page33 出発前夜
「よし、そろそろここを発つか」
海岸沿いに拠点を張って一月が経過した頃。
朝飯の魚を頬張りながら、ブルーが開口一番呟いた。
「え、なんでですか?」
咄嗟に聞いたのは新米調達者の菊池。
この一か月で古村、早川と随分仲良くなったらしく、暇さえあれば三人で固まっている。
「そりゃ追手が来るからさ。最近近くをうろつくゾンビの量が増えてるだろう?」
「確かに、昨日の討伐数は十八体。二週間前は二桁にも満たなかった事を考えると、確実に増加傾向にある」
すっかり心身共に健康状態にある調達者達も、首を揃えて頷いた。
最上川さんと穂村を失った精神的ダメージは大きいものだったろうが、それでも弱さを周りに見せることなく振舞う彼らの姿は正に先輩というほかない。
「やっぱり俺達の臭いを感知してるのかな? 臭い消しは使っているんだけど」
荒川さんが首を傾げる。
調達者は基地の外に出る際臭い消しを使い、ゾンビ達に気づかれず先手を取れるよう行動している。
勿論ゼロにはならないが、それでも不意打ちを行える程度には効く代物だ。
「まあそれもあるけど、一番はやっぱアタシがいる事だろうね。アタシは黒幕から追われている身だし」
だからサラに誘われた際も基地に入ろうとせず、この遠い場所に拠点を張っていたのか。
俺の中で妙な得心がいった。
「てかさぁ、ブルーちゃんはその黒幕を話す気無いわけ?」
サバサバ系女子の早川が至極全うな疑問をブルーに突きつける。
ちなみにサバサバ系と言うと彼女は怒るのでここでは禁句になっている。なんで?
「......悪いが、言う訳にはいかない。黒幕の名前なんて言っても意味ないだろう?」
「そりゃ名前はどうでもいいけどさ。経歴とか思想とか、そういうのくらいは分かるんじゃないの?」
「日本中にゾンビを撒き散らす異常者の実態なんか、アタシらの常識で測れるわけないだろう」
上手く言いくるめられたようで、早川が口を尖らせてそっぽを向いた。
実際ブルーの言い分は合っている。だというのに、なぜか胸の中でモヤモヤした何かが渦巻いて俺の心を掻き乱す。
「話を戻すが、明日の夜明けにここを発つ。目的地は...一旦名古屋で」
「なんで名古屋?」
この一月ずっと部屋に籠って作業していたからか、武器屋の格好は浮浪者のソレに近い。
一つの作業に没頭する人たちって、どうしてこうも自身の身なりに無頓着なのだろうか。
「黒幕が隠れている研究所は愛知の山奥にあるんだよ。地名でいうと豊田市のどっか」
「黒幕が別の場所に拠点を移すという可能性は考慮しないの?」
古村が律儀に手を挙げてから質問する。
こんな時でもギターだけは後生大事に抱えており、彼女が音楽にかける熱量が窺い知れる。
「勿論考えたが、恐らくその可能性は低い。理由として、まず研究所内の設備が挙げられるね。
世界中どこを探しても、ゾンビを作れる設備なんてあの研究所以外にないさ。死体を作る研究所ならまあ無い事もないだろうが、わざわざ数十年来のアジトを離れてまでアタシから逃げることは無いだろう」
「それだけじゃ根拠としては弱いでしょ。ブルーちゃんが仲間を引き連れる可能性を考慮しないなんてことある?」
「もひとつ根拠がある。それは突然変異体の存在だよ。あれは造り主である黒幕に対する脅威を排除するために作られた存在さ。だからこの辺に多く出没するし、研究所から遠く離れた九州とか東北にはめったにいない。
アタシが研究所から逃げた後も、ここには多くの突然変異体がやってきた。むしろ増加傾向にあったから、逃げてはいないんじゃないか、というのがアタシの見立てだ」
つまり、黒幕は調達者を明確に脅威と感じているらしい。
だが、それだとやはり拠点を移さないのが気がかりになる。こそこそ逃げ回るよりも迎え撃とうという気だろうか。
やはり何か引っかかる。
「他にも根拠はあるが、ざっとこの二つが主だね」
「......色々聞きたいことはあるが、名古屋方面に向かうのは賛成だ。仮に逃げるとしたら地理的に関東方面だろうし、それならいずれ追い詰めれる」
藤堂さんも納得のようだ。隣にいる矢田さんも首を縦に振っている。
「そういうわけで、明日の朝に向けて準備しておけよ」
★★★
「......それにしても、明日出発なんて急だよねぇ」
「前もって言えなかった理由とかあるんじゃない?」
ドラム缶風呂に浸かりながら、サラと古村が仲良く談笑している。
ここに仮拠点を張る際に、たまたま見つけた手頃なドラム缶を洗って水を入れて加熱して風呂にした。
