第24話 朝霧の温もりと、星降るキャンプの結び
大森リゾートキャンプ場の空に、白みかけた柔らかな光が差し込み始めた。
山の稜線からゆっくりと顔を出す朝日は、昨夜までの満天の星空とはまた違う、凛とした清らかな青とオレンジのグラデーションを周囲の木々に描き出している。
標高の高いキャンプ場の朝は、高原特有のひんやりとした冷気に包まれていた。
昨夜、修学旅行のように布団を並べて下の名前で呼び合いながら眠りについた僕たちは、それぞれ心地よい目覚めを迎えていた。
「ふぁぁ……んー、よく寝たぁ……」
布団の中で七柰が小さく伸びをしながら、ふにゃふにゃとした声で呟く。
隣の布団では、美怜さんが、まだ半分眠そうに目をこすりながら、ごそごそと起き上がってきた。
「おはよう、奏多君…… まだ少し照れくさいわね……」
「おはよう、美怜さん」
「ふふっ、みんなおはよう。昨夜はホラー映画でさんざん叫び疲れたから、ぐっすり眠れたみたいね」
ソファの端で綺麗に髪を整えていた咲さんが、眼鏡をかけ直しながら上品に微笑む。その手には、湯気を立たせるマグカップが握られていた。
「あ、皆もう起きたの?」
そう声をかけながらキッチンに立っていたのは、美波さんだった。彼女の隣には、すでにエプロンをキュッと結んだ姫子さんが頼もしい笑顔で並んでいる。
「おはよう、美波さん、姫子さん。もう朝ご飯の準備をしてくれてるんですね」
「うん! せっかくのキャンプの朝だからね。昨日の残りのニジマスや食材を使って、身体の芯から温まる最高の朝食を作ろうって、美波さんと二人で早起きして仕込みを始めたんだよ!」
姫子さんが自信満々に胸を張り、カセットコンロの火をつける。
キッチンの広々とした調理スペースには、昨日僕たちが大漁に釣り上げたニジマスの残りや、新鮮な三つ葉、お味噌、そして炊き立ての白米の香ばしい湯気がふわりと立ち込めていた。
「実はね、昨日の夜のバーベキューで少し多めに残しておいたニジマスを使って、二品ほど絶品の朝ごはんを考えてみたの。みんな、きっと気に入ってくれると思うよ」
美波さんが優しく微笑みながら、手際よく包丁を動かす。彼女の洗練された手つきは、見ているだけで料理上手なことがありありと伝わってくる。姫子さんとのコンビネーションも抜群で、まるで長年連れ添った料理仲間のような息の合い方だった。
やがて、コテージのなかに食欲をそそるたまらない香りが一気に満ちていく。
テーブルの上に並べられた朝食を見た瞬間、リビングにいた全員から「うわぁ……っ!」と歓声が上がった。
それは、ひんやりとした朝の空気に冷えた身体を優しく包み込んでくれる、最高の和朝食だった。
一品目は、『ニジマスのほぐし身と三つ葉のお茶漬け』。
そして二品目は、『ニジマスの和風みそ汁・あら汁仕立て』。
「お待たせしました! 姫子ちゃんと美波さん特製の、朝のポカポカ和御膳だよー! 皆、冷めないうちに召し上がれ!」
姫子さんの元気な合図とともに、僕たちはそれぞれ自分の席につき、温かいお茶漬けとお味噌汁の器を両手で包み込んだ。
「「「いただきます」」」
皆が一斉にスプーンや箸を手に取り、料理を口へと運ぶ。
「んんっ……!! 美味しすぎる……!」
七柰が目を丸くし、両手でお茶碗を抱え込むようにして震えてみせる。
「お出汁が……お出汁が体に染みわたるよぉ……! ニジマスの香ばしさと三つ葉の爽やかな香りがフワッと鼻に抜けて、朝からこんなに贅沢なお茶漬けが食べられるなんて夢みたい!」
「本当ね……。昨日の夜はあんなに豪華なイタリアンだったのに、今朝はこんなにほっとする優しい和食なんて、姫も美波さんも本当に料理上手だわ」
咲さんも上品にスプーンでお味噌汁をすくい、うっとりとした表情を浮かべる。
