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114.断ち切れぬもの ◇★

 何か変だぞ、というイズミールの声が、瓶越しに届いた次の瞬間だった。


 ――空間のどこかが、きしりと軋んだ気がした。


 見えたからではない。

 斬られる前触れのようなものが、先に皮膚を撫でた。


「――イズミール! 舟を下げろ!」


『うおっ……あ、あっぶねぇ?!』


 小舟の舳先で水が弾けた。

 イズミールの水が噴き、舟ごと後方へと押し流される。


 その直後、さっきまで私たちがいた場所を、黒い線が薙いだ。


 源流そのものに走った裂け目――枝、だと思った。

 だが、私の知る魔樹とは明らかに挙動が違う。


 魔樹の枝葉は、幹から伸びる細かなヒビだ。

 伸びるにせよ広がるにせよ、幹から離れていく向きがある。


 だというのに、今のは遠くにあったはずの黒い亀裂が、次の瞬間にもうそこまで来ていた。

 そもそも、あの枝はいつの間に現れていた?


 泡が揺れる。


 舟底が傾き、傷の残る左肩から背へ鈍い痛みが走った。

 歯を食いしばって堪える暇もなく、再び視界の端がざわめいた。


「右手に流せ!」


『もうやってるっ!』


 イズミールが毒づくと同時に、今度は左舷で水が弾け、舟を右手側へと押し流す。

 黒い亀裂が、泡の外側を掠める。

 触れた箇所が一瞬だけ崩れたが、泡そのものは破れない。


 胸元で八つの龍珠が淡く光っている。

 この薄い膜が、ただの泡ではないことを思い出す。


『おい! これ、明らかにこっちを狙って来てるだろ!?』


 話が違う、というように彼女が叫ぶ。


 浸蝕された生き物と違って、魔樹には意思や敵意は無い。

 ただそこにあり、伸び、侵すものだと、彼女に説明した。


 だが――これは。


「……分からない」


 そう答えた時には、もう三度目が来ていた。


 今度は逃げきれない。


 私は舟の舳先に立ち、黄金の斧を両手で握り、泡の内側から迫る黒い線へ刃を合わせる。

 振り下ろすのではなく、向かってくるものに刃筋を合わせ、相手の動きでもって断ち切る。


 黄金の刃と黒い亀裂が、ぶつかり合い、反発し、ありえざる感触を手に伝えてくる。

 音もなく、亀裂が断たれ、舟の周囲に留まる水の中で浄化され、消滅する。


 この手応えは知っている。


 イズミールの水門の先に蔓延っていた魔樹を伐った時と変わらない。

 斧の芯へ伝わる軋み。断ち切った直後の空虚な手応え。散逸した黒禍の残り香。

 だから、これが魔樹であること自体はおそらく間違いない。


 切り落とされた黒い枝の、根元の方がそのまま、視界からするりと流れ去っていった。

 私は斧を構え直しながら眉をひそめた。傷痕の痛みばかりが理由ではない。


『くそっ、射程外だと思ってたのに、あっちから寄ってきたのか!?』


「意思を持った魔樹だと……」


 そんなものが在り得るのか、と思いながら球体の方を見る。


 つい先ほど、イズミールの浄化が削り取ったはずの一角は、もう傷が消えていた。

 球体の表面は絶え間なく蠢く亀裂で覆われていて、傷痕を見つけることさえ出来ない。


『……俺が削ったとこ、どこだ? 跡も何にも残らねぇって流石におかしくねぇか?』


 答えを考えるより先に、また来る。


「下へ!」


『っ、くそ! これっ、一旦離れた方が良くないか?!』


 水が噴き、小舟が沈むように落ちる。

 頭上を黒い線が奔った。さらにその外側、もう一本。


「まだ来る! 左へ!」


『ひゃあああっ!』


   挿絵(By みてみん)


 舟が捻れる。

 私は片膝をつき、体勢を低くしながら、斧を頭上に掲げる。


 刃先にぎしりと噛み合う感触。

 黄金の鎧が軋み、左肩の傷が熱を持った。


 両断。


 その手応えと肩の痛みが、逆に意識をはっきりさせてくれる。


 今までの魔樹とは違う。

 だが、完全に別物でもない。


 この異常さは、私の知らない何かではなく、私の知っている魔樹が、知らない形で現れているだけだ。


『おい! 来る方向くらいは分かるのか!

