EX(118.14).『復世巡行記・世界樹の枯れ森』③ 〇★△
『でっかぁ……』
目の前の地面からいきなり生えてきたクソデカ幼女と、俺の声が重なった。
言葉は通じるらしいが、どうにも色々噛み合っていない。
「いやいや、でかいのはお前だろ。何食ったら、そんな育ち方すんだよ」
花模様の浮かぶ、まん丸な瞳がぱちくりと瞬いた。
『でかい?』
「俺はそんなにデカくねえだろうが」
『でっかい』
噛み合っていないのは、話だけじゃなかった。
こいつ、俺の顔じゃなくて、胸の辺りを見て喋っていないか?
「おい、どこ見て言ってんだ」
巨大幼女は首を傾げた。
若草色のモサモサの髪と、頭から生えた葉っぱが一緒に揺れた。
『でっかい。おみず、いっぱい』
屈んで覗き込む姿勢だった巨大幼女が、背を伸ばし、両腕を広げた。
ギシギシと重たい音が響く。生身の体から出る音じゃない。
『ちいさい。みず、ずっと、でっかい』
「そっちかよ」
なるほど、俺の水パワー的なものを見ているのか。
だと思ったのに。
『おむね、いっぱい、でっかい』
「そっちもかよ!?」
アイオリスが小さく咳き込んで、斧を下ろした。
どうやら、あいつにも言葉が通じているようだ。敵意はないと判断したらしい。
それでも、いざとなれば俺と少女の間へ割って入れる位置からは動かない。
相手が子どもみたいな顔をしていようが、俺より三倍近くでかければ、警戒するのも分からなくはない。
『おみず……』
一方で、警戒されている方はまるで無警戒だった。
そこにいるのは、お前ら木の天敵の木こりだぞ。
しかも、鬼畜のケダモノ野郎だ。ちょっとは警戒しろ。
ともあれ、こいつが何者なのかは、まだ分かっていない。
アイオリスから、この森には花神とか、樹木の大精霊がいたという話を聞いている。
見た目だけなら、どちらでもおかしくない。
いや、花っぽくはないか。今はオフシーズンなのかもしれない。
「お前、花神って奴か?」
『ちがう』
巨大幼女は首を横へ振った。
ざわざわと葉擦れの音がした。
『かしん、しらない』
「知らねえのかよ。じゃあ、世界樹の大精霊の方か?」
『ちがう』
「そっちでもねえのかよ。なら、誰なんだお前、どこの子よ」
俺は腕を組み、改めて巨大幼女を見上げた。
地下の水路へ水を流した直後、こいつは枯れた根から生えてきた。
足が根でできていて、葉まで生えている。
樹木の精霊であることは間違いないだろう。
だが、世界樹の大精霊そのものではないという。
たまたま生えてきた一般巨大幼女精霊だとでもいうのか。
そんな幼女がそうそう居てたまるか。
そもそも、精霊というものを人間と同じように、一つの身体へ収まった生き物として考える方が間違っているのかもしれない。
俺は水だ。
今は、この身体に意識が収まっているけど、水であることに変わりはない。
こうして離れた場所にいても、聖地の湖や、そこからつながった水は全部俺だ。
なら、樹木の大精霊も同じなんじゃないか。
どれか一本の木や、一つの人型、龍の身体へ収まる存在ではない。
この巨大な森と、土の下へ広がった根の網そのものに近い意識だとしたら。
目の前のこいつは、そこから分かれた別の存在なのかもしれない。
ミュルナたちみたいに、俺とは別の身体と心を持って生まれてくる精霊もいる。
「じゃあ、お前は、世界樹の大精霊の子どもみたいなもんか?」
巨大幼女は、自分の胸元へ両手を当てた。
葉に覆われた胸元を見下ろし、何やら一生懸命考えている。
「大精霊が、お前を造ったのか?」
頭上の若枝が、勢いよく跳ね上がった。
『つくった。そう! わたし、パパがつくった!』
ギシギシと太い枝が軋むような音が響いて、一瞬ビビった。
だが、アイオリスが動く様子はない。なら大丈夫なんだろう。
「その大精霊を、君は何と呼んでいた?」
アイオリスの問いに、巨大幼女は嬉しそうに葉を広げた。
『パパ!』
なるほど。
男の精霊がいたっておかしくはない。
やはり、そいつも自分の子どもとして考えていたのだろうか。
そう思っていたら、巨大幼女は続けた。
『アルジサマ』
「……ん?」
