第9話 三人
第9話 三人
土曜の朝は、平日より少しだけ遅く始まった。
目が覚めたとき、恒一はまだ部屋にいた。
直人は布団の中で天井を見ながら言った。
「今日、仕事ないの」
「半分だけ」
恒一は台所でコップに水を注ぎながら答える。
「午前ちょっと顔出して、昼には戻る」
「休みじゃないんだ」
「蔵って、完全に止める感じでもないし」
「へえ」
直人は身体を起こした。
恒一はパンを焼きながら言う。
「お前、今日どうすんの」
「どうしような」
「島一周とかする?」
「そんな元気ねえよ」
「だろうな」
「何で聞いた」
「一応」
トースターが鳴る。
二人で朝飯を食べる。
「昼どうする?」
直人が聞くと、恒一がバターを塗りながら答えた。
「社長んとこで何か買い出し頼まれてるから、そのついでに飯でも食うかって話になってる」
「誰と」
「誰とって」
恒一は少し笑った。
「お嬢も」
直人はパンをちぎる手を止めた。
「へえ」
「別に嫌なら来なくていいけど」
「嫌じゃねえよ」
「じゃあ来れば」
「行くよ」
少しだけ返事が早かった。
恒一は気にした様子もなく、残りのパンを口に入れた。
午前のうちに恒一は会社へ行った。
直人はアパートに残った。
窓を開けると風が入る。遠くで、ときどき車の音がする。
ベッドに寝転がってみたが、しばらくして起き上がった。
外へ出る。
待ち合わせをしたわけではないが、会社の方へ歩いた。
蔵の前まで行くと、澪がいた。
建物の影でスマホを見ている。
こちらに気づいて顔を上げた。
「あ、来た」
「来た」
「恒一さん、まだ中」
「そうなんだ」
「すぐ終わると思うけど」
澪はスマホをしまった。
直人はその近くに立つ。
「土曜って、やっぱ平日と違うな」
「ちょっとだけ」
「ちょっとだけか」
「でも蔵はあるから」
「まあ、そうか」
「完全に休みって感じじゃない」
しばらくすると、作業場の方から恒一が出てきた。
「悪い、待たせた?」
「別に」
「待ってない」
澪と直人がほとんど同時に言った。
恒一が笑う。
「息合ってんな、お前ら」
「たまたまだろ」
「そうかもな」
三人で歩き出した。
向かうのは、蔵から少し離れた商店だった。
道ですれ違った人が恒一に挨拶する。
恒一も普通に返した。
「もう顔覚えられてんだな」
「毎日いるからな」
「毎日いるだけでそうなるのすごいな」
「島だからじゃない?」
澪が言った。
「都会だと無理?」
「無理だろ。隣の部屋の人の顔すら知らないことあるし」
「へえ」
「へえ、って何だよ」
「そういうの、ちょっと不思議」
「お前らから見たらそうなんだろうな」
言ってから、直人は少しだけ引っかかった。
お前ら。
そのまま歩いた。
商店は小さかった。
店の前に飲み物のケースが積まれている。
中へ入ると、店番をしていた年配の女の人が恒一を見るなり声をかけた。
「あら井原さん」
「こんにちは」
「今日はお嬢も一緒なんだね」
「うん」
澪が答える。
「それで、そっちの子がこの前言ってた友達?」
「あ、そう」
恒一が言う。
「大学の」
「へえ、若いねえ」
「いや、同い年です」
「そうなの?」
店番の女の人は直人と恒一を見比べた。
「見えないもんだねえ」
そう言って笑った。
直人も笑った。
買い物はすぐに終わった。
店を出ると、恒一が袋を持ち直した。
「腹減ったな」
「さっき食ったじゃん」
「朝だろ」
「まだ昼前だぞ」
「働いてると腹減るんだよ」
「それっぽいこと言うな」
「それっぽいんじゃなくて事実」
澪が笑う。
「ほんとだよ」
「お前もそっち側なのかよ」
「私は見てるだけ」
「便利だな、それ」
「便利だよ」
昨日と同じ返事だった。
三人で近くの食堂に入った。
座敷とテーブルがいくつかある、小さな店だった。
座ると、直人と澪が並び、向かいに恒一が座った。
注文を取りに来た店の人が、恒一を見る。
「今日はお休み?」
「半分だけ」
「若いのに大変だねえ」
「まあ」
恒一は慣れた感じで注文する。
澪もすぐに決めた。
直人だけが少し迷い、一番普通の定食にした。
「お前、そういうとこ面白みないよな」
「初めての店で冒険したくないんだよ」
「小心者」
「堅実と言え」
「留年してる人の言葉とは思えない」
澪がさらっと言った。
直人は吹き出した。
「お前、そのネタ擦るな」
「便利だから」
「何にでも便利って言えばいいと思うなよ」
「思ってないよ」
三人で笑った。
食事が来てからも、会話は続いた。
合気道部の話。
大学の話。
島には映画館がないこと。
コンビニの数。
名古屋のこと。
「この前のあれ、どうなったの?」
澪が恒一に聞いた。
「ああ、あれはもうちょい」
「間に合う?」
「たぶん」
直人には何の話か分からなかった。
しばらくして、店の人が澪に声をかけた。
「お嬢ちゃん、今日はお父さんは?」
「蔵」
「昼前までバタついてたんで」
恒一が自然に続けた。
直人は味噌汁を飲んだ。
「何」
澪が聞いた。
「いや」
直人は首を振る。
「別に」
「それ便利だね」
「お前が言うな」
澪が楽しそうに笑った。
食事を終え、店を出た。
三人で蔵の方へ戻る。
歩く順番は、そのときどきで変わった。
直人と澪が並ぶ。
少しすると恒一が隣に来る。
また三人になる。
どれも自然だった。
「お前ら、仲いいな」
不意に恒一が言った。
直人は一瞬だけ肩を揺らした。
「何だよ急に」
「いや、何となく」
「別に普通だろ」
「普通か?」
「普通だよ」
恒一は少し笑った。
「まあ、ほどほどにしとけよ」
冗談みたいな口調だった。
澪は何も言わなかった。
前を向いたまま、少しだけ口元が動いた。
蔵へ戻った。
仕事の音。
醤油の匂い。
木の壁。
澪は蔵の方へ入っていった。
恒一は作業場へ戻る。
直人は敷地の端に残った。
楽しかった。
それは間違いない。
直人は二人が入っていった方を見た。
それから、風の抜ける方を見た。




