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EX(118.15).『復世巡行記・世界樹の枯れ森』④ 〇★△◆

「ミツバ。お前のパパのところまで案内できるか?」


 呼び方の訂正は後だ。


 今は、ミツバと地下で眠る大精霊をどう生かすかを考えなければならない。

 水を運ぶにしても、土をどうにかするにしても、必要な量が分からなければ話にならない。


 何より、本人の状態を見てもいないのに、起こす方法を考えるのは順番が逆だ。


『パパのところ?』


「種になって寝てるんだろ。実際に見て、どれくらい水と土が必要なのか確かめたい」


 ミツバは地面へ目を落とした。

 足元からほどけた細い根が土の中を探り、地中に残る世界樹の根へ触れた。


 それから、森の中心に開いた大穴を指差した。


『した。ずっと、した』


「あの遺跡の奥か」


『うん。でっかいたね、パパ、ねてる』


 どうやら、先ほど俺とアイオリスが入った場所より、さらに奥があるらしい。


「よし。案内してくれ」


『うん』


 ミツバは嬉しそうに頭上の三枚葉を開いた。


 そして、俺とアイオリスが落ちた大穴へ向かい、何のためらいもなく根の足を踏み出す。


「待て待て待て! お前、そのまま降りる気かよ!」


『パパ、した』


「下にいるのは分かったけどよ。足元、崩れたばっかりだからな?」


 ミツバは首を傾げた。

 俺の心配が伝わっているのか怪しい。


 だが、根の足がするする伸びて崩れた斜面へ食い込み、ミツバの巨体を支えた。

 一本ずつ根を伸ばし、岩と枯れ木を掴みながら、地上を歩くみたいな気軽さで、深い穴の底へ歩いて降りていく。


『ヨユウ』


「先にそれを見せろよ。心配して損しただろうが」


「行こう、イズミール」


 アイオリスが当然のように俺へ手を差し出す。


「お前は自分で降りろよ」


「先ほど、君が離れるなと言った」


「落ちた時の話だろ!」


 差し出された手を無視して飛び降りるのも、それはそれで俺が意識しているみたいで腹が立つ。


 仕方なくアイオリスを抱きかかえ、二人で宙へ浮かんだ。


 下では、先に着いたミツバが、根に埋もれた門の前で手を振っていた。


 抱えられたまま小さく手を振り返すアイオリスを見て、一瞬、落っことしてやろうかと思った。


※※※※※


 五メートルはありそうな巨大幼女でも、古代人の遺跡なら狭くはなかった。


 少し離れて見れば、遺跡の中を歩く小柄な幼女にしか見えない。

 妙に危なっかしい光景だ。


 こっちはその幼女の足元をちょろちょろと動き回る小人サイズなんだが。


「ミツバ、道を覚えているのか?」


 アイオリスが尋ねると、ミツバは首を横へ振った。


『パパ、いる。ねっこ、ある。わかる』


 遺跡の構造や道順を覚えているわけではないらしいが、根を辿っていけばいいらしい。


「私が先に行こう」


 アイオリスが斧を背負い直し、俺たちの前へ出た。


「水が戻ってきたことで、脆くなった箇所があるかもしれない」


「おい、そういう不吉なこと言うな」


『フラグ』


「お前はどこで覚えた」


『パパ』


「あいつに言いたいことがまた増えたわ」


「とにかく、危険に備えておくに越したことはない」


「はいはい、なんか気付いたら言えよ、無茶すんじゃねえぞ」


「君に言われたくはない」


「無駄口をきくな、さっさと行け」


 アイオリスは振り返らず、そのまま先頭を進んだ。


 ミツバが俺を見下ろす。


『なかよし』


「違う。あいつがいちいち面倒くせえだけだ」


『テェテェ』


「よし、その言葉は一旦忘れろ」


 暗い通路へ入ると、ミツバの身体から淡い緑色の光が滲んだ。

 俺の水色の光と混ざり、石壁へ揺れる影を作る。


 アイオリスは前方の床や天井を確かめながら進み、俺はミツバと並んで、その後を追った。


 並んでいると言っても、俺の頭はミツバの膝にも届かない。

