第10話 夜
第10話 夜
三人でいた時間が終わった。
恒一は蔵へ戻った。
土曜だから完全に休みというわけでもなく、途中で様子を見に行くらしい。
直人はアパートへ戻った。
部屋の中は昼間より少し暗い。
電気をつけるほどでもない時間で、窓の外から青っぽい光だけが入っている。
ベッドに腰を下ろす。
三人でいたときのことが、まだ頭に残っていた。
澪が笑った顔。
恒一と交わしていた短い会話。
食堂で並んで座ったこと。
直人は窓の外を見た。
空はもう夜に近い色をしている。
立ち上がった。
財布だけ持って、外へ出る。
夜の小豆島は、昼よりも音が少なかった。
人通りはほとんどない。
自分の足音が少しだけ大きく聞こえる。
海の匂いは昼よりはっきりしていて、風も少し湿っていた。
直人は蔵の方へ歩いた。
別に理由はない。
蔵の近くまで来ると、人の気配がした。
建物の角の辺りから、澪が歩いてくる。
向こうも直人に気づいた。
「あ」
澪が言った。
「お前も出てたんだ」
「うん」
「珍しいじゃん」
「そうかも」
二人とも、そのまま近づいた。
「何してたの」
「ちょっと出てただけ」
「俺も」
「知ってる」
「何でだよ」
「だって会ったし」
直人は笑った。
澪も笑った。
「歩く?」
「うん」
澪はためらわなかった。
二人で並んで歩く。
蔵の明かりが少し離れると、道は急に暗くなった。
遠くから犬の鳴き声が一度だけ聞こえた。
「夜、外出るんだ」
「たまに」
「たまにか」
「今日は何か、出たくなった」
「俺も」
「一緒じゃん」
「一緒だな」
また少し笑った。
海の方へ続く細い道を歩く。
少し開けたところに出ると、黒い海が見えた。
遠くの明かりが細く揺れている。
二人は足を止めた。
「昼と全然違うな」
「うん」
「夜の方が好きかも」
「私も」
澪は海を見たまま答えた。
「今日、楽しかった?」
直人が聞いた。
澪は少し考えた。
「うん」
「そっか」
「直人は?」
名前で呼ばれて、直人は少し遅れて答えた。
「楽しかったよ」
それから二人とも黙った。
風の音だけがする。
沈黙は気まずくなかった。
「なんか」
直人が言った。
「お前といると落ち着く」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。
澪はすぐには答えなかった。
「……そう」
「悪い、変なこと言った」
「変じゃないよ」
「そう?」
「うん」
澪は海を見たままだった。
「私も、落ち着く」
直人は何も言えなかった。
風が吹いた。
澪の髪が揺れる。
肩が近い。
手も、伸ばせば届く。
澪がこちらを向いた。
視線が合う。
直人は動かなかった。
澪も動かなかった。
しばらくして、澪が先に視線を外した。
「帰る?」
「帰るか」
二人で来た道を戻った。
行きより少しだけ近くを歩く。
肩は触れなかった。
蔵の近くで立ち止まった。
「じゃあ」
「ああ」
澪は少しだけ笑って、敷地の方へ戻っていく。
直人はその背中を見送った。
一人になってから、息を吐いた。
アパートへ戻る。
夜道を歩きながら、何度か思い出した。
「私も、落ち着く」
それだけが、ずっと残っていた。




