EX(118.23).第三回主神会議(参加者:8/9) ◆★△
世界を分かつ八つの海。
その主である龍神たちは、各々の治める海に在りながら、イズミールとアイオリスに託した八つの龍珠を介して繋がっていた。
そこには部屋も卓も、互いの姿もない。
相手の声だけでなく、言葉に込めた意図や、その海に立つ波まで伝わる。
ゆえに本来、名乗る必要はない。
だが、意図が分かることと、八柱が同時に話すことは別の問題だった。
そこで、三の海――ジャガラモガラは、議を始める前に宣言した。
『議を執り行う前に、各々に改めて申し伝える。
発言は一柱ずつ。報告は結論より述べる。問いは一度に一つ。長き前置きは避ける。
以上、九つ目の海より定められた作法である』
『今は我ら八海のみではないか。己は、順番を待つ必要があるとは思えぬぞ』
四の海が、早速、不満を波立たせる。
『伝達効率のみを論じるなら、拙も無用の作法と存じます』
六の海が、冷えた深海のように静かに応じた。
『しかし、八海同時の交信を若き水が持て余すこともまた、既に実証済みです』
『僕の記憶では、第九の海は二十七度ほど「同時に喋るな」と申しておりました』
八の海の丁寧な指摘に、四の海が荒くうねる。
『数えておったのか、八の龍』
『正確には十一度でございますが、同義の発言が十六度ございました』
『あの罵詈雑言の意までも汲むのかえ』
二の海が呆れを混ぜたところで、八海筆頭たる一の海が断じた。
『余らだけの議であろうとも、九つ目の海より示された決まりを違える理由はない。異論は認めぬ』
『己は従わぬとは申しておらぬ。ただ、回りくどいと申しておる』
『某、この遣り取りこそ、まさに冗長と断ずる』
五の海が切り捨てると、沈黙が訪れた。
『では、これより議を執り行う』
ジャガラモガラが、会議の始まりを宣言する。
『此度の議は、九つ目の海より寄せられた要請についてである』
八つの海が、わずかに静まる。
『聖地ゴルディウムと、世界樹の森に残る遺構の井戸を、水で結びたいとの申し出があった』
『余は受ける』
一の海は、方法も危険も聞く前に断じた。
『若き水より頼まれ、八海が応えぬ理由はない』
『妾たちが断る可能性を考えておったのなら、あの仔もまだ吾らを理解しておらぬのう』
『某も、異存なし。対価も不要』
二の海、五の海も続く。
『己もやるぞ。真っ直ぐに繋げばよいのだろう。いつやる。今か』
『四の龍よ、まだ方法も決まっておらぬ』
ジャガラモガラが制した。
『拙も受諾には賛成いたします。ただし、何を行えば要請を果たしたことになるのか、先に定める必要がございます』
六の海だけは、賛意を示しながら、要請の範囲を切り分けた。
『これは、一時的に水を運ぶだけの話ではありません』
八の海が、その意味を記録から引き出した。
『かの井戸は、今も源流へ通じております。聖地から井戸まで一続きの水域が成立すれば、井戸は第九の海の水域へ組み込まれましょう。
これは単なる接続ではなく、源流へ通じる古き節点の管理を、第九の海へ継承する議でもございます』
『ならば、九の龍が世界樹の森を継ぐということか』
四の海が大きく受け取る。
『否』
ジャガラモガラは即座に否定した。
『九つ目の海は、森にも、世界樹にも、死せる大精霊にも成り代わらぬ。
継ぐのは井戸と、そこへ至る水の道のみよ』
世界樹の森は、古き人と精霊が共に営んだ生命の器だった。
源流の霊子へ水と土の性質を与え、樹木の精霊が草木や実へ変える。
生き物はそれを糧として育ち、死して土へ還る。
その巡りが、人の手を離れても続くほど世界へ行き渡ったからこそ、古き人々は永遠の役目を捨て、自ら選び進む限りある生を求めた。
