95.ゼノとシノン
とある街。古びた宿屋の窓からその男は外の景色を眺めていた。
毎日変わらぬ光景。慌ただしく行き交う人達。そこには見るのも嫌だった欺瞞や欲望、差別に醜いエゴと吐き気のするものばかりが溢れていた。
「ヒト族も、同じか……」
ゼノはひとりぼそっとつぶやいた。
――ゼノ様、お待ちを!!
ひとり国を出たゼノは、当てもなくただ気の赴くままに旅をしていた。
(またあの女か……)
古びた宿屋の二階から外を眺めるゼノ。夕刻になると決まってひとりの女性が大通りを歩くのが見えた。足までの長いスカートに白いワイシャツ。どこかの店員なのだろうか。ゼノは毎日定刻に現れるその女性を何気なく眺めていた。
翌日もその女は現れた。その翌日も。またその翌日も。
そしてゼノがそろそろ宿を引き払おうかと思ったある日、見知らぬ男に絡まれるその女の姿が目に入った。
(絡まれている?)
ゼノはその様子をしばらく眺めた。嫌がる女。手を振りほどこうと必死である。周りの通行人は見て見ぬふりをして過ぎていく。
バン!
ゼノは部屋のドアを勢い良く開けると、通りへ早足で向かった。
「やめてください」
その女は数人のガラの悪い男共に囲まれ逃げようとしていた。男の手が女を掴む。振り払おうとするが力では敵わない女。男達はこの辺りでちょっと有名な荒くれ者の集団だった。
女の助けを求める声が響くも、様々な悪事を働く彼らを前に誰一人として応える者はいない。
「ちょっとだけ楽しもうぜ……、って、誰だおめえ?」
荒くれ者共は突然目の前に現れた黒ずくめの男に言った。
「失せろ。今なら許してやる」
黒ずくめの男は抑揚のない声で言った。荒くれ者共は目を吊り上げて言う。
「ふざけるな!! やっちまえ!!!」
一方的だった。
数名で殴りかかる荒くれ者共を相手に黒ずくめの男は動じることなく、ひとりひとりズンと重みのある拳で沈めていった。
強すぎる相手に逃げ出す荒くれ者。やじ馬に集まっていた街の者も驚き沈黙する。女はその男に駆け寄ると礼を言った。
「あ、ありがとうございます……」
男は無言で立ち去ろうとする。
「あ、あの、お名前は……?」
男は立ち止まり少し振り向いて答える。
「ゼノ……、だ」
「ありがとうございます、ゼノさん」
ゼノはそのまま路地へと消えて行った。
ゼノは理解できなかった。
――何故、助けた?
見知らぬ女。
つまらぬ正義など自分にはない。
ただ考えるよりも先に動いていたことが自分でも不思議だった。
翌日以降も再び訪れる退屈な日々。
宿屋の窓から覗く光景もいつもと変わりない。
あの女がいなくなった、ということ以外は。
(何かを期待していたのか?)
ゼノは自分でも可笑しくなるような感覚を自身楽しんだ。
そして街を出ようとした最後の夜、暗くなった通りにあの女の姿があった。店から漏れる僅かな光。その小さな光が女を照らす。
「!?」
ひとりふらふらと歩く女に再び荒くれ者共が集まる。その数前回の倍以上。暗くなって人通りの少ない夜道にひとり歩く女。ゼノは自分の鼓動が激しく打っていることに気付いた。
(何やってるんだ!)
