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第一節 ― 封鎖区画ザイ=ヴェルム

 ザイ=ヴェルムは、遠くから見ると、黒い森のようだった。


 街道の左右に並ぶ鍵型の石柱が、朝の薄い光を受けてもなお暗い。樹木ではない。けれど、ただの柱でもない。一本一本が、何かを拒む意志を持って立っているように見えた。


 柱の頭部は、複雑な鍵歯の形に削られている。先端は空へ向き、歯の部分は街道の内側へ向いていた。まるで見えない扉に差し込まれた鍵が、まだ回されずに待っているようだった。


 黒鍵石柱。


 オルフェがそう呼んだものだ。


 ノアは、足を止めそうになるのをこらえた。


 街道はまっすぐ続いている。黒冠街道の本線であり、王都レム=ヴァリスへ向かう道だ。だが、ザイ=ヴェルムの手前で、道の空気が変わっていた。


 通れる道ではある。


 だが、自由に通ってよい道ではない。


 それが、肌で分かった。


 石柱の間には細い黒鎖が張られている。鎖は腰の高さにも満たず、馬車を物理的に止めるには頼りない。けれど、鎖の内側では空気が硬く、透明な壁の端があるように揺れていた。


 検問区画の手前には、黒い石造りの低い建物が並んでいる。


 兵舎ではない。


 砦でもない。


 そこに掲げられている札は、武装警備所ではなく、封鎖記録所、通行契約確認所、帰還線監査室、外界接触申告窓口、旧道反応一時隔離室といったものだった。


 ノアはその文字を目で追い、胸の奥が重くなるのを感じた。


 ここは、戦うための場所ではない。


 閉じるための場所だ。


 誰かを殺すためではなく、誰かがどこかへ行ってしまわないように。あるいは、どこかから誰かが入ってこないように。


 そのために作られた場所。


 だからこそ、かえって怖かった。


 通行者の列があった。


 荷馬車を引く者。

 旅商人。

 庇護札を首から下げた家族連れ。

 黒い覆面で顔の半分を隠した変異者。

 角の根元に銀環をつけた若い男。

 そして、何人かの庇護官と記録官。


 誰も大声を出していない。


 検問官も怒鳴らない。


 黒鍵徽章をつけた者たちが、淡々と通行者の影を確認し、名札を照合し、契約痕を見ている。手つきは厳格だが、乱暴ではなかった。


「次。通行目的」


「王都への納品です」


「荷札を」


「はい」


「外界接触歴は」


「ありません」


「旧道反応は」


「なし」


 検問官が、荷馬車の脇に吊られた黒い札へ手をかざす。札の表面に、淡い文字が浮かんで消えた。


「通行可。黒冠街道本線から外れないように」


「承知しました」


 馬車がゆっくり進む。


 その影が黒鍵石柱の間を通った瞬間、石柱の刻印が一度だけ淡く光った。


 拒んでいるのではない。


 確認している。


 ノアは、そう思った。


 リィゼが小声で言う。


「見た目ほど荒っぽくはない」


「……はい」


「でも、油断はするな」


「はい」


 リィゼの声には、いつもの軽さがなかった。


 ガルドは一行の後方に立ち、背後の監察隊にも、前方の検問にも目を配っている。オルフェは先に進み、検問官へ正式な通行記録を差し出した。


「ナハト=リム特例審査官、オルフェ=セプティアです。王都レム=ヴァリスへの緊急送致案件。通行申請はグリム=ラハド庇護契約庁から上がっているはずです」


 検問官は、黒い手袋をした手で記録板を受け取った。


