EX(118.8).『水神宮外典・名もなき御使いの手記』⑤ ◆★△◇
『水神宮所蔵品・書簡二十六』抄
貴女の名を守るために、人々は神殿を建てた。
貴女の声を届けるために、私は聖女と呼ばれる衣を着た。
そのどちらも、世界をより良い方へ導く女神となっていく貴女には、必要なものだったのだと思う。
けれど、守るという言葉は、時々、自分の心を隠すためにも使えてしまう。
私は貴女を守りたかった。
貴女の隣に立ち、ひとりで神話の奥へ置かれてしまわないようにしたかった。
それは嘘ではなかった。
でも、それだけでもなかった。
そんな自分に気づいた日のことを、私は今でもよく覚えている。
そのことを貴女に伝えられるようになるまでには、随分と時間がかかってしまったけれど。
ヘレノスさんに帳簿の見方を教わり、昼食をご馳走になって、キーロの骨の活用法まで聞いた。
仮執務所を出る頃には、もう夕方が近かった。
昼の間ずっと鳴っていた槌の音は、まばらになり、代わりに、夕食の支度をする人たちの声が湖畔の方から聞こえてくる。
干した魚を炙る匂いは、今ではすっかり聖地でお馴染みの匂いになっていた。
薪を割る音。
水を汲む桶が揺れ、道具を肩に担いだ人が戻ってくる。
子どもを呼ぶ声とともに、炊事場の火が一つずつ増えていく。
人が暮らしている音、皆が家に帰る音が、少しずつ聖地に戻っている。
それは良いことのはずなのに、私の腕の中の書類は、さっきより重くなった気がした。
ギュゲスさんから聞いた、神殿の話。
御師匠様から聞いた、神話と役割の話。
カストールさんから聞いた、視察と警備の話。
ヘレノスさんから聞いた、聖地のこれからの話。
どれもミューズの言葉を人へ届ける私の役目と繋がっている。
ミューズの隣に立つと決めたのは私だ。
でも、決めたからといって、急に足元がしっかりするわけではなかった。
――足元見て歩けよ、嬢ちゃん。
朝、ギュゲスさんに言われた言葉が、今になって別の意味を帯びて蘇った。
私は今、ちゃんと自分の足で歩けているんだろうか。
そもそも、立ててさえいるのだろうか。
「……リディア」
名前を呼ばれて顔を上げた。
湖へ続く道の脇に、いつの間にかアイオリスさんが立っていた。
あの黄金の鎧姿ではなく簡素な旅装なのに、夕方の光を受けた姿は以前よりずっと遠い人のように見える。
初めてそう思ったのは、イズミール様と一緒に戻ってきた時だった。
全身に強い水の霊子を纏い、目を閉じれば、そこにいるのが人ではなく神や精霊であるように感じられた。
けれど、イズミール様やミューズへ向ける穏やかな表情を見て、それで良いのだと思った。
この人は、約束を果たして帰ってきたのだから。
「アイオリスさん。何か御用ですか?」
「少し、話せるだろうか」
私は腕の中の書類を見下ろした。
今すぐ神殿へ戻らなければならないわけではないし、書類も急ぎのものではない。
御師匠様なら、提出が遅れることより、内容をいい加減に理解したまま持ち帰る方に皮肉を言うだろう。
「はい。大丈夫です」
そう答えると、アイオリスさんは湖畔の方へゆっくり歩き出した。
並んで歩くと、足音が二つになった。
湖から吹く風は冷たくはない。
ただ、隣から漂う濃い水の霊子を感じると、自然と肩に力が入った。
この人は本当に変わってしまったんだ、と実感させられるから。
「少し、疲れているように見えるな」
「えっ」
「違っていたなら、すまない」
「いえ……違っては、いないと思います」
正直に答えると、アイオリスさんは責めるでもなく頷いた。
その反応があまりにあっさりとしていて、少しだけ気が抜ける。
素っ気ないとは思わなかった。
この人は他人のことはよく見てくれている。
自分のことはいつも後回しだけれど。
「今日は、色々な話を聞きました。警備のことも、配給のことも、これから戻す村のことも」
「そうか」
「私、ミューズの言葉を伝えるだけなら、ちゃんと出来ると思っていたんです。
でも、私の伝える言葉が、そうした人たちの暮らしを左右するのだと分かると……少し、怖くなりました」
言ってから、私は自分の言葉に驚いた。
こんなことを、アイオリスさんに言うつもりはなかった。
