第3話 はじめての道具選び
地下鉄烏丸線の車内は、まだ昼下がりということもあり、比較的落ち着いた空気が流れていた。
シルバーの車体がトンネルを軽快な音を立てて進む中、僕たち四人はロングシートの端にまとまって腰掛けている。
「ねえ、水守くん、キャンプって、具体的にどんな道具が必要なの? まだ全然頭の中でイメージが湧いていなくって」
宇都宮さんが前のめりになり、期待に満ちた目を向けてくる。
その隣で、桐嶋さんと永澤さんも、聞き逃すまいとスマートフォンを取り出してメモの準備を始めていた。
「そうだね。いきなり全部を完璧に揃えようとするとキリがないけれど、最低限必要なものに絞るなら、快適に『眠る』『食べる』『明かりを確保する』ための基本アイテムが中心になるかな」
僕は指を折りながら、初心者にとっての必須ギアを挙げていく。
「具体的には、テント、寝袋、マット、ランタン、テーブル&チェア、バーナー&調理器具、それからペグ&ハンマーってところかな。このあたりが基本の七つ道具って感じだね」
「ふむふむ……。名前を聞いただけでも、なんだか本格的でワクワクしちゃうわね」
桐嶋さんが眼鏡を指先で押し上げながら、感心したように頷く。
「ちなみに、WILD-1みたいな本格的なアウトドア専門店で、初心者向けキャンプ道具一式を、できるだけリーズナブルなエントリーモデルで固めて揃えた場合、総額の目安はおおよそ五万から七万円前後が相場かな」
僕が伝えた金額に、宇都宮さんは「ご、五万……!」と思わず息を呑んだ。
「さらにそれに加えて、もし今後キャンプ場まで荷物を自分たちで背負って移動したり、電車やバスを乗り継ぐことも考えるなら、荷物を持ち運ぶための40Lから60Lクラスの本格的な登山用大型バックパックも欲しいところだね。こっちの価格の目安は、だいたい15,000円から30,000円前後ってところかな」
「えっ、ザックだけで1万5千円以上!? バッグにそんなにかかるの……!?」
宇都宮さんが目を丸くして仰け反る。永澤さんも「うそ、ラノベ何冊分ですか……」と小さく青ざめている。
「もちろん、Amazonなんかのネット通販で最安値の品──例えば聞いたこともない中華製のノーブランド品とかを選べば、道具一式を3〜4万円台でもそれっぽく揃えることはできるよ。だけど、雨風をしのぐテントや、命を守る寝袋で安物買いの銭失いになると、最悪の場合は寒さで眠れなかったり、一度の雨で浸水したりするから、あまりオススメはできないね」
「ぐぬぬ……。でも、せっかく始めるなら、どうせなら少しでもいいもので長く使いたいよね。私たちのサークル、これから本格的に活動していくつもりだし、中途半端なものを買ってすぐに買い替えるより、ここでしっかりしたやつを揃えておく方が結果的に賢い気もするし」
宇都宮さんが腕組みをしてうーんと唸る。
その意見に、桐嶋さんも深く共感したように大きく頷いた。
「そうね、姫の言う通りだわ。ここは奮発しておくのが賢明な判断ね。妥協して後悔するより、ちゃんとしたブランドの信頼できる道具を手に入れた方が、モチベーションも絶対に上がるもの」
「それに、有名ブランドのキャンプ道具って、カラーリングもパステル調だったりデザインが洗練されていて、可愛いものも多そうですしね!」
永澤さんが目をキラキラさせながらそう付け加える。機能性だけでなく、見た目の可愛さも女子大生にとっては非常に重要なポイントらしい。
「とはいえ、一度に全部を現金で揃えるのはさすがに学生の財布にとって厳しいんじゃない?」
僕が心配して尋ねると、宇都宮さんは「ふふん」と頼もしく胸を張ってみせた。
「そこは安心して! 私たち三人とも、大学近くのファミレスでウェイトレスのバイトをガッツリ頑張ってるから、それくらいの初期費用ならギリギリ一括払いでいけるよ!」
「なるほど、バイトの蓄えがここで火を吹くわけだね」
「そういうこと! 青春への投資だと思えば、このくらいの出費なんて安いもんだよ!」
地下鉄の車内に笑い声が響く。
やがてアナウンスが流れ、僕たちは目的地の国際会館駅に到着した。
駅構内にあるコンビニのATMに立ち寄り、それぞれの口座からしっかりと現金を下ろして準備万端の状態で改札を抜ける。
