第22話 夕暮れのコテージ、スキレットが奏でる絶品ディナー
大森リゾートキャンプ場の渓流釣りで大漁のニジマスを釣り上げ、スタッフの手によって綺麗に内臓の下処理と塩まぶしを済ませてもらった僕たちは、夕暮れ時の涼やかな風に包まれながら自分たちの宿泊する第3コテージへと戻ってきた。
コテージの周りには、山の向こうへと沈みゆく太陽が作り出す茜色のグラデーションが広がり始め、木々の間に吊るされたランタンの灯りが温かなオレンジ色の光をぽつりぽつりとともし始めている。
昼間の賑やかな太陽の輝きから一転して、夕方のキャンプ場はどこか穏やかで、静寂と心地よい非日常の空気に包まれていた。
「ふぁぁ……よく遊んで、よく歩いたから、お腹もぺこぺこになっちゃったね!」
七柰はコテージのテラスの前に置かれたベンチにちょこんと腰掛け、小さく伸びをしながら満面の笑みを浮かべる。その頬は、一日中大自然の中で過ごした解放的な赤みを帯びている。
「本当にそうね。でも、夕方になって少し肌寒くなってきたから、上着を一枚羽織っておいて正解だったわ」
桐嶋さんがカーキのマウンテンパーカーのジッパーを少しだけ引き上げながら、上品に微笑んだ。
コテージの目の前には、雨や夜露をしっかりと防いでくれる広々とした屋根付きのBBQスペースが完備されていた。天井からは温かみのある電球が吊るされ、その下には頑丈な耐熱テーブルと、本格的なバーベキュー用の大型コンロがドーンと据え付けられている。
炭火でじっくりと肉や野菜を焼き上げる本格派の設備はもちろんのこと、今回のキャンプ場ではBBQ用のコンロや鉄板、網などの器材一式が現地で手軽にレンタルできるようになっており、準備や後片付けの負担が少ないのも最高にありがたいポイントだった。
「さあ、みんな! 夜の部はここからが本番だよ! 最高のディナーにするために、みんなで手分けして準備を始めようか!」
宇都宮さんが両手をパンと大きく叩いて気合を入れると、メンバー全員の目がパッと輝いた。
「それじゃあ、まずはみんなで協力して火おこしと器材の準備をしよう」
僕が声をかけ、管理棟のレンタルショップで借り受けてきたトングや着火剤、そして炭をBBQコンロの中へと手際よく配置していく。
永澤さんが手慣れた手つきでチャッカマンに火をつけ、着火剤の端にそっと近づけると、フワッと小さな炎が上がり、やがてじわじわと炭全体にオレンジ色の頼もしい熱が広がっていった。炭火特有のパチパチという香ばしい爆ぜる音が、静かな夜の森の始まりを告げるように響き渡る。
「うわぁ、すごい。一気に本格的なキャンプの雰囲気になってきたね」
美波さんが、オレンジ色の炭火の温もりを感じながら、感動したように目を輝かせる。
その隣では、妹の美怜さんがクーラーボックスから保冷された食材を次々と取り出していた。
「お姉ちゃん、こっちに下処理したニジマスがあるわよ。クーラーボックスでキンキンに冷えてるから、鮮度もバッチリね」
「ありがとう、美怜。じゃあ、さっそく網の上のいい感じに火が通っているところに並べていこうか」
美波さんはテキパキと手際よく、塩が綺麗にまぶされたニジマスを網の上に丁寧に並べていく。
ジューッという香ばしい食欲そそる音が響きわたり、瞬く間に香ばしい川魚の焼ける匂いが周囲の空気にふわりと溶け込んでいった。
「うわぁ! すごい良い匂い! もうすでに絶対美味しいって分かるもん!」
七柰は焼き網のすぐそばにピタリと張り付き、じっとニジマスを見つめながらゴクッと喉を鳴らす。
