第二話 お飾りの妻、正統な後継者
エリベルトとの再会は、結婚から一週間が過ぎたころだった。マリアネラが指定された応接室へ入ると、叔父は立ち上がり、彼女の顔をじっと見た。
「どうした、マリア。少し痩せたんじゃないか」
「そうでしょうか」
「そうだよ。……まあ、座れ。話を聞こう」
エリベルトは彼女を席へ促し、自分も向かいに腰を下ろした。
侯爵家の実務を長年支えてきた彼は、仕事の場では冷静で隙がない。しかし、姪に向ける眼差しには、いつも親しみがあった。
「それで、君はどうしたい?」
マリアネラは迷わず答えた。
「離婚したいです。そして、ガルドス侯爵家の後継者としての立場を、正式な手続きで確かなものにしたいと考えています」
「解った」
エリベルトは、即座に頷いた。
「なら、まずは必要なものを揃えよう。離婚の手続きと、後継者の件は分けて考える。どちらも感情ではなく、記録と規則で進めればいい」
「叔父様。お父様は、わたくしの後継者指名を認めないかもしれません」
「認めるかどうかと、記録がどうなっているかは別だ」
エリベルトは机の引き出しから書類の一覧を取り出した。
「先代侯爵が残した正式な後継者指名書。君の固有魔法の発現記録と制御記録。婚姻契約書。持参財産と私物の記録。まずはそれを確認しよう」
「……既に準備を?」
「兄上があんな縁談を押し通した時点で、必要になる可能性は考えていた。使わずに済めば、それが一番だったがな」
マリアネラは目を伏せた。
「叔父様にも、ご心配をおかけしました」
「君が謝ることじゃない」
エリベルトは、少しだけ声を和らげた。
「それに、俺は君が自分で決めたことを後悔しないよう、手伝いたいだけだ。離婚したいなら、そのために動く。侯爵位を継ぎたいなら、そのための手続きを整える。君が何を望んでいるのか、それが一番大事だ」
マリアネラは頷いた。
自分の意思を尊重されることが、これほど心を軽くするとは思わなかった。
確認された記録は、明白だった。
先代侯爵は、正式な書面によってマリアネラを後継者に指名していた。
彼女が三歳のときに固有魔法を発現させた記録も、幼少期から制御訓練を受け、安定して力を扱えるようになった記録も残されている。
一方、イポリトにもガルドス家の固有魔法はあった。だからこそ、先代の死後、彼は当主となる資格を有していた。但し、その力はマリアネラに比べて弱い。
彼が当主として在位していることと、先代がマリアネラを後継者に指定した事実は、矛盾しなかった。
「問題は、父が後継者指名をなかったことにしようとする可能性です」
マリアネラが言うと、エリベルトは首を横に振った。
「兄上が不満を持つことは自由だ。だが、正式な記録を無視できるわけじゃない。君には固有魔法がある。指名書もある。魔法の記録も揃っている。手続きに必要なものは、きちんと残されているんだ」
「叔父様は、侯爵家の運営を長年支えてこられました。叔父様ご自身が後継者になることは……」
「出来ないよ。俺にはガルドス家の固有魔法がないからな」
エリベルトは、あっさりと言った。
「どれだけ仕事が出来ても、それだけはどうにもならない。だからこそ、君が必要なんだ」
マリアネラは叔父を見つめた。
「わたくしに、務まるでしょうか」
「務まるかどうかは、これから学んでいけばいい。君は三歳で固有魔法を制御した子だぞ。俺が知る限り、君ほど物事を真面目に考えられる人間はそう多くない」
彼は軽く笑った。
「勿論、当主になれば面倒なことも山ほどある。書類は多いし、交渉は長いし、金勘定を誤魔化そうとする連中もいる。俺の仕事が減るとは思えないな」
「叔父様がいらっしゃるなら、心強いです」
「それならよかった」
エリベルトは、彼女の前に書類を置いた。
「但し、君が当主になると決めたなら、君自身の意思を最後まで通すことだ。俺は支える。だが、君の代わりに君の人生を決めるつもりはない」
「はい」
その返事には、もう迷いがなかった。
数日後、母方の祖父母であるアルフォンソとセレスティーナが、マリアネラを訪ねてきた。
セレスティーナは姫君のように育った孫娘の手を取り、目を潤ませた。
「マリアネラ……。こんなことになっていたなんて」
「おばあ様」
「あなたが学院を卒業してから、私たちはもっと気にかけるべきだったのね。お父様が縁談を急いでいると聞いたときも、まさか、こんな扱いを受けることになるとは……」
アルフォンソも、悔しそうに眉を寄せた。
「先代侯爵が君を後継者に指名したことは、私たちも知っている。あの方は、君の力と人柄を高く評価していた。証言が必要なら、いくらでも協力しよう」
「ありがとうございます」
マリアネラは二人の手を握り返した。
「わたくしは、もう父の許しを得ようとは思いません。ただ、正しい手続きに従い、自分の権利を確かめたいのです」
「それでいいのよ」
セレスティーナは、孫娘の頬をそっと撫でた。
「あなたがどう生きるかは、あなたが決めることなのだから」
その日の夕方、マリアネラはフリオに面会を求めた。フリオは面倒そうな顔で応接室に現れた。
「何だ、話って」
「7日間の猶予を設けます」
「は?」
「ラモナ様がわたくしの私室へ立ち入ること。わたくしの私物に無断で触れること。そして、妻としての立場を公然と侮辱すること。これらをやめていただきたいのです」
フリオは鼻で笑った。
「それだけか?」
「また、わたくしの名誉と私有財産を尊重すること。婚姻関係について、誠実な回答をいただくことも求めます」
「誠実な回答? 俺は最初から言っているだろう。俺が愛しているのはラモナだ。お前を愛するつもりはない」
「承知しています」
「なら、何を求めている?」
「愛情ではありません。最低限の敬意と、夫婦としての責任です」
フリオの顔が歪んだ。
「貴様、俺を脅しているのか?」
「いいえ。改善の機会を差し上げているのです」
その言葉に、フリオは声を上げて笑った。
「ははっ! お前に何が出来る? 父親に泣きついたところで、相手にされなかったんだろう?」
マリアネラの表情が僅かに冷えた。
「……何故、それを?」
「侯爵家から何の連絡もないからな。お前が騒いだところで、誰も動かないということだ」
ラモナが扉の向こうから顔を出した。
「何の話? あら、奥様。まだフリオに文句を言ってるの?」
「7日間の猶予を設けました。それまでに状況が改善されなければ、離婚の手続きを進めます」
「はあ? 離婚?」
ラモナは一瞬ぽかんとしたあと、吹き出した。
「何よそれ! あんた、離婚したらどうなるか解ってるの? 侯爵家のお嬢様だか何だか知らないけど、今のあんたは伯爵夫人でしょ!」
「その立場に執着しているのは、あなた方ではありませんか」
「なっ……!」
「7日後に、改めて伺います」
マリアネラは立ち上がった。
フリオは彼女の背中へ向かって吐き捨てた。
「勝手にしろ。どうせ、7日後には泣いて謝ることになる!」
ラモナも笑いながら続けた。
「あたしが伯爵夫人になれないなんて、誰が決めたのよ!」
マリアネラは振り返らなかった。
7日間。
それは、彼らが自分の行いを改めるための時間だった。
そして同時に、彼らが自らの愚かさを証明するための時間でもあった。