 背の低い、灰色の角を持つ女性だった。年齢はよく分からない。表情は硬いが、失礼ではない。黒鍵徽章の下に、封鎖区画通行監査官の小さな印がある。


「確認します」


 彼女は記録板を黒鍵石柱の端末へ差し込んだ。


 石柱の一つが低く鳴る。


 ごく小さな音だった。


 鍵が、まだ見えない鍵穴の中で回りかけたような音。


 ノアの足元の影が、かすかに震えた。


 ノアはすぐに気づいた。


 リィゼも気づいた。


「反応した?」


「少し」


「旧道?」


「違うと思います。ここです。石柱に……見られた感じがしました」


 リィゼの眉が動く。


「嫌な言い方だな」


「すみません」


「ノアが謝ることじゃない」


 検問官が顔を上げた。


 その視線が、ノアに向く。


 同時に、黒鍵石柱の刻印がもう一度、薄く光った。朱墨ではない。灰黒い光だった。光というより、明るさを一瞬だけ失う反応に近い。


 ノアの影が、足元で細く波打つ。


 昨日の夜ほど強くはない。けれど、影の縁が、誰かに指で触れられたように揺れた。


 胸元の仮保護名札が冷える。


 銀糸輪が、ほんのわずかに締まった。


 検問官は記録板を見下ろし、表情を変えた。


「対象者確認。仮保護名、ノア」


 ノアは少しだけ身構えた。


「はい」


 返事をすると、石柱の刻印がまた淡く反応した。


 検問官は続ける。


「本名候補、ノア=リントベル」


 名前の最後まで読まれた瞬間、影がひときわ強く震えた。


 ノアは足元を見た。


 影が石畳の上で、一瞬だけ遅れて戻る。


 ヴィクトルに呼ばれたときほどではない。けれど、確かにその名はまだ安定していない。


 リィゼが一歩、ノアの横へ寄った。


 ガルドの視線が検問官へ向く。


 検問官は、乱暴に続けなかった。むしろ、そこで読み上げを止めた。


「呼称反応あり。以降、推奨呼称ノアに切り替えます」


 ノアは、少しだけ息を吐いた。


 ここでも、呼び名を変えてくれる。


 それはありがたかった。


 だが、次の言葉で、その安堵はすぐに冷えた。


「通行停止」


 検問官が告げた。


 オルフェの目が細くなる。


「理由を提示してください」


「三点」


 検問官は、記録板へ視線を落とした。


「第一。対象者ノアは、前日、外界記録院所属を名乗る特別回収官ヴィクトル=ヘイズと直接接触しています」


 ノアの胸が重くなった。


「第二。グリム=ラハド宿舎において、深夜、旧道由来と推定される呼称干渉を受けています。内容は『帰りたいなら、門へ』」


 その言葉が読み上げられた瞬間、ノアの影がまた震えた。


 今度は弱い。だが、確かに反応した。


 検問官はそれを見逃さない。


「第三。帰還希望が強く、外界回収印、旧道呼称、名裂き反応のいずれに対しても媒体化する危険があります」


 媒体化。


 ノアは、息が詰まった。


 媒体。


 人ではなく、何かを通すもの。


 自分が門だと言われるのと、ほとんど変わらなかった。


 オルフェが一歩前へ出る。


「ノアさんは王都裁定前の仮保護対象です。封鎖区画で独自判断により移送を止める権限はありません」


 声は静かだった。


 けれど、明確な抗議だった。


「グリム=ラハド庇護契約庁にて《影の縁留め》仮契約を実施済み。王都へ緊急報告も上がっています。ザイ=ヴェルムの役割は通行確認であって、裁定前の対象者を留め置くことではないはずです」


