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EX(119.5).『復世巡行記・火の眠る山』⑤ 〇★

 夜の山を、俺とアイオリスは登っていった。


 昼間に見た岩肌も赤茶けた土も、月明かりの下では黒一色だ。

 その中で、火口の底だけが赤く明るい。


 エオリパイルが点けた火柱は、大絶賛炎上中だった。

 岩の割れ目から噴き出す気を、轟々と食い続けている。


「よし」


 俺は少し離れたところで足を止めた。


「昼間は先方の担当者がブチ切れて、商談どころじゃなかったからな。今度こそちゃんと話を聞く」


「商談ではないと思うが」


「他属性精霊間ネゴシエーションだから、似たようなもんだろ。それも、クレーム対応案件だ」


 こういう時こそ、ちゃんとしなきゃならない。

 なにせ、今回は身内(みず)じゃなく、他社()が相手だ。


 だったら、人間のふりをして会うより、こっちも精霊として出るのが筋だろう。


 取引先へジャージで行く馬鹿はいない。

 スーツを着て、ネクタイを締め、名刺を持っていく。


 じゃあ、俺にとっての正装が何かといえば、やはりこれだ。


 水色の髪。

 枝角。

 ヒレ。

 水の衣。


 どこからどう見ても水属性。


 OCEANLADY――略してOLだ。


 ヨシ!


 俺は気合を入れ直して、火柱へ近づいた。

 けれど、火柱の中に、あの火の精霊の姿はない。


「おーい。昼間の火の奴ー」


 返事がない。ただのひばしらのようだ。


「商談ではなかったのか……」


「こまけえこたぁいいんだよ。おーい」


 もう少し近づいて呼びかけると、ごう、と炎が揺れた。


「あのマッド野郎は置いてきたぞ。話を聞かせてくれ」


 火柱が、もう一度大きく歪んだ。


 いるじゃねえか。居留守かよ。


「なあ、いるんだろ。ちょっとだけでもいいから話そうぜ」


 その奥を覗き込もうと、さらに一歩近づく。


 その瞬間。


『――来るなッ!』


「うおっ!?」


 目の前で炎が弾けた。

 火の粉が一斉に吹き上がり、思わず足を止める。


 火柱の中に、白っぽい二つの火が浮かんだ。

 目、と言われれば、そう見えなくもない。


 人型というにはだいぶ雑で曖昧な姿だが、たぶん昼間に現れた奴だろう。

 オプロンティスとかいう名前が合っているかは、だいぶ怪しいが。


「なんだよ、いるじゃねえか」


『我のそばに近寄るなああーッ!』


「いや、だから、あの馬鹿野郎はいねえって――」


『違う! 汝だ! 寄るな! 離れろ!』


 火柱の中に浮く二つの白い火が揺れた。

 拳ほどあった火が、見る間に蠟燭の火ほどに縮んでいく。


 背後の火柱そのものは、変わらず盛大に燃えている。


 お前……消えるのか?


 そう思っていたら、オプロンティス(仮)は俺を無視して、アイオリスへ話しかけやがった。


『水もどき!』


「私か」


『そこへ立て! その水を我に近づけるな!』


「おい。その水って俺のことか? 俺が何をしたってんだよ!」


「分かった」


 アイオリスの野郎は、理由も聞かずに俺と火柱の間へ立った。

 小さくなった二つの火が、その身体を盾にするように向こう側へ隠れる。


「おい。なんでそいつを盾にしてんだよ。つーか、お前もなんで素直に従ってんだ」


『いいから、それ以上寄るな!』


「何なんだよ。理由を言え、理由を!」


 いい加減、焦れったくなってきた。

 アイオリスの向こう側を覗き込もうとしたところで、肩を掴まれる。


(イズミール。待ってくれ)


 なんだよ。なんで火なんかの肩を持つんだよ。お前は俺のだろうが。


 ――って、何を考えてんだ俺は。


 身体の中で渦が巻き始める。クソッ、ジメジメしてきた。


(……俺、何もしてねえじゃん)


(分かっている。だが、向こうにとってはそうではないらしい)


 俺が渋々下がると、蠟燭ほどの炎が拳ほどまで戻った。


「ちっさ」


 俺のつぶやきに、小さな炎が、ぼっ、と膨れた。


『我は小さくない! 汝が大きすぎるのだ!』


「いや、縮んでるじゃん! 昼間より明らかにちっちゃいだろ!」


『ぬわっ!?』


 ツッコミを入れると悲鳴みたいな声をあげて、炎がまた一段細くなった。


 なんなんだこいつ。

 声だけは偉そうなのに、アイオリスの陰に隠れて縮こまってる。

 

 そう思ったところで、妙な既視感があった。


 ――昔。


 世界を沈めた後、あの白い世界へ、のじゃ様が押しかけてきた時。


 いろいろありすぎて限界だったのもあるが、クソデカ怪獣ボディを前に、俺はビビりまくった。

 牙一本が俺より遥かにでかい化け物を相手に、落ち着いて話なんかできるかと思った。


(……あれ?)


