第51話 星明かりの下、人狼の正体
叶姉さんの小説のテレビドラマ化決定という、旅のハイライトにふさわしい奇跡的なお祝いの宴からしばらく時間が経ち、但馬牛のステーキやオマール海老のビスクを味わったキャンプサイトには、心地よい満足感と穏やかな夜の空気が満ちていた。
湯の原温泉の敷地内にある天然露天風呂で、但馬の良質な温泉に浸かって疲れをすっきりと癒やしてきたメンバーたちは、リラックスしたルームウェアやパーカー姿で再びテーブルを囲んでいる。
夜風はひんやりと肌を冷やすが、上を見上げれば、街の光が届かない山間のキャンプ場ならではの満天の星空が広がっていた。天の川の淡い光や、瞬く星々が、まるで地上に寄り添うように夜空を埋め尽くしている。
「ふあぁ……お風呂、めっちゃ気持ちよかったぁ……! お肌もツルツルになったし、お肉も美味しかったし、今日一日が楽しすぎて夢の中にいるみたいやわぁ……」
菱川さんが関西弁のトーンを少しだけゆったりとさせながら、温かいマグカップを両手で包み込んでふぅっと息を吐く。
「ほんとにそうっすねー! 温泉で体の芯まで温まったあとに、この満天の星空を見るなんて、最高以外の言葉が見つからないっす!」
茅野さんもテーブルの上にホットココアの入ったマグを置いて大きくうなずいた。
キャンプサイトの中央でパチパチと小さく爆ぜる焚き火の炎が、周囲の顔をオレンジ色に優しく照らし出している。その温かな光の輪の中で、七柰がゴソゴソと大きなリュックサックから何やら取り出しながら、パッと笑顔を咲かせた。
「ふふふ……みんな、温泉ですっきりしたところで、今夜のメインイベントを始めよっか! やっぱり夜のキャンプといえば、みんなでやるゲームだよねー!」
七柰が両手をパチンと合わせながら、ワクワク感を隠しきれない様子で声を弾ませる。
テーブルの中央には、お気に入りのキャンプギア『ほおずき』が優しく吊るされていた。まるで本物のホオズキの実のようにふんわりと丸みを帯びたシェードからこぼれる暖色系のLEDの光は、暗闇のキャンプサイトをまるで絵本の世界のように幻想的かつ温かく照らし出している。その柔らかなオレンジ色の光の下に、12人のメンバーが車座になって陣取っていた。
「ほんまやなぁ! 夜のキャンプで皆でゲームするの、修学旅行の夜みたいでめっちゃワクワクするわぁ!」
菱川さんが関西弁のアクセントを軽快に響かせながら、手元のカードをシャッフルする真似をしておどけてみせる。
「そうっすね! しかも、このランタンの灯りがまたいい雰囲気を醸し出してるっすよね。なんだかミステリアスなゲームをするのにぴったりの空間っす!」
茅野さんが、気合十分といった様子で両手をこすり合わせた。
美怜さんがスマホの画面でゲームのルールを確認しながら、上品に微笑んで一同を見渡す。
「ふふ、今夜用意したのは、心理戦と推理がものを言う大人気パーティーゲーム──『人狼ゲーム』よ。みんな、役職ごとの立ち回りはバッチリかしら?」
美波さんもうなずきながら、配られた役職カードをそっと裏返して確認する。
「疑い合いながら真実を見抜く心理戦だから、みんなの演技力が試されるね。さて、誰が本物の村人で、誰が牙を隠した人狼なのか……今から本当に楽しみだよ」
涼花さんは、自分の配られたカードを恐る恐るチラリと覗き込み、「うぅ……私、人狼側だったらすぐに顔に出ちゃいそうなんですけど……が、がんばりますぅ……!」と、早くもドキドキしながら両手で頬を押さえていた。
少し離れた特等席では、正樹叔父さんと叶姉さんが、温かいほうじ茶のマグカップを手にしながら、微笑ましそうに若者たちの輪を見守っている。
「いやあ、若い子たちのこういうエネルギーは見ているだけで元気が出るね。夜のキャンプ場で人狼ゲームとは、なかなか本格的じゃないか」
叶姉さんも微笑みながら、風に揺れる髪をそっと押さえた。
「穏やかな星空の下で、知恵と心理の駆け引きが繰り広げられるなんて、最高のエンターテインメントだね。私も創作の糧に皆の表情をじっくり観察させてもらうよ」
