第38話ー条約草案会議ー本文編2ーー
翌朝。
琉球王国の空には、東の海から昇った朝日が差し込み、首里城の朱色の屋根を柔らかく照らしていた。
昨日まで続いていた条約草案会議。
初日は、前文及び前文条目の承認に続き、本条第一条から第四条までが正式に定められた。
条約は、少しずつではあるが、確実に形になっている。
そして今日。
秀高達は、その続きを詰めることになる。
一方の小梅もまた、昨日の茶会で得たものを、そのまま終わらせるつもりはなかった。
二人は朝食を共にし、それぞれの仕事へ向かう準備を整えていた。
「今日は昨日の続きだな」
『はい。昨日は第一条から第四条まででしたものね』
「今日はもっと難しい内容に入る」
『安全保障などもございますものね』
「ああ」
秀高は草案の束へ目を向ける。
「簡単には決められないだろう」
『でも、秀高様なら大丈夫です』
小梅は穏やかに微笑んだ。
『皆様も、昨日よりずっと積極的に意見を出してくださるようになったのでしょう?』
「うん。初日は遠慮がちだったけどな」
『それなら、今日もきっと大丈夫です』
秀高は頷く。
「小梅も、今日はここで仕事か?」
『はい。昨日の茶会で得た情報を整理して、支店へ指示を出すつもりです』
「なるほど」
『それから、次のお茶会の準備も始めます』
「例の着比べか」
『はい』
小梅は楽しそうに頷いた。
「お茶会の開催が楽しみだな」
『秀高様も、条約の方をしっかりお願いしますね』
「任せてくれ」
二人は顔を見合わせ、その後、それぞれの仕事へ向かっていった。
首里城・応接間。
昨日と同じように、東と馬、そして官吏たちが集まっていた。
しかし、昨日とは明らかに空気が違う。
官吏達は席に着くと、それぞれ昨日までの草案を読み返している。
中には、今後に向けた新たな条文案を自分なりに書き留めている者までいた。
東は、官吏たちのその様子を満足そうに眺めていた。
『初日は、皆が参議殿の説明を聞くだけで精一杯であったのに、昨日、今日と、自分達で草案を作っている自覚が芽生えてきたようだな』
馬も頷く。
『それだけ、此度が良い学びになったのでしょう』
そこへ秀高が入室する。
「皆様。おはようございます」
『おはようございます、参議殿』
秀高は席へ着き、机上に新たな草案を並べた。
東が立ち上がる。
『さて、本日も草案会議行って行くが、引き続き、昨日と同じ流れで進めたいと思う』
『参議殿より素案を提示していただき』
『素案内容を説明。その後、我らと官吏諸君で質疑を行う』
『必要であれば修正し、修正後の条文を改めて全員へ周知』
『その内容を確認した上で正式に承認する』
『この流れでよいな』
『『異議ございません』』
「では、本日も始めてまいりましょう」
こうして三日目条約草案会議が始まった。
「それでは、昨日第四条まで完成しましたので、第五条に移ります」
秀高は新しい草案を手に取った。
「第五条では、両国の商船が往来する上で必要となる港湾利用について定めます」
「今後、堺と琉球王国の交易が盛んになれば、当然ながら商船の往来も増えます」
「船が港へ入る」→「荷を積み下ろす」→「食料や水を補給する」→「必要な修理などを行う」
「こうしたことが円滑に行われなければ、交易そのものが滞ります」
「そこで第五条の素案は、【堺及び琉球王国は、相手国の商船が入港する場合、可能な限りその安全な停泊、荷役及び必要な補給を認め、これを円滑に行えるよう努めるものとする。】」
「と、したいと思っております」
官吏の一人が手を挙げた。
『参議様』
「どうぞ」
『商船とありますが、軍船についてはどうなりますでしょうか』
その質問が出たことで、応接間の空気が少しだけ変わった。
秀高は落ち着いて答える。
「軍船については、商船と同じ扱いにはいたしません」
「今回の条約には、双方の安全保障に関する取り決めも含める予定です」
「軍船の入港や補給については、その目的に適した別の条文で定めるべきでしょう」
東が頷く。
『つまり第五条は、あくまで平時の交易を円滑にするための港湾利用を定めたものということですな』
「はい。その通りです」
別の官吏が尋ねる。
『では、堺の商船が那覇港へ入港した場合、王国は可能な限り受け入れるということですか』
