115.ひとつなぎの大海 〇★△
初っ端の遠距離からの浄化が失敗して以降、俺たちは防戦一方だった。
そもそも、相手の射程範囲外っていう認識自体からして、たぶん間違ってた。
大きさのせいで距離感を見誤っていたのもあるが、のじゃ様に源流へ射出された勢いも残っていた。
こっちが思った以上に、魔樹へ近付いていたのだ。
遠くから見ると凹凸の無い球形に見えたが、実際には表面から無数の枝が伸びていた。
枝葉というより、空間ごと裂いた黒い亀裂の塊。
それが、あっちからこっちから高速で迫ってくる。
気付けば、ひたすら回避と防御に追われていて、反撃もままならない。
俺じゃ捉え切れないくらいの速度で迫ってくる枝を、アイオリスが見切って回避の指示を出す。
俺は必死に水を噴射して、指示された方へ回避する。
回避じゃ間に合わない場合は、まず周りの水で浄化する。
けど、完全に浄化し切る前に、枝葉がこっちに届いてしまう。
それをあいつは黄金の斧で捌く。無茶しやがって。
緊急時の盾に出来るだろうって考えてた舟の黄金化も、早々に使う羽目になった。
俺の黄金は黒禍を通さないし、触れて、斬ることもできる。
だが、こっちが触れられるってことは、あっちもこっちを押せるってことだ。
お陰で直撃を喰らうと、衝撃で舟ごと吹っ飛ばされる。
黄金は無事でも、俺たちは無事じゃ済まない。
水の身体の俺は良くても、生身のアイオリスはキツいに決まってる。
ついには、アイオリスの足を黄金化するなんてイカれた戦法まで飛び出した。
亀裂そのものを足場にするとか、馬鹿かと思った。どんな現場だよ。
だが、あいつはそれでも動き続けた。
流れる刃みたいな黒い枝を踏み、斧で断ち、次の枝に飛び移り、瓶を守りながら、まだ戦っている。
傷はまだ痛むはずだ。
それでも、瓶だけは絶対に離さない。
時には、瓶を庇って黄金の鎧で受け止めたりもしている。
……ふざけんな。
守られっぱなしじゃ、俺が足を引っ張るためだけに来たみたいじゃねえか。
目が回るような高速機動の中、俺はとにかく、水の確保に努めた。
枝に吹っ飛ばされた水が散らないようにかき集める。
あいつが跳ぶとき、斧を振るときに重しにならないように泡を拡げ、斬った直後の亀裂の欠片は即座に浄化する。
アイオリスの動きに合わせて水を噴射して加速し、枝が来る方向には水を流して、直撃を避ける。
やれるだけのことはやったつもりだ。
それでも、足りない。
あいつに言われて、相手が複数の軸で回転しているらしいことに気付いた。
それなら、中心を叩き折れば、遠心力で吹っ飛ぶだろうとも思う。
けど、それを実現する方法がない。
俺の浄化は効いている。
あいつの斧も効いている。
なのに、傷が残らない。
削った場所が流れる。
伐るべき幹が、見えたと思った瞬間には別の場所へ逃げる。
あまりにもクソ仕様過ぎる。
『真ん中っぽいとこ、どうにか狙えねえのか?
軸を壊しちまえば、バラバラに吹っ飛ぶんじゃないのか?!』
「……至近で君が浄化し、その穴に飛び込めば、あるいは」
俺の言葉に、アイオリスが答える。
返って来たのは、ある意味、予想通りのロクでもないアイデアだった。
全力浄化で表面を削って、その穴に飛び込む?
