EX(118.19).『復世巡行記・世界樹の枯れ森』⑧ 〇★△
アイオリスは、まだ俺の手を離していなかった。
ミツバの花模様の瞳が、つないだ手と俺の顔を交互に見る。
このままでは、また余計な日本語が飛び出してくる。
「よし、ミツバ。今日は遊ぶぞ」
ミツバの三枚葉が、一斉にぴんと立った。
『あそぶ!』
「話すのではなかったのか」
「遊びながら話すんだよ」
昨夜決めたのは、ミツバに何かを決めさせることじゃない。
こいつが何を知っていて、何ができて、何を嫌がるのか。
それさえ分からないまま、これからどうしたいかなんて聞いてもしょうがない。
ガキにとっては遊ぶのが会話みたいなもんだ。
「生まれたばっかのガキに、三者面談で自己分析させる気かよ。
まず、一緒に何かやってみりゃいい」
「サンシャメンダン?」
「それは覚えなくていい」
俺はアイオリスの手を振りほどき、ミツバを見上げた。
『あそぶ、なに?』
「遊ぶってのは、楽しいとか、いいねって思えることを探すんだ」
『たのしい、さがす?』
「そうだ」
三枚の葉先が、朝日を受けて嬉しそうに揺れた。
『ミツバ、たのしい、さがす! いいね!』
遊ぶと言っても、こんなクソデカ森林に玩具や遊具なんてものはない。
そこで俺は、生きてる木から葉を、枯れ木から枝を集めた。
世界樹の葉はバカでかくて分厚い。
尖った枯れ枝で傷をつければ、即席のお絵描き道具の完成だ。
葉を毟ったり傷つけることを、ミツバが嫌がるんじゃないかとも思った。
だが、俺が葉っぱに絵を描いて見せると――
『ドウジンシ! ミツバ、かきかき!』
ミツバは、自分の頭の色違いの三枚葉へ手を伸ばした。
枝の指で一枚を摘まみ、ためらいなく、ぶちりとむしる。
「はあっ!? おっ、お前、そこ取っていいのか!」
「ミツバ!?」
俺もアイオリスも、流石に焦った。
あれはミルラから切り取って接がれた若芽だと思っていた。
こいつの姿だけじゃなく、記憶の元にもなったものじゃないのか。
『かきかき、する』
だが、本人はまるで気にしていない。
俺たちの心配をよそに、葉を失った若枝の先が目の前で膨らんだ。
折り畳まれた小さな葉が押し出され、みるみる開いていく。
黄色がかった新しい葉が残った二枚と並び、再び三枚葉が揃った。
むしった葉と、生えた葉は、色も形も同じだった。
ミルラから接がれた若芽が、一度も入れ替わらずに、そのまま残り続けているわけじゃないらしい。
受け継がれた姿や記憶の断片は、今はもうミツバ自身のものとして生きているのかもしれない。
「自分の葉っぱでも、いきなりむしるな! ビックリしただろうが!」
『イズミ、はっぱ、とれない?』
俺のヒレ耳を見て、小首を傾げた。
「取れねえよ! これは葉っぱじゃねえ」
俺は、人間や動物の耳や手足は葉っぱと違って生え直さないから、勝手に引っこ抜くなと念を押した。
危うく、葉っぱ感覚で人体欠損をかますサイコパスジャイアント幼女を生み出すところだった。
『ドウジンシ! ドウジンシ!』
ミツバは枯れ枝を握って、わさわさと葉擦れの音を立てている。やる気勢だ。
「お絵描きな。同人誌じゃねえ」
『ドウジンシ、ちがう?』
三枚葉がしょんぼりと伏せた。
あのオタク野郎が残した絵を、ミツバは楽しいものとして覚えている。
ここで正しい意味を説明したところで、楽しさが増えるわけでもない。
「……まあ、ドウジンシでいいや」
『ドウジンシ、いいね!』
「ああ。楽しそうで何よりだ」
まず、俺が見本を描くことにした。
丸い太陽。
幹と枝だけに形を削った木。
三本の波で表した水。
最後に、長い髪と水をまとった俺。
枯れ枝一本でも、特徴を残して線を減らせば、何を描いたかは分かる。
