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前世で私を突き落とした犯人が、この世界にもいるようです~転生令嬢は、前世の殺人事件を追う~  作者: 月夜


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第1話 月がひとつしかない夜

屋上の風は、思っていたより冷たい。


フェンスの向こうで、灯籠がいくつも空へ昇っていく。オレンジ色の小さな光が、ゆっくりと夜の奥へ吸いこまれていくところだ。


空には月がひとつ。雲はない。


きれいだな、と思った。それが最後の、まともな考えだったのだろう。


背中に、手のひらが当たる。


押された、と分かったのは、足が床を離れてからのこと。


落ちながら上を見る。フェンスの切れ目に、誰かが立っている。逆光で、顔は見えない。


声だけが、降ってくる。


「これで終わる」


なにが、と訊き返す時間はなかった。


◇


わたしが前世を思い出したのは、5歳の冬。


熱を出して寝こんで、目が覚めたら、頭の中にもうひとりぶんの人生が詰まっていた。


電車に揺られて学校へ通う毎日。紺色の制服。夜でも明るい街。光る板を指でなでれば、遠くの誰とでも話ができる世界。


そして、その人生の最後が、屋上から突き落とされて終わったこと。


最後の夜のことは、ほとんど覚えていない。屋上の冷たい風と、背中の手のひらと、降ってきた声。残っているのは、それだけだ。


5歳の子どもに思い出させる内容ではないと思う。おかげでわたしは三日三晩泣き続け、母を大いに困らせたらしい。


前世の記憶には、ひとつ妙な欠け方がある。


人の呼び名は覚えているのに、土地の名前が、ない。


住んでいた街の名前も、国の名前も、通っていた学校の名前も。景色や手触りや匂いははっきりしているのに、地名や暦のたぐいだけが、虫に食われたように抜け落ちている。


だからわたしは、前世のことを「前の世界」とか「あちら」とか、ぼんやりとしか呼べない。


あちらで物語を読むのが好きだったことは、覚えている。


とくに好きだったのは、ふつうの女の子が、死んだあとで貴族の令嬢に生まれ変わる話。生まれ変わった先には、たいてい魔法があって、たいてい王子さまがいて、たいてい誰かが断罪される。


だから最初は、自分もそういう物語の中に来たのだと思いこんだ。


ハルシュタイン子爵家の次女、リーネ。それが今のわたし。


記憶にある物語のどれかに、この名前はなかったか。王子の名前は。断罪される令嬢は。何年もかけて照らし合わせて、出た結論は単純なものだった。


どれとも、一致しない。


ここは物語の世界ではない。ただの、別の世界。


少しがっかりしたのは、ここだけの秘密にしておく。


この世界には、月がふたつある。


大きい方を大月、小さい方を小月と呼ぶ。大月は白くて穏やかで、小月はわずかに青い。小月はひと月に一度だけ満ちて、その夜は、街じゅうの灯り石がいつもより明るく光る。


初めてちゃんと夜空を見上げたとき、わたしは月がふたつあることに驚いて、乳母の袖を引っぱった。


乳母は不思議そうに首をかしげたものだ。


「お嬢さま、月はふたつに決まっておりますよ」


この世界の人にとっては、それが当たり前らしい。


あちらには、魔法もなかった。


こちらでは、灯り石に指を当てて短い言葉を唱えれば明かりがつく。井戸の水は術式で汲み上げるし、貴族の子どもは10歳で魔力を測られ、強い子は王立学院へ進む。わたしの魔力は、灯り石を同時に三つつけられる程度。可もなく、不可もなく。