回転してる球体に突っ込むとか、ミキサーに飛び込むようなもんだろうが。
あいつは状況がヤバくなればなるほど、自分を盾にしてでも俺を守る。
鎧は全身を覆ってるわけじゃない。飛び込めばあいつは絶対に無事じゃ済まない。
『却下だ! そんなの特攻じゃねえか! アホか!』
「だが、このままでは私も君も消耗するばかりだ」
『クソッ……!』
瓶越しに扱える水量だけじゃ、浄化で押し切るのはたぶん無理がある。
回転を止めれば、中心に斧や浄化を叩き込めるようになる。
でも、俺一人では、あの回転を止められない。
瓶の中で両手を握る。
小さな指先が水の中で震えた。
悔しい。
一緒に来れば、なんとかしてやれると思ってた。
でも今の俺は、たった一本の瓶に入った水だ。
瓶の周りの水を動かせても、瓶越しだから外ほど自由がきかない。
俺は瓶の底に座り込んで、このクソ現場をどう乗り切るか考え込んだ。
その時だった。
胸元――いや、アイオリスの胸元にある八つの龍珠のうち、一つが、深く揺れた。
音でも声でもない。
水を通じて、俺の内側へ直接、波濤のような意思が呼びかけてきた。
『――ミール……イズミール』
(のじゃ様!?)
『躊躇うな、イズミール』
源流の中だというのに、その声は妙に近かった。
東の海の底で聞いた時よりも、ずっと細く、ずっと鋭い。
龍珠の中の水が、あいつの意思を届けているのか。
『源流を守らねば、世界は終わる。
吾らに構うな。汝の番は吾が名に賭けて護る。恐れるな』
(うるせえ!)
俺は内心で即座に怒鳴り返した。
使えって何だ。
お前ら、何でそんなに命を便利な消耗品みたいに言えるんだよ。
綺麗な言い回しで自己犠牲を業務フローに組み込むな。
還るとか御託で誤魔化すな、死んだら終わりだろうが。
『古き水が、新しき水に流れを譲るは、水の理よ』
ほら来た。
まるで議事録に載せるためみたいな厳かな文言。
水の理だか何だか知らないが、俺はそういう退職前提の引き継ぎ文化が大嫌いなんだよ。
前世でもいたぞ、厄介案件をしこたま抱え込んで潰れて、後進に任せるとか言いつつリタイアする奴。
任せるじゃねーんだわ! いるうちに引き継げ! 記録とマニュアルを作ってけ!
(知るか! 勝手に押し付けんな!)
『汝は八つの海を一つに繋いだ、新しき九つ目の海だ』
のじゃ様の声が、さらに深く沈む。
『されど今は、たった一瓶の海に過ぎぬ』
――一瓶。
その言葉だけが、妙に引っかかった。
たった一瓶の海。
のじゃ様が言いたいことは分かる。
今の俺は携帯型の瓶詰女神だ。
身体ごと源流へ来ているとはいえ、ここで動かせるのは、この瓶の周りの水だけだ。
だから、八龍の命を惜しまず、龍珠を使え。
命の肩代わりがあるうちなら、まだ無茶のしようがあるだろう。
要するに、そういう理屈だ。
出発前から言い含められていた理屈ではある。
でも、俺たちは誰も死なさずクリアしてやるって豪語して出発してきた。
なのに、現実は手詰まりもいいところだった。
一瓶の水じゃ足りない。
外ではデカい海になっても、ここじゃ瓶の中のちっぽけな水溜まりだ。
なら。
俺は、ガラスの壁へ目を向けた。
俺の水、俺の意識は、今、この瓶の中にある。
この小さな器の中から、俺は外の水を動かしている。
源流に直接触れないまま、瓶を境界にして水を押し、引き、浄化を撃っている。
じゃあ、龍珠って何だ。
八龍の水を封じた水入り水晶の球。
同じじゃねえか?