「これが太陽。これが木。こっちが水で、これが俺だ」
ミツバの枝の指が、迷わず順番に絵をなぞった。
『おひさま。き。おみず。イズミ』
「おう。分かるか」
アイオリスが、最後の人影を指差した。
「これはミツバには難しいのではないか」
「自画像に手は抜けねえだろ。
仕事でやってんじゃねえ、趣味だぞ、趣味」
「ミツバに教えるための絵ではなかったか」
『イズミ、いいね』
「ほら見ろ。良いものは評価されんだよ」
「そうか。そうだな、私も綺麗だと思う」
こいつ、隙あらば刺してきやがって。
「お、おう……当たり前だろ」
俺は見本の葉を裏返した。
ミツバが真似して描き始めた。
枝のような指は細かい作業に向いていないらしく、ペン代わりの枝を握るのも四苦八苦だ。
枝先を押し込む力も強すぎて、何枚も葉を貫いて駄目にした。
そこで発想を変え、自分の指で描かせてみたら、これが正解だった。
指先を細く伸ばした小枝は、枯れ木のペンよりも力を加減しやすいようだ。
俺の描いた見本を真似て、ミツバと比べると小さく見える葉に絵を描く。
太陽、木、水。
線は歪んでいるが、ちゃんと特徴を捉えている。
さすがに俺の自画像を真似ることは出来なかったが、努力の跡は見えた。
それから、見本にない絵を自分で描き始めた。
大、中、小。三つの人影が横に並び、一本の線で繋がっていた。
『ミツバ。イズミ。キコリ。なかよし』
「このデカいのがお前で、真ん中がキコリ、小さいのが俺か」
『ちがう。おおきいの、イズミ。ちいさいの、キコリ』
「なんで俺が一番でかいのなんだよ。お前のサイズ感はどうなってんだ」
「私が一番小さいのか……」
『ドウジンシ、たのしい!』
上手いとは言い難い。
でも、何を描いたのかは分かる。
細かな形を描くのはまだ苦手でも、配置や数、特徴を覚えて、応用も利かせてくる。
「これなら、言葉が伝わらない人間にも、用件を示せるようになるかもしれない」
アイオリスの言葉に、俺は新しい葉へ、ミツバと水と矢印を描いた。
「例えば、お前が水を探してる時は、こう描いて誰かに見せる」
ミツバは同じ絵を別の葉へ描き直した。
少し考えてから、水の横に大小の茸を足す。
『おみず。きのこ。おいしいつち。こっち』
「ああ。伝わらなかったら、今みたいに足せばいい」
『ドウジンシ、もっと!』
「次は別の遊びだ」
『もっと、あそぶ!』
どうやら、一つ目の楽しいは見つかったらしい。
※※※※※
次に教えたのは、かくれんぼだった。
葉の上に、目を閉じた人と、木の陰へ隠れた人を描く。
「一人が探す。他の奴は隠れる。見つかったら出てくる。簡単だろ」
『かくれる。よぶ、こたえない?』
「隠れてる間だけな。終わったら出てきて、ちゃんと返事する」
ミツバはじっと俺の描いた絵を見つめた。
『かくれる。あとで、こたえる』
「そういうことだ」
最初に鬼になった俺が目を閉じ、十まで数えた。
「もういいぞ」
返事はない。
目を開けて見回すと、近くの巨木の左右から、褐色の肩と根の足が盛大にはみ出していた。
「ミツバ、見つけた」
『ミツバ、なんで』
「お前がデカいんだよ」
ミツバは巨木と自分の身体を見比べた。
頭の若枝が、ゆっくり傾く。
『ミツバ、き、なる』
根の足が土へ沈んだ。
褐色の身体へ樹皮の筋が浮かび、腕と髪が枝葉へほどけていく。
朝に目覚めた時とは逆に、ミツバは一本の若木へ姿を変えた。
「おお……普段も木になれるのか」
『ミツバ、き』
梢の三枚葉が揺れて、ミツバの声がした。
木のままでも喋れるらしい。
「ミツバ、そのままでも動けるのか?」
アイオリスが尋ねると枝葉がざわめき、地面の中で根が蠢く。
植物モンスターっぽくて、ちょっとキモい。
『うごく、ちょっとたいへん』