 おかしいぞ、これ、あっちからも、こっちからも来てないか?!』


「まだ、読み切れていない……だが、軌道の癖はある!」


『くそったれ! いきなり弾幕ゲーに変わるんじゃねぇ!』


 その叫びと同時に、泡の外を黒い亀裂が何本も流れた。

 枝葉というより、球体の表面そのものが剥がれた線の帯が、鞭の束のようにこちらに向かってくる。


 その動きに生き物めいた狙いは感じない。

 殺意もなく、害意もなく、無造作にそこを通り抜けようとするような動き。


 だが、その速度と大きさ、数だけでも脅威だ。

 あれら全てを避け、捌き切るのは無理がある。


「イズミール!」


『何だ!』


「舟を黄金に!」


 一瞬、瓶の中のイズミールがこちらを見た。今やるのか、という顔だった。

 共に源流に向かうと決めてから、予め取り決めておいた作戦の一つだ。


『一緒になって固まるんじゃねえぞ!』


 小舟の木肌へ、彼女の水が走った。


 金色が広がる。


 舟全体が、瞬く間に黄金へ変わった。

 船体すべてが一塊のまま、黒禍を通さぬ女神の黄金へ置き換わる。

 沈めた世界のあらゆるものを黄金に染めた力だ。

 舟一艘を変えること自体は、今のイズミールにとって難しくないのだろう。


 木目が金に変わり、縁も底も櫂も、すべてが硬い輝きを帯びる。

 源流の淡い白の中で、黄金の舟は異物のように光った。


「舟底で受ける!」


 舟縁をしっかりと掴んで叫ぶ。


『おう!』


 迫る黒い帯に対し、イズミールは即座に大きく舟を傾けた。

 黄金の舟腹へ、黒い亀裂が正面から叩きつけられる。


 黒い枝が、直撃した。

 鈍い衝撃。


 だが、舟は壊れず、侵されることもない。

 それでも、衝撃は消えない。船が大きく傾く。


『うわっ、保つのか、これ!?』


「まだだ!」


 舟から投げ出される前に、掴んだ縁を起点に船底に立つ。

 跳ね上がった勢いのまま、横合いから流れてきた別の亀裂へ黄金の刃を打ち込む。


 黄金と化した舟は、盾としてだけではなく、足場としても使える。


 戦える――そう思った直後だった。


 今までより太い枝が迫ってきた。

 幹と見まがうほどの巨大な枝が、壁のように迫ってくる。


「イズミール!」


『うわああああっ!?』


 避け切れない。

 そう判断して、イズミールの入った瓶をしっかりと抱え、舟の陰に潜り込む。


 黄金の舟は、盾としての役目を果たしてくれた。

 だが、船体に枝が叩きつけられると、世界そのものに殴られたような衝撃が走る。


 私たちは舟ごと吹き飛ばされた。


 泡がねじれ、視界が回転し、源流へと投げ出された。

 息が詰まり、傷の残る肩と背に鈍い痛みが走った。


 瓶の中の水が、ガラスの壁に叩きつけられるように揺れた。

 その光景を見た瞬間、肩の痛みより先に血の気が引く。


 私は、何があっても、瓶と斧だけは離すまいとそれらを必死に抱え込む。


『アイオリスっ! おい! 生きてるか! 返事しろ!』


「イズミール、瓶はっ」


『割れてねえよ! 俺より自分の身を心配しろ!』


「鎧のおかげで助かった。骨は折れていない」


『衝撃は通ってんだろうが!』


「動ける」


『お前の“動ける”は信用できねえんだよ!』


 言い返しながら、視線を巡らせ舟を探す。

 見つけた、と思った時には、私を包む泡が舟の方向へと流れていった。


 イズミールだ。

 私を心配しながらも、足場と盾の確保を行おうとしてくれている。

 金と銀の彼女が、手を貸してくれているのかもしれない。


「すまない。いや、ありがとう、イズミール」


『後だ後、ボサっとしてるとやられちまうぞ!』