瓶越しに俺が水を動かせるなら。
瓶越しに俺が浄化を撃てるなら。
龍珠越しにも、水を動かせるはずだ。
俺は、瓶の底で顔を上げた。
操作端末に出来るんじゃねえのか、それ。
そうすれば、龍珠はただの残機じゃなくなる。
使う気になれないラストエリクサーでもない。
……一瓶で足りねえなら、八つ増やせばいいんじゃないか。
『イズミール……? 汝、一体何を考えておる』
のじゃ様の訝しげな思念に、俺は応えない。
水と水を繋ぐ。
八つの海と、俺の水を結ぶ。
その発想が浮かんだ瞬間、背筋の代わりに、瓶の中の水が冷えた。
怖い。
混ざったら終わりだと、俺はずっと思っていた。
境界を失えば、俺じゃなくなる。
自分が自分じゃなくなるってことを俺はずっと恐れてきた。
けど、違うものを、俺はもう見ている。
ミュルナ。
ミュリナ。
ミュシア。
あいつらは、できないことをするためにミューズになった。
泣き虫だったことも、甘えたことも、俺に縋った手の感触も、消えていなかった。
ミューズになっても、あいつらは俺の子どもだった。
混ざるんじゃない。
結ぶんだ。
あいつらがそうだったように、別々の心を残したまま、一つの形にする。
ミューズだけじゃない。
俺自身だってそうだ。
金色の“わたし”も、銀色の“私”も、消して一つになったわけじゃない。
世界が水没して、海が一繋ぎになった今も、八つの海の主は個別に存在する。
水が触れ合ったからといって、全部が同じものになるわけじゃないってことだ。
だったら、八つの海と繋がったって、俺が俺でなくなるわけじゃないはずだ。
泣きべそをかいてた子どもたちにもできたんだ。俺ができないでどうする。
規模がデカくなっても、考え方は金銀の俺を受け入れた時と同じだ。
乗っ取りでも買収でも、経営陣総入れ替えでもない。
有限会社“泉の女神”は、今この瞬間だけ、世界八大巨大企業“龍神グループ”と合同事業をやる。
同じ目的のために、別々のままで繋がる。
それが合併で、提携で、現場の連携ってもんだ。
外では、アイオリスが黄金の小舟を盾に、なんとか攻撃を凌いでいる。
俺は意識を表へ戻した。
あいつは乱れた呼吸を整えながら、球体魔樹の動きを見据えている。
鎧の下はボロボロなんだろうに、まだ諦めていない。
なら俺の答えは決まっている。
『……止めりゃ、伐れるんだよな』
「ああ」
『だったら、止めてやる』
「どうやって」
短い沈黙。
俺は、アイオリスの胸元で揺れる八つの龍珠を睨んだ。
『俺一人じゃ無理だ』
その言葉だけなら、さっきまでと同じだ。
でも、もう違う。
『でも、俺一人じゃなきゃ、話は別だ』
「何?」
『おい、龍珠、全部出せ』
八つの珠が、源流の淡い光の中で微かに揺れた。
アイオリスが黒い枝を斧で払いながら、短く問う。
「何をするつもりだ」
『こいつら、お前の身代わりで死んだら、俺に海を寄越すって言ってたよな?』
「ああ」
『だったら、生きてるうちに寄越せって話だよ』
瓶の中から、俺は龍珠を睨みつけた。
『聞いてんだろ、のじゃ様――いや、ジャガラモガラ』
長ったらしくて、覚える気になれなかった名前。
でも、忘れてたわけじゃない。
精霊やら神にとって、物凄く重要らしい名前で呼びかけた。
これから言うことが、冗談でもなんでもないってことが伝わるように。
水が応じる。
『うむ』
『お前らの命なんかいらねえ。残機も肩代わりも却下だ』
『されど――』
『黙って聞け。今、俺が欲しいのは、お前らの命じゃない、お前らの海だ。
この龍珠を今、俺に使わせろ。死んだあとに、権限を譲れるなら、生きてるうちにだって出来るだろ』
龍珠の光が、一瞬沈んだ。
それは驚きだったのか、拒絶だったのか。
『ならぬ』
ジャガラモガラの声が低くなった。
『汝は今、源流の内におる。
万が一、汝が源流へ溶ければ、繋いだ八海もまた引かれよう。
汝が深淵に浸されれば、八つの海すべてが深淵に染まろう』
『分かってる』
『分かっておらぬ。汝が求めるは、八海すべてを、汝の一瓶へ賭けることに等しい』
『分かってるっつってんだろ!』
瓶の中の水が跳ねた。
外では黒い枝が迫り、アイオリスが斧で断つ。
黄金の足が黒い亀裂を蹴る。舟が衝撃で揺れる。
もう、のんびり稟議書を書いている暇はない。
『今ここで負けたら、どうせ源流ごと終わるんだろうが!
