本格的な始動の前に
ガチャッ
昼飯を食べた後『せるため』を少し遊び、中学の教科書を復習も兼ねてボーっと眺めていた時玄関から音が聞こえた。
「おかえり」
「……ん、ただいま」
母上が仕事から帰宅したにしては早いなと思ったら、案の定姉上でした。朝帰りとかじゃなくて安心。
スニーカーを脱ぐ彼女を眺める。薄茶色のワイドパンツと……ボトルネックシャツだっけ。首が隠れるくらいに襟が長い、柔らかそうなグレーの生地のトップス。丸みのある身体が収まっている。
そこにかかるように下ろされた灰色の艶やかな髪。巻かれているせいかふわふわと揺らぐ様に、視線が攫われてしまう。
なにやらおしゃれなアルファベットが入った黒いつば付き帽子をふわりと取った細くて綺麗な手指には、二つほど銀色のリングがはめられている。
……これで高二か。
「なに」
姉上は怪訝な顔。
カラコンを付けているようで、深みのある赤色の瞳がこちらを見据える。少し細められたそれは魅了の魔眼と言って差し支えなかったが、見惚れるだけじゃなく自分が蛙になったような錯覚も湧き上がってくるのは、姉上だからだろう。
揺らいだ心を覆い隠すように言葉を探す。
「いや、めっちゃ似合うなその服、と思って」
「……あっそ」
(おや、『キモ』が出なかった)
てっきりウザがられるなりなんなりすると思ったが、そそくさと洗面所に向かうだけだった。……これからは、たまになら褒めても良いだろうか。内心はすでに崇め始めているけど。
にしても、友達と遊びに行ってたとかなら良いが彼氏だったらなんとなく凹む。……父上の代わりに審査しなければ。
リビングに向かった姉上を追いかけたら、冷蔵庫を漁っている。
「友達と遊んできたの?」
「……そうだけど、なに?急に」
またも怪訝な顔をされる。多少気になるけどあまり踏み込まないほうが良さそうだ。
「いや、家帰ったら居なかったからさ。ちょっと気になって」
「あっそ。……どうだったの、入学式」
邪険にされるかと思ったら、水を飲みながら会話をしてくれる模様。この二、三日で積極的に話しかけていた行動が実を結んだようで結構嬉しい。
「特にトラブルはなかったよ。良い校舎だな、あそこ」
「ね。……いや、そうじゃなくて」
「え?」
「友達とか……出来たのかってこと」
(ほう……意外と気にかけてくれてるっぽい)
この姉、意外と弟想いなのかもしれない。
まぁ、元の風馬も内向的な性格だっただろうし、インドア趣味ばっかだからな。外遊びをするような友達も少なかったんだろう。もしかしたら全くいなかったのかも。
「話す人はできたよ」
「そ」
「女の子四人」
「は?…………なんで?」
コップを持つ手が止まり綺麗な目が少し見開かれる。
丁度いいし、報告もかねて説明しておこう。
「それがさ、教室で姉さんの写真を見てたらその四人の中の一人が覗き見しちゃったみたいで、姉さんが綺麗過ぎて驚いちゃったって話しかけてきたんだよ。姉だって話したら放課後にその子を含めた仲良し四人組のところに連れてかれて『もっと姉さんの写真がみたい!』って。悪いと思ったけど見せるだけならと思って、見せたの。その時にほ――
「ちょっと待って」
「あ、はい」
……少し考え込んでおられる様子の姉上。
やはり写真を見せたのは失敗だったか。目立つの好きそうじゃないんだよな、姉上。どうしようもなく目立ってるけど。
数秒後、彼女は口を開いた。
「色々不思議なんだけど……なんでアンタはウチの写真を見てたわけ?」
「あ……」
盲点だった。
普通の男子高校生は姉の写真を見つめたりしないらしい。そりゃそうか。
(どうしよ……。もう一つの理由を言うわけにはいかないし、)
「先生が来るまで暇だったから中学の入学とか卒業ってどうだったかなーって、ふと思ったんだよ。その時見てたのも姉さんの中学卒業の写真だし」
「……なんで自分のじゃなくて、ウチのを見てたの」
「たまたまです。自分のも見てたし」
実際は、結構長い時間姉上の写真を見ていたのだが、嘘は言っていない。
「ふーん。……そ」
(セーフ)
「あと」
「はい」
若干口ごもった姉上は、少し詰まりながら言葉を紡いだ。
「アンタ……ウチのことキレイ、とか、そういうの。言う子だったっけ?……さっきもなんか、言ってたし」
特に気にせず口にした言葉は、年頃の弟が姉に言うものではなかったかもしれない。そういえば雨宮さんにも言われた。
というか、元の世界でも女性にそう言った言動を取ったことは無かったはず。この世界を現実と受け入れられていないからか、目の前の人が現実離れしているからか。
別人、というか記憶が違う弊害が出た。
「…………照れくさくて言ってなかっただけです」
動揺しながらもなんとか理由を探し当てる。
(でも、風馬も多分思ってただろうし)
姉上の美しさは家族の贔屓目なしにずば抜けている。もし風馬と姉上の仲が悪かったとしても、同じ感想を抱いていたはず。
「そう…………ありがと」
「お、おう」
(デレた。あの姉上が。……可愛すぎか?)