けれど、アイオリスさんは歩く速さを変えなかった。
「怖いと思えるなら、今はそれでいい」
「いい、んですか……?」
「怖さを知らないまま、人の行く先を決める方が危うい」
その言い方は、優しいというより、重かった。
まるで、自分にも言い聞かせているように聞こえた。
湖畔の木組みの桟橋まで来ると、アイオリスさんは足を止めた。
湖面の向こうには、組みかけの足場に囲まれた黄金の柱が見えた。
夕日を受けたそれは、昼よりも濃い色に沈んでいた。
神域へと続く水面は静かで、その向こうにミューズとイズミール様がいるのだと思うと、胸の奥が温かくなる。
同時に、そこが遠のいたようにも感じた。
「リディア」
「はい」
「ずっと君に礼を言いたかった」
思わず顔を上げた。
アイオリスさんは、まっすぐこちらを見ていた。
「いつもミューズのそばにいてくれて、ありがとう」
「そんな……私は」
否定しようとした言葉が、喉で止まる。
私なんて、まだ未熟で。
聖女と呼ばれるほど立派なことは出来ていなくて。
ミューズに助けられてばかりで。
言い訳のような言葉がいくつも浮かんだ。
けれど、アイオリスさんは、それを待たなかった。
「君があの子の名を呼び、あの子の言葉を聞いてくれている。
それは、私にもイズミールにも出来なかった形での支えだ」
「でも、ミューズが私を助けてくれているんです。私が支えているなんて」
「互いに支えているのだと思う」
静かな声だった。
「あの子は、君に名を呼ばれると、女神ではなくミューズの顔になる」
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
嬉しいのに、うまく息が吸えない。
「あの子が君を信じていることに、私は何度も救われている」
その言葉は、とても温かかった。
ミューズの家族から、そこにいていいと言われた気がした。
だからこそ、私は何を返せばいいのか分からなくなった。
「……私は、ミューズの隣に立ちたいんです」
ようやく出てきたのは、そんな言葉だった。
「そう決めました。だから、頑張ります」
「ああ」
アイオリスさんは頷いたけれど、その顔は翳って見えた。
「だが、頑張ることと、一人で背負うことは違う」
湖面を渡る風が、書類の端を揺らした。
私は慌てて押さえる。
アイオリスさんは、神域の方へ視線を向けた。
「ここに帰ってきた時、ミューズは怖かったと言った」
私は黙って続きを待った。
その話は、ミューズからも聞いている。
でも、アイオリスさんの口から聞くのは初めてだった。
「ちゃんとすると言ったのに、怖かったと。小さな子どもではないのに、と」
ミューズらしい言い方だと思った。
胸を張りながら、きっと泣きたいのを我慢していたのだろう。
きっと、丘が空を取り戻したあとも、あの子はそうして自分の役目を果たし続けたのだろう。
「私は、あの子に立派だと言った。信じて待ってくれたことも、ここを守ろうとしてくれたことも、本当に立派だと」
アイオリスさんの声は穏やかで、だけど、どこか苦しそうにも聞こえた。
「あの子は、イズミールの代わりをすると言った。
リディアと皆を守る。ちゃんとしたい、と」
その短い言葉だけで、小さな手を握りしめ、目を潤ませながら、それでも真っ直ぐに言うミューズの姿が浮かんだ。
「私は、その決意を尊いものだと思ったが、同時に、危うさを感じた」
「危うさ……」
「子どもが、怖いまま、泣きたいまま、それでも世界の前に立とうとしていた」
それは、ミューズのことを言っているのだけれど、私の胸にも刺さった。
聖女様と呼ばれ、御使いとして人の前に立って。
ミューズの言葉を正しく届けなければと思って。
私も、怖くないふりをしようとしていたのかもしれない。
「その時、イズミールは言った。ちゃんとしようとしすぎるな、と」
アイオリスさんの口からその言葉を聞くと、不思議と納得がいった。
イズミール様の声を、私は理解できない。
それでも、少し乱暴で不器用な態度の奥に、いつも優しさがあることは知っている。
「あれは、ミューズだけに向けた言葉ではなかったのだと私は思う」