 検問官は表情を変えない。


「通常であれば、その通りです」


「では、通行を」


「通常ではありません」


 検問官の声が、ほんの少し硬くなった。


「外界回収官が対象者へ直接接触した直後です。旧道呼称もすでに発生しています。仮に王都裁定を待つ間に、ここから門が開けばどうするのですか」


 門。


 その言葉が、またノアの中で重く響いた。


 オルフェは即答しなかった。


 検問官は続ける。


「王都の返答が届くまで、一時留置と再確認を求めます」


「権限を越えています」


「封鎖区画には、旧道反応および外界侵入経路に対する緊急遮断権があります」


「緊急遮断権は、門が開いた場合、または開きかけている場合に限られます。ノアさんはまだ通行中の仮保護対象です」


「開いてからでは遅い」


 検問官の言葉に、周囲の空気が少し硬くなった。


 列に並んでいた通行者たちが、こちらを見ている。


 誰も声を出さない。

 だが、視線が集まっている。


 ノアは、自分がまた見られていることを感じた。


 外界人として。

 帰還希望者として。

 旧道に呼ばれた者として。

 門になるかもしれない者として。


 ノアは胸元の札を握った。


 ノア。


 今は、その名で立つ。


 そう自分に言い聞かせる。


 リィゼが低く言った。


「ノアを見せ物にするな」


 検問官はリィゼを見た。


「見せ物にはしていません。通行者へ危険を知らせる義務があります」


「だからって」


「リィゼ」


 ガルドが短く止めた。


 リィゼは歯を食いしばったが、それ以上は出なかった。


 そのとき、検問区画の奥から別の足音が聞こえた。


 硬い靴音。


 一定の間隔で、黒い石畳を打つ音。


 黒鍵石柱の間から、数人の黒外套が現れる。彼らは通常の検問官よりも濃い黒の外套を着ており、胸には鍵と閉じた門を組み合わせた徽章があった。


 その中心に、一人の男がいた。


 背は高い。体格は細いが、弱々しくはない。灰黒い髪を短く整え、左頬から首筋にかけて古い傷が走っている。片目の色が淡く、もう片方は黒い義眼のように光を返さなかった。


 彼は歩きながら、ノアたちを値踏みするようには見なかった。


 まず検問官の記録板を見る。


 次にオルフェ。


 ガルド。


 リィゼ。


 そして最後に、ノア。


 その目には、憎悪はなかった。


 だが、警戒はあった。


 深く、古く、簡単にはほどけない警戒だった。


 検問官が姿勢を正す。


「ラウド=ヴェルム指揮官」


 リィゼが小さく舌打ちした。


「黒鍵衆か」


 ノアはその言葉を聞き逃さなかった。


 黒鍵衆。


 閉門派急進班。


 昨日、オルフェが警戒していた者たち。


 ラウド=ヴェルムは、リィゼの声にも反応しなかった。彼はノアの前まで進み、一定の距離で足を止めた。


 近すぎない。


 だが、遠くもない。


 礼を失しない距離だった。


「ノアさん」


 彼は、そう呼んだ。


 リントベルとは呼ばなかった。


 ノアの影は、わずかに揺れただけで済んだ。


「私はラウド=ヴェルム。ザイ=ヴェルム封鎖区画、黒鍵衆の現場指揮を任されています」


 声は低く、落ち着いていた。


 ノアは返事に迷った。


 リィゼが横でわずかに身構える。ガルドは無言。オルフェは表情を崩さない。


 ノアは、自分で答えた。


「ノアです」


 ラウドは頷く。


「あなたが悪いとは言いません」


 その言葉は、昨日のセヴラと同じ形をしていた。


 ノアの胸が、少しだけ痛む。


 悪くない。


 そう言われると、その後に続く言葉が怖くなる。


 ラウドは続けた。


「あなたが望んでここへ来たのではないことも、帰りたいと願うことも、責めるつもりはありません」


 彼の声は、丁寧だった。


 本当に、ノアを罵倒するつもりはないのだと分かる。


 だからこそ、次の言葉が重かった。


「だが、あなたは今、外界へ向かう道と、外界から来る道を同時に持っている」


 ノアは息を止めた。


 足元の影が、細く震える。


「私は……」


 反論しようとした。


 私は、そんな道を持ちたいわけではありません。


 そう言おうとした。


 けれど、ヴィクトルの姿が浮かんだ。


 白手袋。

 外界式の礼装。

 記録院の徽章。

 ノア=リントベルと正確に呼ぶ声。

 外洋損耗記録対象。

 接触汚染疑い。

 回収優先度、高。


 自分の帰り道を辿って、外界は本当に来た。


 その事実が、ノアの言葉を鈍らせる。


 ラウドは、その沈黙を責めなかった。


「あなた個人が外界の手先だとは考えていません」


 彼は言った。


「だが、鍵は、自分が鍵であることを知らなくても扉を開けます」


 鍵。


 ノアは、黒鍵石柱を見た。


 街道の左右に並ぶ、閉じるための鍵。


 自分も、あれと同じように見られているのだろうか。


 開くための鍵。


 外界へ向かう鍵。

 外界から入る鍵。


 人ではなく、何かを通す道具として。


 胸の奥が、冷たくなる。


 リィゼが前へ出た。


「ノアを鍵扱いするな」


 ラウドはリィゼを見る。


「扱いたくはない」


「だったら言うな」


「言わなければ、門が開かないのですか」


 リィゼが黙った。


 ラウドの声には怒りがなかった。


 それがかえって、反論しにくかった。


「我々は、これまで何度も見てきました。救助の名で来る外界人を。保護の名で連れ戻される亡命者を。治療の名で記録から消えた変異児を。契約書を根拠に、メギド=ノクスで庇護された者を元の所有者へ返還せよと求める者を」


 ノアは顔を上げた。


 返還。


 所有者。


 その言葉が、あまりにも冷たかった。


 ラウドの片目が、ほんの少しだけ陰る。


「外界のすべてが悪だとは言いません。ですが、外界の制度は、外界の言葉で人を分類します。救助、回収、返還、治療、隔離。その言葉の中で、本人の拒否が後回しにされることがある」