実姉だと思おうとしていてもクラッときた。ファムファタルかな?姉上なら国どころか世界を落とせると思う。
(何とかかわし切ったか。俺も水飲も)
もう聞きたいことが無くなったのか口を閉ざす姉上。
その横を通り抜けて、冷蔵庫から水を取り出しコップに汲む。
水を注ぐ音だけがリビングに響く中、そこに声が重ねられる。
「ねぇ」
「ん?」
「……その子たち、カワイかった?」
問われた内容は、雑談としては自然なものだったかもしれない。それでも水を注ぐのをやめてしまったのは、いつもより自信なさげに聴こえた声と、視界の端に映った姉上の様子。
身体も目線もこちらをまっすぐ捉えて離れそうにない。真摯なそれらと対照的に不安げな雰囲気を醸し出し、自分を守るように腕を組んでいる。
『意を決して』と表するのがぴったりな様相だった。
そして何故か、姉上は半歩前に進んでいた。後方は壁なので自分が立っているのは狭い空間。今朝の電車を思い起こさせる広さで、それでもここは二人きりだった。
「え……うん。系統がみんな違うけど、綺麗な子たちだった。当たりのクラスだわ」
「……あっそ」
不思議な空気の中、素直な感想をこぼすと、小声でそっけない返事。
少しの沈黙。
姉上は俯き加減で止まっている。
(なんか失言した?)
そう思って表情を窺おうとした瞬間、組んでいる腕に更に力が込められたのが分かった。その手はギュッとブレザーを掴んでいる。
数秒後その手が解かれ、同時にまた体が近づいた。
その距離は三十センチも無いように見える。会話をするには窮屈なはずだが、それでも姉上は口を開いた。
「わ――、ウチとっ、どっち、が――」
(おぉ……)
この三日間で、一番姉上と近づいているだろう。見据えた端正な顔が赤みがかっている理由は、距離か言葉か。
目線からわずか数センチ下にある姉上の赤い瞳は、少し上目遣い気味にこちらを見つめている。
潤んでいるようにも見えた。睨んでいるようにも見えた。
若干前のめりになった彼女と感動しながらたじろぐ自分の空間に、少し離れた窓から差し込む夕日。
光が散りばめられたアッシュグレーの髪が揺れる。
……この視界は、思わず拝みたくなるな。
「…………やっぱいいや」
「へ?」
そう言って姉上はコップの水を飲み干し、自室へ戻っていった。
(なんだったんだ?)
姉上の声を反芻する。
(えーっと……『ウチとどっちがカワイイ?』、かな?そりゃ姉上なんだが)
姉上が雨宮さんたちと張り合う理由が分からない。どんな人たちかも知らないだろうに。
多分、自分の方が可愛いって言って欲しかったんだとは思う。
……話の流れからすると、
(弟に綺麗って思われてたことが嬉しくて、か)
綺麗にしろ可愛いにしろ、容姿を褒められたのが嬉しくて、同じように褒められた娘たちと張り合った……多分嫉妬とかから。
「……すごいな」
漏れてから、皮肉のように捉えられる言葉だと気付いたけど、そうではない。
姉上の知らない一面が持っている魅力に、打ちのめされた末の言葉だった。
あの人は、クールさだけでなく愛らしさも備えているらしい。
♦
(社会と理科がまずいかな~でも数学もところどころ欠けてる気がするんだよな~)
エリート大学に行く予定は今のところないが、高校の授業に最初からついていけないなんて事態は避けたい。超進学校って感じでもないので、そこまで心配していないが。
ベッドの上でゴロゴロしながら、教科書の懐かしい単語たちを眺めつつページをめくっていると――
ガチャっ
(お、母上だな)
自室の扉を開けて出迎える。
「おかえり」
「ただいま。ちょっと待っててね、すぐご飯にするから」
「先にお風呂入ってきていいよ。料理は手伝うし」
土日から考えていたことだ。
休みの日だったからいいかなと思っていたけど。母上の料理好きだし。
ただ、家族を一人で養っているのだ。しかも子供は二人とも私立。料理くらいは助けさせてほしい。
純粋な子供じゃないから肩身狭いし。
「ありがたいけど、料理なんてほとんどしたこと無いじゃない」
「野菜切るくらいなら余裕」
「フフッ、そう……じゃ、お願いしちゃおうかな」
料理スキルは高くないが、母上を師と仰ぎながら少しずつ覚えていければと思っている。