「このお味噌汁、すごく美味しいわ……! ニジマスのダシがこんなに深いコクを出してくれるなんて知らなかったし、隠し味の生姜のおかげで、さっきまで少し肌寒かった背中がすっかりポカポカしてくる」
美怜さんが感動したように言い、夢乃さんも「うんうん、お魚の身もフワフワだし、何杯でも食べられちゃいそうです」と、すでに二杯目のおかわりをよそいに行こうと立ち上がっている。
美波さんは、皆が美味しそうに食べている姿を見て、安心したようにふっと柔らかい笑みをこぼした。
「ふふ、喜んでもらえてよかった。姫子ちゃんが『朝は絶対にお出汁の効いたものがいいよね!』ってアイデアを出してくれたおかげだよ」
「そうそう! 美波さんの包丁さばきがプロ並みだったから、あっという間にこんなに美味しい朝御膳ができちゃったんだもん。みんなの美味しい顔が見られて、早起きした甲斐があったよ!」
姫子さんが嬉しそうに胸を張り、自分の分のあら汁を豪快にすする。
窓の外では、朝もやの向こうから青空が少しずつ広がり始め、木々の隙間から光の束が差し込んできた。
温かいお茶漬けとお味噌汁を囲みながら、昨日の思い出やこれからの予定について語り合う朝の時間は、何気ない日常でありながら、かけがえのない贅沢なひとときに感じられた。
§
朝食の片付けを皆で手際よく済ませたあと、僕たちはコテージのテラスの前に並べられたベンチや椅子に腰掛け、淹れたてのコーヒーや紅茶を片手にまったりとした時間を過ごしていた。
山あいの朝の澄んだ空気が心地よく、鳥たちのさえずりが遠くの渓流のせせらぎと重なり合って美しいハーモニーを奏でている。
ふと、美波さんが手元のマグカップから立ち上る湯気をぼんやりと見つめながら、小さく息をついた。その横顔には、どこかしみじみとした、そして深い満足感が漂っていた。
「……ねぇ、奏多君」
「ん? どうしたんですか、美波さん?」
僕が声をかけると、美波さんは少しだけ照れくさそうに頬を赤らめながら、まっすぐな瞳で僕を見つめた。
「私ね、来る前は正直、『キャンプってどうなんだろう……虫もいるし、コテージで不便な思いをするんじゃないかな』って、心のどこかで少しだけ不安に思っていたの。でも……こうして実際に来て、みんなと大自然の中で過ごしてみて、本当に心の底から来てよかったって思ってる」
美波さんの言葉に、近くに座っていた七柰や姫子さん、咲さん、夢乃さん、そして美怜さんもスッと視線を向けた。
「こんなに素晴らしい景色の中で、皆で力を合わせて魚を釣って、美味しいご飯を作って食べて……。普段の日常では絶対に味わえない感動がたくさんあったよ。誘ってくれて、本当にありがとうね、奏多君」
その言葉を聞いた瞬間、隣に座っていた七柰が「そうですよね!」と勢いよく身を乗り出した。
「そうですよね美波さん! 私も最初はキャンプなんてどうなることかと思ったけど、すぐにこのキャンプの魅力にすっかりハマっちゃいました! もう毎日でも来たいくらいです!」
七柰の無邪気な言葉にみんながクスッと笑うと、今度は姫子さんがシャキッと姿勢を正し、美波さんの肩に優しく手を置いた。
「それにね、美波さん! 美波さんはもうすっかり、私たち『星キャン』のメンバーなんだからね! これからもキャンプで、もっともっと色んな思い出を作っていこうよ!」
「ふふ、そうね。美波さんも、もうすっかりこのグループの欠かせない一員だもの」
姫子さんと咲さんの言葉に、美波さんは驚いたような、そしてじーんと胸が熱くなったような表情を浮かべた。
「……うん。私も、『星キャン』の一員として、これからもみんなと一緒に色んなところへキャンプに行きたい」
美波さんが満面の笑みでそう答えると、テラスの空気がさらに温かな絆で結ばれたのだった。