海だって無事じゃ済まねえ。世界も、ちびたちも、人間も、全部まとめて終わりだ』
『……』
『だったら温存したまま死ぬな。今、生きてるうちに俺に賭けろ』
『汝が保てぬ時はどうする』
『どうにかする!』
『その保証は』
『現場判断だ!』
『げんば……』
『うるせえ、いちいち拾うな!』
俺は龍珠へ向かって、瓶の内側から指を突きつけた。
『俺が危なくなったら、木こり野郎が勝手に守ろうとするに決まってんだろ!』
「当然だ」
アイオリスが即答した。
黒い枝を断ちながら。
傷だらけで。
それでも、まるで当たり前のことみたいに。
瓶の中が一瞬だけ熱くなる。
『……俺たちに仕事を任せたってんなら、現場判断を尊重しやがれ!』
「だが、私もまだ、君が何をするつもりかを聞いて――」
『後だ、後!』
アイオリスが口を挟んできたが、黙殺。
八つの龍珠は、別々の波紋を返した。
ひとつは重く、ひとつは冷たく、ひとつは荒く、ひとつは静かに。
俺の知らない七つの海までもが、この無茶を聞いている。
『……汝らは、かくも騒がしいまま、命を賭けるか』
ジャガラモガラの声に、わずかな笑みのようなものが混じった。
『同じ賭けるにしたって、どう賭けるかだけで、気分も意味も全然別もんだろうが』
俺は言い切った。
『失敗した時の保険に賭けるくらいなら、成功するために俺に投資しろってんだよ。
ついでに、お前らにも、あのクソッタレ魔樹を殴る権利をくれてやる!』
「イズミール、意見は分かる言葉で……」
『お前、さっきから余計な茶々入れんな! 大体、伝わってるわ! ……たぶん』
しばし、沈黙があった。
源流の奥で黒い球体が回る。
枝が走る。
アイオリスが斬る。
舟が水に押される。
そして、八つの龍珠が同時に淡く光った。
『……よかろう』
ジャガラモガラの声が、八つの珠すべてから重なって響いた。
『汝の現場判断とやらに、八海を賭けよう』
『最初からそう言え』
『されど、汝が呑まれかけた時は、即座に切り捨てる。汝が保てぬならば、吾らは汝といえども断つ』
『わかったわかった、それでいいよ、もう! その前に勝ちゃいんだろ。時間がねえんだよ』
『まこと、汝は礼を知らぬ水よ』
『褒め言葉として受け取っとく!』
「……イズミール、説明を」
アイオリスが小舟を足場に、黄金の斧で枝を捌きながら言う。
流石にそろそろ悪いって気はしてた。ごめんて。
『汝は、吾ら八海の龍珠を如何に使おうというのだ』
ジャガラモガラが問い質してくる。
『そんなもん、決まってんだろ――合併だっ!』
「?」
『がっぺい……』
アイオリスが分かっていない顔で固まった。
ジャガラモガラは、初めて聞く災厄の名みたいにその単語を繰り返した。
※※※※※
『では、イズミール――汝にいっとき、吾ら八海を託そう』
八つの龍珠が輝き、そして、俺の水がどこまでもどこまでも広くなった感覚を得る。
繋がった。
これで八つの龍珠が瓶と同じように使える。
俺はこの不自由な源流の中で、九つの操作端末を得た。
瓶一つでは、点でしかなかった。
端末が一つ増えても、やっと線。
三つあれば面になる。
なら、九つあれば何が出来るか。
『おい、ジャガラモガラ、すぐに、ありったけの水を源流へ送り込め、じゃんじゃん流せ!』
『汝に扱いきれるだけの水は、既に送り込んであるはずだったが』
『じゃあ、その八倍だ! お前ら全員の海の水を寄越せ! 俺が掴みやすい水がもっといる!』
『承知した』
龍珠が震えた。
次の瞬間、源流の中へ、濃い青が流れ込んできた。
東の海だ。
ジャガラモガラの水。
深く、重く、遠い潮の匂いを持つ水。
それに続き、別の珠が光る。
冷たい水。荒い水。温い水。澄んだ水。暗く沈んだ水。渦巻く水。静かな水。
名前までは知らない。
けれど、全部違う七つの海の水。
八つの海が、源流へ流れ込んでくる。
源流の水っぽい何かとは違う。
これは間違いなく水だ。
押し寄せてきた水を掴んで留める。
瓶一つじゃ掴み切れない量を、八つの龍珠を端末として、それぞれの海の水を抱える。
『来た来たぁ……!』
俺は瓶の中で立ち上がった。
「イズミール、何をする気なんだ」
『身体を創るんだよ! 身体! 龍珠を関節に配置して、水流で繋いで連結するんだ!