「そう、なんですか」
「君にも。私にも。おそらく、イズミール自身にも言えることだ」
アイオリスさんは、ただ静かにそう認めた。
「私とイズミールは、ずっとすれ違い、状況に流され続けた。
言葉も通じず、互いの望みも分からず、周囲の者に名や力を使われ、黒禍に脅かされてきた」
私は何も言えなかった。
二人の歩いてきた道をすべて知っているわけではない。
それでも、イズミール様を救おうと、傷だらけになっても立ち止まらなかったこの人の姿を、私は間近で見てきた。
「それでも最後まで戦えたのは、務めを果たそうとする気持ちからだけではない」
アイオリスさんは、湖面を見たまま言った。
「ただ、帰る場所を守りたかったからだ」
帰る場所。
その言葉が、水面に落ちた小石のように、私の中へ波紋を広げた。
「身を削って役目を果たすことになったとしても、心安らげる場所は必要だ。
そこがあると信じられたからこそ、戦い抜くことができた」
アイオリスさんとイズミール様にとって、それはミューズであり、お互いなのだろう。
この人は、イズミール様の帰る場所であり続けるために、人ではないものになることさえ選んだ。
そんなアイオリスさんの答えは、私には温かすぎて、少し痛かった。
「アイオリスさんは……怖くなかったんですか」
問いかけた声は、自分でも思ったより小さかった。
「何がだろうか」
「人ではなくなることが」
言ってから、私は失礼だったかもしれないと思った。
けれど、もう戻せない。
「アイオリスさんは、イズミール様の隣に居続けるために、それを選んだんですよね」
アイオリスさんは、わずかな間、黙り込んだ。
湖の水が、桟橋の下で小さく音を立てる。
「怖くなかったと言えば、嘘になる」
やがて、アイオリスさんはそう答えた。
「だが、後悔はしていない。私は、イズミールと共に生きる」
その言葉には、迷いがなかった。
だからこそ、眩しかった。
「けれど、それを君に選べと言うつもりはない」
「……っ」
「私たちは、追い詰められるまで、互いの手を取ることができなかった。
もっと早くから言葉を交わせていれば、今とは違う形もあったのかもしれない」
アイオリスさんは、私を見た。
「君たちは違う。私たちより早くから言葉を交わし、互いの恐れを知ろうとしている」
その言葉に、私は頷けなかった。
怖かった。
ミューズの隣に立つことではない。
その先にあるものが、急に見えてしまったことが。
私は人間だ。
魔術師としては未熟で、まだ子どもだけれど、いずれ大人になり、年を取る。
この髪も、そのうち御師匠様のように白くなっていく。
私はいつか死ぬ。
当たり前のことだ。
でも、ミューズは違う。
あの子はイズミール様から生まれた水の精霊で、これから女神として祀られていく。
私がいなくなった後も、あの子は世界を背負って立ち続けるのかもしれない。
あの子を独りにしたくないと願った私が、先にミューズを置いていく。
きっと、ミューズは私を忘れられない。
だって、御師匠様は言っていた。精霊は、命名者の望んだ形であり続けようとするのだと。
それは、とても残酷なことで、それなのに、どうしてか――
「リディア」
アイオリスさんの声で、私は息を吸った。
気づかないうちに、指先が書類の端を強く握っていた。
紙が少しだけ歪んでいた。
「すみません」
「謝ることではない」
アイオリスさんの視線が和らいだ。
「君が今、何を怖がっているのか、すぐに言葉にできなくてもいい」
言葉にしたら、何かが壊れてしまいそうだった。
だから、私は黙っていた。
沈黙の中に、二つのミューズが浮かんだ。
板に私の名前を書き、得意げに胸を張っていた姿。
イズミール様に抱きしめられ、安心しきった顔で笑っていた姿。
どの姿もかけがえがなく、守りたいと思った。
それは嘘ではない。
でも、それだけでもなかった。
ミューズには、帰ってきてくれる家族がいる。
怖かったと言えば慰め、ちゃんとしすぎるなと叱ってくれる人たちがいる。
私は、それが羨ましかった。
あの子のそばにいることで、失くした家族の温かさに、もう一度触れようとしていた。
あの子を支えることで、自分も救われようとしていた。
