EX(119.1).『復世巡行記・火の眠る山』① 〇★
119話「水から、続く物語」の続き
山ってのは、見えてからがとにかく遠い。
昨日よりは大きくなったし、朝よりも近づいている。
なのに、歩いても歩いても全然着かない。
歩き疲れることなんてないが、代わり映えのしない景色には飽きてくる。
赤茶けた荒地の向こう、霞んだ稜線のさらに奥に、白い煙が細く昇っているのが見える。
たぶんあれが、俺たちの次の目的地――火の山だ。
たぶん、というのは、似たような山がその辺に何個もあるからだ。
どれが本命なのか、俺にはさっぱり分からない。
まあ、俺の仕事は地図を読むことじゃない。
そういうのは隣のケダモノ木こり野郎に任せればいい。
俺の仕事は着いた先で、火の精霊だか神どもを、ヤーッとしてメーするだけだ。
具体的に何をどうすれば解決になるのかは未定だ。
要件定義がフワッフワすぎるクソ業務だ。
たーのしー……。
宿を出発して、今日も俺たちは、火の山へ続く街道を歩いている。
なんだって、こんな殺風景な場所に道が通ってんだと思うが、鉱山とかがあるらしい。
昨日までの草原っぽい景色はだいぶ減って、地面には赤茶けた石が増えてきた。
所々、黒っぽい岩が地面から突き出している。
道を行く人間も、少し変わった。
旅人や商人より、背中に籠を負った男や、鉱石らしき石を積んだ荷車が目立つ。
煤だか土だかで顔を黒くした連中が、何人も俺たちとすれ違っていく。
だが、狭い峠道に差し掛かったところで、木こり野郎が足を止めた。
前を見ると、でかい荷車の列が道を塞いでる。
どうやら、昨日の雨で土砂崩れか何かあったようだ。
薄汚れたガチムチどもが、わちゃわちゃと何かやってる。
俺は隣を歩くアイオリスの手に、自分の指先をちょいと触れさせる。
(おい。あれ、終わるまで待ってなきゃなのか?)
(道が狭い。仕方ない)
旅人の不文律だかなんだかで、こういう時は助け合いが基本らしい。
なのに、こいつは近づく気も助ける気もないようだ。薄情者め。
(じゃあ、お前が行ってさっさと片づけて来いよ)
(目立つ。それに、君を一人にすることになる)
(片付けの間くらい、どうってことねえだろ)
(君はあの宿でもそう言っていた)
はいはい。
今の俺は、外国から来た口のきけない女、イズミちゃんですよ。
俺絡みの余計なトラブルは嫌だってんだろ?
分かってますよーだ。
俺は周りに人間がいる間は声を出せない。
俺の声は相変わらず、人間どもには水が歌っているみたいに聞こえるので、一言でも口を開けば、人外だって即バレする。
仕方がないので、人前ではこうしてアイオリスへ触れて直接やり取りしている。
傍から見れば、仲良くおてて繋いだイチャイチャ夫婦のように見えるらしい。
誠に遺憾だ。
この“おてての触れ合い通信”の規格を策定した奴に抗議したい。
これは全部、偽装のためだ。
俺が手を繋いでいたいとか、そういうのは全然ない。
ちょっとだけそういう気分になる時もないではないが、いつもじゃない。
なのに……こいつ、なんで指絡めてきてんだよ。
(普通に触るだけで通じるだろうが)
(少し戻ろう)
(話を聞けや)
俺たちは少しだけ道を引き返して、渋滞現場からは見えない場所に移った。
岩陰まで入って、周囲に人の気配がないことを確かめる。
俺はそこで、ようやく声を出した。
「……で、いつまで握ってんだよ」
「離れにくい」
「もう喋れるだろうが。離せ」
「嫌だ」
「駄々捏ねんじゃねえ、クソが!」
無理やり手を引っこ抜いて、その辺の平たい岩へ腰を下ろす。
遠い山の頂からは、今も細い煙が昇っている。
俺は何となく、それを目で追った。
あの根元は火口になっていて、溶岩とかがあるんだろうか。
火山なんて特殊スポットじゃなくても、火はどこにでもある。
泡の丘でも見たし、聖地でも見た。
旅籠でも、街でも、ポツンと一軒家でも。
竈。
蝋燭。
焚き火。
鍛冶場の炉。
何年もあちこちを旅していれば、毎日のように見る。
なのに。
「なあ」
「何だ」
「あの山、火の精霊いると思うか?」
アイオリスも噴煙に目を向けた。
「分からない」
そう。ここ何年かで、神だの精霊だのには何度か会った。
八海どもは、うるせぇ親戚みたいなもんだ。
世界樹の森のクソデカ幼女とは、お隣さんになった。
今ではすっかり、ちびどもの遊び場だ。
地下水脈を拡げた時に、土の連中とも話す機会があった。
気が長すぎて会話がスローペースで、イライラするのを除けば、そう悪い奴らじゃない。
空の連中とも何度か会った。
あいつらは動き回りすぎて、話が通じたのか通じてねえのか、未だによく分からない。
じゃあ、火は?
