第2話 これで終わる
兄が口を割ったのは、それから三日後の夜だった。
隊の宿直明けで、ひどく疲れた顔をしていた。居間の長椅子に沈みこんだ兄に、わたしは黙って温めた葡萄酒を差し出す。兄はそれを半分ほど飲んで、天井を見上げた。
「隊長が気にしてることがある」
「なあに」
「落ちた3人。生まれた夜が、全員同じなんだ。小月の満ちる夜」
「月生まれ、ということ?」
「そうだ」
小月が満ちる夜に生まれた子を、この国では月生まれと呼ぶ。月に好かれる子、とも言う。昔は縁起がいいとされていたそうだけれど、今では誕生日の話題でときどき出てくる程度の、ただの言い回しにすぎない。
前の世界にも、満月の夜に生まれた子をそう呼ぶ人がいた。どこの世界でも、人は似たようなことを考えるものらしい。
刺繍をしていた母が、ふと顔を上げた。
「あら。リーネも月生まれよ」
居間が、しんとした。
「……母上、それは本当ですか」
「ええ。あの子が生まれた夜は、小月がそれはきれいに満ちていて。産婆さんが、月に好かれた子ですねって」
兄がゆっくりと、わたしの方を向く。
わたしも兄を見返した。たぶん、同じことを考えている。
塔から落とされた娘たちは、全員が月生まれ。そして、わたしも月生まれ。
前の世界で殺されたわたしが、この世界でも、同じ手の届くところにいる。
「リーネ。次に小月が満ちる夜は、家から一歩も出るな」
「お兄さま」
「頼むから」
兄の声は、怒っているのではなく、怯えていた。
それで、わたしは決めた。
家にこもっていても、何も変わらない。相手がわたしと同じ生まれ変わりなら、わたしにしか気づけないことがあるはずだ。あの声を聞いたことがあるのは、この世界でわたしひとりなのだから。
◇
時計塔の鍵を管理しているのは、王立天文院。
父が長年、天文院にささやかな寄付をしている縁で、見学の申し込みは拍子抜けするほどあっさり通った。
天文院は王都の北のはずれ、丘の上に建っている。灰色の石造りの建物で、真ん中から細い塔がまっすぐに伸びている。
塔を見上げただけで、膝の裏が冷たくなった。
「ハルシュタイン子爵家のリーネさま、ですね」
出迎えたのは、背の高い青年だった。
年は19か、20か。黒い髪がくしゃくしゃで、指先がインクで青く染まっている。観測士の灰色の上着は、肘のところがすり切れていた。
「見習い観測士のエミル・ヴァイスです。院長から案内を言いつかりました」
言いつかりました、と言うときの顔が、心底面倒くさそうだった。
「お忙しいところを、ごめんなさい」
「いえ。仕事ですから」
愛想という言葉を、どこかに置き忘れてきた人らしい。
エミルは建物の中を手短に案内してくれた。星図の保管庫。暦を作る部屋。王都じゅうの時計塔の鍵が並んだ鍵部屋。鍵部屋の扉には錠前がふたつついていて、開けられるのは院長と、当番の観測士だけだという。
「夜に時計塔へ上がる人は、ここで鍵を受け取るのね」
「受け取って、返す。誰が何時に持ち出したか、全部記録されます」
「事件の夜の記録は?」
エミルが足を止めて、わたしを見た。
「……警備隊の方にも同じことを訊かれました。3件とも、鍵は一度も持ち出されていません」
「じゃあ、どうやって塔の上に」
「さあ。それを調べるのは、僕の仕事じゃない」
そっけない。けれど、嘘をついている顔にも見えなかった。
「ねえ。天文院では、町の人向けに講義をしているでしょう」
「ひと月に一度。院長が話します」
「亡くなった娘さんたちも、通っていたと聞いたわ」
エミルは、少しだけ目を伏せた。
「3人とも、来ていました。顔も覚えています。いちばん前の席で、熱心に帳面をとっていた子もいた」
「あなたも講義に出ているの?」
「僕は、後ろで天球儀を回す係です」
ということは、エミルは3人の顔を知っていたことになる。そして、3人もエミルの顔を知っていた。夜の塔の上で、顔見知りの観測士に声をかけられたら、娘たちは警戒しただろうか。
たぶん、しない。
わたしは、エミルの青い指先を見た。インクの染みが、爪の間にまで入りこんでいる。
「小月を見るのは、好き?」