「はい。そして逆に、琉球の商船が堺へ入港する場合も同じでございます』
馬も頷いた。
『それならば、王国側としても問題ありません』
東が官吏達へ視線を向ける。
『他に意見のある者はおるか』
『『ございません』』
『では、最終確認を行いましょう』
秀高は草案を正面へ置いた。
「それでは、第五条の最終案を読み上げます」
「【堺及び琉球王国は、相手国の商船が入港する場合、可能な限りその安全な停泊、荷役及び必要な補給を認め、これを円滑に行えるよう努めるものとする。】」
「以上が第五条の最終案です」
「東宰相、馬殿、そして官吏の皆様。この内容で相違ございませんでしょうか」
『異存なしじゃ』
『私も問題ございません』
『『異議ございません』』
『よろしい』
東が頷いた。
『それでは、本条第五条を正式に承認とする』
「ありがとうございます。では続いて、第六条に移りたいと思います」
秀高の声が少しだけ低くなる。
「ここからは、堺・王国双方の安全保障に関する条文となります」
「琉球王国は、明国や南蛮との交易を行う上で重要な位置にあります」
「それゆえ、外部勢力から狙われる可能性もございます」
「堺も同様に、海上交易を行う都市です」
「遠く離れているからといって、海上の脅威と無関係ではありません」
「そこで」
「【堺及び琉球王国は、相手国の安全を脅かす第三国その他の勢力による侵害を認知した場合、相手国へ速やかに通報し、可能な限り必要な協力を行うものとする。】」
「これを第六条の素案といたします」
東がすぐに問い掛ける。
『参議殿』
「はい」
『これは、一方が攻撃された場合、もう一方が必ず兵を出すという意味でしょうか』
「そこまで一律に定めるものではありません」
「まず第一に情報を共有すること」
「そして、可能な範囲で必要な支援を行うこと」
「その支援内容については、その時々の状況に応じて協議するものといたします」
『協議した結果、兵を出す場合もある』
「はい」
『兵糧や武器などを送る場合もあるということですか』
「それも支援の一つです」
『情報を提供するだけでも支援なのですか?』
「はい。情報が早ければ早いほど、問題に対する準備などを調べ、整える時間が生まれます」
秀高は頷いた。
「戦いの形は、その時々によって異なります」
「だからこそ、最初から一つの支援方法に限定するのではなく、状況に応じて最善の支援を選択できるようにするべきだと考えております」
馬が手を挙げた。
『しかし、これでは王国側からすると、本当に助けてもらえるのか不安に感じる者もいるのでは?』
「そのため、次条で連絡及び協議の仕組みを定めます」
『なるほど』
『第六条では、相互に協力する意思を明確にするわけですな』
「はい」
そこへ、年配の官吏が立ち上がった。
『一つ確認させていただきたい』
「どうぞ」
『第三国その他の勢力という表現ですが、海賊、武装組織、反乱勢力なども含まれるのでしょうか』
「含みます」
「国だけを対象とすると、それ以外の武装勢力による攻撃を対象から外してしまう可能性があります」
『なるほど』
『双方の安全を脅かす勢力を広く対象とする』
「その認識で結構です」
東が頷く。
『他に意見のあるものは?』
『『ございません』』
『では、最終確認を』
秀高は改めて条文を読み上げる。
「【堺及び琉球王国は、相手国の安全を脅かす第三国その他の勢力による侵害を認知した場合、相手国へ速やかに通報し、可能な限り必要な協力を行うものとする。】」
「この内容で相違ございませんでしょうか」
『異存なし』
『問題ございません』
『『異議ございません』』
『よろしい』
『それでは、本条第六条を正式に承認とする』
「続いて、第七条です」
「第六条では、相互に協力する意思を定めました」
「第七条では、前条の協力を実際に行うための連絡と協議について定めます」
「【堺及び琉球王国は、両国の安全、交易その他の重要事項について協議する必要が生じた場合、相互に使者その他の連絡手段を用いて速やかに協議を行うものとする。】」
「以上になります」
東が頷く。
『これは確かに、必要ですな』
『安全だけでなく、交易上の問題にも使える』
「その通りです」
「条約を結んでも、問題が起こらなくなるわけではありません」
