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111.むすんだ泡は、ひろがって(前編) ◆★△

白い世界での龍神との邂逅後からイズミールとアイオリスの婚(魂)前旅行の出発前までの別視点。

 みゅ、みゅ、みゅ。


 おみず、たかくて、ふかくて、ひろい。


 ちいさな水音を散らしながら、三つの影が青暗い水の底を飛んでいた。


 世界は母の水で満ちている。

 だから、かき分けて泳ぐ必要はない。

 水の中を飛ぶこと――それは幼い龍の仔にとって、歩くよりもずっと自然な移動だった。


 足の下には、きらきらがある。


 うえにも、きらきら。

 よこにも、きらきら。


 いえ。みち。はたけ。き。やま。いし。

 にんげん。どうぶつ。とり。にんげんのつくったもの。


 みんな、おなじきんいろになって、しずかに水の底へ沈んでいる。


 きらきらは、うかばない。

 うごかない。なかない。

 とってもしずか。


 母の水はどこまでも広くて、どこまでも続いている。

 幼い三人にとって、この広くて静かな水の世界は、しあわせに満ちていた。


挿絵(By みてみん)


 ミュルナは前を飛ぶ。

 いちばん先を、いちばん速く。いちばんえらそうに飛ぶ。


『みゅ! たべもぉ、さがす!』


 ミュリナは少し後ろを飛ぶ。

 あてもなくビュンビュン飛ばす姉を追いかけながら、水の底をよく見ている。


 はこ。たる。ふくろ。つぼ。ぬの。

 そういうものを持って帰ると、みんなが喜ぶ。

 それをちゃんと覚えている。それから、自分たちの大事なやくめも。


『……しぁー。それ、ちがぅ』


 いちばん後ろのミュシアは、ひたすら自由だった。

 きらきらしたもの。まるいもの。へんな形のもの。

 そういうものを見つけると、すぐ拾う。


 まんなかの姉に注意されると、仕方なさそうに放り出し、小首を傾げる。


『たべもぉ……、ちがぁー?』


 幼い三人の姉妹は、母の言いつけでおつかいの最中だった。

 母が探してこいと言ったのは、にんげんの、たべもの。


 三人は“たべる”が何なのかわかってない。

 からだの中に、じぶん(みず)ではないものを入れるなんて、へんだなぁ、くらいに思っている。


 水の中より少し動きにくい、あの泡の丘に集まったにんげんたち。

 彼らが欲しがるものを見つけて、持って帰る。

 それが母から言いつけられた三人のおつかいで、遊びだった。


 たべものは、そのままでは、まだ食べられない。

 この世界にあるものはたいてい、母の力で黄金になっている。


 きんきらは、きれい。

 きんきらは、つよい。

 でも、にんげんは、きんきらをたべられない。


 だから、たべものっぽいきんきらを見つけたら持って帰る。

 母のところへ持って帰れば、母がきんきらをほどいてくれる。


 すると、にんげんがうれしそうな顔をする。

 りぃやも、目をきらきらさせる。

 母も、えらいぞ、と言って、あたまをパチャパチャしてくれる。


 それが、すごくうれしい。


 ミュルナが、三角屋根のおうちの中で大きな壺を見つけた。

 両手で抱えるように掴んで、引っ張る。

 黄金の壺は硬く、重い。けれど、水の中では持ち上がらないほどではない。


 だって、ミュルナは一番最初に母に抱っこされたお姉さんだから。


『ミュルナ! みぃーっけた!』


 だが、ミュリナがすぐ横から覗き込んで首を振る。


『メー、それも、たべもぉ、ちがぁー』


『みゅ?』


『からっぽ』


 壺の中には、もう何も入っていなかった。水瓶だったのかもしれない。

 黄金になっているから見た目ではわかりづらいが、ミュリナは中身の有無をきちんと見ていた。


 母によく気がつく子だって褒められたから。


 ミュルナが、ぷくーっと頬を膨らませる。


『むぅー』


 その横で、ミュシアが家の中へ頭から飛び込んでいた。

 窓の隙間から、ぴゃっと入っていく。

 ほどなくして、彼女は丸いものを抱えて戻ってきた。


『しぁー! たべもぉ!』


 袋だった。


 大きさは彼女の胴体よりも少し大きい程度。口が縛ってあって、中身は見えない。

 ミュリナは、固まった袋にヒレをぺとりとくっつけて、こんこん、と叩く。


『……ん。なんか、はいってぅ』


『んみみゃー!』


 ミュシアが得意そうに袋を抱き締め、そのままふわふわ天井近くを漂う。

 その姿を見て、ミュルナも負けじと別の家へ飛び込んでいく。


 きらきらの椅子。きらきらの棚。きらきらの器。

 そのあいだを泳いで、ごろごろとした塊を見つける。


『みゅぅいぃ! ミュルナ! みぃーっけた!』


 それは丸いかたまり。おそらく、芋。