 隣を木造建築物が歩いているようで落ち着かないので、顔のあたりまで浮いていくことにした。


 さっき俺たちが通った時には乾いていた床の溝に、今は細い水が流れている。

 源流へつながっているらしい縦穴が、呼び水を得て少しずつ動き始めたようだ。


 流れと言うには頼りないが、水は途切れず、暗い通路の奥へ続いていた。


 溝を流れる水を見つけて、ミツバが、ぴたりと足を止めた。


 ミツバの足元の根の先が、吸い寄せられるように水へ向かう。


 だが、触れる寸前で止まった。


 ミツバは枝のような両手を胸の前で合わせた。


『イタダキマス』


「おお……」


 異世界産人外幼女から飛び出す日本語に、懐かしいような、気恥ずかしいような、何とも言えない気分になった。


 ミツバの根の先端が水に浸かった。

 溝を流れていた水が、細い根へみるみる吸い込まれていく。


 垂れていた頭上の葉が持ち上がり、若草色の髪にも少し艶が戻った。


『ゴゾウロップに、しみわたるぅ』


「お前に五臓六腑あんのか?」


『ゴゾウロップ?』


「意味は知らねえのかよ……」


 ミツバは水を吸い終えると、根を引き抜いて、もう一度、枝の手を合わせた。


『ゴチソウサマ』


「それもパパに教わったのか?」


『うん。たべるまえ、イタダキマス。たべたあと、ゴチソウサマ。ちゃんとする』


「そこだけは、まともな教育してるじゃねえか」


『パパ、いう。ミツバ、する』


「パパ自身はやらなかったのか?」


『パパ、手、ない』


「……そういや、森そのものなんだっけか」


 教えるだけ教えて、自分ではできなかったらしい。


 今のところ、残念さが勝っているが、人としての常識らしきものも残っていたようだ。


 ミツバが両手を合わせ、目を閉じる仕草を見て、少し前の光景を思い出した。


 アイオリスの仲間の骨を埋めた時、俺も同じように手を合わせた。


 あれは、死んだ者を送るため。

 ミツバの礼は、これから自分の一部になるものを受け取るため。


 死者を送る時も、生きるための糧を受け取る時も、俺たちは同じ形に手を合わせていた。

 それが、俺一人の記憶にしか残っていない作法ではなかったことが、妙に嬉しかった。


「今の言葉には、どのような意味がある」


 アイオリスが立ち止まって尋ねてきた。


「食う前と食った後の挨拶みたいなもんだよ。俺の故郷にあった」


「祈りのようなものか」


「まぁ、そんなとこだ」


 ミツバは、また歩き始めた。


 少し進むと、以前見た壁の浮き彫りの前で止まった。


 種を収めた枠を囲み、大きな人々が水を注いでいる絵だ。


 ミツバは枝の指で、浮き彫りを指した。


『ドウジンシ』


「違う。壁画だ」


「浮き彫りだ」


「細けえな!」


『カイシャクイッチ』


「何の解釈が一致したんだよ!」


「今の言葉も、君の故郷のものか」


「そうだけど、説明したくねえ……」


 よりによって、どうして残念な単語ばかり正確に残っているんだ。


 顔も知らない同郷人への親近感が湧きかけるたび、絶妙な角度から泥を投げつけられている気分になる。


「お前のパパ、いつもそんな話をしてたのか?」


 ミツバは浮き彫りの大きな人影を、枝の指でなぞった。


『パパ、おはなし、いっぱい』


 ミツバは頭上の若枝を揺らしながら答えた。


『ミツバ、きく。パパ、うれしい。パパ、わらう。ミツバも、わらう』


「一人で喋って、一人で笑ってたわけじゃないんだな」


『いっしょ。ミツバ、いう。パパ、こたえる。パパ、いう。ミツバ、こたえる』


 俺は森の泉で、ミツバのパパは森そのもの。


 たぶん、俺と同じで自由に動き回れなかったんだろうと思う。

 そいつも人と言葉を交わせず、誰にも自分を見つけてもらえないまま、独りで過ごしていたのかもしれない。


 けど、そいつは自分の言葉を聞き、返事をする相手を造った。

 呼ばせ方も、教えた語彙も相当に残念だが、気持ちはわかる。