そして、姫子さんが幹事役として大きく手を叩き、ゲームのスタートを高らかに宣言した。
「よし! それじゃあ、これより『湯の原温泉キャンプ場・真夜中の人狼ゲーム大会』を開催するよ! 村人陣営は人狼を見つけ出せるか、それとも人狼陣営が巧みに欺き通すか……。みんな、容赦なしでいくよー!」
こうして、ほおずきの柔らかな灯りに照らされたキャンプサイトで、熱気と笑いに満ちた心理戦の幕が切って落とされたのである。
§
ゲームが進行するにつれて、タープの下の空気は徐々に緊迫感と爆笑が入り混じる独特の盛り上がりを見せていった。
「ちょっと待ってください! さっきの発言、なんかめちゃくちゃ怪しくないですか!? 最初に『私、村人だから安心して!』って言った人ほど、実は一番怪しい動きをしてる気がするんですけど!」
七柰が両手をテーブルに突き出し、鋭い視線を仲間に向けながら声を張る。
「ちょっ、七柰ちゃん、なんで私をピンポイントでジロジロ見るんっすか!? 私はただ純粋に、自分の無実をアピールしてるだけっすよ! 人狼じゃないっす!」
茅野さんが慌てて両手をブンブンと横に振って否定する。その必死すぎるリアクションに、周囲から「怪しい〜」「絶対うそだー!」と茶化すような声が飛んだ。
「ふふ、茅野さんのその慌てぶり、かえって怪しさを倍増させてるわよ」
美怜さんがクスリと笑いながら、冷静に指摘する。
「そうだよ。論理的に考えて、昨日の夕方の買い出しのときから、茅野ちゃんは妙に但馬牛のステーキ肉を執拗に見つめていた……。もしかして、あのときからすでに『村を食い荒らす人狼』としての狩りの目を光らせていたんじゃない?」
美波さんが冗談めかしてそう指摘すると、茅野さんは「いやいや、それとお肉は全く関係ないっす! 純粋に但馬牛が美味しそうだっただけっす!」と大声で反論し、一同の笑いを誘った。
一方、菱川さんは、腕を組んでタープの屋根を見上げながら、独自の関西風推理を繰り広げ出していた。
「いやいや、皆ちょっと落ち着きいや。こういうゲームで一番怪しいのは、しれっと隅っこで静かに息を潜めている人間やで。なぁ、涼花ちゃん、さっきから一言もしゃべってへんけど、ひょっとして……隠し持ってるそのカード、牙が生えてるんと違うか〜?」
名指しされた涼花は、ビクッと肩を跳ねさせ、顔を真っ赤にしながらブンブンと首を横に振った。
「そ、そんなことないですぅ……! 私、ただ人見知り発動してるだけで、本当にただの村人なんですぅ……! 昨日の青の洞窟でも魚を見て感動してた普通の村人ですぅ……!」
そのあまりのピュアな慌てぶりに、「涼花ちゃんは絶対に村人だわ」「可愛すぎるからシロ認定!」と、なぜかその場の一票が涼花さんを完全に守る方向へと傾いていく。
少し離れた席で見守っていた正樹叔父さんも、時折クスリと声を漏らしながらゲームに参加していた。
「はっはっは、皆本気で推理していて見ているだけで面白いねえ。ちなみに私の勘だと……おや、叶、君はさっきからとても冷静に全体の動きを見渡しているが……もしや、夜の闇を駆ける黒い狼なんじゃないか?」
正樹叔父さんに優しく微笑みかけられた叶姉さんは、少しも動じることなく微笑んだ。
「あら、お父さん。私を疑うとなんてね。人狼は他にいるよ。小説家というものは、人間の心の裏側を描くのが仕事。誰が嘘をついていて、誰が本当のことを言っているのか……この瞳にはしっかりと映っているからね」
そのミステリアスな大人の返しに、若者たちから「うわぁ、かっこいい!」「小説家ガチ勢のこわいところが出た!」と黄色い歓声が上がった。
議論は最高の盛り上がりをみせ、いよいよ『誰を処刑するか』を決める投票のタイムリミットが迫ってきた。
「それじゃあ、みんな一斉に『この人が人狼だ!』って思う人を指さしてね。せーのっ!」
姫子さんの合図とともに、全員が一斉に指を突き出す。
驚いたことに、その指の大多数が、先ほどまで一番冷静に推理し、皆をリードしていたはずの美怜さんへと集中していた。
「え……? 私……?」
美怜さんは自分の鼻を人差し指で指し示し、さすがに予想外だったのか、美しい眉をわずかにひそめて目を丸くした。