聖地では毎日そこら中で火を使ってるのに、俺は火の精霊なんか一回も見たことがない。
何年も世界中をうろついて、火だけは一度もまともに顔を合わせたことがない。
あいつら、流石に引きこもりすぎじゃね?
そう思ったのは、今回が初めてじゃなかった。
※※※※※
人間どもの街や国とは“お話し合い”をしながら、黄金から戻している。
具体的には、権力者だけを先に戻して、黄金化した街並みを見せつける。
洪水を覚えてる奴らほど、俺が行くとヒェッとなって、後の話も通りやすいという寸法だ。
神秘と信仰でガツンとやる乱暴なやり方だと思うが、これが一番マシだ。
裏で何を企んでるかは分かったものじゃないが、表面上は平和的に進んでいる。
で、ようやく辺境まで復元が進んだことで、次の目的地として挙がったのが火の山だ。
火の精霊のことを何も知らない俺は、当然、下調べから始めることにした。
俺は八つの龍珠の中から、温かな潮の気配がする一つだけを手に取った。
八海同時接続とか冗談じゃない。
一人ずつなら、まだ話が通じるが、まとめて繋ぐと全員が好き勝手に喋る。
最後には決まって、ミューズを連れて来いとか、自分の海を分け与えたいとか譲りたいとか、クソ面倒な話に繋がる。
主張の激しい老人だらけの親戚飲み会の地獄絵図だ。
最悪だ。俺抜きでやってろ。でも、話は持ってくんな。
龍珠へ意識を向ける。
俺の水へ、遠く離れた温かな海の気配が触れた。
『――どうした、若き水。妾に何ぞ用かえ』
二の海、赤二号。
珊瑚とか真珠とかをドカドカ送りつけてくる、派手好きな龍神だ。
南国の温かい海っぽいし、火に詳しいかもしんないなと思って、こいつに決めた。
「なあ、火の精霊って、どこにいるんだ?」
赤い海が、少し揺れた。
『……汝、火を何だと思うておる』
「火は火だろ」
『それでは答えになっておらぬぞえ』
「炎だろ。焚き火とか、燃えてるやつ」
今度は、明確に呆れられた。
おい、何だよ。間違ってねえだろ。
『若き水よ。汝は火を、炎だけだと思うておったのかえ』
「違うのかよ」
『妾の海へ降り注ぐ陽の光。浅瀬を温める熱。海底より噴き上がる熱。
どれも、火の理より離れたものではない』
「……太陽も火ってこと?」
『太陽そのものを火の精霊と申しておるわけではないぞえ』
「紛らわしいな!」
『汝が勝手に狭く考えておっただけであろう』
うるさい。
赤二号の説明によると、火は炎になって燃えてる時にだけ存在してるわけじゃないらしい。
光とか熱とかの状態でも、火の元素の霊子ってのは世界中にあるんだと。
「じゃあ、そこら中にいるんじゃん。でも、会ったことねえんだけど」
『“いる”という言い方も、少し違うのう』
「ハァ? また面倒臭いこと言い始めやがって」
『火には、陰と陽の相がある』
「陰陽?」
『然様。炎となり、強き熱を噴き出して顕れるものが陽の相。
そうでなく、光や熱として広く散じておるものを陰の相と呼ぶ』
陰相。
陽相。
また新しい専門用語が増えた。
俺は社内マニュアルの存在を数年経ってから知らされたような気分になってきた。
聞いてねえよ、何だそのルール。
社員全員が熟読してることを、前提にしてくるんじゃねえ。
「じゃあ、火がついてない時でもいるってことか?」
『陰じゃ』
「燃えてないのに火なのか?」
『然り』
「で、燃えたら陽になる」
『概ね、その理解でよい』
なるほど、よくわからん。
「じゃあ、焚火にいる火の精霊って、焚火消したら死ぬの?」
『はあ……』
今、こいつ溜息吐かなかった?