 今の攻防でよく分かった。

 黄金は深淵に侵されないが、完全に守ってくれるわけではない。


 次の一撃が来る前に、私は短く言った。


「イズミール。舟だけを頼りにするのは無理がある」


『じゃあどうすんだよ!』


 答える前に、瓶を見た。


 瓶の中でイズミールは拳を握って怒っている。

 ガラスの内側から漏れる青白い光が、先ほどより少し淡い。

 だが、怒鳴れるうちは大丈夫なのだと、そう思いたかった。


「……別の足場も使う」


『あぁ!? そんなもん、どこにあんだよ!』


 私は、迫る黒い枝を見た。


「そこだ」


『……おい』


 イズミールの声が低くなる。


『まさか、あの黒いのを踏んづける気か!?』


「私の両足を膝下まで、黄金にしてくれ」


『はぁ?! しょ、正気かっ、お前!?』


 びちゃん、と瓶の中から水音が響いた。

 彼女は両手をガラスに張り付けて、信じられないものを見る目で見上げてきた。


「黄金になれば、あれに触れられる。ならば、足場にもできる」


『ふざけんな! あんなのが足場に使えるわけねえだろ。めちゃくちゃ高速で流れてんだぞ』


「捉え切れない速さではない。斧と合わせれば、行ける」


『あんなのの上を飛び回るとか、俺まで振り回されるってことじゃねぇか!

 瓶が吹っ飛んだらお前だっておしまいなんだぞ! 分かってんのか!?』


「分かっている。何があろうとも、君だけは決して離さない」


『……っ』


 瓶の中で、イズミールが息を呑んだ気がした。


 生身の足を黄金に変えることも。それを宛てにした無謀な行動も。

 彼女にとって、受け入れがたいのは承知の上だ。

 私自身、自分の判断が正しいと胸を張れるわけではない。


 だが、今のままでは防戦一方を強いられ、余力を削られていく。

 舟は壊れずとも、いずれ、私たちが保たなくなる。

 イズミールの瓶を守りながら、球体を観察し、斧を振るうためには、動ける足場が必要だ。


「イズミール。君を守るために、君の力を貸して欲しい」


『……ずるい言い方すんな、馬鹿野郎』


 彼女はもうそれ以上、拒もうとはしなかった。


 互いの譲れること、譲れないことの線引きは、旅路の間で出来ていた。

 こんな形で役に立つとは思わなかった。

 だが、その積み重ねが今、私たちを生かしている。


 イズミールの水が、私の脚甲へ絡みついた。

 黄金の光が、膝から下へ染み込む。


 次の瞬間、膝から下が重くなった。

 肉体が黄金に変わったのだ。


 膝下から足先まで、身体の感覚が遠のいた。

 触れているというより、膝へ返る重さと振動だけで、そこに足があると分かる。


 膝を曲げ、両踵を軽く打ち付ける。

 硬質の打音と共に、膝に微かな振動が伝わった。


 黄金と化した足は生身の頃より重たく感じる。

 だが、私はまだ生きて、動いている。


 ならば、私は止まらない。


『本当に、行けるのか……?』


「ああ」


『無茶したら、お前……コレだからな!』


 瓶の中で彼女が小さな小さな拳を握り込んで見せてきた。


 ああ、あの拳を受けたらどんな感触なのだろうか。

 そんなこと考えてみたら、知らないうちに強張っていた背から力が抜けた。


「覚えておく」


『グーで行くからな!』


 黒い枝が再び迫る。


 弧を描く軌道で高速で振ってくる。

 やはり、その動きには熟練の剣士の振るう刃と違い、虚実や殺意が含まれていない。


「おおおおっ!」


 舟の縁を蹴り、枝を躱し様に斧を打ち込む。


 跳ぶ前に、瓶の位置だけを確かめる。

 斧を振るう腕と、瓶を庇う身体の角度を、同時に決めた。

 