『世を造り変えるためではなく、ただ世界樹の幼子を守るためにか』
四の海が呵々と笑う。
『世界樹の大精霊、その裔が今の世にも永らえていたのは喜ばしきこと』
七の海が、遠い緑の記憶を揺らした。
『花神は、自ら散る定めを受け入れたことで、命の巡りを完成させた。
その巡りに連なる幼子を守り、育むことは、妾たち遺された者の務めぞ』
二の海が続ける。
『然様。ゆえに此度の継承は、若き水の版図を拡げることでも、古き役目を負わせることでもない。
黒禍により大きく損なわれた命の巡りを正すための、復世の道である』
ジャガラモガラの言葉に異を唱える者はいなかった。
争点は、どう繋ぐか。
ただ、それだけだった。
『では、己が山を割ろう』
四の海が最初の案を出した。
『聖地と遺跡の間へ横たわる山を、真っ直ぐに貫けばよい。己の波ならば砕ける。最も短く、最も早い』
『某が岩目を読む。四の龍が必要な箇所のみを砕けばよい。容易なり』
五の海が実行可能性を認めたことで、四の海は得意げに膨れ上がった。
『拙は反対いたします』
六の海が、冷たい刃のように二柱の案を断った。
『かの山には、既に複数の水脈がございます。崩落、地盤沈下による水脈の断絶や、植生への影響は無視できません。
実行可能であることと、影響を許容できることは同義ではございません』
『四の龍、汝は壊した後で考えればよいと思っておるのであろう』
『己は壊す前にも考えておる!』
『何をじゃ』
『どの角度で打てば、最もよく岩が砕けるかを』
七つの海から、同時に却下の意思が返った。
『九つ目の海が望んだのは、山を征することではない』
一の海が結論を下す。
『世界樹の幼子が住む森へ、静かに訪う水の道を欲しているのだ』
『ならば、山を避けて地表を巡らせてはどうか』
七の海が第二案を示した。
『川となれば、人も獣も草木も、その水を使えよう。小さき人の子らも、川の周りに集まって暮らすものであろう』
『山を貫くよりは美しい』
二の海から、艶のある笑いが返る。
『妾も、地上に新たな流れが生まれること自体は好ましいと思うぞ』
『僕から、懸念を申し上げます』
八の海は、流路の先にあるものを並べた。
『僕の把握する地形に従えば、複数の集落と湿地を横切ります。
人が戻った後、その川を誰が利用し、誰が管理し、どこまでを第九の海の水域と見なすか。
新たな争いを生む可能性がございます』
『水路を管理する人間も要る。九つ目の海へ、新たな役目を増やすことにもなろう』
八の海の説明に、ジャガラモガラが補足を加えると、七の海は素直に引いた。
『水は低きへ流れればよいが、人の暮らしまで、儂らの都合で流すわけにはいかぬか』
そこで六の海が第三案を出した。
『拙は、地表へ現れぬ新たな地下水脈を築く案を進言いたします。
聖地の水域から、世界樹の井戸へ必要な分だけ細い流れ――いわば水道を通すのです』
『僕も、その案を推します』
八の海が補足する。
『地形を大きく変えず、既存の川や集落へ与える影響を抑えられます。
第九の海が行き来することを主眼とするならば、最適かと』
『地の下であれば、世界樹の根へも水を届けやすい』
五の海も賛同する。
『ただし、最も手間と時を要します』
六の海が付け加えた。
『既存の水脈を避け、圧力を調整し、浸透や崩落を防がねばなりません。
完成までには、八海すべての助力を要するでしょう』
『若き水が求めたのは拙速ではなく、世界樹の幼子との繋がりを保つことにある』
一の海の意志が、八つの海を貫いた。
『ならば、最も手間のかかる道を選ぶ。余らが手間を惜しみ、再び若き水へ負わせる理由はない』
