第5章 その5 ヒューアス
目の前に奴の姿があった。
漆黒の髪と、異様に輝く黒い瞳を湛え、白い肌に浮かぶ血の様に赤い唇に薄い笑みをさしながら、奴はおれを見つめていた、
初対面、というより再会的な気分が強かった。おれは目の前の奴――ヒューアスが、目覚める前からその姿を知っていたから。
気がついた時、おれの体はヒューアスと面と向かい会って立っていた。いつここに来たのか、いつからこうして立っていたのか、まるで覚えがない。
そのかわり、肉体から離れていた間に起きた、意識中の変化についての記憶は鮮明に凄っていた。そしてそれは、あの時、一度はおれを取り込むことの出来た声の主が、奴に他ならないということを気付かせた。
「ユウ……と言ったな、古き者よ」
「…………!」
おれは思わずゴクリと咽を鳴らした。
一瞬、奴が日本語を喋ったのかと思ったからだ。
声として発音したせいもあるかもしれないが、それはおれの全く知らない異語だった。にもかかわらずそう思えたのは、奴の放つテレパシーのボルテージが、異常に高いものだったからに他ならない。
でも何故!? サイボーグ〈人造人間〉である奴に、それほど強大な能力が備わっているんだ? 何故そんなことが出来るんだ!? 何故!?
一言、正しく奴のたった一言が、俺を混乱におとし入れた。
それだけではない、その一言は、おれの中にいままでなかった真なる恐怖と、どうすることも出来ないほどの深い悲しみのふたつを、同時に呼び起こしたのだ。
奴は、ヒューアスは、ただのサイポーグではなかった。
その真実がおれを、打ちのめした。
何の理由もなく――ただわかってしまったのだ。
ヒューアスが、全宇宙の生命法則に真っ向から背いたものとして生まれた――それをそう呼んでいいものか――生命の保持者だということに。
だから、今までに交わした奴との精神感応の際、あれほどまでに生命の冷える様なイメージを受けて来たんだ。
ヒューアスは、おれの受けたショックを知ってか知らずかついと歩み寄る。
反射的におれは後ろへ跳びのいた。
来るな! そばに来るな!
断固とした拒否が心に芽生えた。が、それは恐怖心と、何かに対する悲しみの心とが生み出したものにすぎなかった。
存在するはずのない、存在すべさでないものが、現におれの目の前に存在しているという恐ろしさ。
それをもし例えることが出来るとしたら、町中を歩いていてふと、何気なく視線を合わせた人物が自分自身だった。というものに近いかもしれない。
存在しているわけのないものを、見てしまった恐怖。
「すでに言うことは何もない。私にその力をすべて捧げよ――」
「いや……だ」
奴の瞬きもせずに見つめてくる瞳が、息苦しくさせる。
「お前が何を言おうと、私はお前の中からカを奪い取る!」
ヒューアスの、おれめがけて突さ出した右の手の平が、一瞬にしておれの身体の自由を奪い去った。
恐怖心の増大――今のおれに、あの闇の中で応じられた生命の力強く波うつ響きは聞こえなかった。
宇宙の広さも目には映らない。代わりに〝恐怖〟という名の宇宙のみが心を占める。〝悲しみ〟が心をしめつける。
そのおれの、心の中を見抜いたとでも言うように、奴の、今にも血のしたたりそうな赤い唇が、両はしにニュッと吊り上がった。
体中の力が抜け、右手の指にからみつく様に掴んでいたそれが、音をたてて床に落ちた。
――剣アティヌ!
拾わなければ……と思うのだが体が動かない。
どうにかして、やっと視界の端で剣アティヌの姿を捕えたおれは、その姿を見て愕然とした。
剣が再び、元の短剣に戻っていたのだ! しかも、刀身が石へと身を変えて!
頭の芯がくらっときた。
奴が、そうしたのか!? やったのか!?
「私は今、新しきトゥームの神となる」
宣言に似たその声に視像を上げたおれは、一歩、二歩と近づいて来る奴の姿を見た。
――来るな!