でもって、各部の渦をアクチュエーターにして、拳に浄化を集中させてあのクソッタレを――』
俺は両腕を振りかざして早口で熱弁した。
アイオリスはちょっと引いた顔をした。殴るぞこら。
まず、自分の瓶を中枢にする。
頭。
いや、司令室だ。
現場監督席。ここだけは譲らない。
次に、八つの龍珠を節点として認識する。
右肩。
右肘。
右拳。
左肩。
左肘。
左拳。
両肩を繋ぐ胴部。
胴の下の腰部。
足なんか飾りだ、いらねえ。
ここに地面はないし、立つ必要もない。
必要なのは、あのクソ魔球をぶん殴って、掴んで、止める腕だ。
『龍珠同士を水で繋ぐぞ。行きと帰りで循環させるんだ! 流しっぱだと配管破裂するからな!』
『はいかん、とは何ぞ』
『水路のことだよ! 配管くらい分かれよ、水の龍神だろうが!』
八つの珠の間を、循環する水路で繋ぐ。
水流が絡み、束ねられ、巨大な輪郭を作っていく。
水の巨神の頭部は、俺の瓶と、それを抱えるアイオリスを包む透明な兜みたいな形になっている。
アイオリスはその内側で、黄金の斧を構えたまま、俺のすぐそばにいた。
そこから下へ、胴体と両腕が形成されていく。
いや、人というには、あまりに雑だ。
両腕だけが異様に大きく、拳は岩山みたいに膨れ上がる。
胴体は太い水の塊。腰はあるが足はない。
頭部の位置には、俺の瓶。
関節にあたる場所で、八龍珠が光っている。
九つの節点を持つ、クソデカ水フィギュアだ。
だが、フィギュアなんて大きさじゃない。
源流の中に立ち上がった上半身だけの巨神像だった。
ただし、祈られるための御本尊なんかじゃない。
あのクソ魔樹を、ぶん殴るための、水圧式の超巨大浄化重機だ。
俺の人生、とうとう女神から重機になったぞ。どうなってんだ。
「こ、これは……イズミール、これが、君の身体なのか」
俺と共に巨神の頭部にいるアイオリスが、周囲に組み上がった水の巨体を見て、驚愕の声をあげた。
『臨時の作業用ボディだ。拝むなよ、お前が祈ると気が散って動かしにくくなる』
「祈りはしない。だが、凄まじいものだな……」
形状は昔作った水メカフィギュアに近い。
この世界の連中には、とことん馴染めないんだろう。
『ふふん、突貫工事にしては大したもんだろ、強そうだろ!』
「足が無いようだが……」
『足なんか飾りだ! つまり、殴るってことだよ! こいつで殴って掴んで、奴を止める!
そうしたら、お前の出番だ。あいつの中心をお前がぶった斬るんだ!』
「分かった。君が止め、私が伐る」
本当は、この水巨神だけで始末を付けたい。
ただ、デカい幹を残したまま、あれを取り込んで浄化しきれるか怪しい。
こっちが先に駄目になる可能性がある。
だから、こいつを送り込まなきゃいけない。
その為には、出来るだけあの魔樹を、叩いて削って止める必要がある。
『吾らの龍珠をこのように用いるとは……』
頭部の下、胴部で、ジャガラモガラが呆れたように洩らした。
胴体は重要な節点だ。
何せ、腰と両腕、全部の力が集約する場所だ。
だから、一番気心の知れてる、のじゃ様に任せた。
別に、面識のない他の七人の龍神と話すのがおっかないわけじゃないぞ。
……うん、ほんの少しだけだ。
『行くぞ! 発進っ!』
源流の中、回転する巨大な魔樹の前で、上半身だけの水の巨神が両腕を持ち上げる。
背部から水を噴射して、回転魔樹へと向かって行く。
大量の水で膨れ上がった身体は重く、動きは鈍い。
だが、ちょっとやそっと、枝で引っ掻かれたくらいじゃ、すぐに濁ったりはしない。
『よーし、いいぞ! 両肩、両肘、上回転! 両拳! 全力浄化、準備!