異論はなかった。
岩盤の調査と掘削は、四の海と五の海。
水圧と土への浸透、崩落の防止は六の海。
流れの勾配と、水が淀まず巡り続けるための調整は七の海。
八の海は、必要な地点へ雨を染み込ませ、地下の水の通りと漏れを確かめる。
二の海は、冷えた地下へ温かな潮の性質を分け、流れを安定させる。
一の海は八海全体の水量を取りまとめる。
三の海は世界樹の遺跡へ赴き、古い井戸の状態と、源流への接続を確かめる。
道を築くのは八海。
そこを満たすのは、イズミールの水。
そして水路が完成した時、八海はあの井戸を第九の海の水域として認める。
『余は、一の海を預かる龍として本案を認める』
『妾も異存はない』
『吾は、古き井戸の継承を見届けよう』
『己も認めるぞ』
『某、承知』
『拙も、定められた範囲において承認いたします』
『儂も異論はない』
『僕も、八の海を預かる者として承諾を』
八つの同意が重なり、龍珠の中へ新たな約が刻まれた。
※※※※※
『以上をもって、本日の議を閉じる』
ジャガラモガラはそう告げた。
これで接続を解き、各々の海に戻ればよい。
だが、誰ひとり、龍珠から意識を引かなかった。
しばしの沈黙の後、一の海が、いかにも何気ないことのように話し始めた。
『ところで、余が聖地へ供した海の幸は、その後も人の子らを養っておるそうだ。
キーロなる名で親しまれ、人から人へ渡っているそうな』
『一の龍よ。汝は供したのではなく、空より降らせたのであろう』
二の海が即座に刺した。
『人の子らを一人として傷つけておらぬ。
今では、余の恵みが地へ届く音を心待ちにする者もいると聞いた』
『若き水の糾弾を受け、セイザを求められたとも聞いたぞえ』
一の海は、その部分だけを海底へ沈めた。
『何より、ミューズは余を仲間と認めた。そのうえで、“足りない”という問題は、皆で分け合うことで直せると、余へ水の理を説いたのだ』
『それは一の龍の失策を、幼き水に気遣わせただけのことでは』
六の海が冷静に指摘した。
『幼子から教えを得られることも、関係の深さを示す』
一の海は揺るがなかった。
『ならば妾とて、幼き水と深き関わりを持っておる』
二の海が、待ちかねたように割り込んだ。
『妾は聖地へ珊瑚と真珠を贈った。人の子らは、妾の珊瑚を祭具や装飾に用いておる』
初訪問で浅瀬へ一夜にして珊瑚礁を築き、舟の道と工事場を塞いだことには触れない。
『九つ目の海は、“うちの湖を勝手に南国のスイゾクカンにするな”と怒っておりました』
八の海が記録を差し込む。
『ミューズは妾の真珠を母の髪へ飾り、自らも同じものを身につけた。
“ママとおそろい”と申したのじゃぞ』
『余は最初に仲間と呼ばれた』
『妾は母娘の間へ迎え入れられたのじゃ』
互いに解釈だけが、海より大きく広がっていく。
『某は、海に沈んだ人の財を聖地へ返し、復興の糧とさせた』
五の海が、競う意思などないと言わんばかりの平坦な調子で告げた。
沈没船や古代の水没都市から回収した金属、貨幣、宝石、記録板は、聖地の倉と広場を埋め、サルディスとヘレノスの仕事を大いに増やした。
『聖地では、長らくその整理に追われたと僕は聞いております。
若き水は、先に目録を作れ、保管と分類の手間を考えろと申しました』
『次からは、そうする』
五の海は端的に認めた。
『だが、幼き水は某へ、「おとしもの、かえして、えらい」と申した』
八の海の補足を無視し、五の海はそれだけを強く残した。
『拙は、食料保存、治療、夏季の冷却に利用できる氷の生成法を教えました』
六の海の“小規模な氷塊”は、人の尺度では小山に等しく、何艘かの舟を氷へ閉じ込めた。
