第47話 朝凪の海風と極上の朝ごはん、山陰ジオパークの新しい一日の始まり
日本海に面した気比の浜キャンプ場の空が、ゆっくりと茜色から澄み切ったペールブルーへとその表情を変えていく。
夜の間に心地よく吹いていた潮風はすっかり穏やかになり、水平線の彼方まで波のない穏やかな朝凪の海が広がっていた。波のサラサラと寄せては返す心地よいリズムと、松林の向こうから聞こえる小鳥たちの元気なさえずりが、新しい一日の訪れを優しく告げている。
「ん……むにゃ……。ふぁあ、よく寝たぁ……!」
仲良く並んだテントの一つから、七柰が小さく伸びをしながら顔を出す。テントのジッパーを開けて外の空気を吸い込んだ瞬間、彼女の目はパッと大きく見開かれた。
「うわぁ……! 見て見て、涼花さん! 空気がめちゃくちゃ澄んでて、海がどこまでも青くてキラキラしてて……すっごく綺麗ですよ!」
七柰に声をかけられて、隣のテントからモゾモゾと這い出してきたのは涼花さんだ。まだ少し寝ぼけ眼をこすりながらも、目の前に広がる雄大な山陰ジオパークの海岸美を目にした瞬間、その表情がパッと華やいだ。
「本当ですね……! 朝の海の匂いと、このキリッとした新鮮な空気が混じってて……胸いっぱいに吸い込むと、なんだか体中の細胞が生き返るみたいですぅ……!」
涼花さんが両手を胸の前でギュッと組み、うっとりとした表情で水平線を眺める。
キャンプサイトの広場では、すでにほかのメンバーたちも次々と起きてきていた。
「おはよう、二人とも。よく眠れた?」
テントの片付けをしながら声をかけてきたのは美波さんだ。
その横では、美怜さんが小さなノートを片手に、今日のスケジュールを確認しながら優しく微笑んでいる。
「おはようございます! 波の音が子守唄みたいで、朝まで一度も起きずにぐっすり眠れちゃいました!」
七柰が元気いっぱいに両手を振ると、少し離れた炊事棟やタープの周辺から、何やら香ばしい食欲をそそる匂いが漂ってきた。
「おや、みんなおはよう。いい朝を迎えたようだね」
声をかけてきたのは、すでに早起きして準備を整えていた正樹叔父さんだ。
その隣には叶姉さんの姿もあり、微笑みながら二人の手際の良い動きを見守っている。
「おはようございます、正樹叔父さん、叶姉さん! わあ、なんかすっごくいい匂いがします……!」
七柰がくんくんと鼻を鳴らしながら近づくと、タープの下に設置されたテーブルの上には、昨夜の宴のワクワク感とはまた一味違う、アウトドアの醍醐味に満ちた朝の準備が着々と進められていた。
「昨夜は海の幸の刺身や網焼きをたっぷり楽しんだから、今朝は趣向を変えて、キャンプならではの香ばしい炭火料理にしようと思ってね!」
姫子さんが大きなお玉を手に持ちながら、テキパキとみんなに指示を出していく。
今日の朝食のメインは、昨夜の買い出しで香住や浜坂から仕入れておいた新鮮な魚介を贅沢に使った『香住・浜坂産干物と焼きおにぎり、ダシ香る朝スープの朝食』らしい。
「うわあ、朝から炭火をおこしてるんか!? めっちゃ本格的やん!」
菱川さんが関西弁のアクセントを効かせながら目を輝かせて駆け寄ってくる。
その後ろから、茅野さんもスポーティなパーカーのフードをパタパタさせながらやってきた。
「おはようございますっす! いやぁ、この炭火のパチパチって音がまた朝のテンションを上げてくれるっすよね。なんか、いかにもキャンプって感じで最高っす!」
「ふふ、二人ともおはよう。朝の冷えた空気に、この炭火の温かさがちょうどいいでしょ」
美怜さんが炭火の熱で少し赤らんだ頬をなでながら微笑む。