心が叫んだ。
今のおれにとり、ヒューアスは死神〈デス〉以上の存在――。
機械から生まれた、生命を持つサイボーグ〈機械〉。人格を備えた機械。複雑な回路をおさめ、居並ぶキーと多くのパネル、ランプの点滅する金属の箱が生んだ生命、生物、人間。リンカーネーション〈輪廻転生〉から外れた、永遠の死が生み落とした〝生命〟。
〝無〟が育てあげた〝有〟。
「それでもユウ、私はお前と変わらぬ――」
「!!」
ヒューアスは――おれの心を読んでいた。
「神であるお前が人間体として生まれてきた様に、私もまた同じ様に人間体であるだけ、たとえ死神から生まれようと、神たるものに違いはない」
――やめろ……
「そして仮に、お前が私のことを機械でしかありえないと思うならば、聞こう! 人間体として生まれた私だ。お前から見て、人間どもから見て、私のどこが人間と違うというのだ? 体個胞さえ数十万倍に拡大してみなければ、人工細胞で組み立てられた身体だとは、誰にもわからぬ。皮膚を切れば血は流れ、涙を流せといわれれば泣くことも出来る。更に、アレピオスの時とは違い、人間どもに危害を加えようと自滅するようなことはない」
「や……めろ……」
「さぁ、答えよ! 私のどこが人間と違う!? お前と違う!? 私はお前と同じものだ。〝神〟たる存在なのだ!」
奴は勝ち誇った様におれを見つめた。
「やめろ……」
おれの恐怖感の原因――それが奴の口から放たれている。
いつしかおれの中で宇宙が反転しはじめていた。
人、人、人、とごった返す街の中をあてもなく歩き続け、ふと立ち寄った小さな店。出てきたのはなんの変哲もない男、この店の主。
彼が言う。嘲笑をこめて
「まだ人間さんがいらしたんですねえ」
モノトーンの街の中を、おれは叫びながら逃げ出した。
ごった返す人、人、人。
けれど彼らの中におれと同じ人間はただの一人として存在しなかった。
くり出す人々の体内のどこひとつをとっても、自然から与えられたものは存在しない。
人間の姿に化した機械達が街を往来する。
逃れようと街を抜け出たおれの前に、公園で遊ぶ一人の幼い女の子が興味深げに近づいて来た。
「お兄ちゃん。人間でしょう?」
彼女も街の中の人々と同じなのだ! 気が狂いそうだ! この街は、この世界は狂っている。
彼女の、舌足らずな喋り方、あどけない仕草、表現内容の乏しさ。二言、三言交わした後、本当はこの子は、ふつう〈自然〉の子ではないかと思ったおれに彼女は笑いながら言った。
「違うの。子供はね、子供らしく表現しなくちゃいけないのよ。行動も、性格も計算した上で、子供をやるのよ。普通じゃない、こんなこと。お兄ちゃんがおかしいだけよ」
街を歩く人々がおれを見つけて、取り囲む。
――人間だ……。
――変わったものねぇ。
――普通じゃないわぁ、成長するなんてねぇ。
――そして死ぬんだって。
――普通じゃねえーな、本当に。
――自然じゃないよ。
「止めろ! 止めろ! 止めろぉ――っ」
絶叫と同時に、人間でない者たちの姿が薄れていった。――が、一人だけ消えない奴がいた。
ヒューアス。
そして今のは、奴の見せた幻覚……。
身体の芯が恐怖で冷えきっていた。
「答えてみよ。私のこの体のどこが自然のものではないというのかー」
「…………」
おれは答えるすべを失っていた。
あの中で、彼らは自然であり、おれは異種だった。
おれこそが……。
恐慌に落ち入ったおれの中に、それを喰い止めるものはすべて消えていた。
奴が勝利に酔ったような、しかしあくまで冷ややかな笑みを漏らしながら、突き出していた片手を、ゆっくりと歩み寄りおれの左頬に軽く触れた。
「!!」
体中の神経が跳び上がった。
「やめろぉ――っ!!」
実際、その絶叫が声になったものなのかは、おれ自身にもわからなかった。ただその言葉に奴への拒否と、求めてやまない何かに対する叫びとを同時に吐き出したことは事実。
――誰か……! 誰か……くれ……。今のおれに何が真の姿なのか見極める、見極められるだけの心の余裕を……、そのきっかけをくれ! 心に温れる恐怖心と悲しみ、迷いをこれ以上増やさない何かを!
きっかけを与えてくれる何かを! でなければおれの中のそれらがあっという間に膨れ上がり、破裂し、おれを飲み込んでこの宇宙へ流れ出してしまう! その前に――。誰か! 誰か! 誰か!!
――無駄なこと。
奴の瞳がそう笑った時、それは起きた。