駅から少し歩いた大通り沿いに、緑豊かな木々に囲まれるようにして、目指す『WILD-1』の店舗が見えてきた。
「うわぁ、すごい! 想像してたよりもめちゃくちゃ大きなお店!」
宇都宮さんが店舗の立派な外観を見上げて感嘆の声を漏らす。ガラス張りの大きなエントランスからは、温かみのある店内の照明と、所狭しと並べられた無数のアウトドアギアのシルエットが覗いている。
一歩足を踏み入れた瞬間、そこはまるで別世界だった。ウッディな香りと、機能美に満ちたキャンプ道具特有のワクワクするような匂いが鼻腔をくすぐる。天井が高く開放的なフロアには、テントの展示場、ずらりと並んだ色鮮やかな寝袋、ランタンの眩い光、そしてキャンプ用チェアの数々が広がっていた。
「すごすぎです! ここ、一日中いられる自信があります……!」
永澤さんはまるでテーマパークにでも来たかのように、キョロキョロと首を巡らせている。 桐嶋さんも「圧倒されるわね……本物の秘密基地みたい」と目を輝かせている。
「まずは、荷物を入れるための大きなカートを押していこうか」
僕が店の入り口付近に用意されていた大型のワイヤーカートを引いてくると、三人は「私が押す!」「いや私が!」と押し合いへし合いしながら、楽しそうにカートの持ち手を握りしめた。
そして、僕たちが最初に向かったのは、キャンプ道具の主役とも言える『テントのコーナー』だった。
「テントは、雨風や夜露を防ぐための一番の基本ギアだからね。設営が簡単なドーム型や、一本のポールで立てるワンポールテントが初心者には定番だよ」
僕がそう説明すると、桐嶋さんが真剣な表情でうなずいた。
「私たち、三人で一緒に一つのテントを使いたいと思っているの。『3人用の大きめテント』を1張買う場合、選ぶときのポイントやメリット・デメリットを教えてもらえるかしら?」
「そうだね。まず、みんなで修学旅行の夜みたいにワイワイ一つのテントで過ごしたいなら、3人用テントはぴったりな選択肢だよ。メリットは、何といってもテントの設営・撤収が1回で済むから、初心者三人でも作業が圧倒的にラクだってこと。荷物の量や総重量も抑えられるし、テント1張分の費用を三人で割り勘できるから初期費用も安く済む。何より、夜にみんなでおしゃべりしたり、同じ空間で過ごす時間が最高の思い出になるよね」
僕の言葉に、三人は「うんうん」と強く共感するように頷く。
「でも、デメリットもしっかり知っておかないと後で困るんだ。それは、一般的な『3人用テント』は、大人が三人寝袋を並べてぴったり収まるサイズ感で作られていることが多いってこと。つまり、バックパックや着替え、荷物をテントの中に持ち込むと、寝るスペースがかなり窮屈になっちゃうんだよね」
「えっ、じゃあ寝るときに荷物が足元とかに挟まっちゃう感じ?」
「そうそう。だから、三人で快適に過ごしたいなら、実際に寝る人数より1サイズ大きい『4人用』を選ぶのが、テント選びの最大のコツなんだよ」
「なるほど。人数ギリギリじゃなくて、一つ大きめを選ぶのがポイントなのね」
桐嶋さんがスマホのメモ帳にポチポチと文字を打ち込む。
「そう。みんなでワイワイ、コストを抑えて手軽に始めたいなら、4人用のドームテントを1張購入するのがおすすめ。設営が簡単な初心者向けモデルなら、ColemanやLOGOSなんかのブランドが人気で信頼性も高いよ。そういうブランドを選べば、女の子三人だけの力でもスムーズに建てられるはずさ」
僕が店内の一角を指し示すと、そこには綺麗に設営されたピカピカのドームテントが展示されていた。
「さらに言うとね、テントのタイプには、ポールを組み立てて自立する『自立式』と、ペグでしっかり地面に固定しないと形を保てない『非自立式』があるんだ。そして構造としても、インナーテントとフライシートが分かれている『ダブルウォール』と、一枚布の『シングルウォール』がある。初心者のうちは、設営が簡単で結露もしにくい『自立式のダブルウォールテント』を選んでおくのが間違いのない選択だよ」
僕の専門的なアドバイスに、三人は「なるほど〜!」とまるで授業を受ける学生のように感心している。
テントの選び方に納得したところで、次に向かったのは『寝袋のコーナー』だ。