「むしろ関係が深くなればなるほど、意見の違いも生まれます」
「だからこそ、問題が起きた時に話し合える仕組みを最初から作るのです」
若い官吏が手を挙げた。
『「速やかに協議」とありますが、緊急性の違いはどう扱うのでしょう』
「良い質問です」
秀高は草案へ筆を走らせた。
「【緊急を要する事項については、可能な限り速やかにその旨を相手国へ通報するものとする。】」
「この一文を加えるのはいかがでしょうか」
東が頷く。
『良いでしょう』
馬も続ける。
『これならば、緊急時の扱いも明確になります』
『他に意見は?』
『ございません』
『異議ございません』
『では、最終確認を』
秀高は修正後の条文を読み上げる。
「【堺及び琉球王国は、両国の安全、交易その他の重要事項について協議する必要が生じた場合、相互に使者その他の連絡手段を用いて速やかに協議を行うものとする。緊急を要する事項については、可能な限り速やかにその旨を相手国へ通報するものとする。】」
「以上が第七条の最終案です」
「この内容で、皆様の認識に相違はございませんでしょうか」
『異存なし』
『問題ございません』
『『異議ございません』』
『よろしい』
『それでは、本条第七条を正式に承認とする』
この時、東が、ここまでの草案を並べた。
『第五条が港湾』
『第六条が安全保障』
『第七条が連絡及び協議』
『参議殿。随分と条約らしい姿になってきましたな』
「はい。ですが、まだまだ先は長いですよ」
秀高が苦笑する。
『そうですな。では次の内容は何になりますかな』
「人の往来についてです。交易が始まれば、人も動きます」
「商人だけではありません。職人、技術者、使者、学者など、様々な人間が双方を行き来することになります」
「そのため、物だけでなく、人を安全に行き来させる仕組みも必要です」
『なるほど』
東が頷く。
『では、第八条は人の往来について、と』
「はい。では、第八条に移ります」
秀高が新しい草案を取り出した。
「第八条は【堺及び琉球王国は、相手国へ入国する商人、職人、技術者、使者その他の者について、必要な身分確認を行った上で、可能な限りその往来を認めるものとする。また、相手国から入国した者に対しては、その身の安全及び財産を可能な限り保護するものとする。】」
「というものです」
馬が頷く。
『これは王国としても重要な内容ですな』
『異国へ赴いた我が国の商人達が、現地で不当に扱われるようでは、交易は成り立ちません』
「はい。相手国へ人を送り出す側としても、安心して派遣できる仕組みが必要です」
別の官吏が質問する。
『参議様。もし入国をしたものが、その地で不正を働いた者についてはどうなりますかな』
「当然、保護の対象外となります。またその者を処罰する際には、相手国の法と手続きに従う必要があります」
『なるほど』
『つまり、勝手に処罰することも、勝手に連れ戻すこともしない』
「原則としては、その考え方になります」
東が頷く。
『では、最終確認を』
秀高は条文を読み上げる。
「【堺及び琉球王国は、相手国へ入国する商人、職人、技術者、使者その他の者について、必要な身分確認を行った上で、可能な限りその往来を認めるものとする。また、相手国から入国した者に対しては、その身の安全及び財産を可能な限り保護するものとする。】」
「以上が第八条の最終案です」
「皆様、この内容で相違ございませんでしょうか」
『問題なし』
『ございません』
『『異議ございません』』
『よろしい』
『それでは、本条第八条を正式に承認とする』
「では、第九条です」
秀高は次の草案を取り出した。
「ここでは、双方の商人やその他の者の間で発生する紛争について定めます」
「いかに友好的な関係を築いても、人が増えれば揉め事も起こります」
「商取引上の問題。商品の品質や代金を巡る争い。荷物の破損。契約上の行き違いなど。それを放置すれば、やがて国家間の問題へ発展する可能性もあります」
「そこで第九条は、【堺及び琉球王国の商人その他の者の間において、交易その他の活動に関する紛争が生じた場合、双方は当事者間による解決を促すものとし、解決が困難な場合は、双方の関係機関が誠意をもって協議し、その円満な解決に努めるものとする。】」
「と、いたします」
一人の官吏が手を挙げる。