『拙は事前に、「小さきもの」と指定されました。拙の海で最も小さき氷を用意したまで』
『人の尺度を覚えよ、六の龍』
七柱の意思が、今度だけは完全に揃った。
『それについては、現在は修正済みです』
六の海の言葉は淡々としていたが、その奥から、ひとつの記憶が繰り返し浮かんでいた。
ミューズが氷の周囲を何度も駆け回り、小さな手を触れては、
――つめたいお山、きれい。
そう言って笑っていた記憶だった。
『儂が教えた海流の技も、聖地の水運に役立つものであろう』
七の海の最初の実演では、湖上の舟も、筏も、水上神殿の資材も、揃って緩やかな円を描き始めた。
人々は神域の異変、女神イズミールの怒りや悲しみかと恐れた。
『第九の海から、最初に“デキン”を申し渡された件ですね』
八の海が記録を読み上げた。
イズミールの言うところの、デキン。
しばしの来訪禁止を告げる、恐ろしき言葉だ。
それを聞けば、八つの海の海面がざわめく。
『儂としては、異なる流れを損なわず併せる術を教えんとしたのだが』
『人の子らから見れば怪異であろうよ』
『だがミューズは、「おみず、みんなで、てをつないでる」と喜んでおった』
七の海の喜びは、穏やかな海流のように広がった。
『此度の地下水道も同じこと。聖地の水と森の水が、地の下で手を繋ぐ。あの仔なら、きっとそう言うであろう』
『その端緒を担うのは、僕の雨にございますが』
『八の龍が、初めて聖地へ来た時にも雨を降らせておったな』
ジャガラモガラが応じる。
『はい。第九の海より、「次から来る前に雨を降らせるなどして知らせろ」との指示を受けておりましたので』
『若き水とキコリヤロウの頭上だけに、雨を降らせた時のことか』
『何故、二柱の頭上だけなのじゃ』
『訪問先の識別と、周辺住民への影響抑制を両立した結果でございます』
『逢瀬を妨げられ、九の龍が激怒したと聞いたぞえ』
二の龍の指摘を、八の龍は静かに流した。
『その後、ミューズへ、雨雲を集め、必要な場所のみへ雨を与える方法を教えました。
「あめは、かわいたこにあげるの」と申されました』
『己の教えた技の方が、仔龍は喜んでおったぞ』
四の海が割り込んだ。
波を一点へ集めて岩を砕く技。
岩だけを割るつもりが、その轟音で水上神殿の足場まで揺れ、人々は神罰だと思って伏せた。
『己の一撃を見て、仔龍は「どーん!」と四度も申したぞ』
『三度です。一度は四の龍自身の声でした。そして、二度目のデキン案件でした』
『細かいことはよい!』
四の海は勢いのまま、源流での戦いを語った時の記憶へ移った。
『己は、仔龍に九の龍の戦いぶりを余すところなく語ってやった。
八海が龍珠を託し、九の龍が我らを従え、巨神を生み出し、源流に巣食う魔樹を打ち砕いたあの勲をな!』
『汝のことだ。さぞや長話であったのだろうな』
『仔龍は、己に何度も話をせがんだぞ』
『幼き水は、何と申した』
五の海が問う。
四の海を満たしていた得意げな波が、わずかに弱まった。
『……「ママ、こわかった?」と』
八つの海が、静まった。
幼き水が見たのは、八海の偉大さでも勝利の壮大さでもない。
母が恐れ、痛んだのではないかということだけだった。
『某らは、あれを武勇と讃えた』
五の海が、低く伝えた。
『だが、幼き水は、そこに恐れがあったことを、まず見いだしたか』
『水域の規模と、齢は同義ではございません』
六の海が続ける。
『第九の海は、八海を束ね得る規模へ至りました。
しかし、拙らと比べれば、今なお生まれて間もない若き水です』
『余らは、あの若き水へ、吾らが果たせなかった役目を託した』
一の海の意志が、深く沈む。
