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良くも悪くも

台本のことばかり考えていると、たまに、自分がどのクラスの授業を受けているのかすら怪しくなる。


五限目の古典の時間、佐々木は教科書の隅に、登場人物の相関図をこっそり書き込んでいた。矢印だらけのそれは、傍から見れば古典の予習にはとても見えない代物だった。


「佐々木、また台本?」


隣の席から、幼馴染の田中が覗き込んできた。中学からの付き合いで、佐々木が演劇部だということも、廃部の危機にあることも、一通り知っている数少ない友人の一人だ。


「バレたか」


「バレるも何も、古典の教科書に矢印引いてる時点で丸わかりだよ」田中は苦笑した。「で、どう、進み具合。文化祭まで、もう半年切ってるんだろ」


「ぼちぼちだよ。書いては直しての繰り返し」


「大変そうだな。……でも、ちょっと羨ましいけどな、それ」


「羨ましい? 廃部寸前の部活が?」


「いや、そうじゃなくて」田中は頬杖をついて、窓の外を見た。「お前ら、なんか、必死じゃん。うちのクラス、最近、みんな妙に大人しいっていうか……行儀良すぎて、逆に居心地悪い時あるんだよな。お前らは、良くも悪くも、うるさいから」


その一言に、佐々木は少しだけ驚いた。田中のような、演劇部とは縁のない、ごく普通の生徒からも、あの「揃いすぎた空気」への違和感が、こんな形で漏れ出てくることがあるらしい。


「うるさいって言われてもな……」


「悪口じゃないよ。むしろ、褒めてる」


昼休み、購買でパンを買った帰り道、佐々木は廊下の掲示板の前で、見覚えのない生徒に呼び止められた。


「演劇部の佐々木くん、だよね?」


声をかけてきたのは、隣のクラスの生徒会長――朝比奈玲だった。全校集会での挨拶くらいでしか、佐々木は彼女の顔を知らない。腕章をつけたまま、手には生徒会の資料らしき紙束を抱えている。


「あ、はい、そうですけど……」


「文化祭の企画書、もう出してくれた? 演劇部、今年は結構ちゃんと上演するって、噂で聞いたから」


「え、あ、はい。近いうちに出します」


佐々木は、正直なところ、生徒会長にまで自分たちの動向が伝わっていることに、少し戸惑った。朝比奈は、佐々木の反応を面白がるように、小さく笑った。


「そんなに驚かなくても。生徒会も、文化祭の企画は全部把握しておく必要があるの。それに」


朝比奈は、資料の束をぱらぱらとめくりながら、声を少しだけ落とした。


「最近、いろんな部活から……というより、生徒から……かな? 似たような相談が来るのよね。『タブレットの調子がおかしい』とか、『妙に監視されてる気がする』とか。……演劇部は、何か聞いてない?」


佐々木は、一瞬、返答に詰まった。ここ最近、部室で感じていた、言葉にしづらい違和感――校長がまだ完成もしていない台本の内容を知っていたことや、凛が繰り返し口にする「アンビエントの変化」のことを、この段階で話していいものか、判断がつかなかった。


「……いえ、特には」


「そう」朝比奈は、深追いはせず、あっさりと引いた。「もし何かあったら、生徒会に相談して。私たちにできることは、限られてるかもしれないけど」


「……ありがとうございます」


朝比奈は軽く手を振ると、資料を抱え直して、生徒会室の方へ歩いていった。その後ろ姿を見送りながら、佐々木は、なんとなく胸の奥に、小さな灯りが点ったような感覚を覚えていた。


学校の中に、校長の側にも、完全に無関心な生徒たちの側にも属さない、もう一つの立場があるらしい。それが、これから先、自分たちにとってどんな意味を持つのか、この時の佐々木には、まだ分からなかった。


教室に戻る道すがら、佐々木はふと、田中の言葉を思い出していた。


――お前らは、良くも悪くも、うるさいから。


そのうるささを守るために、まだ自分たちは、何一つ、決定的な行動を起こせていない。ただ、部室の中で台本を書き、稽古を重ねているだけだ。それでも、その音は、少しずつ、部室の外にまで漏れ出し始めているらしかった。


放課後、部室の戸を開けると、凛がいつになく真剣な表情で、ノートパソコンの画面を睨んでいた。


「……佐々木くん。ちょっと、これ見て」


その声の硬さに、佐々木は、昼間の朝比奈との会話が、ただの世間話では済まされない予感を覚えた。

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