 亀裂を刃を食いこませ、その動きに身を任せた。


『速い速いはやいぃぃぃぃいっ!』


 身体がぐんと引っ張られ、振り回され、投げ出されそうになる。

 瓶の中の小さな身体もまた、遅れて同じ向きへ振り回されているのが見えた。


 猛烈な速度をどうにか堪え切ってから、身を翻し、黄金と化した足で黒い亀裂を踏みしめる。


 この世ならざる場所に通じる裂け目に足で立つという異様な状況。

 黄金は深淵と反発し、すり抜けさせることもなく、黒禍も通らない。


 高速で流れる枝の上は、到底、安定した足場とは呼べない。

 身を起こせば、すぐにでも身体が外へ持っていかれそうになる。


 だが、私はその僅かな隙に、黄金の斧を振るい、枝を断った。

 切断面がほどけ、黒い先端が源流へ散る。


 次の瞬間には、残った根元を蹴って、別の亀裂へ飛び移る。

 その最中にも斧を振るい、通り過ぎる裂け目を断つ。


 足が裂け目に着く前に刃を振り下ろす。


『うおっ、揺らすな! いや、止まるんじゃねぇ! でも、絶対、落とすな!』


 さらに次の枝。


『あああぁぁーーーっ!?』


挿絵(By みてみん)