炭火の遠赤外線でじっくりと焼き上げられるニジマスは、皮目がパリッと黄金色に染まり、中の身はふっくらとジューシーに仕上がっていく。串に刺さった魚が少しずつ香ばしい色合いに変わっていく様子を、僕たちは今か今かと待ちわびながら見守っていた。
「よし、そろそろ両面とも完璧に焼き上がったみたいですね。火傷しないように気をつけてお皿に取り分けましょう」
永澤さんがトングを器用に使いこなし、焼き上がったばかりの熱々のニジマスを、みんなが手に持った紙皿や取り分け皿へと次々に乗せていく。
目の前に配られたばかりのニジマスの塩焼きは、湯気がほのかに立ち上り、炭火の香ばしさと塩の絶妙な塩梅が鼻腔をくすぐる。
「じゃあ、皆、自分たちで釣って、炭火で焼き上げた特製のニジマス塩焼きに……いただきまーす!」
宇都宮さんの元気な掛け声とともに、僕たちは一斉に箸を伸ばし、あるいは熱さを我慢しながら手づかみでニジマスにかぶりついた。
瞬間、口の中に広がる味わいに、全員が思わず動きを止めた。
「んんっ……!? な、なにこれ、めちゃくちゃ美味しいんですけど……!」
七柰は目を丸くし、両手を頬に当てて驚きの声を上げた。
「皮がパリッとしていて、中の身が信じられないくらいフワフワでジューシーだよ! 塩加減も完璧だし、何より自分たちで釣ったっていう達成感があるから、お店で食べる何倍も美味しい……!」
続いて、桐嶋さんが上品に一口分の身を箸でほぐし、口に運んでゆっくりと咀嚼する。
「本当ね……。渓流の冷たい水の中で育った魚だからか、臭みが一切なくて、川魚本来の上品な甘みと旨味がギュッと詰まっているわ。炭火でじっくり焼いた香ばしさも相まって、これは本当にお見事なご馳走ね」
桐嶋さんはうっとりとした表情で微笑み、もう一口を大切そうに味わっている。
美波さんも、目をパチクリとさせながら感嘆の息を漏らした。
「すごい……。私、川魚の塩焼きって骨が多いイメージがあって少し苦手だったんだけど、このニジマスは身離れも良くて本当に食べやすいんだね。噛むたびにジュワッと旨味が広がるし、最高に美味しい」
その隣で、更科さんも「うん、本当に美味しいわ。お姉ちゃんも、もっと食べてみて」と自分の皿の身をおすそ分けしている。
永澤さんは、フィッシングマスターとして自分が釣った魚の出来栄えに満足したのか、胸をなで下ろしながら嬉しそうに頷いた。
「いやぁ、本当に大成功ですね。私たちが釣り上げた魚がこんな最高の一品になるなんて、キャンプの醍醐味をすべて凝縮したような味です」
そして僕自身も、一口食べた瞬間に広がる香ばしさと魚の旨味の深さに、言葉を失うほどの感動を覚えていた。自分で釣り上げ、スタッフに下処理をしてもらい、みんなで炭火の前に集まって食べたこの経験そのものが、最高のスパイスになっているのは間違いない。
「みんな、大絶賛だね。 いやぁ、本当に最高の一品になって良かった」
僕がそう言うと、宇都宮さんは嬉しそうに胸を張りながら、さらに大きな笑顔を浮かべて宣言した。
「ふふふ、みんながそんなに喜んでくれて私もすっごく嬉しい! でもね、私たちの夕食はまだこれで終わりじゃないんだからね。ここからが、私の本当の腕の見せ所なんだから!」
「えっ、まだ何か特別な料理が出るんですか?」
七柰が目をパチクリさせながら尋ねると、宇都宮さんは「もちろんだよ!」と頼もしく頷き、持参していた大きなバッグから黒光りする重厚な鉄のフライパン──スキレットを二つ、そしてキャンプ用のカセットコンロを取り出した。