『参議様。宜しいでしょうか』
「どうぞ」
『当事者同士で解決できない場合、最終的にはどちらの国の法を適用するのでしょうか』
秀高は少し考えた。
「事案によって異なります」
「例えば、琉球王国内で起きた問題であれば、基本的には王国の法、堺内で起きたのであれば、堺の法に従う。ですが、双方にまたがる問題については、両国で協議する必要があります」
官吏が頷く。
『なるほど』
東も続ける。
『つまり、最初から一律の裁判権を定めるのではなく、事件の発生地や性質を見て判断する』
「はい」
「条約で全てを固定してしまうより、その方が実情に合います」
馬が手を挙げる。
『では、片方の商人が自国へ戻ってしまった場合は?』
「その場合は、双方のの関係機関が協力して対応します。問題を起こして国に逃げれば終わり、ということにならないようにする必要があります」
『確かに』
東が頷く。
『他にないか?……なければ最終確認を』
秀高は条文を読み上げる。
「はい。第九条は【堺及び琉球王国の商人その他の者の間において、交易その他の活動に関する紛争が生じた場合、双方は当事者間による解決を促すものとし、解決が困難な場合は、双方の関係機関が誠意をもって協議し、その円満な解決に努めるものとする。】」
「皆様、この内容で相違ございませんでしょうか」
『なしじゃ』
『私も問題ございません』
『『異議ございません』』
『それでは、本条第九条を正式に承認とする』
「続いて、第十条です」
ここで秀高は、少しだけ表情を引き締めた。
「条約は、一度締結したからといって、永遠に同じ内容でなければならないわけではありません」
「時代が変われば、国の組織や制度も変化します。それにより新しい問題が生まれることもあります」
「第十条では、この条約そのものを改定する仕組みを定めます」
秀高は草案を示す。
「第十条の素案は、【堺及び琉球王国は、双方の情勢及びその他の事情により本条約の内容を変更する必要が生じた場合、双方の合意をもって、その内容を修正又は追加することができるものとする。】」
東が静かに頷く。
『ここで初日に定めた前文の第三条目とも繋がるのか』
「はい。前文では、双方の国が滅びぬ限り条約を継承すること。そして、必要に応じて双方の協議によって変更、修正できることを定めました」
「第十条では、それを実際の手続きとして明確にいたします」
年配の官吏が尋ねる。
『では、一方の国だけで勝手に条約を書き換えることは』
「無論できません」
「必ず双方の合意が必要です」
『それならば、一方的な変更から王国を守ることもできますな』
「同時に、堺も一方的な変更を受けることはありません。双方が対等であるからこそ、そこは同じでなければならないのです」
馬が頷く。
『非常に分かりやすい内容ですな。条約を守りながら、時代の変化にも対応できる』
「はい」
東が官吏達へ目を向ける。
『他に意見のある者は』
一人の官吏が手を挙げた。
『参議様』
「どうぞ」
『条約を変更する際には、新しい条文を追加するのでしょうか』
「場合によりますね。一部だけを改定することもあれば、新しい条文を追加することもあるでしょう」
「重要なのは、変更した内容と、その変更について双方が合意したという事実を記録として残すことです」
『なるほど。後世の者達が、いつ、何が変わったのか確認できるようにすると』
「その通りです」
東が頷く。
『では、最終確認を』
秀高は第十条を改めて読み上げる。
「【堺及び琉球王国は、社会情勢その他の事情により本条約の内容を変更する必要が生じた場合、双方の合意により、その内容を修正又は追加することができるものとする。】」
「以上が第十条の最終案です」
「この内容で、皆様の認識に相違はございませんでしょうか」
東が頷く。
『異存なし』
馬も続けた。
『私もございません』
東が官吏達を見る。
『諸君は?』
『『異議ございません』』
東はゆっくりと頷いた。
『よろしい』
『それでは、本条第十条を正式に承認とする』
昨日に引き続き、応接間には、小さな達成感が漂っていた。
昨日は前文から本文の第一条から第四条まで。
そして今日は、第五条から第十条まで。
二日間で、前文から本文第十条までが形となったのである。
しかし。