 土のついたまま山積みにされていたものが、そのまま黄金の塊になっている。


 ミュルナは両腕で抱えられるだけ黄金の芋を抱えた。


 重たい。

 けれど、えらいから持てる。

 持って帰って、母に褒めてもらう。そしたら、もっとえらい。


 かしこいミュリナは母から教わったことをちゃんと覚えている。

 にんげんは、たべものを集めて置いておくのだ。

 草みたいなもの。大きさの違ういろいろな瓶。つるりとした真ん丸。


 きんきらの中から、たべものになりそうなものを見つけ出していく。

 その途中で、ミュシアは金色の籠を被って遊び出し、ミュルナに怒られた。


『かぶぉーっ、かぶぉ!』


『ヤーッ! ミュルナたち、おしごと!』


『みぅー……』


 しょんぼりしながらも、ミュシアはすぐに別のものへ興味を移す。

 広くて深い水の世界は、子どもたちには刺激が多すぎた。


 けれど、母の言いつけも忘れない。


 まだ水が狭かったころに、母と過ごした場所の真ん中の深いところ。

 母が湧き出してくる、ちょっと怖いところ。


 あそこは、だめ。

 ぜったいちかづくな。

 ママがいった。


 三人は、難しい言葉や理屈を理解しているわけではない。

 けれど、母が本気で嫌がっていることだけは、ちゃんとわかる。


 だから行かない。


 ほんとうは、そらの高いところまでギュンギュン飛んでみたい。

 けれど、今はおつかいが大事。

 そして、探し物はみんな、きんきらになって沈んでいる。


 だから、三人できんきらの中を探す。


 母に褒めてもらえるように。

 りぃやが喜ぶように。

 にんげんたちが、わあ、ってするように。


 今日も三人は、水の底を飛び回った。


※※※※※


 泡の丘へ戻ってきた時、朝の光はもう高くなっていた。


 泡の膜に包まれた小さな陸地の中では、人々が慌ただしく動いている。

 沈んだ世界のただ中にありながら、そこだけは辛うじて息をしている生活の場だった。


 ミュルナ、ミュリナ、ミュシアは、獲物を抱えたまま、泡の中に飛び込む。


 べちゃっと身体が重たくなる。

 この泡の中は、水の中と比べて自由がきかない。ふわふわしづらい。

 でも、ここには母がいる。母が待っている自分たちの“おうち”だ。


 泡のおうちに帰ったら真っ先に母の気配を探す。


 いた。


 水の中じゃないのに、水そのものより鮮やかで、強くて優しい気配。


 ミュルナたちのマァマ。


 母――イズミールは、横たえられた“きこりやろぉ”のそばにいた。


 きこりやろぉは、マァマのだいじ。


 今は「痛い」になってる。

 「痛い」が何なのか、ミュルナはよく知らないけど、「つらい」は知ってる。

 こわくて嫌な黒いのが、母を「つらい」にしてたのを忘れてない。


 たぶん、「痛い」は「つらい」と似てるもの。だったら、嫌い。

 きこりやろぉの「痛い」も早くなくなるといいなぁとミュルナは思う。


 母は、きこりやろぉに傍から離れないで、人間たちと何かを話している。


 三人には、母の言っていることはもちろんわかる。

 だって、マァマだから。


 きこりやろぉの言葉も、なんかわかる。

 母と魂を約しているからだと、三人は知らない。

 ママのだいじだから、そういうものかなと思ってる。


 でも、難しいことはわからない――まだ、子どもだから。


 泡の中に水の幼子たちが飛び込んできたのを見て、人間たちの間で、小さなざわめきが広がった。


「ああっ、御子様方! 無事、お戻りになったぞ!」


「食べ物を……また持ってきてくださったのか……!」


「おぉ、なんと尊く慈悲深いことだろうか……」


 誰かが胸の前で手を組み、誰かがその場へへたり込みそうになるのを堪えていた。

 黄金に沈んだ世界の中で、三つの小さな水音が戻ってくること自体が、彼らにとって今日を生き延びられるという報せだった。


 人間たちの言葉は、相変わらず細かな意味まではわからない。

 けれど、声の調子や顔つきから、うれしい、こまった、こわい、くらいは伝わってくる。

 だから、祈りが届くと手を振って応える。人間はそうすると喜んでくれる。


 ――三人はいつものように、真っ先に母めがけて飛んだ。


『まんまぁー!』


『みぃー!』


『みゃー!』


 きこりやろぉにくっついていたマァマは大慌て。


『ひゃっふぅ!?』


挿絵(By みてみん)


 三つの水音が弾けて混ざる。


 獲物を抱えたまま、みんなでいっせいに母へ飛びつく。

 ざぶん、と母の水に頭から突っ込んで、ばしゃりと顔を上げる。


 イズミールは、わっとなって両腕をばたつかせて受け止める。


『お、おい、ちびども、ちょっ、こらっ!