「実はね、今日の夜のメインディッシュとして、みんなをあっと言わせる最高におしゃれで美味しい料理を仕込んできたの。その名も……『スキレットで作る本格ニジマスのアクアパッツァ』だよ!」
「わぁ……っ! アクアパッツァ!?」
美波さんが思わず声を上げる。イタリアンバルやビストロのメニューでよく見かけるあの豪華な魚介煮込み料理を、キャンプ場のコテージの前で、自分たちで作るというのだ。
「そう! スキレットやメスティンを使うと、一気にバルやビストロに出てくるような『映えメニュー』になるし、何より熱伝導率が高いから食材の旨味が最大限に引き出されるんだから!」
宇都宮さんは手際よくカセットコンロに火をつけ、二つのスキレットをそれぞれのバーナーにしっかりと乗せた。
じわじわと温まったスキレットに、たっぷりのオリーブオイルと、包丁の腹で潰したニンニクを放り込む。
ジワッ……と、ニンニクの香ばしくてたまらない香りが、たちまち夜のテラスいっぱいに広がっていった。
「あぁ、もうこの匂いだけで白ご飯が三杯いけそうです……!」
永澤さんがうっとりとした表情で鼻をヒクヒクさせる。
宇都宮さんは手際よく、塩焼きとは別にとっておいた下処理済みのニジマスの両面に、こんがりと美味しそうな焼き色がつくまで丁寧にオリーブオイルで焼き目をつけていく。
「ここがポイントなんだよね。両面を香ばしく焼くことで、魚の旨味を中に閉じ込めるの!」
魚の表面がカリッと香ばしく焼けたら、そこに色鮮やかなミニトマト、あらかじめ用意しておいたアサリ、そして、水とコンソメ、そしてほんの少しの白ワイン風のエッセンスを絶妙にブレンドしたというものを勢いよく流し込んだ。
ジューーーッ!! と激しい音とともに白い湯気が一気に立ち上り、最高の香りが周囲を包み込む。
「うわぁ、すごい迫力……!」
七柰が思わず一歩後ろに下がりながらも、好奇心いっぱいの目でスキレットの中を覗き込む。
「あとは、この専用のフタをして、数分間弱火でじっくり煮込むだけ! さあ、美味しい魔法がかかるまで、少しだけ待っててね!」
宇都宮さんがフタをしてから待つこと数分間。
スキレットの中から、グツグツと心地よい煮込みの音が聞こえ、食欲を刺激する香りが夜の風に乗ってどこまでも広がっていく。
「よし、そろそろ完璧なタイミングかな……それじゃあ、オープン!」
宇都宮さんがミトンをはめた両手で二つのスキレットのフタを同時にパカッと持ち上げると、そこには息をのむほど美しく、贅沢な光景が広がっていた。
オリーブオイルとアサリの出汁が混ざり合った黄金色のスープの中で、こんがりと焼かれたニジマスがふっくらと鎮座し、周りでは赤くはじけたミニトマトとたくさんのアサリが彩りを添えている。仕上げにパラリと散らされた緑色のハーブが、まるで高級レストランの一皿のような圧倒的なビジュアルを完成させていた。
「「すごーーいっ……!!」」
あまりの美しさと香りの良さに、メンバーから思わず歓声が上がった。
「どう!? これが私の本気のアクアパッツァだよ! さあ、冷めないうちに皆お皿に分けて食べて食べて!」
宇都宮さんがお玉を使って、ニジマスの身やアサリ、そして旨味の凝縮されたスープをそれぞれの取り分け皿へと手際よくよそっていく。
僕たちは、先ほどまでのニジマスの塩焼きとはまた一味違う、イタリアンな香りに包まれながら、さっそくスプーンとフォークを手に取った。
「いただきます。 うん、これは……!」
更科さんが一口スープを口にした瞬間、両目を大きく見開いて感動の声を漏らした。