『あれは余らの海を救い、命を返し、源流を救った。
余らは海へ残り、若き水と人の子を、源流の最奥へ向かわせた』
『今は、その娘にまで復世の女神という大役を担わせようとしておる。
妾たちは何も学んでおらぬことになるのではないか』
華やかな二の海も、その時ばかりは静かだった。
『ゆえに、此度の水路は吾らが築く』
ジャガラモガラが告げる。
今回の水路は、返し切れぬ恩のほんの一部だった。
若き水と幼き水だけに役目を抱えさせず、八海で分けて持つためのもの。
そして、遠い昔に失われた命の巡りを受け継ぐ、世界樹の幼子を助けるための道だった。
『吾らがミューズへ渡すべきものは、力や物ばかりではあるまい』
ジャガラモガラの言葉に、八つの海が耳を傾ける。
『かつて何があり、何故失われ、何を繰り返してはならぬのか。
それを伝えることも、古き者に残された務めであろう』
『三の龍は、既に何かを教えたのか』
五の海が問う。
『吾は、ミューズへ古き時代のことを教えた』
ジャガラモガラが、最後に自らの記憶を開いた。
『源流より八つの海が生まれたこと。人と精霊が共に世界樹の森を育てたこと。
龍宮に、旧き人々の歌と営みがあったこと』
『仔龍は、何と申した』
四の海が尋ねる。
『吾へ、「ノジャにも、ママいるの?」と問うた』
八海は源流から生まれ、源流を母と慕う。
だが源流は、イズミールのように人の形を持つ母ではない。
八海には、その腕に抱かれた記憶も、名を呼ばれた記憶もなかった。
『吾は、源流が吾らを生んだと答えた。されど、吾らはもはや源流へ触れることは叶わぬとも』
『ミューズは、何と』
二の海が促した。
『しばし考えた後、「じゃあ、ミューズ、ノジャにさわる。はい、だっこ」と申して、吾を高く持ち上げた』
『仔龍は、第九の海を真似ただけなのではないか』
四の海が笑う。
『吾にとっては、ミューズが自ら示した答えである。是非もなし』
ジャガラモガラから伝わってくる満足は、白い海面のように静かだった。
二の海が、ふと尋ねた。
『妾たちは、ミューズを羨んでおるのかの』
母の名を呼び。
母の腕へ絡み。
母の膝へ乗り。
叱られれば頬を膨らませ、それでもまた手を伸ばす。
母へ触れ、呼びかけ、答えてもらえる幼い水。
その姿を見るたび、八つの海の底で、古い何かが揺れていた。
『羨ましいのではない。懐旧に近いのではないか』
七の海が答えた。
『拙らに、そのような経験の記録はございません』
『ならば、記憶ではなく憧憬なのでございましょう』
八の海が静かに続ける。
『知らぬものを、ミューズと若き水の姿に重ねている』
ジャガラモガラは、遠い母なる流れを思った。
『ミューズが母へ触れ、呼び、応えられる姿を見る時、吾らは初めて、「母を持つ」とは如何なるものかを知るのやもしれぬ』
『ならば、あの仔が母へ甘えることを、余らは守ればよい』
一の海が結論づけた。
『余らが教えるべきは役目だけではない。役目を忘れてよい時間も、与えるべきだ』
五の海が続ける。
『某も同意する。教えるべきは、技や智慧だけに非ず』
『つまり』
二の海の喜びが、満ち潮のように広がった。
『これまで以上に、幼き水を甘やかしてよいということじゃな』
『拙は、適量を定める必要があると提言します』
『甘やかすのに適量などあるものか!』
四の海が叫び、静かな余韻を一息で壊した。
『ならば、やはり余こそが最も適切に仔を導けよう』
一の海が、話を戻した。
『なにしろ余は、ミューズより仲間と認められている』
『またその話かえ』
それを皮切りに、真珠、氷、海流、雨、そして「どーん」までが、改めて成果として持ち出された。