呼吸なんかしてねえくせに、人を見て学習して実践してきやがった。
「いや、だって身体なくなるじゃん。
水の精霊が水なくなったらヤバいだろ。
火の精霊も火なくなったら死ぬんじゃねえの?」
赤二号から、長い沈黙が返ってきた。
「火が消える度に死ぬんじゃ、雑魚すぎないか?」
『焚火一つ消えるたび死んでおったなら、とっくの昔に火の精は絶えておるわ』
「じゃあ、寝てんの?」
『人の睡眠とも異なる』
「死んでない。寝てない。姿もない。喋らない。どういうことだってばよ」
『陰にある』
「だから、その状態でそいつらは何してんだよ?」
『陰にあることが、火にとっての常ぞ』
意味が分からん。
「つまり、何もしてねえってこと?」
『何故そうなる』
赤二号の海面が呆れたように波立つのが伝わってきた。
『水の理をそのまま火へ当て嵌めるでない。
吾らは流れねば淀む。されど、火は常に燃え続けるものではない』
「ほーん……」
『その返事、理解しておらぬな』
「してるしてる」
『しておらぬ』
バレたので、俺は別の疑問をぶつけた。
「でもさ。今まで、焚火を焚いてるところとか何度も見てるぞ。
なんで俺、一回も火の精霊に会ってねえんだよ? おかしいだろ」
『陽にある火の全てが、火の精そのものではないからじゃ』
「……どういうこと?」
『妾より、六の龍へ聞いた方がよかろう。
こういう理屈を細かく分けて申すのは、あれの方が得手じゃ』
「何で丸投げしてんだよ」
『妾の説明で理解せぬ者へ、何度申しても同じであろう』
クソ。
面倒臭がりのババアが。
ちびども相手だと何時間でも付き合うくせに。
言い返す前に、赤二号は愉快そうな波を残した。
『己の水の理だけで、火を量るでないぞえ、若き水』
「あーはいはい、分かってるって」
『その言葉こそ信用ならぬ』
うるさい。
俺は赤色ババアとの接続を切った。
※※※※※
続いて、六の海。水色六号。
冷たい海の気配が繋がる。
『第九の海。此度は如何なるご用件でしょうか』
「火について質問」
『承知いたしました』
早い。
こういうところは話が楽だ。
何かとゴチャゴチャと細かい指摘をしてくるのはウザいが。
「二の奴から、陰だの陽だの聞いた」
『では、そこまでは既知として扱います。
何がご不明なのでしょうか』
「全部」
しばらく沈黙。
『……承知いたしました』
何だよ、その間。
俺、そんな馬鹿みたいだった?
いいじゃん。好きだろ、説明。まとめ記事、よこせ。
「とりあえずさ。陰相の時、何してんの?」
『その問いが、まず適切ではありません』
こいつまで同じこと言いやがった。
「何でだよ」
『陰相は、火精霊にとって死亡でも睡眠でもございません。
人格を顕し、外界へ能動的に働きかけていないというだけで、それが通常状態です』
「だから、何もしてねえんだろ?」
『その表現は正確ではございません。
人格活動を行っていないだけだ、と申し上げました』
「同じじゃね?」
『異なります』
めんどくせぇ。
水色六号は、こっちの苛立ちなんか無視して続けた。
『また、陽相となったことと、火精霊の精霊核が顕在化することも同義ではございません』
「そこ。二号も何か言ってたな」
『焚火、竈、灯火。それらが陽相の火であることは相違ございません。
しかし、火が陽相となるたび、そこへ一柱ずつ人格化した火精霊が現れるわけではないということです』
「あー……」
ようやく、一個分かった。
「火ぃ点けたら毎回、精霊が『呼んだ?』って出てくるわけじゃねえのか」
ご家庭の竈一つ一つから、全部、精霊が出てきたら確かにビックリだ。
『その理解であれば、大きな誤りはございません』
「じゃあ、聖地で火精霊がいなかったのも、それか」
『かの地は、第九の海の水元素が極めて強い領域です。
日常的な小さな火では、火精霊が顕在化するための結節となりにくいものと推測いたします』
「俺のせいじゃん」
『善悪の問題ではございません』