 まだ泉でしかなかった頃の俺が同じ方法を知っていたら、真っ先にそうしていただろう。


 自分の存在を見つけてくれて、返事があるだけで救われることはある。

 俺はそれを得るのに随分と時間がかかった。


「黒いのが来た時、パパはどうした」


 俺が尋ねると、ミツバの葉がしおれた。


『くろいの、こわい。パパ、いたい、くるしい、いってた』


 枝の両腕が、自分の身体を抱く。


『パパ、ミツバ、ちっちゃくして、たねにした』


「君を守るために、先に眠りにつかせたのか」


 アイオリスが見上げた先で、三枚の葉が少しだけ起き上がった。


『あとで、おこす。パパ、いった』


 巨大な身体に似合わない幼い声が、暗い通路へ響いた。


『ねんね。おきたら、パパ、いる』


 黒禍が森を呑み始めた時、大精霊はミツバを種に戻して隠した。


 そして、自分も種になってやり過ごそうとした。


 そういうことなんだろう。


 大精霊は、約束どおりミツバを起こした。


 だからミツバは、疑っていない。

 自分と同じように、水と土が揃えばパパも起きると信じている。


 相当終わった趣味をしていたのは間違いない。

 それでも、自分の造った相手を使い捨てにしたわけではなさそうだ。


 こいつの話を聞く限り、少なくともミツバにとっては、よく喋り、よく笑うパパだった。


 俺以外にも、同じ世界から来た奴がいた。


 顔も名前も知らないが、会ってみたいと思った。


 生きていた時代が同じとは限らない。

 だが、起きたら漫画やゲームの話くらいは通じるかもしれない。


 いきなり異世界に連れてこられて、人外にされた愚痴だとか。

 気づけば、子どもみたいなのができて、親なんてものをやっていることだとか。


 そういう話ができる相手だったら、多少変な奴でも構わない。


 そんなことを考えながら、俺はミツバの後を追った。


※※※※※


 井戸のある大広間を越えると、ミツバは根に塞がれた脇道へ進んだ。


 枝の手が触れると、絡み合った根がゆっくりと解けていく。


 その先にも、床の水路は続いていた。


 だが、奥へ進むほど水は細くなる。


 代わりに、石の隙間を白い糸のようなものが這い始めた。

 枯れた根の陰には、白く小さな茸が幾つも傘を出していた。


 俺が水を戻してから、生えてきたものとは思えない。

 黄金化される以前から、もう生えていたのだろう。


 通路を伝う根の量が増えていく。


 初めは壁に張り付く程度だったのが、やがて床も天井も覆うようになった。


『パパ、もうすぐ』


 ミツバが弾んだ声を上げた。


 水のなくなった溝を跨ぎ、根の塊で塞がった門の前に立つ。


 ミツバが進み出ると、干からびた根が音を立てながら開いていく。


 その向こうには、巨大な広間があった。


 広間は、俺たちが通ってきた通路よりも、さらに巨人の尺度で造られていた。

 柱は太く、天井は闇の中へ消え、左右の壁も俺の光では端まで照らせない。


 床には同心円状の水路が刻まれ、奥には何段もの石を積み上げた巨大な壇があった。


 無数の根が壇を覆い、石段を越えて床まで伸びている。


 壇上には、巨大な種が鎮座していた。


 ミツバよりも、遥かに大きい。

 俺たちを見下ろしていたミツバが、その前では小さな子どもに見えた。


「……」


 アイオリスが何も言わずに近づいてきた。

 俺は言葉を返さず、壇上を見上げた。


 種の表面は、干からびた樹皮のような殻に覆われていた。


 根元に近い一部だけが、僅かに湿り、薄い緑色を残していた。

 それ以外は、黒く抉られた痕と、浄化されて色を失った白い断面に覆われていた。


 その種は、半分以上が欠けていた。


 割れた殻から覗く中身はほとんどが空洞で、朽ちた断面には白い茸がびっしりと生えていた。


 底からは無数の根が伸びている。

 だが、芽はどこからも伸びていなかった。


 それはもう、芽吹きを待つ種には見えなかった。

 根を広げたまま朽ち始めた、巨大な骸だった。


挿絵(By みてみん)