そう言って、若木から元のクソデカ幼女に戻った。
「それ、もうちょい小さくなれねえのか?」
『ミツバ、ちっちゃい』
「だから、全然小さくねえっての!」
かくれんぼを再開すると、ミツバは木になって隠れることを覚えた。
ただし、色違いの三枚葉が梢の上で目立ちまくっていた。
「見つけた」
『ミツバ、なんで』
「その三枚、隠す気ねえだろ」
ミツバは自分の葉を見上げた。
三度目。
アイオリスと一緒に探したが、今度はすぐには見つからなかった。
「おいおい、あいつどこ行ったんだ。全っ然分かんねえぞー」
「……そうだな。ミツバはいったいどこだ」
ミツバは周囲の若木へ紛れ、三枚葉を普通の葉の下へ畳み、根元には苔と落葉まで寄せていた。
上手く隠れたミツバの前で、二人で見つけられない振りをする。
アイオリスの野郎は演技がまるでなってないが。
畳んだ葉の隙間から、黄色い先端が持ち上がって嬉しそうに揺れた。
「はい、ミツバ、見ーっけた」
『ミツバ、またみつかった』
見つかったのに、ミツバは楽し気に枝葉をざわめかせた。
教えたとおりにするだけじゃない。
見つかった理由を考えて、次のやり方を変えられる。
思っていたより、ちゃんと頭を使えるようだ。
これなら、俺たちが傍にいない時に何かが来ても、木のふりをしてやり過ごせるかもしれない。
隠れるだけなら、もう十分だろう。
「よし。次は缶蹴りだ」
『カンケリ!』
「カンケリとは何だ……?」
通じなかった。
そもそも、空き缶がない。
※※※※※
仕方がないので、缶から作ることになった。
「なんで俺は、異世界で子どもの遊び道具を開発してんだよ。業務範囲どうなってんだ」
「遊ぶと言い出したのは君だ」
「分かってるよ!」
お絵描きに使った葉っぱの中から、書き損じの一枚を丸めて円錐状にする。
巻いて重なった部分に茎を刺して、軽く固定。
アイオリスに持たせて、水を這わせて黄金に変えた。
缶というより工事現場のカラーコーンみたいな代物ができた。
地面に刺せば、缶代わりにはなるだろ。
『カン、できた。いいね』
「これをどうする?」
俺は二人に缶蹴りのルールを説明した。
鬼は目を閉じて数える。
二人は決めた範囲へ隠れる。
鬼は見つけた相手より先に缶へ戻り、その名前を呼ぶ。
隠れた側が先に缶を蹴れば、捕まった奴も助かる。
説明だけでは分からないところは、実際に動きながら覚えさせることにした。
最初の鬼はアイオリスだ。
こいつは気配だけで俺をあっさり見つけやがった。加減しろボケが。
ミツバも若木になって隠れたものの、まだまだ隠れ方が素直ですぐ見つかった。
次の鬼はミツバだ。
しゃがんで目を閉じて、教えたとおりに数を数えるまでは良かった。
だが、隠れた俺たちの周囲で、枝や根がざわざわと動いたと思うと、その後、迷いなく真っ直ぐこちらへ向かって歩いてきた。
ミツバはこの森そのものだ。その感覚を使ったのだろう。
「こら、根っこで探すのは反則!」
『ハンソク? なに?』
「やっちゃ駄目ってことだ。目で探せ」
『ねっこ、なし』
その次に俺が宙に浮いて樹冠の中に隠れていると、アイオリスが見上げた。
「飛ぶのも反則ではないのか」
「俺はいいんだよ」
「なぜだ」
『イズミ、ハンソク!』
まったく、公平な遊びというのは、意外と面倒くさい。
ミツバは一度決めた規則をちゃんと覚えていた。
鬼になっても根を使わず、俺たちが出した音や、倒木の陰から覗く服だけを探す。
隠れる側になれば、鬼が缶から離れるまで、動かずに待つようになった。
何度か繰り返すうちに、誰が鬼でも一方的には勝てなくなっていた。
「次で最後だ。俺が鬼をやる」
『イズミ、おに!』
「お前ら二人まとめて捕まえてやるよ」
アイオリスが、ミツバへ顔を向けた。