母上がお風呂に入っている間、ニンジンだのジャガイモだのを切っていた。今日はカレーらしい。
お風呂を終えた母上の隣に立ち、指示を仰ぐ。
「なんか手伝えることある?」
「そうねぇ。レタスを五枚くらいちぎって、一口サイズに切ってくれる?」
「了解」
実の母親から漂う匂いと妖艶さに内心手を合わせつつ、野菜を切ったり料理を眺めていると、
「あ、おかえり」
「ただいま春香。帰ってきてたのね」
「うん。早めに解散したの」
どうやら母上は、姉上が出かけるのを知っていたようだ。俺にも教えて。
「……なんで風馬がそこにいるの」
「手伝いと勉強」
「は?」
数時間前のやり取りなんてなかったかのように、元の冷たい姉上である。それでも居心地が悪くならないのは姉弟っぽく振る舞えている証拠だろう。
「料理できるようになって、お姉ちゃんに食べさせたいんだよね~?」
(そんなことは言ってないんだが)
母上も結構お茶目だ。良いと思います。
「目標は胃袋の掌握だな」
「へ?」「あら」
(……ん?なんかおかしなこと言ったか?)
些末な冗談の言い合いだと思ったんだけど。
「珍しいわね。お母さんがからかうと、最近はいつも鬱陶しそうにしてたのに」
あぁ、ここでも思春期による弊害か。
「かかってきなさいよ」
「なんで喧嘩腰なんだよ……」
「フフフッ」
睨みつける姉とビビる弟を見て笑う母。仲良し家族である。
料理が完成し、皆で席に座る。
野菜切るくらいしかしてない。あと配膳。基本切って煮込むくらいだから当然か。
「いただきます」
「たんとお食べ」
「アンタ切っただけでしょ……」
――うーん、美味い。
あったかい料理を家族で囲む幸せが、ひしひしと。
「そうだ。風馬?初めての高校はどうだった?」
カレーを頬張って安らいでいると母上が早速と言わんばかりに話しかけてきた。
「ん?楽しかったよ。明るいクラスだし」
「モテモテだもんね」
……横やりが飛んできた。
「モテてるわけじゃない。というかモテてるのはそっち」
「どうだか」
「ちょっとー仲間外れにしないでよー」
姉弟の会話の意味が分からず幼げに不満を漏らす母上。本人はふざけている様子だがそこそこ様になっている。
「風馬が初日から女の子をナンパしたの。しかもカワイイ子を四人も」
「え!?やるじゃない!」
「捏造はやめていただきたい。話しかけてきたのはあっちからだ」
というか母上、なぜ褒める。息子の軽薄さを嘆くところだと思うんだけど。
仕方ないので、興味津々で若干興奮気味な母上にも経緯説明。
「――ってことだから。俺がモテたんじゃなくて、姉さんがモテたの」
「はー……そういうことね」
納得していただけたようで。
「でも満更でもなかったんでしょ?」
「まぁ、た「キモ」――しか、に……早いな」
姉上を出迎えた時には出現しなかったその言葉、言わなくなったわけではないらしい。
「高校を楽しめそうなら良かったわ。……にしても、春香は相変わらずねぇ」
「やっぱ姉さんモテるんだ」
「モテるわね、昔っから。告白された数は、お母さんが把握してるだけで二十は超えるんじゃないかしら」
「さすが」
話題にされてる本人はバツが悪そうな顔をしている。否定しないあたり事実のようだ。姉上すごい。
「春香は今も付き合ってる人は居ないの?高校で良い人とか」
「居ない」
「へー、『今も』ってことは居たこと無いんだ姉さ――」
睨まれた。ギロッと音が見えるくらいに。
「春香の男嫌いは風馬も知ってるでしょう?まぁ、それがなければこの子は選びたい放題でしょうねぇ」
(初耳です)
「告白してきた相手とかは?高校でも――高校こそ多そうだけど」
選びたい放題なら選ばれることも多いだろう。高校は青春の舞台の代表格だからな。
「……ろくに喋ったこと無い相手に好きとか言われても、『なにコイツ』ってなるだけ」
「さいですか……」
俺だったら嬉しい!好き!ってなりそうだが……姉上ほどになるとそうなんだろう。
「じゃあ喋ったことある相手に告白されたことは?男友達とか」
「そんなの中学から居ない」
『告白して来る男の知り合いが』ではなく『男の知り合いが』ってことだろうか。
「小学校の頃、男の子にいじわるされすぎて女の子だけで遊ぶようにしてたもんね」