 斬る。

 蹴る。

 跳ぶ。

 断つ。


 足元は常に消える。

 足場は、足を置いた瞬間にはもう別の場所へ流れ始めている。


 足場にした亀裂が、予想より早く沈むと、身体が前へ流れる。

 私は斧ではなく、先に瓶を庇う側の肩を引いた。


 その分、刃の振りは遅れ、浅くなり、黒い枝の先が鎧を掠める。

 それでも、瓶にだけは触れさせなかった。


『今の避けられただろ!』


「君を優先した」


『鎧があったらあったで無茶すんじゃねぇか!』


 刻々と変わる状況、高速で流れる視界。

 だが、片時たりとも瓶の存在を忘れはしない。


 黄金の舟は、はるか下の方で回転している。

 息も上がっている。

 幾度となく繰り返した加速と急制動に、傷口が開きかけているのを感じる。 

 とても万全な状態とは言えない。


 ――だが、ようやく見えてきたものがあった。


 移動する傷痕。

 高速で動き、迫ってくる枝。

 枝がやってくる方向と間隔。

 不規則なようでいて、癖のない軌道。

 そして、枝葉を断ち切った時の感触。


 やはり、これも魔樹なのだ。

 だが、こちらを狙っているわけではない。


「イズミール! もう一度、水を撃ち込んでくれ!」


『効かなくても知らねえぞ!』


 イズミールが周りの水を細く束ねて球体へと撃ち出す。


 青白い光が、球体の表面を削り、傷が刻まれた。

 だが、その傷痕は一点に留まらず、球体の表面に弧を描く。

 水流が途切れると、傷は球面の向こう側へ流れ、やがて見えなくなった。


『お、おいっ、今の、何だ!?』


「……この球体は回っている!」


『……は? いや、そう見えなくもねえけど――』


 表面に絡みついた無数の亀裂が、猛烈な速度で巡っている。

 だから、枝や触手が伸びてくるように見える。

 斬った根元も、イズミールの浄化で削った傷も、次の瞬間には別の場所へずれる。


 だが、ただの横回転でも縦回転でもない。

 亀裂は別の角度からも現れる。


 私は迫る黒い亀裂をもう一度斧で断ち、同時に枝のような裂け目の上を蹴って後退した。


「横でも、縦でもない。あれは回りながら別方向にも回っている。

 だから削った場所がずれ、伐るべき幹も見える位置にない」


 回転には必ず、中心となる軸がある。

 それが幹そのものか、幹へ届く道なのかはまだ分からない。

 だが、そこへ届かなければ、刃は通らない。


 瓶の中のイズミールが、目を見開いた。


『ジャイロスコープかよ!? そんなん分かるか!』


 イズミールが、よくわからない言葉で悪態を吐いた。

 それが、ただ動揺しているだけの時とは限らないことを私は知っている。

 彼女は彼女で、自分なりの理解でこの現象を突き止めようとしているのだろう。


「私も、ようやく掴めたところだ」


 私は斧を握り直し、球体に目を向ける。


 黄金の斧は亀裂を断ち斬れる。

 だが、幹を伐らねば、魔樹は倒せない。


 イズミールは浄化で広範に渡って枝葉を削れる。

 だが、この魔樹は同じ場所を削らせない。


 枝葉の総量は減らせているのかもしれないが、あまりにも大きすぎる。


『……つまり、回ってる間はダメージが一点に溜まらねえってことか』


「そういうことになる」


『クソ仕様にも程があるだろ! 設計者出て来い!』


 仕組みは見えた。原理はごく単純だ。

 だからこそ対処に困る。


 回転を成り立たせている中心、軸が交わるような箇所があるはずだ。


 だが、そこへ刃を届かせる為には、この球殻を突破する必要がある。

 イズミールが扱える水にも限りがある。


 私は枝を蹴って飛び退き、源流を漂う黄金の小舟の方へと跳んだ。

 黒い亀裂の帯がすぐ下を抜けていく。

 軌道を見誤れば、飲み込まれていたところだ。


 息を整える。

 傷が熱い。

 膝下の黄金は侵されてはいないが、衝撃のたびに膝へ鈍い響きが伝わる。


 球体魔樹は意思なく回り続ける。

 私はその動きを理解しつつあるが、理解しただけでは芯を断てない。


『アイオリス!』


「何だ」


『真ん中っぽいとこ、どうにか狙えねえのか?

 軸を壊しちまえば、バラバラに吹っ飛ぶんじゃないのか?!』


「……至近で君が浄化し、その穴に飛び込めば、あるいは」


 やるとすれば、舟を盾にしつつ急接近する必要がある。

 進むにも、浄化をするにも、イズミールにかなりの負担を強いることになる。

 黄金の鎧があったとしても、私も無傷では済まないだろう。


『却下だ! そんなの特攻じゃねえか! アホか!』


「だが、このままでは私も君も消耗するばかりだ」


『クソッ……!』


 瓶の中で、イズミールが水を荒立てた。

 その苛立ちは、私の焦りとも重なる。


 以前の私なら、ここで無理にでも突っ込んでいたかもしれない。

 傷も疲れも無視して、ただ一番深いところへ刃を差し込むことだけを考えていた。


 だが――今は違う。


 瓶の中にはイズミールがいる。

 そして、龍神から預かった八つの龍珠がある。


 どれも失われてはならない命だ。


 そして、私の命も、もう私ひとりの判断で使い潰してよいものではない。

 イズミールと共に生きたい。

 ミューズが、リディアたちが帰りを待っている。


 ――独りでないことが、これほど重く、これほど救いになるとは、あの頃は知らなかった。


 球体の黒い表面から、枝じみた亀裂が何本も迫ってくる。

 イズミールは私を包む泡を、小舟まで押し流し、船底を盾としてやり過ごす。


 球体魔樹の回転は収まることがない。

 黒い亀裂の集合で、世界の傷口を抉り続けている。


 だと言うのに、私たちはその傷口の根元に手が届かずにいる。


 彼女は瓶底に座り込み、黙り込んだ。

 恐怖による沈黙ではない。


 彼女は、必死にどうすべきかを考えている。

 これまでもそうだった。

 傷つき、追い詰められ、文句を言い、無理だと叫びながら、それでも最後には、誰も思いつかない場所へ手を伸ばす。


 私は、彼女を守りたい。

 だが、守るとは、後ろへ隠すことだけではない。


 彼女が選んだ戦いを、彼女自身の手から奪わない。

 そのために支えることが、今の私の役目だ。


 ――瓶の中で、水が揺れた。


『……止めりゃ、伐れるんだよな』


 不意に、彼女が言った。

 その声は低かった。


 先ほどまでの悪態とは違う。

 恐怖を隠す声でもない。

 何かを掴んだ声だった。


 私は目を動かさずに答える。


「ああ」


『だったら、止めてやる』


「どうやって」


 短い沈黙。


『俺一人じゃ無理だ』


 イズミールが、瓶の中から私を見上げた。

 その小さな手が私の胸元を指差した。


『でも――』


 彼女の言葉に応えるように、龍珠の中の水が揺らめいた。

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― 新着の感想 ―
複数軸の回転ならジャイロボール(球種)ではなくジャイロスコープかなと思いました 自分の見当違いならごめんなさい これ絶対に神話の最終決戦として永遠に語り継がれる奴
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