条約は、まだ完成ではない。
軍事面の細かな規定。
人材交流の運用。
情報の取り扱い。
港湾や交易制度の具体的な細則。
まだ詰めなければならない事項は残されている。
東は机上の草案を整理しながら口を開いた。
『本日も、随分と進みましたな』
『第五条から第十条まで、すべて正式に承認することができました』
馬も頷く。
『昨日より、皆が策定に積極的になり、この条約を自分達の問題として考えるようになったのでしょう」
秀高は官吏達を見渡した。
「最初は、皆様も未知のものだったと思います。外国との条約を作る。それだけで何から始めればよいのか分からなかったでしょう」
「ですが今では、自分達から質問し、自分達から意見を出してくださる。これは非常に良いことです」
若い官吏立上りが深く頭を下げる。
『参議様。我々も、自分達がこの条約を作っているのだと実感するようになりました』
「それならば嬉しい限りです。条約は、締結したその時の者だけのものではありません。後世に生きる者達が使うものです」
「だからこそ、今ここにいる皆様が納得して作ることに意味があります」
東は深く頷いた。
『その通りですな』
夕刻。
窓から差し込む光が、少しずつ赤みを帯びている。
東が草案をまとめる。
『今日も有意義な時間であった。第五条から第十条までをしっかり皆で作ることができた』
『残る条文については、明日以降さらに協議して昇華していこうと思う』
官吏達が一斉に頭を下げる。
『『ありがとうございました』』
秀高も立ち上がる。
「こちらこそ、ありがとうございました」
『では明日も、お頼み申す』
『明日もよろしくお願いいたします、参議殿』
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
二日目の策定作業を終えた秀高は、東や馬と別れ、客殿へ向かって歩いていた。
外はすっかり夕暮れ。
琉球の空が赤く染まり、昼間の暑さも少しずつ和らいでいる。
秀高は今日一日を振り返りながら歩く。
第五条 港湾利用について
第六条 安全保障について
第七条 連絡と協議について
第八条 人の往来について
第九条 紛争解決について
そして第十条 条約改定について
二日間で、かなりのところまで進んだ。
「明日からは、さらに細かいところへ入っていくな」
秀高は小さく息を吐く。
そして、ふと今日一日の別のことを思い出した。
「そういえば、今日は小梅は一日中客殿の中って言ってたな」
昨日は王妃・月江と王国の才媛たちとの茶会だった。
今日は客殿で仕事すると朝報告を受けている。
秀高は少しだけ笑った。
「さてさて、小梅の仕事の塩梅はどうかな~」
そう呟きながら、秀高は客殿へ向かって歩いていった。
そして時系列は少し巻き戻り。
秀高が首里城の応接間で条約草案の策定に取り組んでいた時。
小梅は、客殿の一室で仕事に取り組んでいた。
昨日の茶会は、楽しい社交の場であった。
王妃・月江と王国内でも有力な家の才媛達。
彼女達と親しく話したことで、琉球王国の文化や暮らしについて様々な情報を得ることができた。
しかし、小梅にとってそれは単なる楽しい思い出で終わるものではない。
得られた情報は、堺屋の副総統として活用しなければならない。
小梅は机の上へ、昨日の茶会で得た情報をまとめた書付を並べていた。
『まずは、織物についてですね』
小梅の傍らには、堺屋琉球支店の者達から届いた資料も置かれている。
『王妃様達から伺った話と、支店からの報告を照らし合わせますと……』
小梅は一枚一枚を確認していく。
『琉球の織物は、まだ堺では十分に知られていない』
『ですが、品質の良い物であれば、日ノ本の女性達にも受け入れられる可能性は高いでしょう』
『特に、色使いと模様は京や堺の品とは違います』
『そこは大きな強みになりますね』
小梅は筆を取り、資料へいくつか印を付けていく。
『こちらについては、支店へ調査をお願いしましょう』
『生産地』
『製造方法』
『年間の生産量』
『現在の取引相手』
『それから、職人方がどの程度まで注文に応じられるのかも知りたいですね』
侍女が横から尋ねる。
『そこまで調べられるのでございますか?』
『堺屋の商いに繋がる可能性があるのであれば、調べておく価値はあります』