『既に正式な議は終わっておる。仔が誰を最も慕うかなど、決する必要は――』
『余である』
『妾じゃ』
『己だ!』
『某は比べ合う意図などない。だが、幼き水は某を褒めた』
『拙は、客観的な比較基準の設定を提案いたします』
『儂は反復して求められておる』
『本人へ確認するのが最も確実かと、僕は思います』
八の海の提案に、七つの海が一瞬だけ賛同した。
だが、ミューズへ尋ねれば、きっと八柱すべてを「なかま」と答える。
誰もが、それを知っていた。
ジャガラモガラは、八海の記録へ正式な決定を残した。
聖地と世界樹の森の間には、地下水脈を築く。
古き井戸の管理を、第九の海へ継承する。
八海は共同して工事を行う。
その記録の末尾へ、八の海が追記した。
――幼き水が最も慕う龍については、結論に至らず。
『異議あり』
一の海の声と共に、八つの海の言い争いが再び始まった。
現実には、まだ工事の兆しひとつ現れていない。
だが、見えぬ地の下では、八つの古い海が、九つ目の若い水へ道を繋ぐことを決めていた。
そして、その八柱の龍神たちは、触れることのできる母を持つ幼い水からもらった、他愛もない一言を、海に沈んだどんな財宝より大切に抱えていた。
『よさぬか。古き海としての矜持を忘れるな』
ジャガラモガラは釘を刺した。
『九つ目の海は、吾が龍宮へミューズを連れてくると約したがな』
だが同時に、水面に一石というには大きすぎるものを投じた。
『なん、だと――』
『待て、三の龍。それは卑怯ではないかえ』
『よし、己も行く!』
『某、誠に遺憾』
『説明を。今、拙は冷静さを欠こうとしております』
『なるほど、その手が――』
『僕の記録にない約定が……』
七つの声が、会議の初めより激しく重なった。
『一柱ずつと申したであろう!』
会議は終わっていた。
九つ目の海が定めた作法を守る者は、もう一柱もいなかった。
〈ちっぷす〉
「八龍ざっくり見分け表 Ver.2」
1.余/黄色一号/東南
いかにも偉そうな八海筆頭。たぶん本当に一番偉い。
いちいち格調が高くて、普通に喋れって言いたくなるタイプ。
食料不足を知って、金塊マグロで空爆をかましてきた。
被害が出ないよう制御したことを、十分な配慮だと思っている。違う、そうじゃない。
ミューズに最初に「なかま」と呼ばれたことが最大の自慢。それを言えば全部許されると思っている節がある。
行動力と決断力の塊みたいなやつで、自分から営業して仕事を取ってくる社長。
ただし、こいつの場合、現場に丸投げではなく、自分も責任を取って動く。
面倒な仕事ほど自分たちでやるべきだ、若い奴に押しつけるな、と本気で思ってる。
2.妾/赤二号/南
女王様みたいな喋り方のやつ。妙に艶っぽい。
圧が強い。こっちが何も悪くなくても説き伏せられそうで嫌だ。
綺麗なものが好き。だからって、聖地の浅瀬へ一晩で珊瑚礁を作るな。
あと、ミューズが俺の髪に真珠を飾って、自分もおそろいにしただけで、「母娘の間へ迎え入れられた」とか言い出す。
勝手に割り込んでくるな。お前はまだ親戚の派手な叔母さん枠だ。
ただ、俺とミューズに役目を押しつけることには、かなり敏感だった。
派手好きで自信家だが、他人の気持ちを読むのは八龍の中でも上手い方だと思う。
3.吾/のじゃ様、ジャガラモガラ/東
東の日いづる大海ののじゃ様。龍宮の主。
話が長いし礼儀も重い。でも、まだ一番話が通じる。たぶん。
頼りになるけど、肝心なとこでボケをかます。まあ、段々慣れてきた。
歴史、古代文明、源流、神々の決まりごとについては、こいつに聞けば大体分かる。
長ったらしくなりそうなので、俺は聞かないが、ミューズは付き合ってやってる。