網の上では、昨夜食べきれずに大切に残しておいた香住・浜坂産の新鮮なカレイやアジの一夜干しが、じっくりと炭火の遠赤外線を受けてジューシーな脂をじわじわと滲ませていた。皮目はパリッと香ばしく、身からは極上の旨味を含んだ湯気がふんわりと立ち上っている。
「すごい……! このお魚の焼ける匂いだけで、ご飯が何杯でもいけそうな気がしちゃうっす……!」
茅野さんがあまりの美味しそうな見た目にゴクリと喉を鳴らす。
さらに、その横の大きな鍋からは、なんともいえない食欲をそそる良い香りが漂っていた。
「こっちはね、昨夜の白イカのゲソや美味しいダシをふんだんに使った『特製海鮮あら汁』だよ。身体の芯から温まるから、朝の冷えた空気にはぴったりなの」
姫子さんがおたまですくい上げた汁は、魚介の旨味が凝縮されて黄金色に輝いている。
「良いお出汁が出ているね。香住の海の恵みが、この一杯にぎゅっと詰まっているよ」
叶姉さんが微笑みながら、お椀に一つずつ丁寧にスープをよそっていく。
そして、朝食のもう一つの主役が、飯ごうでふっくらと炊き上げた白ご飯をベースにした
『香ばし焼きおにぎり』だ。
「ねえねえ、私、このおにぎりに特製の醤油だれをハケで塗る係やる! お焦げをたくさん作るんだぁ!」
七柰が張り切って小さなハケを手に取り、一つ一つ丁寧に醤油だれを刷毛塗りしていく。それを網の上にのせると、ジュワッという香ばしい音とともに、醤油が焦げる最高の匂いが辺り一面に広がった。
「わぁ、七柰ちゃん、すごく手際がいいね! 美味しそうな焼き目がついてるよ」
美波さんが感心したように見守る中、涼花さんが少し緊張した面持ちで自分の担当であるおにぎりをひっくり返した。
「あ、あの……! 私も、崩さないように慎重にひっくり返したら、お焦げまで完璧に焼けました……! 皆さん、食べてくださいっ……!」
涼花さんが両手で丁寧に持ち上げた焼きおにぎりを差し出すと、こんがりときつね色に焼けた香ばしい表面に、みんなから「わあ、すごい美味しそう!」「完璧な焼き加減だね!」と称賛の声が飛んだ。
涼花さんは「えへへ……よかったですぅ……」と嬉しそうにはにかむ。
さらに、地元の新鮮な生卵、シャキシャキとしたお漬物、冷たく冷やされた真っ赤なトマトなどのフレッシュな副菜がテーブルに彩りよく並べられ、豪華で贅沢なキャンプブレックファストの完成となった。
「さあ、皆! 最高の朝ごはんの準備が整ったよ。冷めないうちにいただこう!」
姫子さんの元気なかけ声に合わせて、全員が木製のテーブルを囲んで椅子に腰掛ける。
目の前には、炭火で焼かれたばかりの香ばしい干物、グツグツと温まる海鮮あら汁、ふっくらと香ばしい焼きおにぎり、そして美しい日本海の朝景色。
「それでは、今日の素晴らしい一日の始まりと、この最高の朝ごはんに──いただきまーす!」
一同の元気な声が、朝凪の静かなキャンプサイトに響き渡る。
早速、七柰が焼き立てのおにぎりをガブリと頬張った。
「んんーーっ! 外側がカリッカリで、中のご飯はふっくらしてて、醤油の香ばしさが口いっぱいに広がるよぅ……! めちゃくちゃ美味しいっ!」
七柰が両手を頬にあてて幸せそうに身悶えする。
それを見た菱川さんも、負けじと箸を伸ばした。
「ほんまに、朝からこのロケーションで食べるご飯は反則やんなぁ! このカレイの干物、身がフワッフワで脂がのっててめちゃくちゃ美味しいわ!」
菱川さんが絶賛しながら、白ご飯を大きめに掻き込む。
茅野さんもスープを一口飲んで、目をパチクリとさせた。
