三章【私の“英雄”】その10
「……」
嘗て、森の魔女に出会い、助けて貰い、そして森の魔女が一人でいる必要などない、と国中を駆け回ったことがあった。
正直全身が痛くて、ボロボロだった。
けれど痛みよりも覚えているのは、ボロボロの彼女が笑う姿がとてもキレイだった事。
それから少しの時間、アランじいさんの家に入り浸り、森の魔女とアランじーさんが楽しいそうに会話しているのを眺めた事。
そして――アランじーさんが寿命出なくなり、葬式が終わってから森の魔女が姿を現わさなくなった事。
その記憶が脳裏に浮かび上がる。
「君に救われ、別れた後……」
言葉の途中で、力が抜け、床に倒れこみそうになるのを慌てて支えるが、スフィアはそんな事は関係ないと言わんばかりに話続けた。
「今のままではいけないとそう思って、どんな風に生きていけばいいのか考えて、君がくれ絵本を参考にしようと思った」
見た目も、喋り方も。
過去に囚われたままの私ではなく。
自信に満ち溢れ、仲間と共に、笑顔と幸福で彩られた、あの本のようになれたら。
君が救ってくれた相手は、君のおかげでこうなる事ができたんだと、そう胸を張って答える事ができる、そう言って笑う。
「その結果呪いで衰弱死したとしても私は不幸ではなく、幸福だったのだと 笑顔で別れを告げる、つもりだったんだ。」
そのために、君と別れて。
国に戻り、人との関わりを取り戻して。
少しずつ、少しずつ。最期の幸福を夢見て、生きてきた。
すぐに、君と再会しようとしなかったのは、君の姿が眩しくて、その輝きに見合わないと思ったからだと目を伏せた。
「けど、国の中で何度も君をみて、君の行いを耳にした。直接交わる事はなくても、それだけで心が満たされていた」
いつか、再会を果たした時、君は昔のように笑ってくれるだろうか?
私は、その笑顔に応える姿でいられるだろうか?
そんな思いで生きた時間は、とても楽しかったよ、と呟く。
「けれど、君は、囚われてしまった」
「……」
「心折れずにひたむきだった君は、“あこがれ”に手が届かないと悟って、絶望してしまった」
あの時の姿は、見ていてとても辛かったとスフィアは言った。
「声が届かない事より、周りを見なくなったことより、自分に何の価値もない、そう刻みこんでいる姿が、何より辛かった」
顔を上げて、俺を見た。
悲痛に満ちた表情で。
「そうなった時に、再会を告げても何の意味はないと話す事ことこそ、しなかった、けれど――」
俺は慌てて声をかけるが、スフィアは俺の言葉に耳を傾けなかった。
「それでも、今のままではいけない、と。何とか何とか、それだけを考えて、でもなにも見つからなくて、呪いで時間がどんどんなくなって――」
くたりと、スフィアから身体の力が抜ける。
重みが増して、思わず支える腕の力をこめる。
「私が生きている内に、何とかしたくて、そして色々な事があったけれど、君はようやく前を向いてくれた」
そんな状態でも、スフィアの言葉は止まらなかった。
「だから、駄目だよ。そんな風に言っては、なにもできないなんて、どうしようもない奴なんて、そんな悲しい事を言わないで……くれ」
スフィアを抱きかかえ、ベッドに移す。
肩で呼吸し、苦悶の表情を浮かべ、汗がべったりと張り付いている。
――次は、ない。
そのセリフを思い返し、もういい、しゃべるなと俺が言っても止めようとせずに。
「私はいい、私の終りはこれでいい。でも君は……駄目だ。だってこれからだろう? 君はこれから多くの人間に囲まれて、笑顔で溢れた中で、幸福ならなければ、いけない。私の英雄は……みんなを笑顔にする……そんな存在なんだから」
だから、卑下をしないで、手ばなさないで、と懇願するように言った。
「……」
ああ、先ほどから一杯一杯で、過去の顛末を聞かされ、おぼろげな記憶の存在であった森の魔女が、スフィアであることを知って。
現在の状況と相まって心はぐちゃぐちゃ。
喜びと、悲しみと、怒りと、絶望と、この全てがまとまったモノに名前なんてあるのかと、そう思う。
そんな状況だから、スフィアに言いたい事はこれでもか、というほどに沢山あって。
けれど、そんな時間はない、というのもわかっていた。
だから。
「スフィア」
息を吸って、大きく。スフィアにしっかりと聞こえるように名前を呼んだ。
「お前を、助ける」
助ける方法なんてあるのか?
そんな頭に浮かんだ疑問は、最早どうでもいい。
「俺は、お前が何というと、お前を助ける」
混乱しても、色んな気持ちが溢れても、それだけは確実に成すと今決めた。
「色々言いたい事がありすぎて、なにを語ればいいかわからないけど、俺は……生きていてほしい」
スフィアに何の未練がなくても、納得した上での結末でも。
このまま、終りなんて、絶対に嫌だ。
「一緒に……生きていて欲しいんだ」
手を握り、スフィアを見つめる。
何か呟こうとしているが、きっと「私の事は気にしないで」といった類いのものだろう。
そんなもの、聞いてなどやれない。
納得できない事に、頷くことなんて、できない。
俺が英雄になれなくても、誰よりも劣っていても。
今、スフィアが死ぬ事実だけは、ねじ伏せてやる。
「だから待ってろ――俺が」
「違うでしょ!」
その呪いを解いてやる、という前に勢いよく扉が開かれ、梨花が入って来た。
「りか? おま―――」
「スフィアさんを助けるのは大樹だけじゃない。みんなの力でだよ!」
「……」
あっけに取られる中で、ずんずんと足を進めて俺の手をつかみ「行くよ」と引っ張る。
「行くってどこに……」
「決まってるでしょ! 今から助けるために動く! 時間がないからぐずぐずしないの!」
そう言って、部屋の入り口まで移動し、出る直前に「スフィアさん」とベッドで橫になっているスフィアに向かって声をかけた。
「絶対に助けてみせるよ。だって私達の英雄は、こうと決めたら絶対に成し遂げるんだ。昔からそうだったでしょ? いっつも無茶して心配させて、周りのみんなを巻き込んで、それでも、いっつもみんなを笑顔にしてたんだからっ」
「……」
にこりと笑う。それをスフィアがどう受け止めたのか確認するまもなく、俺は梨花に引っ張られて部屋を後にするのだった――




