甘えるセレーネ
セレーネを抱き抱えたカノンは、マリアを連れて病室の外に出る。そこで、ベネットと視線が合った。
「朝食を買ってくるけど、ベネットは何かいる?」
見張りをしてくれている礼を兼ねて朝食を買ってくるか訊くと、ベネットは首を横に振った。
「いや、俺がここで食ったら、先輩にどやされるからな。昼までは、ここにいる事になってる。安心して行ってこい」
まだ衛兵見習いとして働いている段階なので、ここで勝手に朝食を食べていたら、他の衛兵に睨まれる事になる。それは避けておきたいとベネットは考えていた。それとは別で、常識的に病院の廊下で飲食はしない方がいいという事もある。
「そう。分かった。じゃあ、シフォンさんを頼むね」
「おう」
そんな会話の後に病院の外へと向かっていく。その中でマリアがカノンに並んで話し掛けた。
「あの人知り合いですか?」
「はい。同級生でクラスメイトでした。次代の剣聖と名高いベネット・アッシュですよ。今は騎士養成学科に進学して、衛兵の見習いのような事をしているようです」
「あれが次代の剣聖……」
「ベネットが何かしました?」
カノンは苦笑いしながら訊く。それだけマリアの表情が少々苦々しげだったからだ。
「お嬢様への態度が少し気になりました。カノンさんの主人という事は分かったみたいですけど、普通に子供と接するようでしたので。学院の教授などなら分かるのですが、ただの衛兵に見えたので」
「ああ……ベネットは、貴族だとかは気にしないので、お嬢様がまだ子供だと分かれば、そんなものです。私からも一応言っておきます」
ベネットは、権威などを求めておらず、ただ自分の力を正しく振いたいと考えていた。
その考えから、貴族の子供相手でも謙るという事はなく、普通の子供と同じように接していた。
普通の平民であれば、侯爵令嬢と分かればある程度敬う姿勢を見せるものなので、マリアは少しだけ失礼な人だと思っていたのだ。子爵家の自分に対してなら特に何とも思わないが、セレーネは侯爵家なので、ある程度の敬いは欲しいと思っている。それは、セレーネに付き従っているからこその考えでもあった。
これの例外としては、セレーネとの関係を持っている人だけだ。つまり、シフォンのように友人関係を築いているのなら、マリアも何も言わない。ベネットとは、その関係がないので、その対象には入らない。
ベネット自身は、特に失礼だと思っていないので、二人の間にすれ違いが起きていても仕方ない。ベネットからすれば、セレーネも普通の子供なのだから。
「私はどうでも良いけど」
カノンの腕の中で、セレーネがそう言う。セレーネ自身に貴族の権威などへの興味がないので、相手が無礼な事をしてもある程度はどうでも良いと受け流せる。
それを聞いて、マリアはため息を零す。
「はぁ……お嬢様がそうおっしゃるのであれば、私もこれ以上は言いません。ですが、お嬢様も、もう少し貴族としての意識も持ってください」
「むぅ……どうせ家は出る事になるから良いでしょ」
「それまでの間に、家に迷惑を掛ける事になるかもしれませんよ。クリムソン侯爵家の三女という立場は、しばらくの間持ち続ける事になるのですから」
「むぅ……分かった……」
クリムソン侯爵家を貶めたいという考えを持っていないので、マリアの忠言を受け入れた。貴族として偉そうにしろというよりも、最低限の体裁を整えて欲しいというものなので、セレーネとしてもどうでも良いと切り捨てられなかったというのもある。
マリアに怒られたセレーネは、少し頬を膨らませながら、カノンに顔を擦りつける。だが、カノンは、それ以外にもセレーネが感じている事に気付いた。
「眠いですか? しばらく寝ていても構いませんよ」
「ん~……寝る」
セレーネは、カノンに体重を預けて眠りに就く。すぐに腕に掛かる重みが増した事で、カノンもセレーネが本当に寝たという事が分かる。
「お嬢様には、朝早すぎましたかね?」
「ご自身で起きたのでは?」
「私が部屋に入った時は、ちょうど二度寝に入るタイミングでしたので。学園に行くには、朝の準備を含めても早い時間でしたし」
「なるほど。では、こうなっても仕方ありませんね」
熟睡し始めたセレーネを抱えたカノンとマリアは、王立病院近くのパン屋で朝食を買う。別邸に戻る訳ではないので、バターやジャムなどはない。となれば、必然的に惣菜パンとなる。
カノン的には、セレーネの健康を考えたいところだが、今日は仕方ないと判断した。そして、病院前にあるベンチに座り、セレーネを起こす。
「お嬢様。起きてください。朝ご飯ですよ」
「ん~……あ~……」
カノンの膝に乗りながら寝ぼけているセレーネの口元にパンを持っていき食べさせる。セレーネに食べさせている二人の手付きは慣れたものだった。
そこにジーニーを連れたフェリシアがやって来る。肩で息をしているところから、急いで来た事が分かる。フェリシアは、セレーネの姿を見つけると、直ぐさまセレーネの元に向かった。
「はぁ……はぁ……シフォンは……?」
「無事です。被害は医者と警備の人間のみです」
これにはカノンが返事をした。セレーネは、マリアから与えられるパンを小さな口でゆっくり食べていたからだ。
これを聞いたフェリシアは、喜びと悲しみが綯い交ぜになった複雑な表情をしていた。
「そう……良かったとは言い難いわね……でも、カノンさんは、無事だった……いえ、怪我をしたの?」
フェリシアは、カノンの服の前腕部に穴が開いて、血が付着しているところから怪我をしている事に気付いた。
「はい。既に治療はされているので問題はありません。お気遣い頂きありがとうございます」
「そう……」
フェリシアは、改めてカノンの優秀さに舌を巻いていた。怪我をしたという事は、戦ったという事。そして、こうして生きておりシフォンも無事という事は、撃退に成功したという事だ。これを知って、カノンの素養を疑うような者はそうそういないだろう。
「さて、そろそろ時間です。お嬢様、学園に行く時間ですよ」
「ん~……は~い……」
まだ寝起きで完全に覚醒していないセレーネは、カノンに一度しがみついてから、フェリシアの元に行って手を繋ぐ。
「う~ん……」
だが、何かが違うと思ったのか、すぐに手を離して腕を組んだ。そして身体をぴったりとくっつける。
「温い……」
先程までカノンの人肌で温まっていたので、こうして人肌に触れていたいと思っての行動だった。
「ひ、人を湯たんぽ扱いしないで欲しいのだけど」
フェリシアは、少しだけ顔を赤くしながらそう言う。だが、寝ぼけているセレーネは生返事をするだけで、フェリシアからは離れようとしなかった。フェリシアも無理に引き剥がそうとはしなかった。
「少しすれば起きると思いますので、申し訳ありませんが、そのままでお願い出来ますか?」
「はい。分かりました」
マリアにそう言われて、フェリシアは、セレーネがすぐに離れない事を受け入れた。寝ぼけたセレーネを連れたフェリシアと共にマリアとジーニーも学園へと移動していく。
「セレーネ、しっかり歩きなさい」
「ん~」
フェリシアは、小さくため息をつくが、その口角は少し上がっていた。