 ヴィクトルの声が、ノアの耳の奥で重なる。


 あなたの意思は、安全確保後に確認されます。


 ノアは唇を噛んだ。


 それは、確かに怖かった。


 けれど。


「だからといって」


 ノアは、ようやく声を出した。


 震えていた。


 それでも、言わなければならなかった。


「だからといって、私を止めるんですか」


 ラウドは答えない。


 ノアは続けた。


「私は帰りたいと言いました。でも、回収されたいとは言っていません。外界に誰かを連れてこいとも言っていません。旧道に返事をしたいとも言っていません」


 影が揺れる。


 胸元の札が冷える。


 それでも、ノアは言った。


「それでも、私がいるだけで止められるんですか」


 ラウドは、静かに答えた。


「止めます」


 短い言葉だった。


 ノアの胸が締めつけられる。


「少なくとも、確認が終わるまでは」


 オルフェがすぐに言う。


「確認は王都で行われます。ここで留め置く理由にはなりません」


「王都へ向かう途中で、旧道反応が再発したら?」


「影の縁留めで警告可能です」


「警告は、門を閉じません」


「本人の意思を無視した遮断は、庇護ではありません」


「門が開いてからでは、本人の意思も大陸の安全も守れない」


 二人の言葉が、低くぶつかった。


 どちらも声を荒げてはいない。


 だが、その場にいた誰もが、その対立の深さを感じた。


 制度と制度がぶつかっている。


 庇護する制度。

 閉じる制度。


 どちらも、誰かを守るために作られたものだ。


 だから、簡単に悪とは言えない。


 ノアは、そのことが苦しかった。


 ラウドは、検問官へ視線を向けた。


「黒鍵結界を第一段階で起動。通行停止。王都応答まで、対象者ノアの移動を封鎖区画内で保留する」


 検問官が一瞬だけ迷った。


「セヴラ監察官の許可は」


「緊急遮断権を行使する。記録に残せ」


「……承知しました」


 オルフェが強く言う。


「ラウド=ヴェルム。これは権限の拡大解釈です」


「記録に残してください」


 ラウドは彼を見た。


「私は、記録に残らない場所で人を閉じるつもりはありません」


 その言葉に、ノアは息を呑んだ。


 閉じることを、隠さない。


 それは、暴力ではない。

 だが、だからといって怖くないわけではない。


 検問区画の黒鍵石柱が、低く鳴りはじめた。


 一本。


 また一本。


 街道の左右に並ぶ石柱の刻印が、灰黒い光を帯びる。光が走るのではない。むしろ、周囲の明るさが柱へ吸い込まれていく。


 黒鎖が持ち上がった。


 地面から浮くように、細い鎖が何重にも張られていく。


 街道の先に、見えない扉が現れた。


 ノアの影が、大きく震えた。


 旧道の呼び声ではない。


 外界の回収でもない。


 閉じる力。


 これ以上先へ行かせない力。


 影の縁留めが、それを危険として拾っている。


 ノアは、思わず足を引いた。


 リィゼがすぐに腕を支える。


「ノア」


「影が……重いです」


 足元の影が、黒冠街道の石に縫い止められたように動きにくい。


 完全に縛られているわけではない。


 だが、一歩踏み出そうとすると、影だけが後ろに残りそうな感覚があった。


 ガルドが前に出る。


「結界を止めろ」


 その声は低く、危険だった。


 ラウドは動じなかった。


「第一段階です。拘束ではありません。通行停止です」


「ノアの影に反応が出ている」