守りたいという気持ちの奥に、妬ましさはなかっただろうか。
失くしたものの代わりを求め、あの子の“大事な人”の一人として、私がいなくなった後まで残ろうとしているのではないか。
いつか思い出して、寂しがってほしいとさえ――
そこから先は、考えたくなかった。
桟橋の下で、水が小さく鳴った。
夕餉の匂いはまだ近くにあるのに、自分だけが水の底へ沈んでいくようだった。
「リディア」
また名前を呼ばれた。
私は顔を上げた。
アイオリスさんは、責めるような目をしていなかった。
「君は、ミューズを支えるためだけにいるのではない」
気遣いはありがたいのに、今の私には遠かった。
自分をなくしてまでミューズに尽くしたいわけではない。
ただ、自分がどこに立てばいいのか分からなくなっていた。
「君が何を願っているのか、私には分からない。
だが、私もイズミールを支えるためだけに、彼女の隣にいるのではない。
私自身が、隣にいたいと望んでいるから、こうしてここにいる」
アイオリスさんは一度湖面を見つめてから、私に向き直った。
「君にも、自分のための願いがあるのかもしれない。
だが、その願いが混じっていたとしても、君とあの子が支え合ってきたことは、嘘にはならない」
息が、喉の奥で止まった。
私は何も言っていないのに、胸の内を言い当てられたような気がした。
「……アイオリスさんは、ずるいです」
思わず、そんな言葉が出た。
アイオリスさんがわずかに目を瞬かせる。
「すまない。何か、君を傷つけてしまっただろうか」
「違います。そうじゃなくて」
私は首を横に振った。
うまく言えないのに、なんだか笑いそうになった。
アイオリスさんは本当に真面目だ。
ずるいと言われて、まず私を傷つけたのではないかと考える。
イズミール様が、ときどきこの人を責めるような目で見る理由が分かった気がした。
「そういうところが、ずるいんです」
「……そうか」
やはり、伝わっていないらしい。
でも、それでよかった。
知ってほしいことと、まだ知られたくないことが、私の中で絡まっている。
アイオリスさんは、それ以上は踏み込んでこなかった。
ただ、神域の方へ視線を向けて目を細めた。
「そろそろ戻る。イズミールとミューズが待っている」
「はい」
待っている。
その言葉が、また心のやわらかくなったところに触れた。
「リディア」
去りかけたアイオリスさんが、もう一度振り向いた。
「君が怖いと思っていることを、ミューズにも、いつか話してやってほしい」
「ミューズに、ですか」
「あの子は、君が思うよりもずっと君のことを見て、考えている」
そう言って、アイオリスさんは湖へ向かって歩いていった。
水際で足を止めると、湖面が静かに揺れる。
まるで迎え入れるみたいに、水が彼の足元を受け止めた。
神域――人の住む場所ではない、水の底の世界。
そこを自分の帰る場所として去っていく人。
その姿が小さくなっていくほど、腕の中の書類の重さが戻ってくる。
ミュルナたちの命名者。
聖女。
御使い。
ミューズの友達。
そのどれも、嘘ではない。
けれど私は、いつかミューズを置いていく。
それでもあの子の隣で、私は何を望んでいるのだろう。
陽が沈むにつれて、二つの月が昇ってきて、湖面に映り込む。
二つの月は夜更けへ向かうほど近づいて、夜明けへ向かうほど離れていく。
重なりそうで、重ならないまま、月は昇ってまた沈む。
昨日もそうだった。今日も、きっと明日も。
<おまけ>
118.8+.帰る場所にて ◇(118.8話「『水神宮外典・名もなき御使いの手記』⑤」の直後)
※※※※※
水底に帰ると、黄金の社の近くに貝殻や板切れが並べられていた。
その中央で、イズミールと三人の幼子が向かい合っている。
『ミュルナ、ブチョー!』
『ミュリナ、カチョーする』
『しぁー! ヒラ! ひらひら~!』
ミュシアが薄い貝殻を頭に乗せて両手を広げると、イズミールが深く水を揺らした。
『違うぞ。ヒラは平社員のヒラだ。ひらひらする奴じゃない』
『ヒラシャイーン、なにする?』
『上から降ってきた仕事をひたすら片付ける』
『ブチョーは?』
『仕事を降らせる』