再度ドアを開け表通りに走るゼノ。
暗くなった通り。人通りも少ない。ゼノが到着すると、既に女の姿はなかった。すぐに近くにある店の者に尋ねる。
「あのチンピラ共はどこに行った?」
驚く店主が郊外を指さして説明する。郊外に拠点を構えるこの辺りでは有名な荒くれ者の集団。ゼノは宿に戻り長剣を手にすると、ひとり街を出た。
「兄貴、どうです? 中々の上玉でしょ?」
アジトに連れてこられた女は椅子に縛られガラの悪い男共に囲まれていた。舐めるように女の体を見る男共。女は目も虚ろ、生気のない顔で部屋の壁を見つめていた。兄貴と呼ばれた男が言う。
「売っちまう前に、ちょっとだけ楽しむかな。けけけっ」
「あ、兄貴。後で俺達にも頼むよ」
「ああ、いいぜ……」
女はぼんやり考えていた。
意味のない人生。ここで終わるのもいいかな、と。
ただここで終わるのはいいけど、最後にあの人に会いたいな、と心の奥で思った。
男の手が女に伸びる。そして椅子に座るその女の顔に手が触れた瞬間、ドンと言う大きな音が部屋に響いた。
「な、何ごとだ!?」
「あ、兄貴いい!? や、奴でっせ、奴。おいら達をやったのは!!」
薄暗い部屋の入り口に立つ男。
女はその男を見て心臓が激しく動いた。
――ゼノさん!!
ゆっくりと部屋の中に歩くゼノ。相変わらずの無表情。ただ女にはゼノが少し笑っている様にも見えた。荒くれ者が叫ぶ。
「な、何だおめえ!!! ここがどこだかわかってんのか? ああ!?」
ゼノの顔の近くまで寄り叫ぶ荒くれ者。その瞬間、その体が宙に舞った。
「ぐあぎゃあああ!」
ゼノの右の拳が顎に炸裂。荒くれ者は宙に舞った後、鈍い音を立て床に落ちた。口から血を吐き、顎の形が変形している。沈黙する周りの荒くれ者達。兄貴と呼ばれた男が叫ぶ。
「おめえら、やっちまえ!!!」
その声に反応し抜刀する荒くれ者。そしてゼノが初めて背にした長剣を抜いて言う。
「剣を抜くという意味。お前ら分かってるのか?」
動けなかった。
ゼノから放たれる気迫によって、周りを囲んだ荒くれ者共は一歩も動けなかった。ゼノは剣で女を縛った紐を切ると、手を引きアジトを出た。
「あ、あの……」
手を引かれ、先を歩くゼノに女が言う。それと同時に立ち止まるゼノ。そして後ろを振り返り、女に「ここに居ろ」と言ってアジトの方へ向き歩き出す。
「ゆ、許さんぞおおお!!!!」
女がアジトの方を見ると、兄貴と呼ばれた男が二本の剣を持って激昂しながら走って来ていた。両手を口に当て驚く女。ゼノは変わらずそれに向かって歩く。
「死ねえええ!!!!」
荒くれ者が剣を振り下す。
しかしその剣は、腕と共に一瞬で地面に斬り落とされた。体から噴き上がる血しぶき。
ドン。荒くれ者はそのまま後ろに倒れて絶命した。剣を背に戻し女の方に歩くゼノ。女が口を開く。
「あ、あの……」
ゼノが尋ねる。
「何故、夜に歩いた?」
一瞬女の顔が暗くなる。
「きょ、今日、仕事を辞めさせられて。私、身寄りもないし……、それで……」
無言で何も答えないゼノ。
「あ、あの、ゼノさんは……」
「ゼノでいい」
「ゼノは何をしているの?」
女は無表情のゼノの顔を見て言う。
「当てのない旅」
「付いて行ってもいいですか?」
女が言う。ゼノが答える。
「断る。ひとりが気楽だ」
「でも……」
「でもじゃない。そもそも俺はヒト族じゃない」
「いいよ、そんなの」
「魔人族だ」
「魔人族? 良く分からないけど何だっていい。一緒に行ければ……」
この様な問答が永遠と続く。やがてゼノが折れた。
「分かった。もういいから好きにしろ」
ゼノが諦めた顔で言う。喜ぶ女。
「やった。ありがとう、ゼノ」
ゼノが女の顔を見て言う。
「お前、名は?」
「シノンよ」
女は笑顔で答えた。