「あったね、そんなこと」
姉上を守る女子と好きな子と遊びたい男子。
……容易に想像できるな。というか姉上が指揮執ってそう。
「なるほど」
「……なんの『なるほど』なの?ウザいんだけど」
見合わないやつはぶっとばすって、父上に誓ったからね。勝手に。こんな綺麗な娘を持った父親なら賛同してくれそうだけど。
「いや……恋愛関係の話をちゃんと聞いたことって、確か無かったからさ。姉さんなら納得だなと思っただけ」
「……あっそ」
「あら?お姉ちゃん照れてる?」
「照れてない!」
「カワイイねお姉ちゃ――」
イタッ。足バタバタさせるなんてはしたないですよカワイイお姉ちゃん。
「フフッ……。にしても、本当に風馬は変わったわね」
「ね。こんな生意気じゃなかったし」
(あー…………)
「……思春期が終わったんじゃない?」
「「自分で言う?」」
クスクスと笑う母と、ニヤけ顔の姉。守りたい、この笑顔。
庇護欲と使命感を感じていると、あることを思い出す。
「そうだ、姉さん。そっちも明後日から普通に授業でしょ?」
「そうだけど」
「一緒に登校してくれない?」
突拍子もないその発言に豆被弾鳩のような顔の姉上。
「はっ?なんで?」
「あの駅の電車、結構分岐するじゃん。なに行に乗ればいいかまだ覚えられてなくてさ」
「調べればいいじゃん。ていうか結構って……二つでしょ」
「乗り間違えないか不安なんだよ。慣れるまでで良いからさ、頼む」
こじつけ感は否めないが、ごり押すと決めている。
「はぁ~?……弟と二人って……」
「満員電車も慣れてないんだよ、高校に近づくと結構混むし……ダメか?」
手を合わせながら必死に懇願する。ここで引くわけには行かないのだ。
数秒思案したあと、呆れ顔の姉は言う。
「はぁ。良いけど、アンタが時間合わせなさいよ?」
「ありがと姉さん。マジで助かる」
心からの感謝。どうにか一緒の登校へとこぎつけた。
「二人で一緒に登校するのは、小学校以来かしらねぇ」
母上が感慨深そうにつぶやく。
「そう考えると、結構楽しみじゃ――
「楽しみじゃない。早く慣れてよね」
「……はい」
「ごちそうさま」
姉上が一足先に食べ終わり、自室に戻っていった。
あぁ、慣れるよ。大体二年後くらいに。
ここには居ない灰堂家の男たちに代わって、俺には姉上を守る使命がある……と勝手に思っている。姉としての実感はまだあまり無いが、ここ数日で仲良くなれてきた気がするし。
何より、たとえ過保護だと言われても、あの美少女を満員電車だの通学路だのに一人で放ってはいけない。通学路にだって危険はあるぞ、ナンパとか。多分。
「風馬」
「ん?」
作戦が上手くいって内心にやにやしていると、正面の母上が話しかけてきた。
その表情は、何か尊いものを見守るような、そんな顔。
「お姉ちゃんのことよろしくね?」
「……うん」
見抜かれていた。誘導は無理やり過ぎたかもしれないけど、その意図まで瞬時に分かるとは、恐れ入る。
母上も恐らく心配していたんだろう。
姉上には悪いが、二人での登校をやめるつもりはないし、なんなら下校もどうにかして一緒にしようと思っている。策を考えねば。
にこにこしている母上からの視線が居心地悪くて、急いで夕食を平らげる。
自室に戻り、椅子に座る。
姉上と登校することが必須だと思った理由は、母上にもバレたように、トラブルから守るためだ。
――だが、姉上と登校しようと思い立った理由は一緒に登校したいという願望だけ。
自慢じゃないが風馬と姉上はあまり似ていないため、はたから見ると並んで歩いても姉弟と認識されにくいのではないか、と思う。
勘違いとはいえ姉上の彼氏と誤解される可能性も大いにある。無闇に目立って敵視されるのは避けたいけれど、満更ではない。というか超嬉しい。
もちろん、最優先事項の役割は悪い虫から姉上を守るボディーガード。普通に会話しながら一緒にいるだけで効果はあると思っている。反感は買うだろうが。
不安や目的を抜きにしても、可愛い女の子と一緒に登校とかいう幻想を実現してみたい。
(心が躍るなー)
とんでもなく整った容姿を持つ、血縁上の姉。そんな彼女と登校する情景を浮かべながら、ベッドの上で瞼を閉じた。