「ここは、夜間の冷え込みから身を守るために必須の寝袋のコーナー。春や秋のキャンプでは、日中は暖かくても夜になると急激に気温が下がるから、朝晩の冷え込みに対応できる保温性のあるものや、対応温度(快適使用温度)に余裕を持ったものを選ぶのがポイントだよ」
並べられたサンプル品に実際に手を触れてみる三人。
「寝袋の形状にも大きく分けて二種類あってね、お布団みたいにゆったり寝られる長方形の『封筒型』と、体のラインに沿っていて隙間風が入りにくく保温性が抜群な『マミー型』があるんだ。季節や好みに合わせて選ぶといいよ」
「へえ、このミイラみたいな形のやつ、なんだかシュッとしててかっこいいけど、窮屈じゃないか少し心配かも……」
永澤さんが首をかしげると、店員さんが笑顔で「封筒型はゆったりしていて初心者でも使いやすいですよ」と声をかけてくれ、三人はそれぞれ自分に合ったモデルを品定めし始めた。
続いて足を運んだのは、『マットのコーナー』だった。
「ここはベッドの役割を果たすマットのコーナー。テントの中に直に寝袋を敷くと、地面の硬さや冷気がダイレクトに体に伝わってきて、全然眠れなくなっちゃうんだ。だから、薄手でもクッション性のあるインフレーターマットや銀マットを一枚、寝袋の下に挟むだけで、睡眠の快適さが天と地ほど変わるんだよ」
「地面の冷気って、そんなに体に響くものなの?」
「甘く見ていると、夜中に寒さで凍えて一睡もできなくなることもあるからね。キャンプの睡眠の質は、マットで決まると言っても過言じゃないくらい大事なんだ」
三人は「メモメモ……」と、それぞれしっかりと脳裏に刻み込んでいる。
店内の奥へ進むにつれて、道具選びの熱はさらに高まっていった。
柔らかな明かりが並ぶ『ランタンのコーナー』では、「山や林の夜は想像以上に真っ暗になるから、安全に移動したり手元を照らしたりするために、扱いやすいLEDランタンが最低一つは必要不可欠だよ」と説明し、充電式や乾電池式の明るいランタンをカートに放り込む。
お洒落な木目調の天板が並ぶ『テーブルやチェアのコーナー』では、「外で食事をしたり、まったりお喋りしたりするためのロースタイルの椅子と机。リラックスした時間を過ごすために、座り心地は妥協しないほうがいいよ」とアドバイスし、実際に椅子に腰掛けて座り心地を試す三人からは「うわ、これ包み込まれるみたいで最高……!」と歓声が上がった。
さらに、コンパクトなガス缶と一体型になった『バーナーや調理器具のコーナー』では、あの日のアヒージョの思い出が蘇ったのか、宇都宮さんがスキレットを手に取って「これ、絶対またやりたい!」と目を輝かせる。
最後の仕上げである『ペグやハンマーのコーナー』では、「テントやタープを地面にしっかり固定するための頑丈なペグと、専用の金属ハンマー。安全性を左右する重要アイテムだから、付属のペグじゃなくて少し頑丈な鍛造ペグを揃えておくと安心だよ」という僕の解説に、全員が真剣な表情でうなずいた。
こうして、約二時間にわたる大冒険のような道具選びが終わり、気がつけばカートの中はキャンプ道具一式で山のようにいっぱいになっていた。
レジで総額を支払ったあと、手渡された大きなレシートを見つめながらも、三人の顔には満足げで誇らしげな笑顔が浮かんでいる。
「ふぅ……!」
店外のテラスに出た宇都宮さんは、大きく背伸びをしながら両手を広げた。
「これで私も、今日から正真正銘のキャンパーの仲間入り! 出費は正直、財布が泣きそうになるくらいちょっと痛かったけど、これからの楽しいアウトドアライフのためだもん! 後悔はまったくないよ!」
「うん、本当に充実した買い物だったわね。水守くんが一緒についていてくれて本当によかったわ。自分たちだけだったら、何が何だか分からずに途方に暮れていたところだもの」
桐嶋さんが満足そうに微笑み、購入したばかりのコンパクトなチェアやマットの入った紙袋を愛おしそうに眺める。
「楽しみですね、キャンプ! 今度は遭難しないで、ちゃんとしたテントで美味しいご飯を食べて、思いっきり満喫するんだから!」
永澤さんが両こぶしをキュッと握りしめて意気込む。
「また素敵な景色が見れるといいわね。あの日の星空を超えるような最高の思い出を、今度は自分たちの力で作るのよ」
夕暮れの空がゆっくりと茜色から深い藍色へと染まっていく中、四人の間に流れる空気は、温かく心地よい連帯感に満ちていた。




