第5話 琵琶湖へと続く旅路と、秘密のメニュー
待ちに待ったキャンプ当日の朝。
爽やかな晩春の朝日は京都市街のビル群の隙間から眩い光を投げかけ、青空には一片の雲すらない完璧な行楽日和を描き出していた。
僕は約束の時間より少し早めにJR湖西線の駅のコンコースへと足を運び、ガラス張りの大きな窓から外の様子を眺めながら待っていた。
改札の方向から、キャッキャと弾むような楽しげな話し声が聞こえてくる。
顔を向けると、そこには大きめのバックパックをそれぞれ背負い、これから始まる非日常の冒険に胸を躍らせている三人の姿があった。
彼女たちの今日のキャンプコーディネートは、機能性とアウトドアらしいお洒落さが絶妙にミックスされたものだった。
リーダー格の桐嶋さんは、動きやすいネイビーのストレッチパンツに、上品なくすみカーキのマウンテンパーカーを羽織っている。インナーにはシンプルな白のTシャツを合わせ、足元は歩きやすいローカットのトレッキングシューズ。眼鏡の奥の瞳は知的でありながら、どこか少女のようなワクワク感を隠しきれていない。都会的な洗練さを残しつつ、キャンプ場に溶け込む落ち着いた大人のカジュアルスタイルだ。
ムードメーカーの宇都宮さんは、明るいオレンジ色のマウンテンパーカーに、汚れが目立ちにくいベージュのカーゴパンツというアクティブな装い。頭には可愛いキャップを浅く被り、首元には差し色となるボタニカル柄のバンダナを巻いている。そのスポーティーでありながら抜群にキュートな着こなしは、周囲の風景をパッと明るく彩るような華やかさがあった。
そして、小柄な永澤さんは、淡いパステルピンクのウィンドブレーカーに、ゆったりとしたシルエットのデニムオーバーオールという組み合わせ。動きやすさを最優先しつつも、彼女らしい愛らしさが全身からあふれ出ているスタイルだった。
「お待たせー、水守君!」
宇都宮さんが一番に僕を見つけて、大きなバックパックを揺らしながらパタパタと小走りで駆け寄ってくる。
その後を、桐嶋さんと永澤さんが穏やかな笑みを浮かべながら続く。
「お疲れ様。みんな、すごくキャンプらしい素敵な格好だね。似合ってるよ」
僕が素直に感想を伝えると、宇都宮さんは、
「でしょ? 昨日三人で相談して、機能性も可愛いさも妥協しないコーディネートを徹底的に研究したんだから!」と、誇らしげに自分のパーカーの裾を摘んで見せた。
桐嶋さんも「動きやすさ抜群よ。これならどれだけ歩いても平気だわ」と微笑み、永澤さんも「バックパックの重さに負けないように、気合入れて靴も新しくしたんです」と元気よく頷いた。
僕たちは改札を抜け、ホームへと滑り込んできたJR湖西線の近江塩津行き普通列車に乗り込んだ。
車内は連休中の行楽客や、同じように大きな荷物を抱えたハイカーたちの姿がちらほらと見られる。
僕たちはボックス席に分かれて腰を下ろした。
進行方向に向かって左側の窓からは、遠くにきらきらと輝く巨大な琵琶湖の水面がチラリと顔を覗かせ、電車のスピードに合わせて心地よく流れていく。
「ねえねえ、水守君! いよいよ本当にキャンプに出発しちゃったね。なんか、夢みたい!」
宇都宮さんが窓の外の景色に釘付けになりながら、興奮を抑えきれない様子で僕の隣の席に身を乗り出す。
「本当にね。あの夜、林の中で泣きじゃくっていた三人が、今こうして自分たちの荷物を背負ってキャンプに向かっているなんて、なんだか不思議な縁だよね」
「あのときは本当にどうなることかと思ったけど……人生って何があるか分からないものね。あの夜の絶望が、こんな最高のワクワクに変わるなんて」
向かい側の席に座る桐嶋さんが、車窓を流れる青空を見上げながら、しみじみとした口調で呟く。
「そういえばさ」と、宇都宮さんが急に思い出したように身体を向き直らせ、悪戯っぽく両目を細めてみせた。「今回のキャンプで、夕食と翌日の朝食を担当するって私が立候補したの、覚えてる?」
「もちろん。宇都宮さんが腕を振るってくれるんでしょ」
