ」
「はい」
「そこは嘘でもいいから何か良さそうなこと言えよ」
「分からないことへ、分かったとは申し上げられません」
「正しいけど腹立つんだよなぁ、お前」
金色の“わたし”が小さく笑った。
「わかってるくせに」
「で」
大精霊本人の状態を、俺たちはまだ知らない。
今すぐ陽へ出ようとしているのか。
山をどう感じているのか。
俺たちの水をどう感じているのか。
どれくらい猶予があるのか。
「本人を出して面接、は無理だな」
「オプロンティスを介するのが妥当でしょう」
「俺もそう思う」
アイオリスが言う。
「それと、エオリパイルも山から離した方がいい」
「だな」
あいつのことだ。
危険だから逃げろと言ったら、観測を始めそうな気しかしない。
「町の人間は?」
金色の“わたし”が聞く。
「まず猶予を確かめる。危ないなら避難させる」
「黄金化は?」
「保険」
即答する。
「逃がせる奴は先に逃がす」
誰も反対しなかった。
「じゃ、会議終了」
白い世界がほどけていった。
※※※※※
意識が火口へ浮かび上がる。
唇を離すと、すぐ目の前にアイオリスの青い目があった。
白い世界で長く話したはずなのに、火柱はほとんど形を変えていない。
オプロンティスの二つの白い火が、じっと俺たちを見ていた。
『……何をしておったのだ』
「会議」
『わけがわからぬ』
『水とは、いちいち妙なことをするものよ』
「お前ら火にだけは言われたくねえ」
俺は火口の底を見る。
今まで見えてなかった問題が、山一個分出てきた。
「なあ、オプロンティス」
『何だ』
「その大精霊と、お前は話せるか?」
答えが返る前に、足元の岩が震えた。
低い音が、火口のさらに下から突き上がってくる。
火柱が大きく傾く。
二つの白い目が、俺ではなく山の底へ向いた。
『……伝えることはできる』
声が、少しだけ低かった。
『されど、水よ』
白い火が揺れる。
『あまり悠長にはしておられぬぞ』