 俺は火柱を見る。

 ガスを燃料に、相変わらず轟々と燃えている。


 対してオプロンティス(仮)は、昼間よりも明らかにしょぼい。

 火柱の奥へ引っ込んだまま、ちろちろ揺れている。


 そして、嫌な事実に気づいた。


(これ……今は俺がのじゃ様側になってね?)


 火は水で消える。

 こいつにとって、俺は相性最悪のクソデカモンスター扱いなんだろうか。


挿絵(By みてみん)


「いや、それにしたって、なんで急にそこまで怖がるんだよ!

 昼間は、そんなに怖がってなかっただろうが」


『先ほどは、これほど大きな水を剥き出しにしておらなんだ!』


「は? 何言ってんだ。ちょっと見た目を変えただけだろ」


『同じなものか! 何故、海が歩いている!』


 即座に否定された。


「今はそんな水量、持ってきてねえって!」


 二つの白い火がまた細くなる。

 アイオリスが、俺と小さな炎を順番に見た。


「前に会った時、君はイズミの姿だった」


「……あー」


「エオリパイルを外したこと以外にも、条件が変わっているのではないか」


 そうだった。


 場所も、燃えている火も同じ。

 一番でかい邪魔者だけを外したつもりでいたが、まさかのドレスコード違反だと?


「よし、ちょっと待ってろ」


『何をする気だ!』


「芋ジャージに着替える」


「イズミール、答えになっていない」


「うるせえ。じゃあ、変身だ!」


 頭の枝角とヒレを畳み、お団子と編み込みにする。

 水色だった髪を茶色へ変え、水の羽衣も旅装へ戻していく。


 外国から来た、口のきけない女。イズミ。

 人間のふりをするための仮の姿。


 元の姿との違いなんて、自分では今まで意識したこともなかった。

 俺としては、見た目を変えただけのつもりだ。


 何が違うのかは分からない。

 それでも、向こうの反応だけは露骨だった。


『お……おぉ……?』


 アイオリスの向こう側で、蠟燭ほどの炎が膨らんだ。


 腕のような細い火が、再び伸びる。

 完全な人型とは言い難いが、そこに誰かいると分かるくらいの姿。


 二つの白い炎が、やっとこちらを向いた。


 それでも、ミュルナたちのような、はっきりした身体にはならない。


 元は俺が作った水フィギュアだったくせに、あいつらは生まれた時から、自分ではっきりした身体を作って好き勝手飛び回っていた。


 何かと弾けたり溶けたり泣いたりしてるイメージしかなかったが、精霊の中じゃ実は相当な上澄みだったのか?


 おいおい。うちの子、天才かよ。

 

『……汝は、いったい何者だ』


 おっと、脱線してた。


 俺は何者か――随分と哲学的な質問をしてくるじゃねえか。

 いや、これは額面どおりに不審がられているだけだわ。


「ちょっと遠くの湖から、様子を見に来た水だ」


『何が湖だ。嘘をつくな!』


「いや、実家は湖だし、元は泉だ。

 歩いてるのは、まあ、そういう奴もいるってことで」


『おらんわ! 汝に連なる水は、湖などに収まるものではないと言っている!』


 オプロンティスは、俺の奥に繋がる水まで感じ取っているらしい。

 のじゃ様みたいに視えてるんだとしたら、すまんかったと思わないでもない。


『それから、先ほどの姿へは戻るな。それ以上近づくな。水気を放つな。我に触るな』


「注文が多いな、お前」


『……だが、興味深い。姿だけでなく、水の広がりまで変えておる。

 いったい、どのように――いや、戻らずに答えよ』


「怖がるか質問するか、どっちかにしろよ」


 さっきまで蠟燭の火になっていたくせに、少し楽になった途端に態度がでかい。


「もう、私を盾にする必要はないのではないか」


『水もどきは、そこにおれ。そこの水を近づけるな。よいな。絶対だ……頼むぞ』


「分かった」


 ……いや、腹立つな、こいつ。


 この火口、湖があったら映えスポットになりそうだよなぁ?