今度は意味が流れ込んでこなかった。
代わりに、聞き覚えのある音だけが、そのまま耳へ届いた。
『オニイチャン』
待て。流れが変わったぞ。
『ダンナサマ』
「ちょっと待てぇ!」
思わず叫ぶと、巨大幼女は素直に口を閉じた。
アイオリスが怪訝な表情で俺を見る。
「どうした」
「どうしたもこうしたもあるか。今の、聞いたか? どう思った」
「言葉の意味は分からないが、幾つもの呼び名があるものだな、と」
そうか、こいつには伝わってないのか。
この世界での意思疎通の仕組みは、いまだによく分からない。
さっきまでの幼い言葉は、いつものように、音より先に意味が流れ込んできた。
アイオリスや、他の精霊と話す時も同じだ。
普段の会話では、声の音へ意味が重なるようにして伝わってくる。
アイオリスの言葉も、他の精霊の言葉も、俺が元の言語そのものを知っているわけではない。
だが、今の呼び名には意味が伴っていなかった。
音だけが、翻訳もされず、そのまま届いた。
俺が生まれた国で使われていた音だ。
日本語だった。
「イズミール。君はあの言葉を知っているのか」
「……俺の故郷の言葉だ」
アイオリスが息を呑んだ。
巨大幼女は何も分かっていない顔で、ぎしりと首を傾げた。
「おい。さっきの、もう一回最初から言ってみろ」
『パパ。アルジサマ。オニイチャン。ダンナサマ』
発音まで同じだった。
胸の奥を、強く掴まれたような感覚があった。
懐かしい。
懐かしいのだが――よりによって出てきた言葉がこれかよ。
「今挙げた呼び名は、すべて同じ一人を指すのか」
アイオリスが尋ねる。
俺は言葉の意味を、解説するのにためらいを覚えた。
「あー、それは、なんつーか、名前と言うより、立場、的な……?」
「尊称、役割のようなものか」
駄目だ、こいつの真面目フィルターを通すと、まとも呼び名と錯覚しそうになる。
いや、そんなわけあるか。
巨大幼女は根でできた足元を指し、何でもないように頷いた。
『おんなじ。わたし、よびかた、パパ、きめる』
「選択式だったのかよ!?」
巨大幼女精霊に、その日の気分に合わせて全部呼ばせていたのか。あれを?
どういう性癖してやがるんだよ。俺にどう説明しろって言うんだ。
顔も知らない相手だというのに、同じ国で生まれた者として猛烈に恥ずかしくなってきた。
いや、同郷人だからこそ恥ずかしい。
まったくの異文化なら、理解できなくても仕方がない。
だが、俺には分かる。
そいつがどういう欲望を、どういう順番で盛ったのかまで、おおよそ想像できてしまう。
「お前のパパだか旦那だか、相当終わってんな……」
口にしてから、俺は黙った。
俺も、人のことをとやかく言える身分だろうか。
なにしろ、今のこの身体は、俺の性癖を詰め込んだ全部盛りだ。それも特盛で。
何の因果か今では俺自身の身体になっているが、もしこの身体に、俺とは別の人格が宿っていたなら――。
好きな台詞を言わせ、あんなことやこんなことをさせていたかもしれない。
顔も知らない同郷のオタク野郎へ、全力で石を投げられるほど潔白かというと怪しい。
「……いや。俺が言えた義理じゃなかったわ」
『パパ、わるい?』
巨大幼女は頭の葉をしんなりと垂らし、俺を見ていた。
そこにあるのは、責められた意味さえよく分かっていない目だった。
「ごめんな。お前が悪いわけじゃないんだ」
なるべく、はっきりと言った。
こいつに罪はない。そこは分けて考えなくちゃ駄目だ。
「お前がそいつを大事に思ってることは、悪いことじゃない。
覚えてる言葉の意味は、後で一個ずつ教えてやる。
そいつがどういう野郎かは、起きてから本人に聞く」
『パパ、おきる?』
「それを確かめに来たんだよ。今は、お前の話を聞くのが先だな」
アイオリスが巨大幼女を見上げ、それから俺へ目を向けた。
「話を続けるなら、彼女を呼ぶための言葉が必要ではないか」
「ああ。ずっと、お前って呼ぶわけにもいかねえか……。
けど、変に名前を聞き出すのはまずいよな、たぶん」
「では、話す間だけの呼び方を、彼女と決めるのはどうだ」
「そうするか」
アイオリスは斧の刃先を下げ、巨大幼女へ向き直った。