腰! 半回転したら逆回転入れろ! 胴体、しっかり支えてろよ!』
人体より関節は遥かに少なく、構造は単純極まりない。
人型として動かすための最低限の形でしかない。
それでも、負荷はある。
『ぐっ……!』
とにかく重い。
海が八つ。
自分の瓶が一つ。
全部を繋いで、自分の輪郭を保ち、源流に混ざらないよう区切りながら、巨大な水の身体を動かす。
頭の中で、八つの違う潮が暴れる。
それぞれ違う重さ、違う温度、違う流れ方。
少しでも気を抜くと、境界が崩れて、俺がほどけそうになる。
混ざるな。
結んで繋げるだけだ。
「イズミール、大丈夫なのか……?!」
『ミューズはぶっつけ本番で合体成功させてたろうが。負けてらんねえんだよ!』
アイオリスの心配の声に、意地だけで怒鳴り返す。
俺を保て。
俺は俺だ。
九つの水を繋いでも、俺は俺のまま、この身体を使う。
『行くぞ……! 始動!』
俺は視線を球体魔樹へ向けた。
黒い小惑星が、なおも回っている。
亀裂の枝が伸びて走る。
『おい! 八つの海! お前らにも殴らせてやるって言ったよなぁ!
右肩! 右肘! 下回転! 右拳、全力で浄化!』
腰をねじる。
肩を遅らせる。
肘を伸ばしながら、拳へ水圧を叩き込む。
ただ叩きつけるのでも振り回すのでもない。
腰からぶん回す。
クソデカ水巨神による右フックだ。
右拳を担当する龍珠から、溢れんばかりの浄化の光が発せられた。
青白い光が、海の水でできた巨大な拳の中で満ちる。
浄化と言えば聞こえはいいが、やる気を通り越して殺意に満ち溢れた光だ。
わざわざ聞かなくたって連中の気持ちは分かってる。
龍神たちは、ずっとこの魔樹に手が出せないまま、苦しめられてきた。
ママと呼び慕ってる源流を穢され、それでも耐えるしかなかった。
誰だって怒るに決まってる。
そして、今、自分の力でその憎い敵を殴る機会が回ってきたんだ。
その荒々しい歓喜がひしひしと伝わってくる。
巨大な右拳が、球体魔樹へ強烈な右フックを叩き込んだ。
衝撃で、源流が揺れた。
黒い球体の表面が砕ける。
浄化の光が亀裂の束を削り、青白い水が黒を押し退ける。
「崩れた……! いや、まだだ!」
しかし、球体は回る。
拳を弾き、削れた面を逃がそうとする。
浄化で削った凹みに、右拳を押し付け、食い込ませる。
黒い亀裂が拳を構成する水を侵し、濁らせていく。
龍珠が軋むように震えた。
循環する水路が濁った水を分散させ、身体の中で浄化して綺麗な水を拳に送り込み続ける。
痛みと負荷が来る。
でも、これ一発で足りないのは分かっていた。
『左も行くぞぉ! 腰、逆回転! 左、ぶっ叩けぇっ!!』
腰の回転に合わせて、胴体、左肩、左肘を回転させる。
左の拳は、至近距離からハンマーのような振り下ろしだ。
巨大な拳がしぶとく回転を続けようとする魔樹に叩き込まれた。
衝突。
再び源流が揺れた。
反対側にも、衝撃を受けて球体魔樹が大きく拉げる。
両腕で挟み込まれた球体魔樹が、わずかに潰れる。
まん丸だった黒い塊が、一本の太い幹を中心に、無数の亀裂を外周へ伸ばす歪な円盤みたいな形になった。
それでも、まだ回っている。
巨大な回転のこぎりだ。
『やっと伐る場所が見えてきたじゃねえか!』
なにを動力にしているのか分からないが、なおも回転を続けて、こっちの両腕を削ってくる。
関節にある龍珠が、ぎしぎしと光る。