「うわっ、このあら汁、めちゃくちゃ染みるっす……! 昨夜の白イカの出汁も効いてるのか、魚の旨味がダイレクトに伝わってきて、体の芯からポカポカ温まるっす!」
「ふふ、昨夜の思い出が形を変えて、こうして朝の食卓を彩ってくれるなんて素敵なことよね」
美怜さんが優しく微笑みながら、上品に焼き魚の身をほぐして口に運ぶ。
美波さんも大きくうなずきながら、隣の涼花さんに声をかけた。
「本当にそうだね。昨日の海の幸もすごかったけれど、こうして自分たちで炭火を囲んで食べる朝ごはん格別だよ。涼花ちゃんが焼いてくれたおにぎりも、お焦げが香ばしくて最高」
「は、はいっ……! 美味しく食べてもらえて、本当によかったですぅ……!」
涼花さんが嬉しそうに自分の分のおにぎりを頬張り、その隣で正樹叔父さんと叶姉さんが温かいコーヒーを飲みながら、若者たちの楽しそうな様子を微笑ましく見守っていた。
「若い子たちがこんなに美味しそうにモリモリと朝ご飯を頬張っている姿を見るのが、旅の一番の醍醐味だねえ」
「うん、本当に。お腹も心も満たされる素晴らしい朝だね。こうした何気ない時間が、何よりも贅沢な思い出になるよ」
朝の澄み切った光の中で、みんなの笑い声と美味しい朝食の香りが溶け合い、最高の一日のスタートを祝福しているかのようだった。
§
美味しい朝食ですっかりお腹も心も満たされたあとは、いよいよキャンプ場の撤収作業の時間だ。
「さあ、美味しい朝ごはんのあとは、しっかりとテントを片付けて出発の準備をしようね!」
姫子さんの号令に、皆も「はーい!」とキビキビと動き始める。
昨夜あんなに楽しく組み立てたテントやタープを、今度は協力しながら手際よく折りたたんでいく。
「七柰ちゃん、そっちのペグを抜くのを手伝ってくれる? 足元危ないから気をつけてね」
「はい、美波さん! 任せてください、全部綺麗に回収しますよー!」
七柰が地面に刺さっていたペグをカチャカチャと音を立てながら次々と抜き取っていく。
涼花さんも、使った食器や調理器具を丁寧に洗って水気を拭き取る作業をテキパキとこなしていた。
「お皿、全部ピカピカになりましたよ。食器の洗い物って、みんなでやるとなんだかキャンプの合宿みたいで楽しいですね」
涼花さんが綺麗に拭き上げたお皿を専用のケースにしまいながら、ニコニコと微笑む。
美怜さんと菱川さんは、大きなタープのポールを二人羽織のように息を合わせて引き抜き、コンパクトに収納していく。
「さすが美怜さん、動きに無駄がなくてめちゃくちゃカッコいいわ!」
「ありがとう、菱川さん。二人で息を合わせれば、こういう大物もあっという間に片付くものね」
茅野さんも荷物の積込みを手伝うために走り回っていた。
「すっごい綺麗に片付いたっすね! ゴミ一つ残さないように、しっかり最終確認もバッチリっす!」
すべての荷物が手際よくそれぞれの車に積み込まれ、キャンプサイトは利用前よりも綺麗になったのではないかと思えるほどすっきりと片付いた。
少し離れた場所で荷物の積み込み具合を確認していた正樹叔父さんが、満足そうにうなずく。
「いやあ、みんなのチームワークが抜群すぎて、驚くほどスムーズに撤収が終わったね。これなら予定通りのスケジュールで次の目的地へ向かえそうだ」
叶姉さんも、上品にハンドバッグを整えながら優しく微笑んだ。
「うん、本当に素晴らしいチームワークだね。若さって本当にまぶしいよ」
そうして、車に乗り込んだ一行は、エンジンを始動させると、バックミラー越しに広がる気比の浜の美しい海岸線に名残惜しそうに手を振った。