小梅は穏やかに答えた。
『ただ珍しいというだけでは、商いにはなりません』
『継続して仕入れられるのか』
『品質が安定しているのか』
『価格は適正なのか』
『そうした部分まで確認して、初めて商売として考えられます』
『なるほど……』
小梅は書類を整えたているが、その隣には別の書付があった。
次回の着比べお茶会についての準備書である。
小梅は、それを見ながら考える。
『次のお茶会では、日ノ本の振袖と琉装を実際に着てみることになります』
『そのためには、衣装だけでは足りませんね』
『帯』
『髪飾り』
『履物』
『髪型』
『着付けを担当する者』
一つ一つ書き出していく。
侍女が目を丸くする。
『小梅様……』
『はい?』
『お茶会の準備とは、このようなところまで考えるものなのでございますか?』
小梅は少し笑った。
『今回のお茶会は、普通のお茶会ではありませんから』
『互いの文化を実際に体験する場ですもの』
『せっかくなら、きちんとした形にしたいと思っております』
『日ノ本の振袖を着ていただくのであれば、ただ着せるだけではなく、その衣装が持つ意味までお伝えしたい』
『梅の意匠や四季の花々。鳳凰などの刺繡や有職文様。それぞれに意味がございますから』
『なるほど……』
『そして、私自身も琉装を着せていただくのですから』
小梅は楽しそうに笑った。
『琉球の方々が、どのような思いでその衣装を身につけておられるのか』
『それを実際に体験してみたいのです』
小梅はさらに筆を進める。
『では、日ノ本側はこちらで準備するとして……』
『琉球側については、王妃様へお願いする形になってしまいますね』
『それから、着付けを行う方と、衣装について説明してくださる方も必要』
侍女が書き留める。
『承知いたしました』
『それから』
小梅は少し考えた。
『衣装を着るだけではなく、その場で反物も見せていただけるようお願いしましょう』
『琉球の織物を実際に触れてみれば、より分かりやすくなります』
『そして、こちらからも日ノ本の反物を何種類か出しましょう』
『双方を並べて比較できれば、違いも分かります』
『はい』
侍女が頷いた。
しかし、小梅の考えは、それだけでは終わらなかった。
『さらに……』
小梅は別の紙を取り出した。
そこには、商いに関する項目が並んでいる。
『次のお茶会では、無理に商談をするつもりはありません』
『ですが、織物について話をする中で、自然に商いへ繋がるようであれば、その可能性は見ておきたいと思います』
『王妃様や夫人方がどのような品を好まれるのか』
『どのような衣装を普段お召しになるのか』
『琉球で不足している品は何か』
『逆に、日ノ本へ売り出せる品は何か』
小梅は、一つ一つ書き出していく。
『そうした情報を集めておけば、堺屋も今後の商売を考えやすくなります』
侍女が感心したように小梅を見る。
『お茶会から、ここまで話が広がるとは思いませんでした』
小梅は微笑む。
『社交とは、相手と仲良くなるだけではありません』
『相手を知り、自分達を知ってもらい、そこから次の繋がりを作る』
『その結果、商いが生まれることもあれば、文化交流になることもあります』
『どちらに転んでも、悪いことではありません』
侍女は静かに頷いた。
『少納言様は、しっかり堺屋の副総統でございますね』
小梅は苦笑した。
『私も、少しは秀高様のお役に立ちたいですから』
小梅は書類を一度まとめた。
小梅は一度、机上の資料を見渡した。
『堺屋への指示は、これで良いでしょう』
『着比べお茶会の準備も、概ね整いましたね』
侍女が頷く。
『あとは王妃様へ日程の候補を伺うだけですね』
『はい』
『それと、堺屋側の着付け役と反物の準備について、早めに連絡を入れておきましょう』
『承知しました』
小梅は書類をまとめた。
昨日は華やかなお茶会だった。
けれど、今日の小梅は、その華やかさの裏側で得た情報を一つ一つ整理し、堺屋の仕事へ繋げていた。
それは、妻として秀高を支えるだけではなく。
堺屋の副総統として、自らの役割を果たす姿であった。
その時、客殿の外から足音が聞こえた。
『参議様がお戻りになりました』
その報告を聞いた瞬間小梅の表情が一変する。
先ほどまで真剣に帳簿や資料を見ていた顔が、柔らかなものへ変わった。