水の腕が引き裂かれそうになる。
『ジャガラモガラ!』
『やっておる!』
両腕にかかる負荷は、今、胴体の核になっているジャガラモガラの龍珠に集まっている。
俺もきついが、のじゃ様も相当きついはずだ。
『散々、偉そうな口きいてやがったんだ、ちゃんと止めろよ!』
『湧いて間もない若き水が、吾を見縊るでないわっ!』
『ガキ扱いすんなら大人の余裕を見せてみやがれ!』
ふざけたやり取りをしていないと、意識が飛びそうだった。
重い。
熱い。
眠い。
源流の中で、八つの海と繋がっている。
俺の輪郭が広がる。
広がりすぎる。
どこまでが俺で、どこからが東の海で、どこからが別の海なのか、一瞬見失いそうになる。
だが、そのたびに、瓶の壁を意識する。
俺はここだ。
ここにいる。
瓶の中にいて、アイオリスのそばにいる。
これまでも。これからも。
アイオリスが、焦れたように黄金の斧を構えていた。
「イズミール! 無理をするな! もういい、行ける!」
『馬鹿野郎! もうちょっと待て!』
今にも突撃しそうな木こり野郎に叫び返して止める。
近くで何かが軋んだ気がしたが、確かめる余裕はなんてなかった。
巨大な水の腕で、球体魔樹を押さえつけ、回転を鈍らせていく。
一方向の回転が潰れ、もう一方が歪む。
螺旋を描くように暴れる円盤を、胴体も使ってねじ伏せる。
表面の亀裂が乱れ、さっきまで流れていた傷が、その場に留まる。
止まった。
見えた。
黒い亀裂の奥。
枝でも表面でもない、中心へ続く深い黒――
あれが、この魔樹の幹だ。
『アイオリス!』
「ああ」
返事は短かった。
それだけで十分だった。
『道、開ける! お前が伐るんだ!』
アイオリスが跳んだ。
黄金の足が黒い枝を蹴り、斧を構えた身体が幹の中枢めがけて源流の中を真っ直ぐ進む。
俺は巨大精霊体の頭部――つまり俺の瓶を、球体魔樹の近くへ押し出した。
『近いぞ、イズミール』
ジャガラモガラの声が響く。
『うるせぇ。飛ばすだけじゃ足りねえ! 俺が近くで浄化を流し続けて、あいつが伐るんだよ!』
『汝も保たぬぞ』
『保たせろ!』
瓶の口のあたりで、何かが小さく軋んだ。
くらっと眠気が襲ってくるけど、今はそんなのどうでもいい。
黒い亀裂が、アイオリスへ向かって伸びる。
俺は浄化を叩き込む。
そいつに触れるな。持ってこうとするんじゃねえ。
水の腕で押さえ込み、青白い光で黒を削り、幹までの道を作る。
『行けぇ!』
アイオリスが、黄金の斧を振り上げた。
その姿を、水越しに見る。
傷だらけだ。
息は乱れている。
膝から下は黄金になってる。
それでも、斧を握る腕だけは揺れない。
お前は木こりだ。
なんとか殺しとか、聖者とかじゃない。
俺の水を飲んで、俺から斧を受け取った、俺の木こりだ。
だから。
伐れ。
「――おおおおおおおおぉぉっ!!」
アイオリスの咆哮が源流に響き渡る。
俺はその叫びを、瓶の中ではなく、すぐ隣で聞いているように感じた。
俺の水が、あいつの腕の動きへ寄り添う。
斧の刃筋に、俺の浄化が重なる。
そうだ。
俺もいる。
俺とお前で、一緒にそいつを伐るんだ。
あいつと俺の叫びが重なって。
黄金の斧が、黒い幹へ入って、抜けた。
音はなかった。
けれど、世界の傷口が苦悶の悲鳴をあげて裂けるような感触があった。
黒い幹が、断たれて崩れる。
だが、真っ二つに断たれた幹から、黒い亀裂が源流へ散ろうとする。