 ミツバは迷わず駆け出した。


 根の足が石床を叩き、重い音を響かせる。


『パパ!』


 石段を駆け上がって、巨大な種に両手をついた。


『ミツバ、おきたよ。おみず、きたよ』


 広間に、ミツバの声が響いた。


 返事はない。


『パパ?』


 ミツバは殻へ耳を押し当てた。


『ねぼすけ』


 冗談を言うように笑い、枝の指が殻を叩く。

 乾いた音が響き、小さな茸が音もなく落ちた。


「……ミツバ。水を流してもいいか」


『うん。パパ、おこす』


 俺は石段を上がり、ミツバの隣へ立ち、種の表面へ手を当てる。


 ひどく乾いていた。


 手のひらから、ごく少量の水を流す。

 水は殻の亀裂へ入り込み、朽ちた木質へ染み込んでいった。


 だが、何も返ってこない。


 まるで穴の開いた器へ注いでいるように、水は入った端から裂け目へ流れ出した。


 もう一筋だけ水を重ねると、ぐずぐずに脆くなった木質が崩れた。

 湿った破片が、茸と一緒にぼろぼろと石床へ落ちる。


 黒禍の気配は残っていない。

 完全に浄化されている。


 だが、何もかもが元通りになったわけではなかった。


『パパ、ねてる?』


「待て。まだ分からねえ」


 今度は場所を変え、崩れないよう、ほんの少しだけ水を増やす。

 根元の僅かに湿った部分へ触れた時、初めて何かが動いた。


 床を這っていた一本の根が、水を求めるように持ち上がる。


「生きた根がある」


 俺はさらに水を送った。

 乾いていた根の一部へ、ゆっくりと色が戻っていく。


 だが、種の殻は干からびたままだった。裂け目も閉じず、芽が生まれる気配もない。


 種には何の変化もないのに、ミツバの頭上では、三枚の葉が瑞々しく開き始めていた。


 アイオリスの視線が、種とミツバの間を往復する。


「イズミール」


 隣へ来たアイオリスの手が俺の肩へ触れ、意識に直接言葉が届いた。


(その水は、どこへ向かっている)


(どこって、そんなの、この野郎に決まって――)


 意識を根の先へ伸ばす。


 水は、種の中心へは向かっていなかった。


 生き残った一本の根を通り、壇の下を抜け、ミツバの根へ流れ込んでいる。

 大精霊は、与えられた水を自分へ残していない。

 ミツバを先に起こした時と同じように、今も子どもへ送り続けている。


(大精霊から、何か反応はあるか)


(……ない。何も返ってこねえ)


 起きたら、何を言ってやろうかと考えていた。

 漫画やゲームの話をして、この世界へ来た時の愚痴を言い合って。

 趣味の悪さを散々からかってやるつもりだった。


 けれど、俺の言葉に返事をする相手は、もう残っていなかった。


『パパ、おきる?』


 ミツバが俺を見た。

 俺は、すぐには答えられなかった。


 種の亀裂から、湿った木屑が零れ落ちた。

 石床には黒く柔らかな土が積もり、その上を茸が覆っていた。


 ミツバの根が動いた。

 細い根が、茸の生えた黒い土の中へ潜り込んだ。


 土の中を走る白い菌糸が細くしぼみ、その先にあった茸の傘がゆっくりと萎れた。


『……おいしい』


 ミツバの三枚葉が、瑞々しく開いた。


 土の中から根の先が顔を出し、次の土を探すように蠢く。


 その瞬間、ミツバが自分の根元を見た。


『あ』


 慌てて根を引き抜く。


『だめ。これ、パパの』


 ミツバは屈み込み、黒い土を手で集め、種の根元へ押し戻していった。

 節くれだった太い指では、細かな土を上手く扱えない。

 掬うたびに指の間から零れ、それでも何度も集めては戻す。


『パパ、おいしいつち、いっぱい』


 崩れた木の欠片まで拾い、種の下に盛った。


『おみずも、いっぱい。そしたら、おきる』


 違う。


 ミツバはまだ、その土が何からできたものなのか知らない。

 自分が吸った土をパパへ戻せば、また起きるのだと思っている。


 俺はミツバから少し離れた。


 何かを言おうとして、口を開く。


 言葉は出なかった。


 代わりに、隣にある手を探った。


 指先が触れる。


 アイオリスは何も言わず、俺の手を握った。


 硬い指が、逃がさないように重なる。


 俺はその手を握り返した。


(……あれ、もう起きねえよな)


(ああ。根はまだ生きている。だが、君が会おうとしていた彼が、再び返事をすることはないだろう)


(あいつ、起きるって信じてるぞ)


(今は、私たちも知ったばかりだ)


(……俺、言えねえよ)


 握った手に力が入る。


 ミツバは大きくて幼い身体を屈め、零れた土を一粒ずつ親のもとへ戻している。

 あれを見ながら、お前のパパはもう死んでいると、どう言えばいい。


 お前が飲んでいる水も土も、パパがお前へ残そうとしているものだと。

 今のミツバが、それを理解できるとは思えなかった。


 ――いや。ミツバに理解できるかどうかじゃない。


 俺が、伝えるのがつらい。


(私たちは、あの精霊が何を残そうとしているのかさえ、まだ知らない)


(……だからって)


 アイオリスの指が、俺の手を強く握った。


(それでも、君一人で答えを出す必要はない)