「いや、別に悪いとは思ってねえよ。火が点かないわけでもねえし」
むしろ、俺の水が強すぎて火の連中が出てこれないなら、ちょっと勝った気分になる。
へいへい、ビビってんのか。
「じゃあ、火山ならどうなんだ?」
『火山は別です』
水色六号の答えが、ほんの少しだけ早かった。
『火にとって、火山は極めて重要な場所となります』
「ほう」
『火元素は世界の各地へ均等に存在するわけではございません。
偏りが生じれば、局所的に強い熱や乾燥、地熱の異常へ繋がります』
「ふんふん」
『火山は、偏在した陰相火元素を陽相へ転じ、火元素の偏りを調整する節点の一つです』
「……調整?」
『然様にございます』
俺は少し考えた。
「……あー。要するに、調整弁?」
『概ね、その理解で差し支えございません』
「なるほど」
ようやく、分かりやすい概念が出てきた。
火山は、世界に散った火元素の偏りを調整するためにあるってことか。
そこでは火が陽相になりやすくて、火の連中にとって重要な場所。
「じゃあ、火山は火精霊にとって職場みたいなもんか」
もっと言えば、職場というよりは職安。
普段から働いてない陰相が、陽相になれる場所的な。
知らんけど。
『その比喩を完全に肯定することは――』
「はいはい、おっけー、分かった」
『まだ説明の途中です』
「普段は人格出さない。喋らない。何もしない。
必要になったら陽相になって、火山とかで仕事する」
『前半の理解に誤りがございます』
「つまり、ほとんどの奴が『働いたら負けかなと思ってる』ってやつ?」
『要しておりません』
即答だった。
※※※※※
「――って、話だ」
岩へ座ったまま、俺はアイオリスへ説明を終えた。
「やっぱ引きこもりじゃね?」
「私は、そうは思わない」
「何でだよ」
「君自身が言ったではないか。火は、姿を現していない時にも光や熱として世界にあると」
「それは火元素の話だろ。精霊本人は出てきてねえじゃん」
「出る必要がないから出ないのではないのか」
「だから、そういうのを世間一般では引きこもりって――」
言いかけて。
アイオリスが、少し遠くを見るような顔をした。
何年も隣を歩いてれば、なんとなく分かる。
「何だよ……火に何か思い入れでもあんのか?」
アイオリスは、しばらく答えなかった。
風が吹く。
火の山から来てるのかは知らないが、少し乾いていて、熱っぽい。
「黒禍との戦いでは、火を絶やさないことが重要だった」
やがて、アイオリスが言った。
「奴らには、普通の剣や矢がまともに通じないが、火は効いた」
「ああ」
「父も、最期は火の力に頼った」
それだけ。
アイオリスはそれ以上言わなかったし、俺も聞かなかった。
火を放った城塞に残って、こいつや民を逃がした父親。
わざわざ掘り返してまで聞くような話じゃない。
忘れたわけでも、もう平気になったわけでもないんだろう。
こいつは、そういうものを抱えたまま普通に歩けるようになった。
たぶん俺も似たようなもんだ。
「だから」
アイオリスは火の山へ目を向けた。
「私には、火が何もしていないようには思えない」
「……火なんかの肩を持ちやがって」
「肩を持っているつもりはない」
「じゃあ何だよ」
「君が、火を知ろうとしているから話したまでだ」
「……何だよそれ」
俺は噴煙へ視線を戻した。
しばらく、二人で黙る。
やがて、アイオリスが不意に言った。
「今度の精霊は、君と話せる者だといいな」
「は?」
俺は隣を見上げた。
「お前、俺と普通に話してんじゃん」
「そういう意味ではない」
「じゃあ何だよ」
「イルミンスールのように、君の故郷を知る者なら、と」
「……ああ」
世界樹の大精霊。
扶桑 樹。
自称イルミンスール。
俺と同じ、日本の記憶を持っていた奴。
結局、直接話すことは出来なかったが、この世界で初めて見つけた俺の同郷人。
アイオリスにはどう説明しても完全には理解しきれないものを、あいつは知っていた。