 そんなことを、ちらっとだけ考えた。

 オプロンティス(仮)の姿が揺らぎ、また少し縮んだ。


『やめろ! 水気を放つな!』


「まだ何もしてねえよ」


 アイオリスが溜息をつき、こちらへ来た。

 そっぽを向こうとしたら、手が先回りして頬に触れる。


(イズミール、役割分担だ。君が尋ね、私が間に立つ)


(……分かってるよ、馬鹿野郎)


 俺は、ちょっぴり漏れ出した湿気を元へ戻した。


「ほら、これでいいか」


 アイオリスの背後に隠れた小さな炎が、周囲を探るように揺れる。


『……あの人間は、どこだ』


「エオリパイルのことか?」


 炎が嫌そうに縮んだ。


『その名を聞かせるな』


「名前を聞いただけで、そこまで嫌なのかよ!?」


『ここにはおらぬのだな』


「山腹の洞穴で寝てる。連れて来てねえよ」


 火が、目に見えて大きくなった。


「分かりやすっ」


『では、汝らは何だ。何故、あやつと共にいた』


「あー」


『よもや、あやつの新たな試しではあるまいな。

 汝のような大きすぎる水をけしかけ、我をどうするつもりだ!』


「違う! 俺らだって、ここに火柱を立てるなんて聞いてなかったんだよ!」


 なんだその「やめて! 私に乱暴する気でしょう?」みたいなノリは。

 完全に、あのマッド野郎の助手扱いされてねえか。


 アイオリスが、火へ向けて短く答えた。


「私たちは今日、山中で彼と出会った。あの実験に協力するために来たのではない。

 この山の付近で起きている異変を調べに来たのだ」


 二つの白い火が止まった。


「山の様子が、かつてとは違うと聞いた。人の用いる火も安定していない。

 それに、昼間、君が姿を保てなかったことも気になった」


『……』


「君に何かをさせるために来たわけでもない。話を聞きたいだけだ」


『本当か』


「ああ」


 即答。


 こいつは、こういう時に嘘をつかない。

 その迷いのなさが、なんやかんやで人に信用されやすい。


 俺より信用があるのがムカつくような、自慢したくなるような、複雑な気分だ。


 二つの白い火も、しばらくアイオリスを見ていた。


『……水もどき』


「何だ」


『汝は、あの人間よりは話が分かる』


 そりゃあ、あのイカれ研究者を基準にしたら、誰だってそうだろうよ。


「エオリパイル殿は、君をオプロンティスと呼んでいたようだが」


『違う!』


 アイオリスの言葉に、今までで一番強い炎が上がった。


『それは我が名ではない!』


 俺とアイオリスは顔を見合わせた。

 脳裏に、あの馬鹿の自信満々な顔が浮かぶ。


 ――我が契約精霊、オプロンティス!