 落とす、瓶! 瓶割るな! あ、割れねえか……』


 その声は本気で怒ってはいないって知っている。


 ミュルナが真っ先に、黄金芋を掲げる。

 ミュリナは抱えていた瓶をそっと見せる。

 ミュシアは袋を抱いて踊り出した。


『たべもぉ!』


『ミュリナ、ちゃんとした!』


『んみぃ、いっぱぁ』


 イズミールは、三人を見た。

 それから、彼女たちの抱えているものを見た。

 最後に、わずかに口元を緩める。


『……ちゃんと帰ってきたな』


 ぶっきらぼうな声だった。

 だが、すぐに続いた言葉は柔らかい。


『ミュルナ、ミュリナ、ミュシア、えらいぞ』


 それだけで、三人の身体の中がふわっと軽くなる。


 母が褒めてくれた。

 えらい、って言った。なまえを呼んでくれた。

 それだけで、うれしいでいっぱいになる。


 ミュルナがいちばん先に、母の腕へ頭を擦り付ける。

 ミュシアは脚へしがみつく。

 ミュリナは少し遅れて、そっと腰へ抱きついた。


 イズミールは、困ったような顔をしながらも、三つの頭を順に撫でた。

 喧嘩しないように、順番はいつもばらばら。


『迷子にもならなかったし、ちゃんと形を覚えてたな。上出来だ』


 水の指先は、柔らかくて温かい。

 三人は気持ちよさそうに、もっと、と頭を押し付けつつ、母から水を吸う。


 アイオリスは口を挟まなかった。

 ただ、その光景を見つめる眼差しには、安堵だけではないものが滲んでいた。

 この当たり前のひとときを、壊したくなかったから。


 その横から、りぃや――リディアが駆けてきた。


 りぃやのことは、ちゃんとわかる。

 名前を貰ったからだ。


 りぃやの声がすると、三人の水がちょっとだけうれしくなる。


「みんな、良かった……っ、すごい! またこんなに……!」


 彼女の言葉は、三人には細かな意味まではわからない。

 でも、心配した、うれしい、すごい、たすかる、という響きだけはわかる。


 りぃやの嬉しさは、母へ向けられる祈りに少し似ている。

 自分がちょっと増えていく感じがする。


 おおきくてつよいは、えらい。だから、これもすき。


 イズミールが、ミュシアの抱えてきた壺へ手を伸ばす。


『よし、まずは中身確認だな――ガチャの時間だ』


『がちゃ! がちゃ!』


『いっぱい……』


『ヤッフゥゥゥウア!』


 きんきらをほどくのは、がちゃ。

 ママがうれしそう。がちゃは、うれしい。


『騒ぐな騒ぐな。まだ当たりって決まったわけじゃ――』


『みゅー!』


『んっ』


『しぁー!』


 指先が黄金の壺へ触れる。

 金色の輝きが、そこだけふわりとほどけていった。


 硬いきんきらが、土色の焼き物へ戻る。

 布の口紐も元の色を取り戻し、蓋を開ければ、中には乾いた豆が詰まっていた。


『おお、当たりだな』


 人間たちの間に安堵が広がった。

 りぃやの目が、きらきらした。


 ミュシアは、ママがほどいた! と跳ねた。

 ミュルナも、自分の芋をほどいてほしくて、ぐいぐい押し出す。


「これ! これも! たべもぉー!」


『はいはい、わかったわかった、押すなって』


 イズミールは次々と黄金をほどいていく。


 芋が土色を取り戻す。

 葉物がくたびれた緑へ戻る。

 別の壺からは雑穀が出てきた。


 あたり。

 にんげんがよろこぶもの。

 りぃやもよろこぶ。

 ママも、よし、と言ってくれる。


 ミュルナは得意気に芋を両手に、にんげんたちに見せびらかしに行った。

 ミュシアは小鳥を追いかけ回している。


 その一方で、ミュリナはじっと見ていた。

 ほどく、ということ。

 ママの水が黄金の表面にしみこんで、きんきらが元のものへ戻る、その動き。


 自分たちは、まだできない。

 持ってくることはできる。

 探すことも、飛ぶことも、汚れを祓うこともできる。

 けれど、この「ほどく」は、まだママだけのものだった。


 きんきらをほどけたら、ママのいちばん?


 ミュリナの視線に気づいたのか、イズミールが一瞬だけ彼女を見た。


『……よく見とけ。あとで教えてやる』


「ん」


 ミュリナは小さく頷いた。

 それだけで嬉しかった。


※※※※※


 食料の仕分けがひと段落すると、アイオリスが上体を起こした。

 イズミールがそっと支える。


 まだ顔色は良くない。

 背や肩の傷も塞がりきっていない。

 それでも、彼は横になったままではいなかった。


 リディアが、二人の傍へと寄った。

 真面目な顔だ。

 怖い顔でも、怒った顔でもない。泣きそうなのを我慢している顔だった。


 子どもたちは、母の髪の中に溶け込みながら、自然と会話を聞いていた。


「……つまり、世界はまだ元通りにはならないんですね」


 りぃやの声は震えていた。


 ミュルナたちには、難しいことはよくわからない。


 この泡のおうちの外の世界が、まだ困ったままだということだけ、なんとなくわかった。

 きこりやろぉとマァマが、どこかへ行くらしい。


 でも、マァマといっしょのお出かけは、きっとたのしい。


 きこりやろぉもいっしょなら、りぃやもいっしょ。

 ミュルナたちはもちろん、みんなで行くのだと思っている。

 