『まあ』
小梅は思わず立ち上がる。
侍女も笑った。
『先ほどまでとは、お顔が全く違いますね』
『……何を言っているのですか』
小梅は少し照れながら笑った。
『こちらの書類は後ほど整理しましょう』
『はい』
小梅は髪へ手を添えた。
そこには、今日も秀高から贈られた櫛と簪がある。
『では、お迎えに参りましょう』
そして時系列は元に戻る。
客殿へ向かっていた秀高は、廊下の先に小梅の姿を見つけた。
「小梅」
『お帰りなさいませ、秀高様』
「ただいま」
『本日も、お疲れ様でした』
「小梅も今日は一日中客殿で仕事だったんだろ?」
『はい』
「何をしてたんだ?」
小梅は少し楽しそうに笑った。
『昨日のお茶会で得た情報の整理です』
『それから、次のお茶会の準備も』
「着比べお茶会か?」
『はい』
『日ノ本の振袖や帯、反物、髪飾りなどを準備し、皆様に見ていただけるようにいたします』
「小梅自身も琉装を着るんだろ?」
『はい』
「楽しみだな」
『私も楽しみです』
小梅は微笑んだ。
「それだけじゃないだろ?」
『はい』
『琉球の織物や染色について、堺屋の支店へ調査をお願いしております』
「なるほど」
『昨日の茶会で得た情報を、そのまま終わらせるわけにはまいりませんから』
秀高は頷いた。
「そうだな」
『次のお茶会も、ただ衣装を楽しむだけではございません』
『互いの文化を知り、その先にある商いの可能性まで見ておきたいと思っております』
秀高は小梅を見て、感心したように笑った。
「その考え方は、もうすっかり副総統だな」
小梅は少し照れたように笑った。
客殿へ入ると、小梅は机の上へ三つにまとめた書類を並べた。
『こちらが本日の仕事の成果です』
「ほう」
秀高は書類へ目を通す。
『まず、琉球の織物についての市場調査』
『次に、着比べお茶会の準備』
『そして、昨日の茶会で得た情報をもとに、今後の堺屋の活動へ繋げるための事項をまとめました』
秀高は一枚ずつ見ていく。
そして小梅には気付かれない程度に口元を緩めた。
実のところ、秀高は書類を見た時点で、小梅がどのような流れで仕事を進めたのか、ほぼ全て把握していた。
指示の出し方。
市場調査の項目。
着比べお茶会の準備。
その一つ一つが筋道立てられている。
しかし、秀高はあえて何も言わなかった。
「……なるほど」
『はい』
「じゃあ、これはどういう意味だ?」
秀高が一枚の資料を指差す。
小梅は資料へ目を向ける。
『そちらは、琉球織物の生産量と既存商人の取引状況についてです』
「うん」
「じゃあ、もし生産量が少ない場合、堺屋としてはどうする?」
『え?……そうですね』
小梅は少し考えた。
『まず、大量仕入れは避けます』
「ほう」
『生産量が少ないのに大口の注文を出してしまえば、価格が上がる可能性があります』
『それに、職人方へ無理をさせることにもなります』
「なるほど」
秀高は頷き、別の質問をする。
「じゃあ、反対に生産量が多い場合は?」
『その場合は、需要を調べます』
『日ノ本でどれくらい売れるのか、どの層に人気が出るのかを確認してから、仕入れ量を増やします』
「どうして最初から大量に仕入れないんだ?」
『売れるとは限らないからです』
『どれだけ良い品でも、日ノ本の人々に受け入れられなければ、堺屋の倉庫に残ってしまいます』
『それでは商売になりません』
秀高は、まだ答えを聞くだけの顔をしている。
「では、次。着比べお茶会で、相手に何を着てもらうかだけを考えれば十分なのか?」
小梅は少し考える。
『いいえ。衣装だけではなく、帯や髪飾りも含めて見ていただきます。それぞれの文化の違いを知っていただくことが目的です』
「それだけ?」
小梅は少し首を傾げた。
『……それだけではございません』
「うん」
『どの色を好まれるのか』
『どの文様に興味を示されるのか』
『どのような生地を好まれるのか』
『そして、日ノ本の衣装のどこに関心を持たれるのか』
『それらを知ることができれば、堺屋が今後琉球へ売り込む品を考える材料になります』
秀高の口元が、少しだけ緩む。しかし、まだ答えを明かさない。
「じゃあ最後」
「なぜ、わざわざ『着比べ』にする?」
小梅は腕を組んだ。
『……』
しばらく考える。
『互いの文化を、言葉だけではなく実際に体験するためです』