「そう! 私、すごく楽しみにしていてね。メニューの準備も完璧なんだから」
「メニューは一体どんなものにするの? やっぱりあの日のカマンベールアヒージョを超えるような、すごい料理が出てくるのかな」
僕が興味津々で尋ねると、宇都宮さんはふふんと鼻を鳴らして、人差し指を自分の唇に当ててみせた。
「それは秘密! 現地に着いてからのお・た・の・し・み、ってことで!」
「秘密主義かぁ。でも、宇都宮さんがそこまで自信満々なのは頼もしいね」
僕が笑いながら言うと、向かいの席で聞いて
いた永澤さんがクスッと笑ってこう暴露した。
「ふふ、水守さん、安心してください。姫子さん、意外なことにめちゃくちゃ料理上手なんですよ。私たち三人で今のマンションでルームシェアを始めてから、毎日の夕食はほとんど姫子さんが担当してくれてるんです。だから味のほうは間違いなく本物ですよ」
「えっ、そうなんだ? それは意外だな」
「ちょっと夢ちゃん、それはその時まで内緒にしておくサプライズ枠だったでしょ!」
宇都宮さんが真っ赤になって永澤さんの肩をペシペシと軽く叩き、車内に和やかな笑い声が広がる。
日頃から共同生活で培われた彼女たちのチームワークと信頼関係が、こんなところにも垣間見えて、なんだか微笑ましかった。
電車は琵琶湖の西岸を北上し、緑豊かな山々と湖の絶景を右に左に眺めながら、やがて目的地の駅へと近づいていく。
電車の揺れに身を任せながら、キャンプの計画や、現地でどんなレイアウトにしようかという話題で、四人の会話は途切れることがなかった。
やがて、列車はアナウンスとともに、JR湖西線の『新旭駅』に滑り込んだ。
電車のドアが開き、ホームに降り立つと、京都市内とはまた違った、どこか穏やかで湿り気を含んだ心地よい風が僕たちの頬を撫でる。
改札を出た僕たちは、駅の近くにある地元密着型の大型スーパー『JA新旭町Aコープパネス』へと向かった。
自動ドアをくぐり、一歩店内に足を踏み入れると、ひんやりとした冷気とともに、地元の新鮮な野菜や果物、そして美味しそうな精肉の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
一般的な都市部のスーパーとは違い、どこか温かみのある陳列棚には、滋賀県産の誇り高き食材の数々が所狭しと並んでいた。
「わあ、すごい! お野菜の色がすごく鮮やかで新鮮だし、地元のお惣菜とかもいっぱいあります!」
永澤さんが目を輝かせながら、陳列されたトマトやレタスの棚を覗き込む。
「ここでは、今夜の夕食と、明日の朝食のための食材をしっかり調達するよ。まずは入り口近くにある大きなカートを引いていこう」
僕が案内すると、宇都宮さんが「よし、お姉ちゃんに任せなさい!」と意気揚々と大きなショッピングカートのグリップを握りしめた。
店内の一角にある精肉コーナーに差し掛かったとき、宇都宮さんの足がピタリと止まった。彼女はショーケースのガラスに貼り付くようにして中を凝視し、次の瞬間、パッと顔を輝かせて振り返った。
「ねえ、みんな聞いて! 今日の夕食のメイン、これにする!」
彼女が指さしたパックには、見事なサシが入った極上の牛肉が並んでいた。ブランド名を見ると、しっかりと『近江牛』の文字が刻まれている。
「おお……! 近江牛じゃないか。Aコープですごいお肉を見つけたね」
僕が声を上げると、桐嶋さんも眼鏡を近づけて感心したように頷く。
「さすが滋賀県ね。地元のスーパーだからこそ、こうした極上のブランド肉が手に入るわけだわ。姫、これにするの?」
「うん! せっかくみんなで初めて作る本格的なキャンプディナーだもん、ちょっと奮発して最高のものにしたいじゃない! これを使って、私が最高の料理を振る舞うんだから!」
宇都宮さんは迷うことなく、その近江牛の分厚いパックをひょいと持ち上げ、カートの中に大切そうに放り込んだ。
その後も、宇都宮さんの先導のもと、カートの中には次々と新鮮な地元産の野菜──みずみずしい白菜やネギ、肉厚の椎茸やエリンギなどのキノコ類、さらに豆腐や新鮮な卵、そして朝食用にと買い込んだ地元のパンや鶏肉などが山のように積み上げられていった。