ちなみに水だが、当然海水ではない。基地に残されていた水と、基地から少し離れた仮拠点(大型ゾンビと戦闘した際に使ったアレ)に貯めていた水を調達者達で運んできたものだ。
全員分の飲み水を確保してなお余裕があったので、こうして贅沢に使っている。
そしてドラム缶風呂の火力調節役は俺、藤堂さん、矢田さん、荒川さん、ブルーが交代で行っている。
だから今俺はこうして二人の裸を見ないよう気を遣いながら炎に酸素を供給しているのだ。
話も極力耳に入れないようにし、心頭滅却して作業に臨む俺はさながら一流職人。
「前から思ってたんだけどさー、サラちゃんって胸大きいよね。留美ちゃんより大きいじゃん」
「きゃっ...ちょっ...やめてってば......」
なんで下に男がいるというのにそんな話題を出すんですかね。
あと古村と早川って仲良かったんだ。
「......あのさあ、傍に男がいるのにそういうのは流石にやべーだろ」
「黒金も興味ある?」
「そういうことじゃなくて」
ちなみに興味はある。
そういえば基地内では、色恋や性に関する話はそんなに出回らなかった気がする(荒川さんを除く)。
あんな極限状態なら生きるのに精一杯で、他者を見る余裕なんて無いだろうし当然ではあるが。
「......あ、そうだ黒金。アンタに謝らないといけない事があった」
サラの胸を触ろうとじゃれあっていた古村が、急に俺の方を向く。
「今かよ。あと謝らなきゃいけない事って何?」
「新曲。アンタの歌だけ、基地の皆に披露できなかった」
古村の率いていたバンドグループ『Spirits of Gray』で歌われる楽曲は、ほとんどが調達者作詞である。
それゆえ俺が加入した際にも新曲の作詞を頼まれたのだ。一応既に完成し提出済みなのだが、バンド向けの曲ではないとの事で作曲及び編曲が滞っていた。
そして完成する前に、先日の襲撃によって基地は壊滅。つまりライブの機会を失ったという訳だ。
「別にいいぞ。作詞をしくじったのは俺だし」
「いや、歌詞はすごくよかったよ。なんというか、心を揺さぶられるような感じがした。だからこそみんなの前で披露したかったんだけどね」
正直言うと、披露してくれなくて逆に良かったと思っている自分がいる。
なぜなら俺の作った詞はサラに宛てたものだから。当然ぼかして書いたが、勘の良い人なら気づくような内容だ。
そんなものをライブで披露なんてされたら羞恥心で死にたくなりそうだったので、その機会が失われたのは俺にとっては不幸とは言い難い。そんな歌詞を書いた俺が悪いのは当然として。
「どんな歌詞? 私聞いてみたい」
一番聞かせたくない人に聞かれてしまった。
そりゃクソ狭いドラム缶越しに会話してたら気づくだろうが。
「そ、そんなことより。えーっと、なんで古村は調達者に作詞を頼んでるんだ?」
明らかに自身の問いが無視されたことに対し、サラが不服そうに顔を膨らませる。
対して古村は貸しだぞと言わんばかりに片目を一瞬閉じた。俺の意図を分かってくれたようで何よりです。
「んー、そんなに深い意味は無いんだけどね。
調達者ってさ、近所に出たゾンビの討伐とか、食料や水の運搬とか、その他雑務とか、とにかく色んな仕事を引き受けてくれてたじゃん。特に基地の外に出てゾンビ退治なんて危険な仕事、そう簡単にできるものじゃない。
だけど、基地内での君達の扱いは正直いいものではなかった。藤堂さんとかは明確に嫌われ者だったしね。そりゃあ好き嫌いするのが人間だけどさ、流石に命を賭して仕事をする人達には最低限の敬意を払う必要がある。私はそう考えてる。
だから、作詞を頼むのは私なりの敬意。曲の根幹ともいえる作詞を頼んで、私がそれに命を与える。調達者達の信念、即ち努力を誰も見ないのなら、せめて私だけは目を逸らさないようにしたかった」
命を与える、なんて言い方傲慢だね、と古村が自嘲気味に天を仰ぐ。
俺は彼女の言葉に、どう答えればいいのだろう。
感謝、逡巡、動揺、色々な感情が重なり合い、其処から成る言葉が泡のように生まれては消えてゆく。
基地が消えた事を喜ぶつもりは毛頭ない。
だが、彼女のような人間が俺達の旅路に着いてきてくれること。戦えなくとも、それはとても心強く思えた。
「...そうか。基地にお前がいてくれて、皆良かったと思ってるぜ」
「うん。私達はみんな、凛花ちゃんが大好きだよ」
サラが古村を抱きしめる。
彼女のような肯定者がいる限り、俺は戦う手を止めてはいけない。
だけどそれは、果たして本当に正しい感情なのか。
答えから逃げるように、俺は月光が浮かぶ海に目を移した。