「君や大精霊の真の名は、告げなくていい。
私たちと話す間だけ使う、仮の呼び名を決めても構わないだろうか」
巨大幼女が瞬きをする。
「君が嫌ならばやめる。君自身が決めてもよい。私たちのことも、好きに呼んでくれて構わない」
いつもの仏頂面より、ずいぶん柔らかな表情と口調だ。
聖地で暮らすうち、ミューズやリディアを相手にして身につけたらしい。
俺にはぞんざいなままのくせに。
ずるいぞ。俺にも優しくしろ。
巨大幼女はしばらく考え、こくりと頷いた。
『よぶ、ことば。いいね』
「じゃあ、ええと……芽が出たばっかりだから、若芽。ワカメとか」
『ワカメ』
「……ワカメとは、どういう意味だ」
「俺の故郷じゃ、海の中に生えてる草みたいな奴でもある」
「樹木の精霊を、海藻の名で呼ぶのか……」
「おい、いちいち文句をつけるなよ! 考えにくくなるだろ!」
「前から思っていたが、君の名付けは、少々雑なところがある」
ヤロウ……タブー中のタブーに触れやがった……。
俺は無礼な木こり野郎の脛を蹴飛ばそうと思ったが、子どもの前なのでやめておいた。
後で絶対に蹴るが。
「……今のなし」
『ワカメ』
「なしだって言ってんだろ!」
このままだとワカメで定着しかねない。
じゃあ、木の子だし、キノコはどうだ……?
そんなことを考えていると、木こり野郎が顔を上げた。
「イズミール。あのような三枚の葉を、君の故郷の言葉では何と言う」
アイオリスが、巨大幼女の若草色の髪のてっぺんを指した。
もさもさした髪の上で揺れる若い枝に、他の葉とは色合いの違う葉が三枚ついていて、確かに目につく。
三枚の葉を見て、聖地で使われ始めたミューズの紋を思い出した。
水と木で、成り立ちはまるで違う。
それでも、一つの枝から三枚が並んで開く姿は、少しだけ似て見えた。
「三つ葉……ミツバだ」
伝わるかは分からないが、日本語の音を意識しながら言い直す。
『ミツバ?』
巨大幼女は枝の指で、頭の三枚葉へそっと触れながら、俺が口にした言葉を繰り返した。
『ミツバ……』
もう一度、確かめるように繰り返す。
『ミツバ。よぶ。いいね』
頭上の三枚葉が、大きく開いた。
どうやら気に入ったらしい。
「では、ひとまずミツバと呼ばせてもらおう」
アイオリスが、決まったばかりの仮称で巨大幼女を呼んだ。
頭の若枝が、その声の方へ傾く。
「ミツバ。君を造った者は、今どこにいる?」
ミツバは足元を見下ろした。
根でできた足の先が、乾いた地面へゆっくり沈んでいく。
『パパ、した』
枝の指も、真下を示した。
『たね。ねてる』
俺とアイオリスは顔を見合わせ、揃って足元を見た。
「種?」
『したで、ねてる』
種というのが比喩なのか、本当に巨大な種の形へ戻ったのかは分からない。
ただ、大精霊が地下にいるのは確からしい。
「お前も、さっきまで寝てたのか?」
『うん。わたしも、たね。ちっちゃくなった』
ミツバは胸の前で両腕を丸め、種の形を作るような仕草をした。
「全然、小さくねえだろ……」
『パパ、おみず、のんだ。わたし、おこした』
「……そいつが水を飲んで、お前だけを先に起こしたってことか」
『うん』
そういえば、地下の遺跡で、俺の水を執拗に追いかけていた根があった。
水滴を右へ落とせば右へ。左へ落とせば左へ。
水の飲み方の感触が妙にニチャついた、あの根。
あの根の先にいたのが、こいつのパパ――顔も知らない同郷のオタク野郎だったらしい。
俺が流してやった水も、あの井戸から呼び起こした水も、大した量ではない。
だが、そいつは限られた水を、まずミツバへ渡したってことになる。
それが、ミツバが大事だったからなのか。
単に、自分が起きる分には足りなかっただけなのか。
それとも、面倒事を押しつけ、自分は隠れたままでいようとしただけなのか。
理由は分からない。
ただ、ミツバにとっては自分を生み出した親で、大切な奴なんだろう。
聖地に置いてきたミューズの顔が思い浮かんだ。
これ以上のことは、本人が目を覚ましてから聞けばいい。
「なあ、お前のパパを起こすには、どれくらい水が要るんだ?」
『もっと』