「あのクソボケェ!! やっぱり間違えてんじゃねえか!」


 アイオリスは、何も聞かなかったように続けた。


「本当の名は言わなくていい。私たちは、君と契約を交わしに来たのではない」


 俺もそれに乗っかることにした。


「あいつが間違えてる方を、当面の呼び名にしていいか?」


『何故、そのような名を許さねばならぬ』


「呼べないと話がしづらい。新しい名前を勝手につけるよりマシだろ。

 お前だって、(みず)と深い縁とか持ちたくないだろ?」


 俺だって、名乗りや命名絡みの厄介ごとは御免だ。


 火が、しばらく揺れた。


『……我の真の名ではないと承知した上でなら、構わぬ』


「よし。じゃあ、当面オプロンティスな」


『気に入ってはおらぬぞ』


 こうして、エオリパイルが覚え間違えた名前は、本人公認の仮の呼び名になった。


「それで、オプロンティス」


『何だ』


「お前、あいつに名前を教えたくらいだし、最初から仲が悪かったわけじゃないんだろ?」


 炎の動きが止まった。


「あいつは、お前が戦う以外の火の使い道に興味を持ったから、契約したんじゃないかって言ってた」


『また、自分に都合よく捉えおって……』


 何かとエオリパイルへの不平不満を並べ立てる奴だが、今のは全否定という感じじゃなかった。


「じゃあ、それもあいつの勘違いなのか?」


『……初めは、面白かった』


 火柱の表面へ、小さな波が走る。


『人は火を、敵へ投げ、獣を遠ざけ、寒さをしのぐために呼ぶ。

 あやつは、火を囲えば物が動くのか、水へ渡せば何へ変わるのかと問うた』


 声から、怒りが少しだけ引いた。


『あやつは、次々と知らぬ使い方を考えた』


「……面白かった?」


『面白くなくもない』


 いちいち、ひねた受け答えをする奴だ。


『次は何をするのか。我ならば何ができるのか。火を加えれば、何が変わるのか』


 俺も、人間の頃は、そういうのが嫌いじゃなかった。


 プラモを作って、ミキシングから始めて。

 削って、盛って、別の素材から切り出して。

 できるかどうか分からないものほど、試してみたくなる。


 こいつは、好奇心が強いタイプだ。


『初めて鍋が空へ飛んだ時は、我も驚いた。開けた場なら散るだけの火が、あのように物を持ち上げるとは思わなんだ。

 あやつの考える火の仕事を、共に見てみたいと思った』


 人間が思いついた火の使い方を、火精霊自身も面白いと感じた。

 これで拗れなければ、パーフェクトコミュニケーションだったんだろう。


「……お前も楽しんでたんじゃねえか」


『初めは、と言ったであろう!』


「では、何が嫌だった」


 アイオリスの問いに、炎が鋭く尖った。


『だが、あやつはやがて、閉じた器の内へ我を呼び始めた!』


 火の枝が激しく燃え上がる。


『狭くて何も分からぬ。燃やすものすらない。広がることも、上へ抜けることもできぬ場所ばかりだ!』


「あー……」


『我は、何度も嫌だと示した。そのたび、あやつは方法だけを少し変え、またやらせようとした!』


 炎の轟音に負けない声だった。


『知らぬものを見ることも、試すことも、我は嫌いではない』


 オプロンティスの炎が、少しだけ低くなる。


『だが、あやつはいつしか、我まで道具の一つとして扱った』


「……なるほどな」


 炎が、一瞬大きくなる。


『我が怒れば、まだ力があると喜ぶ! 我が火を消せば、条件が悪いと喜ぶ!