『みゅああ!』
ミュルナが小さな貝殻の塊を水中に放り投げた。
『ママ、カチョーは……?』
『降ってきた仕事を、下の奴らに良い感じに流す』
ミュリナが難しい顔でバラバラと降ってくる貝殻を一つ一つ、それぞれの席らしき場に並べた。
ミュシアは目の前に置かれた貝殻を、そっと他の場所へ押しやった。
『しぁーも、ながすの、ひらひら~』
『いや、それをやると誰も仕事しねえだろうが』
イズミールは呆れていたが、三人は楽しそうだった。
私はしばらく声をかけず、その光景を眺めた。
その場には六つの場所が作られていた。
イズミールと三人の幼子たちの前にそれぞれ板切れが置かれている。
そして、誰もいない場所にも、板切れが二枚。
板には、かなり歪んだ文字らしきものが彫られていた。
そのうち一枚には、どうにかリディアと読める文字が刻まれていた。
『あ、きこりやろう!』
ミュルナが私に気づき、白い貝殻を投げつけてきた。
水の中をふわふわと浮く貝殻を受け取る。
『きこりやろうは、ショム!』
「ショムとは、何をする役目なのだろうか」
『ぜんぶするひと!』
『ちがう。ママ……シャチョーはシゴトしやすくするひと、いってた』
『さかな、とばすのぉー!』
三人の答えは揃わない。
「リディアの席もあるのか」
子どもたちは当然のように答える。
『りぃやも、ブチョー!』
『……ちがう。りぃやは、カチョー』
『ひらひら、いっぱぃ、いるの~』
ミュルナたちは、リディアの席らしき場所に自分の貝殻を積んでいく。
塔のように積み上がった貝殻は、水の中でぐらぐら揺れている。
『お前ら、リディアに仕事押しつける気まんまんか? 積み過ぎだろうが』
イズミールが呆れたように言って、リディアの席に積まれた貝殻の半分ほどを、私の席へ移した。
それでも、リディアの板の前には、小さな貝殻がいくつか残っている。
それを見て、子どもたちがわぁわぁと騒ぎ出した。怒っているようにも楽しそうにも見える。
「なるほど、これがショムか……」
どういう遊びなのか、今一つ分からないが、ままごとか札遊びのようなものなのだろう。
子どもたちの遊びの中では、もう当たり前のようにリディアの場所が用意されている。
聖女と呼ばれるための服を着て、悩みを抱えていた姿を思い出す。
イズミールが、私を見て言った。
『何かあったのか』
「彼女は、自分の立つ場所に迷っているようだった」
『そりゃそうだろ。あんなポスト、重すぎんだろ。無理させてねえだろうな、おい?』
イズミールは、リディアの席の板を見てから、私を睨みつけた。
その目には、遊びの場の軽口ではない本気の心配の色が浮かんでいた。
「力になれているかは分からないが」
『そういうとこだぞ、お前。ちびども、お前らも無茶ぶりすんなよ!』
イズミールが子ども達に注意すると、三人は思い思いに答えた。
『ミュルナ、“ねる”、じゃましない! えらいから、あさまでがまんできるの』
『……おはなし、ちゃんときいてる。べんきょうも、してる』
『ふく、びしょびしょ、してなぁ。ちょっとだけ』
少し間を置いて、イズミールは付け加えた。
『こいつらの世話ばっかさせたら、あの子も困るだろ』
「……そうだな」
イズミールなりの気遣いなのだろう。
もっとも、リディアを子ども扱いしすぎではないかとも思う。
だが、それはきっと私も同じだった。
ミュルナが、リディアの席を示す板を抱え上げた。
『りぃや、あした、あえる?』
「明日には会えるだろう」
『じゃあ、きょうはおやすみ』
ミュルナは頷き、板を引っ繰り返して元の場所へ戻した。
その動作に迷いはない。
私は今日、リディアに帰る場所の必要を説いた。
けれど彼女の場所は、もうここに作られていた。
だが、その場所があることを知れば、彼女は安堵するのだろうか。
それとも別の重荷になるのか、私には分からなかった。
『ほら、ショム。シゴトたまってんぞ』
イズミールが私の前へ貝殻を押しつける。
「承知した」
私が席につくと、六つの場所のうち、空いているのは一つだけになった。
明日には会える。
その明日の先にも、同じ答えが続くのかと、誰も尋ねはしなかった。