 それなのに――どうして、りぃやはうれしそうじゃないんだろう。


「そうだ」


 アイオリスの答えは短い。


「源流の側に残る魔樹を断たねば、水も黄金も退かせることはできない」


「そんな……」


 リディアは俯いた。

 バチャバチャと波打って渦巻く感情が、三人には伝わってくる。

 けど、彼女はそれを飲み込んで、言葉には出さない。


「……それを、アイオリスさんが?」


「私とイズミールで、だ」


 その答えに、リディアが顔を上げる。


「だって、怪我をしているんですよ?!」


 その声は、悲痛で、でも、止めきれない者の声だった。


 ここにいる誰よりも、今のアイオリスが無茶をしていると、リディアはわかっている。

 それでも行かねばならない理屈まで、理解してしまった。

 だからこそ、怒鳴ることも、泣き崩れることもできなかった。


 リディアの感情が溢れたことを感じ取って、ミュルナはびょこんと母の髪の間から顔を出した。


『み……』


 りぃや、こまってる。だーじょってしたい。

 でも、マァマに、おとなしくっていわれてる。


「無茶だというのは、その通りだ。

 だが、他に行ける者がいたとしても、私は行く……行かねばならない」


 リディアの手が震えた。

 彼女は、叫びたかったのだろう。


 やめてください。

 無茶です。

 死にかけたばかりじゃないですか。


 そう言いたい顔をしていた。


 だが彼女は、魔術師として、理屈で感情を抑え込んだ。


「……わたしじゃ、足手纏いになってしまうんですよね……」


「すまないが、その通りだ」


「そして、龍神様にも、イズミール様にも、源流の向こうの魔樹には手が届かない」


「ああ、そうだ」


「……っ」


 りぃやは、唇を噛んだ。

 理解したくないのに、理解してしまった顔だった。


 ミュルナは、りぃやのその顔が少し嫌い。


 うれしい、じゃない。

 いたい、つらい、とにてる。


 マァマと、りぃや、きこりやろぉ。

 だいすきと、だいじと、すきが、みんないるのに、うれしい、じゃない。

 もっと、たべもの、あつめたら、よろこぶかな。


 リディアは長い沈黙のあと、ようやく言った。


「……わかりました」


 その声は小さい。

 でも、逃げる声ではなかった。


「止められないなら……せめて、準備する時間をください。

 アイオリスさん達に必要なもの。この泡の中の人達に必要なもの。

 ミュルナたちにも、ちゃんと説明してあげてください」


「わかった」


 アイオリスが言うと、リディアは、まだ泣きそうな顔のまま頷いた。


『おい、木こり野郎。あんまりその子に心配ばっかかけんなよ。

 お前はいっつも言葉足らずなんだからな』


「リディア、皆を集めてくれないか。

 私とイズミール様がこれから果たすべきことをきちんと伝えたい」


 そして、泡の中が人々が続々と集まってきた。

 ミュルナたちは、どんな遊びが始まるのかとわくわくした。

 でも、はじまったのは遊びじゃなかった。

 