 我が出なくなれば、何故出ぬのかと嬉々として、ここへ通うのだ!』


「お、おう」


『我が何をしても喜ぶのだ、あやつは! どうしろというのだ!』


 どうしよう。擁護の余地がねえ。まあ、庇う義理もないんだけど。


「……無敵だな、あいつ」


「現在も、契約は残っているのか」


 アイオリスが尋ねた。


『知らぬ』


 短い答えだった。


『名を明かした縁は消えておらぬ。されど、今は応じぬ。それだけだ』


 契約を解いたとも、まだ続いているとも言わなかった。

 切るも続けるも、決めるのは俺たちじゃない。


「分かった。そこはエオリパイルにも、そのまま伝える」


 ただ、今日聞きに来たのは、二人の喧嘩を仲裁するためだけじゃない。


「もう一つ聞かせろ」


 俺は、火柱の中で揺れる白い目を見た。


「今、あいつがいなくても出ていられねえのは、何でだ」


『汝だ!』


「俺ぇ!?」


『……いや、汝だけではない、ような……?』


 曖昧な物言いと共に、オプロンティスの炎が静まった。


「さっき、俺が姿を変えたら少し楽になった。でも、まだ昔みたいには戻ってないんだろ」


『……戻っておらぬ』


「何が起きてる」


『分からぬ』


 迷いのない否定だった。


『陰へ退くことは苦ではない。それが火の常だ。陽へ出る必要がなければ、出ぬだけだ』


 火の言葉は、二の海と六の海から聞いた説明より、ずっと単純だった。

 どうやら、火の精霊にとって、消えている状態――陰相が普通というのは、本当らしい。


 もっと働けよ、と思わないでもないが、ずっと燃え続けていられないのも確かだ。


『以前は、然るべき時に陽へ立ち、自ら陰へ退けた』


 二つの白い光が、火柱の奥を見上げる。


『今は違う。陽へ立っても、形を保てぬ。火の外から、陰へ押し戻される』


「火の外から?」


『薄い水の中で、火を出そうとしているようだ』


 俺とアイオリスが、顔を見合わせた。


『山の内には、熱がある。以前より強いほどだ。されど、火として外へ立てる場所は減った』


 町で聞いた話と一致する。


 地鳴りが続き、温泉も、泡の出る泉も熱くなった。

 昔より山腹の噴気も火口の噴煙も少なく、人間の炉は熱くなりにくい。


「そこの火柱だけの話じゃないんだよな?」


『然り。この山で陽へ出られる場を、幾つも探った。

 どこも似たようなものだ。かつて言葉を交わした火も、返る声が減った』


「世界中でそうなのか?」


『そこまでは知らぬ。陰にある間、我は世界を見てはおらぬ』


 偉そうで感情的なくせに、知らないことまで知ったふりはしないらしい。


「いつからだ?」


『敵が広がり始めた頃からだ』


「敵……黒いやつ?」


『火ではない。水でも、土でも、木でもない。何に触れても、そのものではなくしていくものだ』


 間違いない。


 黒禍だ。


『敵が広がった頃、陽へ出ること自体が叶わなくなった。

 再び陽へ立とうとした頃には、敵はいなくなっておった。だが、以前と同じではない』


「一時、この山の噴煙が途絶えたことがあったと聞いた」


アイオリスが、硬い表情で尋ねた。


「人々は、山が死んだと思っていた。あの時、火には何が起きていた?」


 オプロンティスの火が激しく燃え上がり、火柱もつられたようにうねった。


『陽へ立てぬことと、死ぬことを同じにするな!』


 さっき、消えそうなくらい縮こまってたじゃねえか、とは言わないでおく。


『だが、敵が増えるにつれ、陽へ立つことが難しくなったのは確かだ』


「やっぱり押されてたんじゃねえか」


『負けておらぬ! 今、燃えているのだから、勝ったのだ!』


「どうやってだよ」


『知らぬ』


「は?」


『気づけばおらなんだ』


 陰にある間も消えているわけじゃない。

 けれど、人間みたいに昨日今日を数えながら、世界を眺め続けているわけでもないらしい。


 なら、その間に何が起きたかなんて、事細かに知っているわけがない。


(待てよ)


「なあ。洪水があったの、知ってる?」


『何だ、それは』


「世界中が水浸しになった」


『そんな馬鹿なことがあるものか』


「……そだねー。うん、俺もそう思うわ。

 じゃあ、人も土地も黄金になったのは?」


『そんな馬鹿なことが――』


「よし、分かった。ありがとうな! もういい!」


 なるほど。


 こいつにとっては、


 敵が来た。


 やられた。


 火が出づらくなった。


 陰へ退いた。


 何故か敵がいなくなっていた。


 その間に世界が沈もうが金ピカになろうが、そもそも見てない。


「アホかぁ! あんなヤベェやつらが勝手に消えてたまるか!

 何も知らずに勝ったとか言うな、この火きこもりが!!」


『ひぇっ』


 思わず怒鳴ると、オプロンティスが一気に蠟燭ほどへ縮んだ。


「……イズミール、今はもう済んだ話だ」


「分かってる!」


 仲裁を入れてきたアイオリスに食ってかかる。


「分かってるけど、俺たち、あんだけ死ぬ思いをして、やっと片づけたんだぞ。それを、お前――」


 俺だって、オプロンティスに悪気がないことくらいは分かる。

 こいつにとって陰へ戻ることは、サボって寝てたのとは違う。


 頭では分かってる。


 それでも、蠟燭みたいに縮んだ火を見ていると、怒りとは別の引っ掛かりが残った。


 こいつ、さっきも俺がいつもの姿で近づいただけで、同じくらい小さくなっていた。


「イズミール?」


 返事をせず、もう一度その火を見る。


 この世界は、だいぶヤバいところまで黒禍に浸蝕されていた。


 俺の中にいる金銀の問題社員どもが始めた洪水と黄金化は、八海まで巻き込み、最後には世界全部を沈めた。


 あれがなければ、たぶん世界は終わっていた。

 だから、あの時にやったことが間違っていたとは思わない。


 けれど。


 黒禍を消したからって、世界まで元どおりになったわけじゃない。

 今も、黄金のまま止めている土地だって残っている。


 そして――世界中の水は、以前より深く繋がったままだ。


 俺が女神の姿で近づけば、オプロンティスは蠟燭ほどまで縮んだ。

 イズミの姿へ変わって、水の気を抑えれば、少し戻った。

 俺がちょっと水気を漏らしただけでも、こいつはすぐに縮こまる。


 それが今、目の前で起きたことだ。


 だったら。


 俺の水が、こいつの出てくる場所を塞いでる?


 同じことが、水へ傾いた世界そのもので起きているとしたら。


 水が引いたから、終わったつもりになってた。


 火柱は、今も盛大に燃えている。

 その中で、オプロンティスだけが小さく揺れていた。


 でも、世界の“水”は――まだ引いてないってことか?

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