小さな睦言
朝。目を覚ましたセレーネは、目の前にあるフェリシアの首が見えた。そして、自分がフェリシアの腕を首の下に敷いて寝ている事に気付いた。フェリシアは、まだ起きていない。それを見たセレーネは、フェリシアの首に唇を触れさせる。
(フェリシアが起きる前だから良いよね……)
セレーネは、フェリシアの首に軽く舌を触れさせる。吸血鬼の本能なのか、フェリシアの首に大きく惹かれていた。そんな事に夢中になっていると、セレーネの髪が触れた事で、こそばゆさを感じ取り、フェリシアが薄らと目を開けた。
夢中になっているセレーネは、フェリシアが起きた事に気付かない。自分の首に柔らかいものが触れていると気付いたフェリシアは、それがセレーネの唇と舌である事に気付いた。
(随分と大胆ね……まぁ、セレーネらしいと言えばらしいのかしら……首ばかりなのは、吸血鬼の本能? 牙が触れないあたり、ちょっと違う気もしてくるけど……ちょっと腕が痺れているのは、腕枕をしていたからなのかしら)
そこまで考えたところで、大分頭が働くようになったので、フェリシアはゆっくりとセレーネの身体を抱きしめた。
「うぇっ!? フェ、フェリシア……?」
「昨日の今日で、随分大胆な事をしてくれるじゃない。前に寝ぼけていたのは、嘘だったのかしら?」
「寝ぼけてたのは本当だもん。多分……」
寝ぼけている時の事なので、セレーネからしても記憶は曖昧だった。なので、はっきりとチャント寝ぼけていましたとは言えなかった。
「今日のは?」
「フェリシアの首が見えて……思わず身体が動いただけ……」
「血を吸いたいの?」
「ううん。カノンとかから貰うから良い」
「吸っても良いわよ。吸われたからって、すぐに眷属になるわけじゃないでしょ? セレーネが吸いたいなら良いわよ」
セレーネは、フェリシアの首をジッと見る。フェリシアの血を吸いたいという欲求は、確かにセレーネの中にあった。フェリシアへの気持ちを自覚して伝えたからか、欲求を自覚出来ている。吸血衝動抜きに牙が疼いているのだ。
だが、セレーネは首を横に振った。
「ううん……今吸ったら、もう我慢出来なくなると思うから」
「…………」
フェリシアは、口を開いてから、すぐに閉じた。我慢しなくて良いと言おうとしたのだが、ここはセレーネの気持ちを汲もうと思ったからだ。
「じゃあ、今みたいにしていても良いわよ。少しは気が紛れるんじゃない?」
「むぅ……キスマークが付いても知らないよ?」
「この場所だから、虫に刺されたで通るから良いわよ。でも、あまり目立たないようにしてちょうだい」
「う、うん……」
まさか了承されるとは思わなかったセレーネは、少しだけ頬を染めながら、フェリシアの首に唇を付け、小さく舐める。こそばゆさを感じているフェリシアは、お返しにセレーネの頭を撫でる。
(可愛い……)
フェリシアは、自分がしっかりとセレーネに惹かれている事を実感した。だが、自分は添い遂げる事が出来ない。それには、家や婚約者の家に何かがなければいけない。それを願うのは、自身の身勝手でしかない。貴族の娘。それもセレーネとは違い普通の娘なのだから、そこは受け入れなければならない。
だから、自分がセレーネと愛し合えるのは、この子供時しかない。大人になって愛し合えないというのは、フェリシアにとっても歯痒かった。
そんな二人を扉の隙間からシフォンが口を押えて、顔を真っ赤にしながら見ていた。
(わぁ……な、中に入れないよぉ……)
そこに、マリアもやって来る。マリアが背後にいた事によって、一瞬シフォンが叫びそうになったが、マリアが口を押えた事で未遂に終わった。
(あぁ……なるほど……だから、カノンさんに気付かないのか。今ならカノンさんが間に合うかも……ん?)