「相談してもよいのか」
「鬼に聞くな。さっさと隠れろ」
俺は黄金の缶へ背を向け、目を閉じた。
「いーち、にーい、さーん――」
ミツバの重い足音が、地面を震わせながら遠ざかる。
その途中で、音が不自然に消えた。
また若木になったらしい。
アイオリスの足音は、枯れた落葉を踏みながら、別の方向へ離れていく。
十まで数え、目を開けた。
朝の光が、木々の隙間から斜めに差している。
葉の生い茂った木。
立ち枯れた木。
倒れた木。
樹を隠すには森の中とはよく言ったもので、これだけ特徴的な森の中でも、若木一本探し出すのは難しい。
地中に俺の水を流して意識を伸ばせば、ミツバの根くらい簡単に見つけられると思う。
けれど、それではミツバが森としての知覚で探したのと同じだ。
「ルールを作った側が反則するわけにもいかねえよな……」
仕方なく、自分の目と耳だけで探す。
しばらく進むと、遠くで枝が折れた。
そちらへ目を向けた瞬間、倒木の陰にアイオリスの金髪が見えた。
「見つけたぞ、木こり野郎!」
アイオリスは返事をせず、倒木の向こうへ走った。
わざとらしい。
絶対、何か企んでいる。
だが、見つけたと宣言するには、顔を確かめた後、缶へ戻って名前を呼ばなければならない。
俺が距離を詰めると、アイオリスは一度だけ振り返った。
間違いなく本人だ。
「よし!」
俺は身を翻し、缶へ向かって走り出した。
アイオリスも倒木を飛び越え、後ろから追ってくる。
飛行禁止令が出たので足で走る俺と、元から人間をやめかけていたクソ馬鹿の競走だ。
「お前、遊びで本気出しすぎだろ!」
「勝負である以上、手は抜かない……たとえ君が相手であろうとも」
「生真面目か!」
黄金の缶が見えた。
俺の方が近い。
あと数歩。
アイオリスより先に缶へ触れ、名前を呼べば俺の勝ちだ。
その時、缶のすぐ横に生えていた小さな若木が、ぐらりと動いた。
「下からかよ!」
するすると幹と枝が伸び、根が左右へ分かれ、二本の足になる。
普通の葉の下へ畳まれていた三枚葉が開いた。
樹皮がなめらかな褐色の肌になる。
ミツバは遠くへ逃げず、最初から缶の傍に埋もれて隠れていたのだ。
アイオリスが俺を引きつけるまで、普段よりも小さな若木のフリをして。
『ミツバ、カン、ける!』
ミツバが缶を蹴るのは、これが初めてだ。
だが、俺とアイオリスがやるのを何度も見ていた。
ミツバの軸足の根が地面にがっちりと食い込んだ。
もう一方の足が、人間ではありえない角度と高さで後ろに持ち上がった。
「お、おい、ミツバーー」
『ワッハー!』
ミツバの足が凄まじい速度で弧を描いて蹴り上げられた。
轟、と嵐のような音が響いて、黄金の缶の端を、チュイン、と掠めた。
ガァン、と甲高い音が森へ響いた。
黄金の缶が、コマみたいに回転しながらすっ飛んで視界から消えた。
遅れて突風が巻き起こり、落葉と土埃が俺たちへ降りかかる。
「…………」
朝日の中に、黄金の輝点が見えた。
枯れた巨木の梢よりも高く舞い上がり、森の奥へ飛んでいく。
掠めただけであれかよ。どんだけ馬鹿力なんだ。
『カン、どこ?』
「見えないところまで飛んでったんだよ!」
「ミツバ、蹴る時は身体を曲げすぎない方がいい」
『まげない』
「お前は敵チームだからって、なんのアドバイスをしてんだよ!」
ミツバは俺とアイオリスを交互に見た。
『ミツバ、キコリ、かった?』
規則上は、隠れた側の勝ちだ。
それ以上に、ミツバは隠れ方も、待ち方も、アイオリスとの連携も、一つの作戦にまとめて俺を出し抜いた。
「……お前らの勝ちだよ。クソ、初日から連携かましやがって」
こんなのは、うちのちびどもの連携プレイ以来だ。奴らはもっとえげつないが。
『かった! たのしい! いいね!』