「そうですよ、美怜さん! 最初の頃から『論理的に考えて〜』とか言いながら、一番巧妙に誘導してたのは美怜さんだもん!」
七柰が自信満々に人差し指を突きつける。
「たしかに……! 頭が良すぎる人間ほど裏で糸を引くタイプに違いないっす!」
茅野さんも便乗して声を上げる。
美怜さんは小さくため息をつき、しかしどこか楽しそうな、意味深な笑みを浮かべながら自分の手元の役職カードをゆっくりと表向きにテーブルの中央へと滑らせた。
そこにあったカードのアイコンは、まぎれもなく、すべてのプレイヤーを欺く凶悪な役割、『人狼』のマークだったのだ。
「……お見事ね。まさか私の緻密なアリバイ工作が崩されるなんて思わなかったわ」
美怜さんがそう言って苦笑する。
「やっぱり美怜さんだったんだ!」
「やった、見事に正体を暴いてやったで……!」
七柰や菱川さんたちが歓声を上げる。
けれど、勢いづいたのもそこまで。
その後は次々と村人が殺されていき、残っているのは、僕と先ほどまで涼花ちゃんを優しく庇い、上品に微笑んでいた叶姉さんだけだった。
つまり、生存者は村人側1人と、人狼側1人の計2人。
人狼ゲームのルールにおいて、生き残りが村人1人・人狼1人になった瞬間、それは夜の襲撃を待つまでもなく人狼側の勝利が確定することを意味する。
「まさか……っ!」
青ざめる若者たちを前に、叶姉さんは一切慌てることなく、優雅にカップの紅茶を一口すすった。
そして、そっと手元のカードを裏返してテーブルに滑らせる。
そこに描かれていたのもまた、紛うことなき『人狼』のマークだった。
「私の役割は、最後まで誰からも疑われずに息を潜めること。美怜さんが大胆にヘイトを集めてくれたおかげで、私は完璧に村人のフリを続けられたよ。……というわけで、最後の生き残りは私。人狼チームの勝利だね」
美怜さんの捨て身のブラフと、最後の1人まで正体を隠し通した叶姉さんの完璧な連携劇。
鮮やかな逆転結末に、若者たちは「やられたーー!」「小説家ガチ勢、怖すぎる……!」と頭を抱えて爆笑と絶叫の渦に包まれた。
正樹叔父さんも、この見事なオチに大きく手を叩いて称賛を送った。
「いやあ、お見事! 実に見事でドラマチックな展開だったね。小説の結末よりもスリリングで、最高のエンディングだったよ」
勝負の決着がつき、悔しがりながらも楽しそうに笑い合うメンバーたちの声が、夜空の星々へと吸い込まれていく。
§
人狼ゲームの熱気が少しずつクールダウンしていくにつれて、夜の冷え込みが心地よく肌に感じられるようになってきた。
テーブルの上に優しく灯るほおずきの明かりが、疲れた顔をほぐすように柔らかくみんなの表情を照らし出している。
「ふう……頭を使ったから、なんだか心地いい疲労感だね。本当に楽しかったぁ……!」
七柰が小さくあくびをしながら、両手で目をこする。
「本当だね。但馬牛のディナーから始まって、こんな風にみんなで夜遅くまで笑い合えるなんて、最高の思い出だよ」
美波さんが穏やかな微笑みを浮かべながら、片付けの準備を手際よく進める。
涼花さんはすでにウトウトと小さな舟を漕ぎ
始めており、夢見心地で「眠いですぅ……」と呟いている。
「ふふ、涼花ちゃん、もう眠くなっちゃったのね。じゃあ、そろそろみんなでお布団に入りましょうか」
美怜さんが優しく涼花さんの頭をなでる。
少し離れた席では、正樹叔父さんと叶姉さんが立ち上がり、若者たちに温かい声をかけた。
「さて、夜もすっかり更けたことだし、風邪をひかないようにそろそろ休むとしようか」
「皆、お疲れ様。おやすみ」
菱川さんと茅野さんも、「今日も一日濃すぎたっす! おやすみなさいっす!」「ほんまに楽しかったなぁ、おやすみやで!」と、キャンピングカーへと潜り込んでいく。
キャンプサイトのあちこちで「おやすみなさい」の優しい声が交わされ、やがて一つ、また一つとランタンの灯りが消えていく。
最後に残されたほおずきの温かな灯りに見守られながら、但馬の自然に抱かれた湯の原温泉オートキャンプ場の夜は、静かに、そして幸福な眠りの中へと溶けていった。