「もっと、じゃ分かんねえよ」
『いっぱい』
「嫌な予感しかしねえ」
『おみず、いっぱい。おいしいつち、いっぱい。いーっぱい』
ミツバは両手を目いっぱい広げ、根を伸ばしながら言った。
「水はともかく、土もかぁ……」
根が寄り集まったようなミツバの足元から、淡い緑色が広がった。
乾いた地面から、苔や草が生えてくる。
だが、ほんの数歩ほど進んだところで色は薄れ、枯れた土へ吸い込まれるように消えた。
ミツバの頭上にある葉が、僅かに垂れた。
『からから。しなしな。ミツバ、ザァコザコ』
また一つ、聞き覚えのある残念な語彙が増えた。
「お前のパパ、どういう会話してたんだよ……」
俺は意識を地面の底へ伸ばした。
地下遺跡に呼び戻した水は、まだ水溜まりとも呼べないほど少ない。
世界樹の大精霊が、この広大な森そのものだとすれば、必要な水も森一つ分になる。
あれっぽっち戻した程度で足りないのは当然だった。
しかも、必要なのは水だけではないときた。
樹木の大精霊は、黒禍をやり過ごすために種まで戻ったのかもしれない。
水の精霊は見当たらず、土の精霊も残っているのか分からない。
そこへ何を戻せば「おいしい土」になるのか、見当もつかない。
腐葉土か。
肥料か。
このだだっ広い森へ、いったいどれほど必要になる。
俺は水で、土は管轄外だ。
前世で農業をやってたわけじゃないし、専門知識なんかない。
黄金から戻せば、水さえあれば、森も勝手に元通りになる。
心のどこかでそう思いかけていたが、甘かったらしい。
「この森を戻し始めたのは、今日だ。
森全体が息を吹き返すのは、今日や明日のことではないだろう」
アイオリスが、枯れた巨木を見上げた。
「何が必要なのか一つずつ確かめて、それを探そう」
そんな簡単に言うなと、怒鳴りつけたくなる。
同時に、こいつが隣にいれば何とかなるかもしれないという、俺らしくない楽観も僅かに湧いた。
「簡単に言いやがって……」
死にかけた森の真ん中で、クソデカ幼女ことミツバは、何も分かっていない顔で立っている。
黒禍は消えたし、最低限の水と土があれば、たぶん今すぐ詰むってことはないだろう。
少なくとも、ミツバは今すぐ消えてしまいそうには見えない。
だからといって、こいつを置いて「はい、さようなら」なんてのは後味が悪すぎる。
「しょうがねえ、お前のパパには言いたいことがあるし、やるだけやってやろうじゃねえか」
厄介案件に首を突っ込んでいると思いながら、自分に発破をかけるつもりで啖呵を切った。
『よろしく。ママ?』
「誰がお前のママだ!」
「ミツバ。イズミールは君の母ではない」
「お前も何を真面目に訂正してんだよ!」
ミツバは俺とアイオリスを見比べた。
それから、わかったという顔でアイオリスを指差した。
『ダンナサマ!』
「今のは、どういう意味だ」
「……夫って意味だよ」
「ならば、間違いではないのではないか」
「そういう問題じゃねえ!」
呼び方の訂正は後だ。
今は、こいつと地下で眠る大精霊をどう生かすかを考えなければならない。
〈TIPS〉
「花神奇譚」
世界樹の森を望む土地では、遠い昔、花は散ることを知らなかったと伝えられている。
一度開いた花は、季節が幾度巡っても萎れることなく、花々を治める花神と共に、変わらぬ美しさで咲き続けたという。
花神には、一人の人の伴侶がいた。
二人は春の野を歩き、夏の雨を眺め、秋の風を聞き、冬には寄り添って次の季節を待った。
だが、人の命には終わりがある。
やがて伴侶が世を去ると、花神は、ただ一人で永遠に咲き続けることを儚んだ。
そして自らも永遠を捨て、伴侶を追うように、無数の花びらとなって散ったのだという。
その日より、世の花々もまた、季節ごとに咲き、季節の終わりと共に散る定めを得たとされる。
また、ある土地では、散る花びらは伴侶を想う花神の涙であり、次の季節に咲く花は、二人が再び巡り会った姿であるとも語られる。
花神がいかなる神で、その伴侶がいずこの人であったのか、今となっては誰も知らない。
ただ、花の盛りを惜しむ人々は今も、散る花びらの中に、花神の面影を見る。