日本を知る相手には、あれ以来、一度も出くわしていない。
「俺みたいなのが、そう何人もいてたまるかよ」
「そうだろうな」
「そこは、きっと会える、とか励ませや」
「根拠もなく期待させるべきではない」
「真面目か!」
「……だが」
アイオリスが続ける。
「あの時の君は、嬉しそうだった」
「……そうだったか?」
「ああ」
「別に、日本語見たくらいで大喜びしてねえし」
「そうか」
「そうだよ」
「では、私の勘違いだ」
こうあっさり引かれると、それはそれで腹が立つ。
「……まあ」
「うん」
「いたら、話くらいはするけどよ」
「ああ」
「日本語じゃなくても、お前とは話通じてんだし、ジジババとか、ちびどもとか、色々いるし」
「そうだな」
「何だよ、その顔……」
「どのような顔だ」
「何か嬉しそうな顔」
「君にそう見えるなら、そうなのだろう」
「気持ち悪っ」
俺は脇腹を肘で小突いてやった。
避けようと思えば避けられるくせに、こいつは普通に受ける。
そういうとこだぞ。この野郎、この野郎。
「つーか、今回は火の精霊だからな」
「そうだな」
「つまり、腐れ陽キャか引きニートの二択だ。どう考えてもキャラが合わねえ」
「偏見ではないか?」
「うるせえな!」
そんなことを言っているうちに、道の向こうから人の声が聞こえてきた。
どうやら、土砂の片付けが終わったらしい。
俺は立ち上がる。
ここから先は、またイズミの時間だ。
※※※※※
ようやく道の詰まりが解消されて、俺たちは再び街道を歩き始めた。
峠を下っていく。
赤茶けた石の坂の途中で、先にいたアイオリスが足を止めた。
(イズミール)
(何だよ)
(あれではないか)
その視線の先を追う。
(おぉ……)
山の裾。
谷を挟んだ向こう側に、街が見えた。
結構でかい。
山肌に向かって人の手が入っているのが、遠目にもわかる。
あの先には鉱山があるのだろう。
ゆるやかな斜面に石造りの建物が密集している。
高い煙突みたいなものから、黒っぽい煙。
別の場所からは、白い湯気。
そして、その奥。
街を丸ごと背負うみたいに、火の山が聳えている。
山腹には緑がほとんどない。
赤。
黒。
灰色。
岩肌のあちこちから、白い煙が細く立ち昇っている。
地面の下に馬鹿デカい何かがいて、息を吐いているみたいだった。
(……なあ)
(何だ)
(あの白いの湯気じゃね?)
(そのように見える)
温泉。炭酸。しゅわしゅわ。
俺の意識が、一瞬で火精霊からそっちへ持っていかれた。
(温泉じゃね?)
(町へ着けば分かる)
(炭酸水もあるって言ってたよな!)
(ああ)
(先にそっちから調べようぜ!)
(仕事が先だ)
(仕事だから! 俺、水属性! 水から始める現地調査だって!)
(君の言う現地調査とは、酒を呑むことなのか)
(酒じゃねえ! 水質検査だよ! 水の女神様による直々の検査だぞ、ありがたく思え!)
坂を下っていくほど、人の営みの音が大きくなった。
槌を打つ音。
荷車の軋む音。
男たちの怒鳴り声。
俺は精霊の声を完全に引っ込める。
先を進む荷車の列が、街の入り口で止まった。
何かしらの検査か、通行の確認でも受けているのだろう。
俺は改めて、自分の身なりを確認する。
茶色い髪。
角は丸めてお団子に。
ヒレも畳んで捩じって、編み込みに。
旅装、ヨシ。
乳、尻、太腿、ヨシ。
はい。
俺は、エロかわ外国人妻のイズミちゃんです。
自己暗示完了。
アイオリスの手を掴む。
(温泉)
(仕事が先だ)
(温泉)
(まず宿と、火の山について情報を集める)
(それ終わったら?)
(考えよう)
(約束だからな。嘘ついたら今日は水抜きだ)
指を絡めて、念押ししてやる。
近づいてきた荷車の男が、俺たちへ軽く手を上げた。
俺も黙ったまま、愛想よく手を振り返す。
普通の旅人。
普通の夫婦。
口のきけない女イズミと、その夫。
その向こうで。
俺がまだ一度も会ったことのない火の精霊どもの領域が、白い噴気を吐き続けていた。