 アイオリスの話を聞き、誰かが祈るように胸の前で手を組み、誰かは俯いた。

 誰も口を差し挟まない。女神と聖者の言葉は、自分たちの明日を左右する。

 だが、女神と聖者が行かねばならぬのなら、自分たちには止める言葉がないと、皆わかっている。


 ミュシアには、ママや人間たちのやり取りの意味が半分も理解できなかった。

 ただ、りぃやがここにいる。ママと、きこりやろぉが、どこかいく。たぶん、ながい。

 そのことだけは感じていた。


 なんとなく、いやな気分だった。


 だから気を紛らわせるように、ミュシアは母の髪の中から飛び出した。

 そのまま近くいた兵士の頭に取りついて。兜へ手を伸ばした。


「うわっ、み、御子様!? い、いけませんっ」


 若い兵士は、この丘を守ってくれた、三人の小さな御子に崇敬を抱いている。

 万が一にも害してはいけないと、身体を強張らせた。


 周囲にいた兵士たちも、思わず半歩ほど身を引いた。

 助けるべきか、触れてよいものか、その判断すらつかない。

 小さな御子は、彼らにとって戦場で見たどんな相手より扱いに困る存在だった。


 ミュシアには兵士の言葉がわからない。わかっていても気にしない。

 今は、ちょっといやな気分の代わりが欲しいから、遊びが優先。


『んみぃ』


 小さな手で鉄の兜をペチャペチャと触る。

 丸いところ、出っ張ったところ。角ばったところ。


 そのうち、兜の前面に付いた可動する板――面頬のような部品へ手を掛けた。

 かちゃ。かちゃ。


 上げる。下げる。


『かぶぉ! かぶぉー!』


 面白い。


 もう一度、上げる。下げる。

 かちゃ、かちゃ。


 その様子を、少し離れたところからイズミールが見ていた。


『おぉい、末っ子! 大人しくしてろって言ったろ! 兵隊さんが困ってるだろうが』


 彼女の目が細くなる。


 ミュシアは今度は、肩甲へと移った。

 兵士の身じろぎにより、組み合わせた板金が、節ごとに少しずつ動く。


『みゃ、みゅ、みょー』


 するすると腕を伝って、籠手や手甲をぺちぺち叩き、指を引っ張る。

 まとわりつかれた兵士は、畏れ多いやら何らで気が気ではない。


 兵士たちを取りまとめるカストールに助けを求める視線を送る。

 しかし、女神とその御子に絶対に忠誠と献身を誓った彼には、御子の意思を妨げることができない。


 イズミールがもう一度、ミュシアを呼びつけようとして止まった。


『ん。ちょっと待てよ……』


 水色の視線が、兜、籠手、肩当て、その継ぎ目を順に走る。


 黄金にした兜は、動かなくなっていた。

 一つの塊として固まってしまい、道具としての機能を失っていた。


 けれど今、目の前では、ばらばらの部品が、ちゃんと別々に動いている。


『……そうだよ、プラモだよ、プラモ!』


 イズミールの口から、妙な言葉が漏れた。

 彼女の言葉を聞き取れるアイオリスだったが、意味不明な言動だった。


「イズミール様、なんて仰ってるんですか?」


 リディアがアイオリスに問うが、突飛すぎる発言は彼にも伝えようがない。


「いや、これは……」


 イズミールはまだ兵士をいじっているミュシアを指差し、アイオリスに言った。


『ギュゲスを呼んで来い! ばらせばいいんだよ!』


「……は?」


『鎧だよ、鎧! いっつも思ってたんだ、そんな装備で大丈夫かって。

 そうだよ、丸ごと黄金にするから関節がくっついて固まっちまうんだ。

 パーツごとに分解して、黄金にして、あとで繋ぎ直せば可動は残るだろ』