『相手の衣装を着ることで、その土地の文化を身近に感じられる』
『それによって、互いへの親しみも深まる』
『さらに、その衣装について話をする中で、織物や染色、暮らしの話へも広がります』
小梅は少しずつ確信を持っていく。
『そこから、文化交流だけでなく、商いにも繋がる可能性がある』
『つまり、着比べお茶会そのものが、文化交流と将来的な商業交流の両方へ繋がるからです』
秀高は、そこでようやく笑った。
「よくできました」
『……え?』
小梅が目を丸くする。
「全部分かってたよ」
『……』
「最初から、今日小梅が何をしていたのか、ほぼ全部分かってた」
『秀高様……?』
「書類を見た時点で、だいたい流れは分かった。でも、あえて知らないふりをして聞いてみた」
「小梅自身が、自分の考えをどう説明するのか知りたかったんだ」
小梅の頬が、ぷくっと膨らむ。
『もう……』
「ははは」
『最初からご存じだったのでしたら、わざわざ私に質問しなくてもよろしいではありませんか』
「いや。知っているからこそ、聞いてみたかったんだよ」
『……意地悪です』
小梅は頬を膨らませたまま、秀高を見る。
「ごめんごめん」
『本当に反省していますか?』
「してるしてる」
『絶対、楽しんでおられましたでしょう?』
「それは……ちょっとだけ」
『もう!』
小梅はさらに頬を膨らませた。
秀高は笑いながら、小梅の頭を優しく撫でる。
「でも、本当に感心したよ。昨日聞いたことを、ちゃんと今日の仕事へ繋げている」
「しかも、何のためにそれをやっているのかまで、自分で考えられている」
「よくできるようになったな」
小梅は少し照れたように俯く。
『これもすべて、貴方様と堺屋の皆さんに教えていただいたのです』
『私は、ただ教えていただいたことを一つずつ実践しているだけです』
秀高は、その答えを聞くと嬉しそうに微笑んだ。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど」
「教えたことを実際に使えるようにしたのは、小梅自身の努力だよ」
『……ありがとうございます』
「これからも、その調子で頼むよ」
『はい』
そこへ、小梅は机の上に置かれた予定表を手に取った。
『ところで』
「ん?」
『明日の予定を確認しておきませんか?』
「ああ」
小梅は予定を読み上げる。
『秀高様は、朝から条約草案会議』
「そうだな」
『私は午前中に堺屋琉球支店との最終確認』
『それから、王妃様へ着比べお茶会の日程候補をお伝えいたします』
『午後は日ノ本側の衣装、反物、帯、髪飾りなどの選定と確認』
「そして、その中から実際に次のお茶会へ持っていくものを決める」
『はい』
「分かった」
秀高も自分の予定を整理する。
「俺の方は第十一条以降の協議」
「軍事面や人材交流について、さらに詰めることになるだろうな」
『では、明日の夜も情報を交換いたしましょう』
「そうしよう」
『そして、着比べお茶会の日程が決まりましたら、すぐに秀高様へお知らせいたします』
「楽しみにしてるよ」
『はい』
二人は予定表を覗き込みながら、明日の動きを確認していく。
仕事の話が一段落すると、小梅が少しだけ笑った。
『それでは、本日はもう休みましょうか』
「そうだな」
『明日も忙しくなりそうですもの』
「それは仕方ないだろう」
秀高が小梅を見る。
「でもこうやって小梅と明日の予定を確認して仕事を終わるのも。いいかもな」
小梅も微笑んだ。
『私もです』
『お互いに何をするのか分かっていると、安心いたしますから』
二人は顔を見合わせる。
そして、静かに笑った。
条約草案会議の第二日目。
第五条から第十条までが正式に承認され、条約はさらに形を整えた。
その一方で。
客殿では小梅が、昨日の社交で得た情報を堺屋の仕事へ繋げ、次の着比べお茶会へ向けた準備を進めていた。
秀高は条約を通じて両国の未来を形にし。
小梅は社交と商いを通じて、その未来を支える繋がりを作る。
夫婦それぞれの役割は違っていても。
二人が進む先は、同じである。
そして明日。条約草案会議は、最後の仕上げへと進んでいく。
同時に、小梅の「着比べお茶会」もまた、琉球と日ノ本の新たな文化交流へ向けて動き始めていた。