「その反応を確認するための封鎖です」


「確認で壊す気か」


 ガルドの手が、剣ではなく腰の黒晶具へ近づく。


 リィゼが息を呑む。


 オルフェが鋭く言った。


「双方、武力行使は認められません」


 街道の空気が張り詰めた。


 通行者たちはすでに離されている。検問官たちが誘導し、距離を取らせていた。その手際は早い。こうした事態を何度も想定しているのだと分かる。


 閉じる側にも秩序がある。


 ノアは、そう思った。


 だからこそ、怖かった。


 混乱していない。

 乱暴ではない。

 すべて手順の中で進んでいる。


 自分の移動が、手順によって止められている。


 ノアは、足元の影を見つめた。


 ここでまた、問われている。


 昨日は、何を差し出せるかを問われた。

 今日は、何を閉じられても黙っているのかを問われている。


 ノアは胸元の札を握った。


「私は……王都へ行くんですよね」


 誰にともなく言った。


 リィゼが即座に答える。


「行く」


 ガルドも言った。


「連れていく」


 オルフェは記録板を握りしめたまま、はっきりと言う。


「王都裁定を受ける必要があります。ここで独自に止めるべきではありません」


 ラウドは、ノアを見た。


「王都へ行けば、あなたの帰還希望は政治問題になります。外界回収官も、閉門派も、魔王の裁定も絡む。あなた個人の願いでは済まなくなる」


 ノアは、唇を噛んだ。


「もう、済んでいません」


 その言葉は、自然に出た。


 ヴィクトルが来た時点で。

 セヴラが現れた時点で。

 旧道が深夜に呼んだ時点で。


 もう、自分ひとりの願いでは済まなくなっていた。


 ラウドの目が、わずかに揺れた。


 ノアは、足元の影の重さに耐えながら、彼を見る。


「でも、だからって、ここで止まれば何も起こらないんですか」


 ラウドは答えない。


「私をここに置けば、外界は来なくなるんですか。旧道は呼ばなくなるんですか。帰りたいと願う人たちの道は、罠にされなくなるんですか」


 自分で言いながら、ノアはその言葉の重さに震えた。


 帰りたいと願う人たち。


 自分だけではない。


 この大陸には、外界から来た者がいる。帰りたい者も、帰らないことを選んだ者もいる。記録から落ちた者も、紙に書けない者もいる。


 その誰かの願いも、同じように門にされるのなら。


 閉じれば終わるのか。


 それとも、別の場所でまた呼ばれるのか。


 黒鍵石柱が、低く鳴り続けている。


 街道の先が、灰黒い膜で覆われていく。


 ザイ=ヴェルムの黒鍵結界が、第一段階から、より深い封鎖へ移ろうとしていた。


 検問官が焦ったようにラウドを見る。


「指揮官、結界反応が上がっています。対象者の影縁と共鳴しています」


 オルフェの表情が変わった。


「止めてください。影の縁留めは警告用です。封鎖結界との強制共鳴は想定外です」


 ラウドが石柱を見た。


 その顔に、初めて迷いが浮かぶ。


 ノアの影が、足元で大きく波打った。


 閉じる力に反応している。


 旧道へ行くなと。

 外界へ開くなと。

 王都へ進むなと。


 すべての道を、閉じようとしている。


 街道の先で、黒鎖が音を立てて張り詰めた。


 見えない扉が、ゆっくりと閉じる。


 ザイ=ヴェルムの封鎖区画が、ノアたちの行く手を完全に遮った。

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