 あまりにも唐突な発言に、アイオリスは困惑した。

 だが、黒禍を寄せ付けない女神の黄金を身に着けて動けるならば、心強い。


 聖者を通して伝えられた女神の言葉に、その場の誰もが一瞬、何を言われたのか分からず黙り込んだ。

 壊れた鎧をばらす。黄金にする。繋ぎ直す。

 言葉の意味は追えても、それが本当に成り立つのかまでは、すぐには飲み込めない。


 だが、その沈黙を最初に破ったのがギュゲスだった。

 大工である彼には、武具そのものよりも、部品と構造の話として響いたのだろう。


「……なるほどな。固めた後に組み合わせる分には、いける。

 革紐なんかは固めずに使えばいいんだ。

 いけるぞ、こりゃあ。すげえや――こいつは他にも使えるかもしんねぇ!」


 ギュゲスは前に女神から向けられた親指を立てる仕草(サムズアップ)で応じる。


「イズミール様、ギュゲスは、できると申しています」


『よし、いいぞ! ギュゲス! アイオリスに一番いい装備を頼む!』


 イズミールが同じ仕草を返すと、アイオリスは僅かに眉を顰めた。

 ギュゲスは、自分が指名されたことを察したらしく、胸を張った。


「聖者様よぉ、あんたの装備を用意しろってことで良いんだよな?」


「ああ」


 カストールが、口髭に宛がっていた手を降ろして頷く。


「聖者殿の体格に合う装備を集めましょう。

 黄金にするのであれば、壊れたものも含めて、活かしようがあるでしょう」


 リディアの目にも、理解の光が灯った。


「イズミール様の黄金なら、浸蝕を防げる……それなら、少しでも戦いの役に……」


 ミュシアは、よくわからないまま得意げだった。

 かちゃかちゃ遊んでいただけなのに、ママの水がぐっと動いたからだ。


 ミュルナとミュリナも負けじと飛び出して、自分も役に立てると主張する。


『マァ! ミュルナも!』

『ミュリナ、ちゃんと、できぅ』


『だぁめ、細かい作業だから、お前らにはまだ早い。邪魔しちゃ駄目だからな』


 ママの言いつけは、ぜったい。

 でも、三人はぷくーっと膨れた。


 カストールが部材を集め、ギュゲスが分解し、リディアはバラされた部品を整理する。

 イズミールがそれを黄金化し、組み合わせてみて噛み合いが悪いと、元の鉄に戻す。


 その光景は、ミュルナたちには大きな遊び場のように見えた。

 でも、母も、リディアも、アイオリスも真剣な顔をしていた。


 三人は少し離れた場所でそれをじっと見ていた。

 母が鉄を黄金に変えたり、ほどく様をじっと見つめていた。


※※※※※


 準備は、思っていた以上に早く進んだ。

 早く進めようという焦りが、泡の丘じゅうに満ちていたからかもしれない。


 ――女神と聖者が旅立つ。


 それは不安でもあったが、同時に、この沈んだ世界がまだ終わっていないのではなく、これから終わらせに行くのだという初めての実感でもあった。


 「副隊長、これを」


 「聖者様、俺のも使ってください!」


 「城の鎧鍛冶の手伝いをしていました、少しはお役に立てるかと」


 兵士たちは、まるで我先にとでもいうように装備を差し出した。

 壊れたものでも構わないとわかれば、なおさら遠慮はなくなった。

 自分の持ち物が聖者の命を少しでも守るなら、その方がよい。

 そんな切実さが、泡の丘のあちこちから滲んでいた。


 ギュゲスは持ち寄られた部品を、ひとつひとつ分解し、洗い、並べ、組み合わせを考えた。

 カストールは大きさの合うものを選び、足りない箇所を埋めるために別の部材を寄越した。