セレーネを介した眷属の繋がりで、マリアはカノンが近くにいるか遠くにいるかが分かる。だが、それはカノンに限った話ではない。
「不味い……!」
マリアは、心を鬼にして扉をノックした。そのノック音に気付いて、セレーネはフェリシアの首から離れて身体を起こす。フェリシアも同じように身体を起こした。
「お嬢様、フェリシア様、失礼します」
マリアとシフォンが中に入ったのと同時に、セレーネは外の方を見る。
「カノン……? お姉様……マリア、どういう事?」
冷静になったセレーネは、事態を把握してマリアを見る。フェリシアとシフォンは、どういう状況なのか分かっていなかった。
「この場の安全を確保するために、カノンさんは動いています。テレサ様に関しては、私も分かりませんが、恐らくアカデミーの課題に空きが出来たのでしょう」
「私、聞いてないよ?」
「お嬢様が知れば、お嬢様がお気になさると考えての事です。本当であれば、夜の内に帰ってくるはずだったのですが、何かトラブルがあったようですね」
「カノンの身に変化はないみたいだけど……少し遠くにいる。お姉様は近づいているみたいだから、マリアは出迎える用意をしておいて。カノンは戻って来たら怒らなきゃ。それじゃあ、フェリシア、また後でね」
「ええ、後で」
マリアは、テレサが来ている事を伝えるためにジーニーの元に向かう。セレーネは、自分の部屋に戻り普段着に着替える。
「全く、いつまでも子供扱いなんだから……」
セレーネは軽く頬を膨らませながら着替えて、屋敷の外に出る。すると、クロが近寄ってきた。そんなクロを撫でながら、セレーネは微笑む。
「クロもカノンが頑張っていた事を知っているんだよね?」
「にゃ~……」
クロは気まずそうな表情で頷いた。これで知らないのは、セレーネ、フェリシア、シフォンの三人だったというのを察する。
そして、クロを撫でているところにテレサがやって来た。
「セレーネ」
「お姉様!」
テレサを見つけたセレーネは、テレサに抱きつく。テレサは、軽々と受け止めた。
「セレーネ、どうかしたの?」
「カノンが帰ってないの。ここの安全を確保するために動いていたらしいんだけど、朝になっても戻ってこないの」
「そう。でも、カノンが動いてくれて良かったわ」
「どういう事?」
テレサの言葉にセレーネは首を傾げる。ここに来たばかりのテレサが何故か事情を知ってそうだからだ。
「ここに来る前に、向こうの街で一泊したのよ。その時兄さんに会いに行ったのだけど、詰め所で揉めていたのよ。どうやら夜番をサボっている騎士がいたようなの。一人に任せて、自分達はのんびりとしていたらしいわ。昨日もサボっていたみたいね。だから、カノンが動いてくれたのは、セレーネの安全的には良いことなのよ」
「むぅ……でも、私に黙ってたんだよ?」
「セレーネに心配を掛けたくなかったのね。叱るのは、程々にしてあげなさい」
「むぅ……は~い」
テレサを連れてセレーネが屋敷に戻ると、フェリシアとシフォンが驚いていた。本当にテレサが屋敷に来ていたからだ。ジーニーは、マリアから聞かされていたので、驚きはなかった。
「テレサ様。お部屋の用意が出来ております」
「ありがとう。急に押しかけてごめんなさい」
「いえ、いらっしゃるかもしれないという事は聞いておりましたので、問題はありません。こちらへどうぞ」
ジーニーが部屋に案内している間に、セレーネはフェリシアの元に向かおうとして足を止めた。
「カノン……!」
セレーネは屋敷を出て、カノンの気配がする方へと向かう。すると、そこにはカノンとベネットが、こちらに向かって歩いてきていた。どちらもかなり疲労している様子だった。
カノンは、セレーネが駆け寄っているのを見て、少し申し訳なさそうに笑う。
「お嬢様」
「カノン! 私に黙って居なくなるのは駄目!」
セレーネは頬を膨らませて怒る。それに対して、カノンは頭を下げる。
「申し訳ございません。お嬢様の事を考えての行動でしたが、お嬢様を不安にさせてしまいました。本当に申し訳なく思っております。今後は、お嬢様に相談の後、行動します」
「うん。分かれば宜しい!」
セレーネは、カノンに抱きつこうとしたが、カノンは自分が汗だくだという事を知っているので、手で受け止めて抱きつかせはしなかった。それに対して、頬を膨らませるが、こればかりはカノンも譲らない。
そこにフェリシア達もやって来る。
「カノンさん、無事だったのね」
フェリシアは、カノンが無傷でいる事に安堵した。だが、すぐにカノンがセレーネの眷属である事を思い出して、見た目の無傷が怪我をしなかったという事には、必ずしも繋がらないと気付いた。それを踏まえて訊こうと思っても、ベネットがいるので切り出せず、口を閉じる。
「はい。少々厄介な事態になっていましたが、ベネットがどうにかしてくれましたので、ひとまずは安全です」
「ふ~ん……もしかして、押し付けられたの?」
「おう。まぁ、その辺はどうでも良いんだがな。さすがに、縄張り争いに首を突っ込むのは無理があったがな。カノンを送り届けられたから、俺は行くぜ」
「ふ~ん……ありがとう」
「おう。じゃあな」
「あっ、ベネット、ちゃんとライル様に報告しておいてよ?」
「おう」
ベネットは片手を上げてから去って行った。
「あの人、歩きで帰るの?」
「まぁ、歩きで来たみたいですから。ベネットなら大丈夫でしょう」
「ふ~ん……」
「取り敢えず、カノンさんはお風呂へどうぞ。お嬢様が方は、朝食が出来ていますので、食堂にお越しください」
ジーニーがやって来てそう言い戻っていった。
「じゃあ、カノンはお風呂ね。後で報告もね」
「分かりました」
カノンが屋敷に戻って行っている間に、セレーネはフェリシアの隣に並ぶ。
「ごめんね。騒がしい事になっちゃって」
「良いわよ。セレーネのためにやってくれている事でしょう? テレサ様に関しては、ジーニーが聞いていたみたいだから、何も問題ないわ」
「そっか。ありがとう」
セレーネはフェリシアとシフォンと手を繋いで屋敷へと戻っていった。若干トラブルがあったが、旅行は、無事に続きそうだった。