カートの中に放り込まれていくその食材のラインナップを横目で見ながら、僕は心の中で思わずクスリと笑っていた。
(……白菜にネギ、キノコ類に豆腐、そして極上の近江牛と生卵。ここまで揃っていれば、今夜彼女が作ろうとしている料理が何であるかなんて、火を見るより明らかじゃないか……)
その料理のための材料を買い揃え、ドヤ顔で得意げな表情を浮かべている宇都宮さんの横顔を見ていると、その純粋で隠し事のできない性格がなんとも愛おしく思えてくる。
彼女自身は「メニューは秘密のお楽しみだよ!」と意気込んでいる手前、今ここで「それってあれでしょ?」と言い当ててしまうのは、あまりにも野暮というものだ。
僕は彼女のサプライズを台無しにしないよう、心の中でぐっと言葉を飲み込み、あえて何も気づいていないかのような無邪気な顔を作って見せた。
「お、なんだかめちゃくちゃ豪華な食材が集まってきたね。これは今夜の食事が本当に楽しみになってきたぞ」
「ふふん、でしょ? 水守君、驚く準備は今のうちにしておきなさいよ!」
僕が乗っかると、宇都宮さんはますます鼻を高くして得意げに胸を張った。
すべての買い出しを終えた僕たちは、レジで会計を済ませ、エコバッグや大きなクーラーボックスに戦利品を綺麗に詰め込んでいく。 ずっしりと重くなった荷物をそれぞれのバックパックにしっかりとパッキングし直し、お店の外へと出た。
Aコープの出口を抜けると、目の前には青空の下に広がる新旭町の穏やかな街並みが広がっている。ここからは、いよいよ路線バスに乗って、本日の目的地である湖畔のキャンプ場へと向かうことになっていた。
「よし、重さのバランスは大丈夫そうかい?」
僕が三人に声をかけると、桐嶋さんはリュックのベルトをギュッと引き締め直して「ええ、完璧よ。美味しいご飯のためなら、このくらいの荷物の重さなんて軽いものだわ」と頼もしく微笑む。
永澤さんも「バス停まで歩いて、そこからいよいよキャンプ場ですね!」と、胸を高鳴らせて瞳を輝かせた。
僕たちはバス停へと向けて歩き出し、新緑の街路樹の木漏れ日の下を、弾むような足取りで進んでいった。
§
バスの車窓から流れる緑豊かな田園風景や、時折チラリと覗く青々とした湖面を眺めているうちに、バスは静かな湖畔のエリアへと差し掛かった。
運転手さんのアナウンスとともに最寄りのバス停で下車した僕たちは、そこからさらに、湖からの心地よい湿った風を感じながら砂利道を進んで行く。
木々のトンネルのような小道を抜けた、その瞬間だった。
「わぁ……!」
三人の口から、思わずといった感嘆の声が同時に漏れた。
目の前にパッと視界が開け、そこには言葉を失うほど圧倒的な開放感が広がっていた。
どこまでも続く澄み切った青空の下、まるで巨大な鏡のように太陽の光を反射してきらめく琵琶湖の水面が、すぐ目の前まで迫っている。
そして、その広大な湖のほとりに寄り添うようにして、目的地である『六ッ矢崎浜オートキャンプ場』の緑豊かな芝生のフリーサイトが広がっていた。
遮るものが何もない遮光の美しい草原には、すでに先客のテントがいくつかポツリポツリと設営されており、遠くではカラフルなタープが晩春の風に優しく揺れている。
「すごい! こんなに綺麗で、こんなに広い場所なんだね!」
宇都宮さんは両手で自分の頬を包み込み、まるで夢を見ているかのような瞳で、目の前に広がる大パノラマを見つめていた。
桐嶋さんも眼鏡の奥の目を輝かせながら、「ええ、本当に……。風の匂いまで、なんだかすごく爽やかだわ」と深く息を吸い込む。
永澤さんは、あまりの美しさに言葉を忘れたように、ただただぽかんと口を開けたまま湖面を眺めていた。
背負っていたバックパックの重みなど一瞬で吹き飛んでしまうほど、胸が高鳴る光景がそこにある。
僕たちがこれから自分たちの手でテントを張り、最高の思い出を紡ぎ出すステージが、今、まさに目の前に広がっていた。