 俺は手を離さなかった。


 アイオリスも離さない。


 少しだけ呼吸を整えてから、ミツバへ声をかけた。


「ミツバ」


『ん』


 ミツバが無邪気な顔で振り返った。

 ざわざわとした葉擦れの音が、広間の静寂の中に溶けていく。


 俺は種の下へ続く根を見た。


「水がどれくらい必要なのか、もう少し調べる」


『おみず、いっぱい?』


「まだ分かんねえ。だから調べる」


『おいしいつちも?』


「それもだ」


 嘘ではない。

 だが、肝心なことを言えてもいない。


 少なくとも、ミツバが何を「おいしい」と感じているのかは分かった。


 残った一本の根が、誰を生かそうとしているのかも。


 ミツバは嬉しそうに頷いた。


『パパ、まってて』


 土を押し戻し終えると、大精霊の種を見上げた。


『ミツバ、おいしいつち、いっぱい、みつける』


 大精霊の種から、芽は出ていなかった。


 ミツバは、パパを起こすために、かつてパパだった土を返していた。


 その土の下で、辛うじて生き残ったパパの根は、自分ではなく、ミツバへ水を送り続けていた。

<おまけ>

118.15+.彼の森、森は彼 ◆

(世界樹の森へ黒禍が広がる以前の話)


◆◆◆◆◆


 目が覚めた時、無数の葉の隙間から、二つの月が浮かんでいるのが見えた。


 それを見た瞬間、頭に浮かんだ言葉は一つだった。


 ――異世界転生キタコレ!


