第十四話:どうやら私、忍者君を殺さなければならないようです。
夜。
孤児院は静まり返っていた。
子供たちの寝息。
遠くで鳴く虫の声。
窓から差し込む月明かりだけが、廊下を青白く照らしている。
その闇の中を、黒い影が静かに進んでいた。
音はない。
気配も薄い。
まるで夜そのものみたいに。
勇者パーティの忍者――トラカゲだった。
トラカゲは、一つの部屋の前で立ち止まる。
ロラの部屋。
ゆっくりと襖を開く。
小さな寝息。
赤髪の少女が、毛布に包まって眠っていた。
まだ幼い。
何も知らない顔で。
トラカゲは懐から小さな丸薬を取り出した。
黒く、艶のない毒薬。
飲めば、高熱と激しい下痢を引き起こす。
戦後の栄養不足の子供なら、十分に死ねる。
しかも。
症状は疫病に近い。
戦後の混乱もある。
孤児院で病死した――
そう処理されれば、民は恐れる。
病人も孤児も離れる。
孤児院は終わる。
神殿へ人を戻せる。
エンフェリアを閉じ込められる。
それが最善だった。
トラカゲは、静かにロラへ手を伸ばす。
その瞬間。
【トラカゲ】
「――ッ!?」
猛烈な悪寒が全身を貫いた。
咳。
吐き気。
視界が揺れる。
肺が焼けるみたいに苦しい。
【トラカゲ】
「ごほっ……!?」
膝をつく。
まずい。
この症状は――
【エンフェリア】
「≪強化エボラLV3≫」
静かな声だった。
部屋の入口。
そこにエンフェリアが立っていた。
赤い瞳が、真っ直ぐトラカゲを見ている。
怒っているわけじゃない。
でも。
悲しそうだった。
【エンフェリア】
「……忍者君」
トラカゲは荒い呼吸を整える。
今の病気。
本気だ。
LV3。
エンフェリアは、本気で自分を止めに来ている。
【トラカゲ】
「……勘が良すぎるだろ」
【エンフェリア】
「ロラちゃんの部屋の前で、変な気配がしたから」
エンフェリアは、ロラを見る。
まだ眠っている。
何も知らずに。
【エンフェリア】
「なんで?」
小さな声だった。
【エンフェリア】
「なんで、こんなことするの?」
トラカゲは答えない。
答えられない。
ロラがドレイケルド人だから。
敵国の子供だから。
そんなことを言えば。
エンフェリアは気づいてしまう。
自分が戦っていた相手が、
魔物ではなく――
人間だったことに。
それだけは駄目だった。
絶対に。
【トラカゲ】
「……孤児院に潰れてもらう必要がある」
【エンフェリア】
「え……?」
【トラカゲ】
「孤児院で死者が出れば、民は自然と離れる」
【トラカゲ】
「病人も来なくなる」
【トラカゲ】
「そうすれば、お前は戻れる」
【エンフェリア】
「戻るって……どこに?」
【トラカゲ】
「勇者様たちの神殿だよ」
トラカゲは咳き込む。
血が混じった。
【トラカゲ】
「お前、勇者様たちを弔いたかったんだろ……」
【トラカゲ】
「だったら、人の欲望なんかに触れちゃ駄目なんだ」
【エンフェリア】
「欲望……?」
【トラカゲ】
「お前は、まだ人間を知らない」
苦しそうな声だった。
でも。
一番苦しそうなのは、病気のせいじゃない気がした。
【トラカゲ】
「俺は……あの時、死ぬべきだった」
月明かりの中。
トラカゲが小さく笑う。
【トラカゲ】
「勇者アレハンドロも。
魔法使いマテオも。
死んだ」
【トラカゲ】
「なのに、俺だけ生き残った」
絞り出すみたいな声だった。
【トラカゲ】
「だからせめて……」
【トラカゲ】
「勇者様たちの魂くらい、静かに眠らせてやりたいんだよ」
静寂。
ロラの寝息だけが聞こえる。
【トラカゲ】
「止めたいなら――」
トラカゲがエンフェリアを見る。
【トラカゲ】
「俺を殺せ」
殺すのは、簡単だった。
私なら、
ほんの少し病気を強くするだけでいい。