「ああ、君のお陰だ」
ミツバが両腕を上げた。枝の指先から新緑の若芽がいくつも生えてきた。
アイオリスも、珍しく満足そうに口元を緩めていた。
ちょっとだけ面白くないが、悪い気はしなかった。
少なくとも、こいつが何もできない、教えられるのを待つだけのガキじゃないことは分かった。
俺は黄金の缶が消えた方向へ浮かび上がった。
「ちょっと缶を取ってくるわ。お前はキコリとここで待ってろ」
『イズミ、とぶ。ハンソク』
「拾いに行く時くらい大目に見ろ」
『アブラオオメ!』
おい待て。どっからその言葉に繋がってきた。
「あのオタク野郎、マジでなに教えてんだよ!」
『ミツバ、キコリ、まつ』
「おい、アイオリス、こいつの傍を離れるなよ」
「無理に拾いに行く必要もないのでは?」
「うるせえ、不法投棄野郎。俺はお前と違って環境に配慮してんだよ」
黄金が飛んでいった方向へ、俺は枯れた森の上へ飛び出した。
最初は、いつもと何も変わらなかった。
巨木の間を抜け、折れた枝を越える。
目だけに頼って探すのは絶望的だが、あれには俺の水が這わせてある。
気配を辿ってみると思ったより遠い。
「はぁ」
吐く息はないが、口でため息を言って飛んでいく。
後ろを振り返っても、ミツバたちの姿は巨木に隠れて見えなくなった。
その頃になって、指先から水滴が零れ始めたことに気付いた。
「ん……なんだ?」
風に削られたわけじゃない。
形を作り直しても、また指の先から滴っていく。
振り返ると、飛んできた道に点々と小さな水たまりが出来ていた。
衣の丈がいつの間にか短くなっていた。
いや、待て。この感じ、まさか。
「離れすぎたのか……?」
俺が湖から離れて動けるのは、アイオリスとの繋がりがあるからだ。
旅の間も、あいつと多少離れたくらいでは何ともなかった。
だから、正確な限界までは考えていなかった。
けど、うっかりしていた。
この森は何もかもがあまりにもデカすぎる。
巨木を数本越えただけのつもりで、普段ならありえない高さと距離まで飛んでいたらしい。
「ちょ、まず――」
慌てて引き返そうとしたが、もう遅かった。
――ザァ、と視界が崩れた。
次の瞬間、俺の周囲の景色が一変した。
広く、深く、冷たく、暗い。
水の中にいる。
どこまでも、俺の水で満たされた場所。
ずっと底の方には、源流と繋がる湧き口がある。
間違いない。
ここはズミュルナ湖だ。
アイオリスはいない。
ミツバもいない。
「……やっべぇ」
ミツバには、アイオリスと待っていろと言ったばかりだ。
なのに俺は、一人でダイナミック帰宅をしてしまった。
<TIPS>
「黄金の葉杯」
世界樹の葉を巻いて形作られた器が、黄金へと変じ、不滅の器物となったもの。
その表面には鮮やかな葉脈とともに、由来不明のさまざまな意匠が刻まれている。
世界樹の森に伝わる秘儀において用いられる祭器とされる。
祭儀に際しては、森の最深部に至り、黄金の葉杯を大地へ突き立て、聖水を満たすべし。
しかるのち祭主は、天へ人差し指を掲げ、次なる聖句を三度唱えなければならない。
『Cānkeris Ruhit Cōno Iubito Māre』
さすれば、世界樹の大精霊が森のいずこかに姿を現すという。
参詣者は、大精霊に姿を見つけられぬよう森を進み、大精霊に先んじて
黄金の葉杯へ触れなければならない。
この試練を成し遂げた者には、豊穣と再生の加護が授けられる。
ただし、大精霊が先に参詣者の名を呼び、黄金の葉杯へ触れた場合、祭儀は失敗となる。
その者は、改めて森の試練を乗り越えるまで、帰還を許されない。
この一連の儀礼が何を象徴するのかについては、現在に至るまで、神学者たちの間で
議論が続けられている。