 けど、すぐに思い出した。


 俺は、ここへ転生してきた人間本人じゃない。

 日本人男性の精神と記憶の一部を転写され、この森の精霊核として生まれた別の存在だ。


 あのふざけたメールには、そう書いてあった。


 精神貸与。記憶転写。精霊核。

 読めば読むほど怪しく、返信も拒否もできず、しかも処理は既に完了済み。


 俺の元になった人間は、今も元の世界で継続稼働中らしい。

 今日も会社へ行き、クソみたいな仕事をし、帰宅後に積みゲーを消化しているのだろう。


 俺はそいつの複製みたいなものだ。


 だから何だ、とも思う。


 漫画の展開を思い出せば今でも面白いし、巨乳美少女は大正義だと思う。

 ゲームで徹夜しながら食べたカップ麺の味は、舌も胃袋もない今でも思い出せる。


 記憶が借りものでも、今それを楽しいと思っているのは俺だ。

 なら、もう俺の趣味で、俺の精神ということでいいだろう。

 ここにいる俺が楽しいと感じる気持ちまで偽物になるわけじゃない。


 問題は、楽しいことを話す相手がいないことだった。


 俺は森だ。


 一本の木ではなく、空を覆う枝葉も、土の下で絡み合う根も、森を形作る無数の木々が、全部まとめて俺だった。


 鳥は鳴き、獣は吠える。だが、どれも俺へ向けられた言葉ではない。

 俺が話しかけても、声は枝葉のざわめきにしかならず、会話にはならなかった。


 あまりにも空しい。


 そこで思い出したのが、メールに記されていた《精霊体創造(木)》だった。


 自分の意識を集中させる器――精霊体を造れるらしい。


 説明には「意識の焦点/分体として使用可能」とあった。

 分体というくらいなら、必ずしも俺の意識を全部入れる必要はないはずだ。

 俺自身の意識はほとんど移さずに育てれば、俺とは別の意志を持つ存在になるかもしれない。


 コストが激重で、一度しか作れないのなら、妥協はできない。

 どうせなら、とびきりの美少女がいい。


 緑の髪。褐色の肌。花模様の瞳。手足には蔓。頭には若葉。

 胸は盛れば盛るほど健康にいいので盛った。反省していない。


 話し相手の外見が好みであって何が悪い。


 谷間を楽しめるよう、服は露出多めに。体格は小柄にする。

 森の木々より、ずっと小さくて守ってあげたくなる感じ。


 パーフェクト。

 これぞ俺の嫁だ。


 俺は森じゅうから元素霊子を集め、精霊体を組み上げた。


 地面から幹が伸びた。


 根は二本の脚となり、枝は腕となり、若葉が身体を覆っていく。

 樹冠から緑の髪が流れ落ち、最後に整った顔が現れた。


 俺は近くの幹の根元へ視界を寄せ、彼女を見上げた。


『でっかぁ……』


 小柄とは何だったのか。

 ローアングルたまんねぇってレベルじゃなかった。


 周りにとんでもない巨木しかなかったせいで、俺の尺度は完全に壊れていたらしい。


 当然、胸もでっかい。尻もでっかい。

 なら、お得だと思っておこう。


 巨大美少女。

 そういう属性も、それはそれでありではないだろうか。


 むしろ、新たな扉が開きそうだった。


『私は、大きいのですか?』


 彼女は不思議そうに辺りを見回した。


 俺とは別の意志を持つ存在になってほしいとは思っていた。

 それでも、生まれた瞬間から、俺の用意していない問いを返してくるとは思わなかった。


『あなたは、どこにいるのです?』


 どこにいる、と聞かれて、少しだけ考えた。


 日本にいる元の男ではない。


 ここにいる俺は、この森だ。


『ここだ』


『ここ?』


 彼女が、傍にあった幹へ手を当てる。

 触れられた場所から、ぽん、と若芽が開いた。


『そこも俺だ』


『では、こちらは?』


 彼女が別の木へ触れる。

 その幹から伸びた細い蔓が、彼女の指へ絡んだ。


『それも俺』


『この下の根も?』


『全部俺だ。というか、根を踏むな。変なのに目覚めそうだ』


『大きなねぼすけさん、ですね』


 彼女は楽しそうに笑った。


 つられるように、森のあちこちで若芽が開いた。

 初めて俺へ返事をする相手ができたせいなのだろう。

 自分でも驚くほど、森全体が浮かれていた。


 なるほど、これは目覚めるわ。


『私は、何をすればよいのでしょう』


 今度は高い枝へ視界を移し、小首を傾げる彼女を見下ろした。


 やましい気持ちはもちろんある。

 だが、その時は、彼女の姿を見ることより、俺へ返事があったことの方が嬉しかった。


『俺と話をしてくれ。一緒に笑って、面白くなかったら面白くないと言ってくれ』


『それだけでよいのですか?』


『今はそれが一番嬉しいな』


 彼女は少し考えてから、こくりと頷いた。


『分かりました。では、何とお呼びすれば?』


『むむむ……難問きたな……パパ、主様、お兄ちゃん、旦那様……どれも捨て難い』


『いっぱいあるのですね』


『夢の数だけあるもんなんだ』


『分かりました、パパ、アルジサマ、オニイチャン、ダンナサマ』


『いきなり全部の夢を叶えんな』


 彼女が声を上げて笑った。


 その声で枝が揺れ、鳥たちが一斉に飛び立つ。

 俺も葉を鳴らして笑った。


 しばらく話していると、彼女は水が欲しくなったのか、水辺へ根を伸ばした。


『待て。飲む前に、手を合わせろ』


『こうですか?』


『そう。それで、いただきます』


『イタダキマス』


 根が水を吸い上げる。

 髪の葉が瑞々しく開き、花模様の瞳が輝いた。


『どうだ?』


『お水、おいしいです』


『そういう時は、五臓六腑に染み渡る、って言うんだ』


『ゴゾウロップに、しみわたります』


『そうそう。お前に五臓六腑があるかは知らんけど。

 で、飲んだあとはだな、ご馳走様だ』


『ゴチソウサマ……これはなんですか?』


『食べる前と後の挨拶みたいなもんだ。俺には合わせる手がないし、一人で言うのも空しいから、いつの間にかやらなくなった』


『あなたは、しないのですか?』


『代わりにお前がやってくれ』


『分かりました。二人分、ちゃんとします』


 彼女は手を合わせたまま、少し考えるように首を傾げた。


『ところで、私はオマエというのですか?』


 俺は答えに詰まった。


 外見を考えるのに夢中で、名前を後回しにしていた。

 いざ意志を持って話す彼女を前にすると、キャラクター名を入力するような気軽さでは決められなかった。


『まだ決めてない。一緒に探して、お前が気に入ったものにしよう』


『それなら、いっぱいください』


『なんだと? いくつだ、いくつ欲しいんだ、このイヤしんぼめ』


『夢の数だけ?』


『ハハハ、こやつめ』


 それから俺は、彼女に故郷の作法を教えた。

 役に立たない雑学やミーム、漫画やアニメやゲームの話を、思いつくままに聞かせた。


 彼女が生まれた日から、森は前よりもずっと騒がしくなった。


 俺が話せば、彼女が答える。


 彼女が笑えば、俺も枝葉を鳴らして笑った。


 森は俺だった。


 けれど、その森に、初めて俺ではない彼女の声が響くようになった。


 俺の異世界生活は、やっと楽しくなってきた。

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