枝葉がばらけて、黒い汚泥となって周囲を濁らせ、穢そうとする。
『逃がすかよ!』
俺は巨大精霊体を崩した。
腕も、胴体も、頭部の輪郭も、全部ほどく。
ただし、散らさない。
全部、球体魔樹を包む水にする。
『今だ! 囲んで浄化しろぉっ!!』
八つの海の水が、巨大な水球になった。
黒い球体魔樹を丸ごと包み込む。
逃げようとするかのように、伸びる亀裂を捉えて離さない。
八つの龍珠が、水球の周囲で光る。
俺は、その全部に浄化を流した。
青白い光が、水球の内側から満ちていく。
黒い亀裂が、一本ずつ消える。
枝がほどける。
傷口のような裂け目が溶けて消えていく。
『消えてなくなれ、くそったれが!』
まばゆい光が源流の中を青白く染め上げた。
光が収まった後は、どこまでも澄み渡った巨大な水の球体だけが残った。
源流の中から黒い気配が消え、柔らかな白い光が満ちていく。
痛みの気配はもうどこにもない。
アイオリスが黄金の斧を下ろし、こちらを振り返った。
水流を操作して、俺の瓶の方へと引き寄せる。
そうしてやっと、終わったんだ、と実感できた。
これで帰れる。
ミューズたちのところへ帰れる。
こいつへの返事も、まだ残っている。
瓶の中で、俺はへたり込んだ。
『……勝った、よな』
『見事であったぞ、イズミール。汝は成し遂げた』
『ああ……』
ジャガラモガラの賛辞に、答える気力が残っていなかった。
疲れた。
本当に疲れた。
それだけじゃない。
源流のやわらかな光が、もう休めと囁いてくるようで、なんだか眠い。
「イズミール!」
アイオリスの声が近づいてきた。
いつもの仏頂面じゃなくて、痛みも疲れも忘れたみたいな笑顔だ。
「勝ったな。君が導いた勝利だ」
『へへ……』
言い返そうとしたが、気の抜けた笑みしか出てこなかった。
八つの龍珠は、源流の中に散らばって、淡い光を放っている。
どれも割れていない。
誰も、死んでいない。
よし。
現場判断による、大勝利。全員生存。
業務目標、達成だ。
そう思った。
その瞬間のことだった。
――ぴき。
すぐ近くで、小さな音がした。
『……は?』
最初、何の音か分からなかった。
――ぴし。
音は上から聞こえていた。
上。
瓶の口だ。
見上げると、瓶を蓋するコルクみたいな栓がいつもよりはっきり見えた。
栓を封じていた蝋が、剥がれ落ちていた。
いつから剥がれてた。
いや、そんなことより、あれは、なんだ。
栓の周りのガラスに、細いヒビがあった。
――びし。
それを見た瞬間、ようやく理解した。
あのヒビは栓と蝋の間に隠れていたんだ。
『お、おい』
ヒビが、広がる。
ぱき。
ぱき、ぱき。
『待て待て待て! 冗談だろ!』
瓶の口へ、蜘蛛の巣みたいに細い線が走る。
ガラスが欠けた。
栓が、少し浮いた。
「イズミール!」
アイオリスが、斧を手放しかける勢いでこちらへ手を伸ばした。
その顔からは、もう勝利の笑みは消えていた。
俺は咄嗟に瓶を黄金化しようとした。
とにかく固める。
封じる。
これ以上割れないようにする。
そのつもりで、瓶の口の内側へ水を集め、割れ目と周辺を黄金にしようとした。
それが最後の一押しになった。
ガラス瓶の口は、栓を咥え込んだまま、ぽきん、と、あっけなく折れた。
同時に、瓶の中の水と、外の水が繋がった。
痛みはなかった。
怖いほど、やさしかった。
ああ。
とても、ねむい――