でも――
忍者君を殺したら。
きっと何かが、戻れなくなる気がした。
ロラの寝息だけが、小さく部屋に響いていた。
トラカゲは震える手で丸薬を掴む。
そして――
ゆっくりと、ロラの口へ押し込もうとした。
【エンフェリア】
「やめてっ!」
私は思い切り体当たりした。
トラカゲの身体がぐらりと揺れる。
【トラカゲ】
「ぐっ……!?」
今の忍者君なら――
私でも止められる。
私はそのまま馬乗りになって押さえ込む。
【エンフェリア】
「もうやめてよ!」
【トラカゲ】
「邪魔を……するな……!」
次の瞬間。
世界がひっくり返った。
【エンフェリア】
「きゃっ!?」
簡単に投げ飛ばされる。
床に背中を打ちつけ、息が詰まった。
トラカゲはふらつきながらも立ち上がる。
ロラの方へ向かう。
私は咄嗟にその足へしがみついた。
【エンフェリア】
「行かせない!」
【トラカゲ】
「離せ!」
ドタバタと物音が響く。
その音で。
ロラがゆっくり目を開けた。
【ロラ】
「……なに?」
眠たそうな赤い瞳。
状況が分かっていない顔。
【エンフェリア】
「ロラ、逃げて!」
【ロラ】
「え……?」
【エンフェリア】
「ガレスさんのところへ!」
多分。
孤児院の中で、一番強いのはガレスさんだ。
お父さんみたいに。
【トラカゲ】
「させるか」
トラカゲの指が印を結ぶ。
空気が震えた。
【ロラ】
「っ……!?」
ロラの身体が硬直する。
金縛りの術。
ロラは動けない。
【トラカゲ】
「お前は、生きていてはいけない」
低い声だった。
でも。
その声は苦しそうでもあった。
【ロラ】
「なんで……?」
ロラの目に涙が浮かぶ。
【ロラ】
「ようやく……疫病から逃げられたと思ったのに……」
その瞬間。
トラカゲの目が変わった。
次の瞬間には。
手裏剣が飛んでいた。
【ロラ】
「きゃあっ!」
ロラの肩をかすめる。
血が散った。
でも。
深くは刺さらない。
本当の忍者君なら――
外さなかった気がした。
【トラカゲ】
「っ……!」
トラカゲ自身も驚いたように目を見開く。
その時だった。
【ガレス】
「何をやっている!!」
扉が吹き飛ぶように開いた。
ガレスさんだった。
大きな身体が、そのままトラカゲへ突っ込む。
【トラカゲ】
「ぐっ……!」
二人が激しくもみ合う。
床が軋む。
家具が倒れる。
でも。
今のトラカゲは弱っていた。
やがて。
【ガレス】
「観念しろ!」
ガレスさんが、その巨体でトラカゲを押さえ込む。
床へ叩きつけられたトラカゲは、荒く咳き込んだ。
【トラカゲ】
「……エンフェリア」
私は息を呑む。
トラカゲは、どこか諦めたように笑った。
【トラカゲ】
「お前と二人で……」
【トラカゲ】
「勇者様たちの墓を守って、生きたかった」
その声は。
あまりにも寂しかった。
次の瞬間。
トラカゲは懐から別の丸薬を取り出し、自分の口へ放り込んだ。
【エンフェリア】
「っ!?」
死ぬ気だ。
そう思った瞬間。
胸が苦しくなった。
嫌だ。
忍者君にも、死んでほしくない。
【エンフェリア】
「≪強化嘔吐熱LV2≫!」
私は反射的に病気を作った。
強烈な吐き気と痙攣を引き起こす病気。
【トラカゲ】
「ぐあああっ!?」
トラカゲが激しく吐き出す。
黒い丸薬が床へ転がった。
【ガレス】
「なんだ、今のは……」
【エンフェリア】
「毒を吐かせたの」
トラカゲは何か言おうとして――
そのまま崩れ落ちた。
私は慌てて抱きとめた。
まだ温かい。
【エンフェリア】
「忍者君!?」
震える手で胸に触れる。
鼓動は、まだあった。
……生きてる。
私は、
忍者君が生きていることに、
心の底から安心していた。
……それが、
正しいことなのかも分からないまま。