前世の記憶が役に立ったことは、あまりない。料理の作り方を少しと、こちらにはない遊びをいくつか。あとは、夜の高いところが苦手になったくらいか。


塔の上には、今でも上がれない。


◇


「また、塔から娘が落ちた」


兄のルーカスがそう言ったのは、夕食の席でのことだった。


兄は24歳で、王都警備隊の小隊長をしている。生まじめで、仕事の話を家に持ちこむような人ではない。その兄が、席に着くなり口にしたのだ。よほどのことに違いない。


「ルーカス、食事中ですよ」


母がたしなめても、兄の眉間のしわはゆるまない。


「すみません、母上。でも、これで3人目なんです」


わたしはスプーンを置いた。


「3人目ということは、前の2人と同じなのね」


「同じだ。小月の満ちる夜に、街なかの時計塔のてっぺんから。3人とも、若い娘だよ」


塔の上。夜。突き落とされる。


背中に、あの手のひらの感触がよみがえる。わたしはテーブルの下で、自分の膝をきつくつかんだ。


「事故ではないの?」


「塔の鍵はぜんぶ王立天文院が管理してる。夜に上がるには天文院の許可がいるし、てっぺんの手すりは胸の高さまである。足を滑らせて落ちるような場所じゃない」


「じゃあ、誰かに」


「突き落とされた。隊ではそう見てる」


母が小さく祈りの言葉をつぶやく。父は黙ってワインの杯を傾けている。


兄はそれ以上は語らず、皿の肉を切りはじめた。


わたしの頭の中では、別の声が鳴っていた。


――これで終わる。


前の世界で、わたしを突き落とした誰か。


あれは事故でも、行きずりの凶行でもない気がする。あの声には、ためらいがなかった。決めてきた人の声。


その人も、どこかで死んだのではないか。


死んで、わたしと同じように、この世界に生まれ変わったのではないか。


そして、こちらでも同じことを続けているのではないか。


ばかげている、と自分でも思う。けれど、わたしがここにいること自体が、もうばかげているのだ。生まれ変わりがひとりきりだなんて、誰が決めたのだろう。


夕食のあと、兄の部屋の扉を叩いた。


「お兄さま。その事件のこと、もう少し教えて」


「だめだ」


「わたし、役に立つかもしれないわ」


「リーネ。お前は塔にも上がれないだろう」


痛いところを突いてくる。


それでも引き下がらないのが、わたしの数少ない長所であり、母に言わせれば最大の短所でもある。半刻ほど粘ったけれど、今夜の兄は折れなかった。


「隊の仕事だ。お前は首を突っこむな」


扉が閉まる。


部屋に戻って、窓を開けた。


ふたつの月が、王都の屋根の上に並んでいる。小月はもうすぐ欠けはじめる頃だ。次に満ちるまで、およそひと月。


あの声の主は、たぶん、この空の下にいる。


前の世界でわたしを殺した人が、この世界でも、娘たちを塔から落としている。


そう考えると、震えが止まらない。怖いのか、腹が立っているのか、自分でもよく分からなかった。


◇


翌日、わたしは侍女のマルタを連れて、王都の東の時計塔へ出かけた。


3人目の娘が落ちた塔だ。


兄に止められたのは事件に首を突っこむことで、塔を見に行くことではない。屁理屈なのは承知している。マルタは道中ずっと「お嬢さま、お嬢さま」と袖を引いていた。


塔の足もとには、小さな花束がいくつも手向けてある。


見上げると、石の壁がどこまでも空へ伸びていた。てっぺんの手すりが、ずいぶん小さく見える。あそこから落ちたら、と考えかけて、やめる。考えなくても、わたしの体はもう知っているのだから。


花束のそばに、男の子がひとりしゃがみこんでいた。10歳くらいだろうか。膝を抱えて、塔の根もとをじっと見ている。


「お花、あなたが?」


声をかけると、男の子は顔を上げた。目が赤い。


「……姉さんの。花屋だったから、花はいっぱいあるんだ」


亡くなった娘の弟だった。名前はトビアス。姉はハンナといって、店の手伝いをしながら、夜になると屋根裏の窓から星ばかり眺めていたという。


「姉さん、天文院の講義にも通ってた。ひと月に一回、町の人にもただで話を聞かせてくれるんだって。白いおひげのおじいさんの話がおもしろいって、いつも言ってた」


「ハンナさんは、どうしてあの夜、塔に上ったのかしら」


「知らない。でも、小月がいちばんきれいな夜だったから。姉さんなら、見に行くと思う」


トビアスは、また塔の根もとに目を落とした。


「姉さん、高いところは怖くないって言ってたのに」


わたしは、何も言えなかった。


ただ、膝をついて、自分の持ってきた白い花を、彼の花束の隣に並べる。


帰り道、マルタがぽつりと言った。


「お嬢さまは、高いところがお嫌いでしたね」


「ええ」


「それなのに、塔を見に来られたんですね」


マルタの声は、責めるようでも、感心するようでもなかった。ただ、心配そうに聞こえる。


わたしは振り返って、もう一度、塔のてっぺんを見上げた。


あそこで、誰かがハンナの背中を押した。前の世界で、誰かがわたしの背中を押したのと同じように。


その誰かを、わたしは見つけたい。


◇


朝の電車は、いつも混んでいる。


ドアの横に体を押しこんで、窓の外を流れる街を眺める。ビルの壁に朝日が当たって、ところどころ白く光っている。


電車が鉄橋にさしかかると、川が見えた。


この街の川は少し変わっていて、真ん中あたりで大きく二回曲がる。上から見ると、蛇が寝そべっているような形になるらしい。


「ナギ、また外見てる」


隣でつり革につかまっているカイが、あきれたように言う。


カイはひとつ年上の幼なじみだ。家が近くて、子どものころからずっと一緒に通っている。背が高いので、満員電車ではわたしの盾になってくれる。本人は認めないけれど。


「川、好きなんだよね」


「毎朝同じ川だろ」


「毎朝ちょっとずつ違うの」


カイは笑って、わたしの頭を軽く小突いた。


その日は課外学習で、クラスごとに博物館を回ることになっていた。


いちばん奥に、ずっと昔の時代の展示室がある。薄暗い部屋の真ん中で、ガラスケースがひとつ、照明を浴びていた。


中に入っていたのは、青い石の首飾り。


わたしは、なぜかその前から動けなくなった。


石がケースの光を受けて、水の底みたいにゆらゆら光っている。見覚えがある気がする。もちろん、そんなはずはないのに。


「ナギ。置いてくぞ」


カイの声で、我に返った。


「この首飾り、きれいじゃない?」


カイはケースをのぞきこんで、少しのあいだ黙っていた。


「……昔の、えらい人のものらしいよ」


それだけ言うと、カイは先に歩いていってしまった。



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