まったりとした時間が流れる中、話題は今回のキャンプの様々なハイライトへと移っていった。
「そういえばさ、今回はコテージ泊ですっごく快適だったね。キャンプと言えばテントと思ってたけど、こういう施設を利用するのも全然アリだって思えたよ」
と姫子さんが語りだす。
「ええ。雨風の心配もないし、プライベートな空間で皆でワイワイ料理ができたし……」
咲さんが紅茶のカップをソーサーに置きながら、しみじみと頷く。
「コテージ泊ならではの良さがたっぷり詰まっていたね。でも、何と言っても一番の思い出はやっぱり──」
美波さんがふと目を細め、昨日の渓流釣りのシーンを思い出すように呟いた。
「釣り、みんな本当に上手だったよね。あの渓流釣りで大漁にニジマスを釣り上げた時は、本当に感動しちゃった」
「うんうん! そうですよね! 皆で協力して釣り上げたニジマスを、その日のうちに炭火で塩焼きにして食べたあの味が、忘れられないなぁ……!」
七柰が両手を合わせてうっとりとした表情を浮かべる。
「本当にそうだよね。釣って、下処理してもらって、自分たちで炭火でじっくり焼いて……。あのニジマスの塩焼きの香ばしさと、スキレットで作ったアクアパッツァの美味しさは、絶対に忘れられない思い出だよ」
僕がそう言うと、全員が深く頷き、あの夕暮れのテラスの光景をそれぞれの心の中で反芻した。
大自然の恵みと、自分たちの手で作り上げたキャンプご飯の数々。
そして何より、それを分かち合った仲間たちの笑顔が、この旅を何倍にも輝かせてくれていた。
§
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、コテージの壁にかけられた時計の針は、午前十時半を指そうとしていた。
「あっという間に、チェックアウトの時間が近づいちゃったね……」
七柰が少し名残惜しそうに、リビングのソファを名残惜しげに見回す。
「本当にね。荷物の忘れ物がないか、みんなでもう一度しっかり確認しておこうか」
美波さんや咲さんがテキパキと自分たちの荷物をバックパックに詰め直し、部屋の中を綺麗に整えていく。
姫子さんも「お世話になったコテージに感謝を込めて、綺麗にしておかないとね!」と最後までテキパキと動き回っていた。
そして午前十一時。
僕たちは全ての荷物を持ち、大森リゾートキャンプ場の管理棟前へと戻ってきた。
爽やかな初夏の風が吹き抜ける中、僕たちが来た時と同じように、キャンプ場のスタッフが優しい笑顔で迎え入れてくれる。
「みなさん、ご宿泊ありがとうございました。楽しんでいただけましたか?」
「はい! 最高の思い出になりました!」
七柰が元気いっぱいに手を振りながら答えると、スタッフは嬉しそうに頷き、迎えの車へと案内してくれた。
来た時と同じように、キャンプ場の専用送迎車に乗り込み、緑豊かな山道を下りながら、大森リゾートキャンプ場の敷地をゆっくりと離れていく。
車窓から見える景色が少しずつ遠ざかり、渓流のせせらぎや木々のざわめきが小さくなっていくのを感じながら、僕たちはそれぞれの胸にたくさんの温かな思い出を詰め込んでいた。
やがて、山あいのバス停に到着した僕たちは、迎えのシャトルバスから路線バスへと乗り換えた。
心地よい揺れを感じながら、バスの窓の外に広がる田園風景や遠くの山々を眺める。
隣の席では、七柰がすっかり安心しきったように僕の肩にこてんと頭を預けてスヤスヤと眠り始めており、その反対側では美波さんや咲さん、姫子さん、夢乃さん、美怜さんたちが楽しげな声で今回のキャンプの思い出話に花を咲かせていた。
最高の仲間たちと、美味しい料理に舌鼓を打ち、満天の星空の下で絆を深めた『星キャン』の物語は、こうして温かな笑顔と心地よい疲労感に包まれながら、静かに一つの結びを迎えた。