 リディアは部品の整理と管理を申し出た。

 バラバラになった部品に御子たちが興味を惹かれて、遊び始めた時、止められるのは女神と彼女しかいない。


 アイオリスは、その中心で、黙って座っていた。


 傷があるし、熱もある。

 だが、自らが身に着けるものだ。

 試作された防具を、受け取り、身体や動きに合うかを都度確かめた。


 三人はその周りを飛び回り、時に邪魔をしてしまうこともあったが、概ね大人しくしていた。


 そして、鎧が形になっていく。


 兜。

 胸甲。

 肩当て。

 籠手。

 脛当て。

 腰の垂れ板。


 一揃いではない。

 意匠も違う。

 だが、黄金の輝きに統べられることで、それらはひとつの鎧に見えた。


 きこりやろぉに、きんきらのかたくてつよいやつになった。

 たぶん、とてもえらい。ママのつぎくらい。


 三人は何となく胸を躍らせた。


 ママがやった。

 きこりやろぉが、だいじだから、つよくした。


挿絵(By みてみん)


 けれど、準備が進めば進むほど、別のこともはっきりしていく。


 きこりやろぉが、どこかへいく。

 ママも、いく。

 きこりやろぉと、いっしょに。

 ここにいなくなる、ながいあいだ。


 おうちにかえっても、ママがいない。


 それは、よくない。


 ミュルナが、最初に気づいた。

 次にミュリナが、静かに気づいた。

 ミュシアは少し遅れて、空気の変化に気づいた。


 そして、でき上がった黄金の鎧を着たアイオリスを見た時――人間たちの間に張り詰めていたものが、少しだけ緩んだ。


「おお、本当に黄金なのに動いて……」


「女神様が聖者様の為に、御知恵を……」


「聖者様、どうか御無事で……」


 声にならない安堵が、泡の丘にうっすらと広がっていく。

 アイオリスは、居並ぶ人々を見回して言った。


「皆の協力に感謝する……必ず戻る」


 誰も歓声は上げなかった。

 代わりに、いくつもの祈るような沈黙だけが、泡の丘に広がった。


 カストールは黙礼し、ギュゲスは歯を見せて笑った。

 リディアは泣きそうな顔をして、目を背ける。


 そして、イズミールはただ、アイオリスの横顔を見上げていた。

 何も言わないのに、水の奥だけが、ざわざわと揺れているようだった。


 その顔を見た時、三人はようやく、みんなが何かを決めてしまったのだと気づいた。

 人々が安堵したのは、旅立てる支度が整ったからだ。

 それはつまり、ママが本当に行ってしまうということでもあった。


 ――三人は、いっせいにママへ飛びついた。


           挿絵(By みてみん)

<TIPS>

「黄金の鎧」

 女神イズミールの寵愛を受けし者へ贈られたという、黄金の甲冑。

 如何なる刃も炎も通さず、何物にも侵されない無敵の鎧。


 溶かすことはおろか、傷つけることさえ叶わぬ不滅の黄金を、

 甲冑へと組み上げたのは、女神の智慧と人の技巧であったという。


 時の流れより取り残され、朽ちることも動くことも忘れた黄金を、

 なお甲冑として用いる理は、わらべの遊戯と玩具より齎されたとされる。

 まこと疑わしい。

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あまりにも隠れ込んだミーム 俺じゃなきゃ見逃しちゃうね
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