俺がそのうちミューズを龍宮へ連れていくと約束した件を、他の七龍へ自慢しやがった。
そのせいで、他の七龍どもから猛烈に「うちにも連れて来い」アピールが続いた。
白三号? のじゃ様はのじゃ様でいいだろ……。
4.己/橙四号/西南
声がデカいし、勢いもデカい。
たぶん脳筋枠。ノリで押し切ろうとしてくるから疲れる。
せっかちで行動力のある馬鹿。だが、頭まで悪いわけじゃない。
ミューズに、波で岩を砕く技を見せたけど、人間どもを怯えさせたので、しばらく出禁にした。
こいつで出禁二号だ。詫びがしつこくてうるせえから、すぐ解除したが。
ミュルナをそのまま成長させたら、こんな奴になるんじゃないかって気がする。
ヤバい。教育方針を変えた方がいいな。
5.某/黄緑五号/西北
武人口調で礼儀正しい。物騒だが、話自体は早い。
無口で仕事熱心で、言い訳をしない真面目社員タイプ。
かと思えば、海底の財宝を分類も目録もなしに大量搬入してきた。
やっぱり、龍神は龍神だった。
ミューズに「落としもの返して偉い」とか言われて、ご満悦なようだった。
けど、人間が落としたもの=聖地のものじゃねえからな。
無口で真面目なところはアイオリスに似てる気がしたけど、あいつの方が遥かに面倒臭かったわ。
6.拙/水色六号/北
理屈っぽいの。説明を始めると、仕様、条件、前提、許容範囲を全部並べる。
会議になると一番面倒な理屈屋だが、こっちが見落とした穴を最初に見つけるのも、大体こいつだ。
そこが余計に面倒臭い。
氷が作れるって聞いたから、作り方を教えて貰おうとしたら、湖に氷山を生やした。
やっぱり、こいつもスケール感が龍神だった。
ミューズが無邪気に褒めるもんだから、調子に乗ってやがる。
頭でっかちなとこが、少しだけミュリナに似てる。
うちのミュリナは、素直だし、こうはならんだろうが。
7.儂/緑七号/西
年寄りくさい喋り方をする古老枠。実際に八海の中で年長なのかは知らん。
力で押すより、潮や時間の流れを読んで、長い目で考える。
ミューズへ海流を操る技を教えようとして、舟も筏も神殿の資材も、湖の上で仲良く回転させた。
人間どもが神域の異変だと震えたので、記念すべき出禁一号に認定した。
ミューズからは「おみず、みんなで、てをつないでる」と好評だった。
たぶん、中のミュシアが「ぐるぐる、たーのしー」とか言ってる。
ちびどもにせがまれると、またやらかしかねない。要注意。
8.僕/青八号/東北
妙にへりくだっているが、記憶力と情報量が怖い奴。
なんかやたらと記録を取ってる。データ至上主義っぽい。鬱陶しいが、事実確認なら一番頼れる。
来る前に知らせろと言ったら、俺とアイオリスの頭上だけへ雨を降らせやがった。
お前、実は言葉尻だけ捉えて、わざとボケかましてんじゃねえだろうな。
俺がのじゃ様と約束した龍宮訪問を知らなかったことに、滅茶苦茶動揺していた。
なんでだよ。
以上、八龍神。
八つの海を預かる古い龍神で、揃いも揃って規模がデカく、異様なくらい頭が回るくせに、人間への理解が浅くて、善意と龍神基準の合理性を悪魔合体させてやらかしてくる。
俺のことは相変わらず、生まれたばかりの若い水だの、後輩だの、娘みたいなものだのと勝手に思っているらしい。
ミューズに至っては、完全に孫扱いだ。無責任に甘やかすんじゃねえぞ。
誰が一番慕われているかで本気の議論を始めるくらいには、全員どうしようもない。
なお、ミューズ本人へ聞いた場合の答えは、たぶん全員「なかま」「なかよし」だろう。
もう、それでいいだろ。
いい年こいて、いちいち揉めてんじゃねえ。