唐突な問いだったと思う。エミルは面食らった顔をして、それから少し考えた。
「好き、というのとは違うかもしれません。気になるんです。毎晩、ほんの少しずつ、昨日と違う場所にいる。その違いを、誰かが書き留めておかないといけない」
「どうして?」
「書き留めておかないと、いつか、なかったことになるからです」
その答えが、なぜか胸に残った。
最後に案内されたのは、観測室だった。塔のいちばん下、半地下にある部屋で、天井に開いた細長い窓から空が見える。真ん中には、真鍮の大きな筒が据えてあった。
「上の塔には、上がらなくていいんですか」
「ええ。ここで、十分」
エミルは何も言わずに、筒の角度を合わせはじめた。昼の空でも、小月の位置は測れるのだという。
しばらく覗きこんでから、彼は手元の帳面に何かを書きつけた。それから、ペンを置いて、ぽつりと言った。
「これで終わる」
心臓が、止まりかけた。
「……今、なんて」
「え?」
エミルが振り向く。わたしの顔を見て、少し眉をひそめた。
「観測の締めの言葉です。癖みたいなもので。……顔色、悪いですよ」
「平気」
平気なわけがなかった。
同じ言葉。同じ調子。ためらいのない、決めてきた人の声。
あの夜、屋上で聞いた声と、似ているかどうかは分からない。逆光の向こうの声だったし、あれから17年も経っている。それでも、この偶然を偶然で片づけられるほど、わたしは図太くない。
「エミルさん」
「はい」
「あなたは、小月の満ちる夜、いつもどこにいるの」
「ここです。小月が満ちる夜は、観測がいちばん忙しい。朝までこの部屋にいますよ」
「ひとりで?」
「ひとりで」
つまり、誰も彼の居場所を確かめられない。
◇
夕方の公園で、子どもたちが縄跳びをしている。
長い縄を2人で回して、残りの子が順番に飛びこんでいく遊びだ。縄が地面を叩く音に合わせて、みんなで歌っている。
とうの うえの むすめさん
つきに かえれば あすがくる
ふたつめの 月を とめたくば――
そこで、いちばん小さい子が縄に足を引っかけて、歌が途切れた。笑い声が上がって、また最初からやり直しになる。
「あの歌、なつかしいね」
隣を歩くカイに言うと、カイは「そうだな」とだけ答えた。
「わたし、最後まで覚えてないんだよね。小さいころ、何回も歌ったはずなのに」
「最後まで歌う子なんて、いないよ。だいたいあのへんで誰かが引っかかる」
「ふたつめの月って、なんだろうね」
「ただの歌だろ」
カイは前を向いたまま、少し足を速めた。
商店街の入口には、もう灯籠の飾りが吊るされている。もうすぐ、月送りの祭りだ。
年に一度、街でいちばん高い建物の屋上から、灯籠をいっせいに空へ上げる。月に灯りを届ける祭り、と昔から言われているけれど、ほんとうの由来を知っている人は、たぶんあまりいない。
カイの家は、その祭りを代々取り仕切っている。
「今年も、カイの家は忙しいの?」
「まあね。それに今年は、ナギが灯籠を上げる番だろ」
「え、そうなの?」
「ナギは、月生まれだから」
誕生日が満月の夜だったことを、カイは昔からそう呼ぶ。わたしが生まれた夜は、それは見事な満月だったと、母から何度も聞かされていた。
「月生まれだと、なにかいいことあるの」
カイは少し考えてから、笑った。
「月に、好かれる」
◇
二度目に天文院を訪ねたのは、それから十日後のことだ。
院長への礼状を届ける、という口実を、自分でもずいぶん苦しいと思う。エミルもそう思ったらしく、門のところで、露骨に「また来たのか」という顔をされた。
「院長は、今日は王宮です」
「では、あなたに預けていいかしら」
礼状を渡す。エミルは受け取って、そのまま門を閉めようとした。
「待って」
「まだ何か」
わたしは門の格子越しに、彼の目をまっすぐ見た。
考えに考えて、いちばん遠回りな訊き方は捨てた。相手がわたしと同じなら、この一言で顔色が変わるはずだ。違うなら、わたしが変な娘だと思われるだけで済む。
「あなた、前世を覚えてる?」
エミルは、ぽかんと口を開けた。
「……前世?」
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