「すごい……! ニジマスの旨味とアサリの出汁、そしてニンニクとオリーブオイルのコクが完全に一体になっていて、口いっぱいに贅沢な旨味が広がるわ……! 身もとても柔らかくて、とろけそう……!」
桐嶋さんも、ワイングラスを傾けるような優雅な仕草でスープを味わいながら、深く頷いた。
「本当に素晴らしいわね、姫。ただのキャンプ飯の枠を超えて、本格的なビストロの味だわ。このトマトの酸味がいいアクセントになっていて、いくらでも食べられそうね」
美波さんも「うんうん、本当に美味しいよ。お店でこれを頼んだらおいくらするのかしらってくらい贅沢なお味だね」と、優しく微笑みながら妹と一緒にスキレットの周りを取り囲んでいる。
「お兄ちゃん、これ、本当にやばいよ! スープが美味しすぎて、ずーっと飲んでいられちゃう!」
七柰はスプーンですすったスープの美味しさに感動し、目をキラキラさせながら僕の袖を引っ張った。
そして、このアクアパッツァの本当の醍醐味は、ここからだった。
「ふふふ、みんな、スープが美味しいって思ったでしょう? 実は、ここからが一番のお楽しみなんだから!」
宇都宮さんがニヤリと意味深な笑みを浮かべながら、KOHYOで買い出しの時に買っておいたフランスパン(バゲット)を取り出し、サクサクとした一口サイズに手でちぎって、それぞれのスキレットの残ったスープの中へと次々と浸していった。
「魚の旨味がこれでもかって染み出たこの極上スープに、香ばしいバゲットをヒタヒタに浸して食べる……これが最高に美味しいのよ!」
「あっ、それ絶対美味しいやつです……!」
永澤さんが目を輝かせながら、スープを吸い込んだバゲットをフォークですくい上げ、熱々をそのまま口に放り込んだ。
「んんーーっ!! ……最高です……! 外側は少しカリッとしつつ、中のモチモチしたパン生地に、ニジマスとアサリの濃厚な魚介スープがこれでもかと染み込んでいて、噛むたびに幸せが爆発します……!」
永澤さんのその感想を聞いて、僕たちも我慢できずに一斉にバゲットをスープに浸しにかかった。
スキレットの底に残った旨味の塊をバゲットで綺麗にすくい取るようにして口に運ぶと、香ばしい小麦の風味と、濃厚でリッチな魚介の旨味が最高のハーモニーを奏でて口の中を満たしていく。
「本当だ……。この食べ方、反則級に美味しすぎる……!」
僕が感動の声を上げると、七柰も「うんっ、めちゃくちゃ美味しい! 私、お腹いっぱいのはずなのに、このスープのバゲットならいくらでも食べられちゃう!」と両手でパンを頬張って大喜びしていた。
コテージのテラスを包む炭火の温かな残り香と、ランタンの優しいオレンジ色の光、そして目の前には最高の仲間たちと、想像を遥かに超える絶品のキャンプディナー。
夕方の静かな山あいに、僕たちの弾けるような笑い声と、「美味しいね!」という温かな言葉がいつまでも心地よく響き渡っていた。
§
スキレットの底のスープまで一滴残らずバゲットで平らげ、テーブルの上はすっかり綺麗に空っぽになっていた。
「ふぁぁ……食べた食べた! 本当に、人生で一番美味しい夕ご飯だったかもしれない!」
宇都宮さんがお腹をポンと軽く叩きながら、満足そうに大きく伸びをする。
周りのみんなも「本当ね」「お腹も心もすっかり満たされました……」と、幸せそうな余韻に浸りながら温かいお茶で喉を潤していた。
コテージの時計の針はすでに夜の七時を回り、外の空いっぱいに広がる夜空には、都会では決して見ることのできない数え切れないほどの星々が、まるで宝石を散りばめたように美しく瞬き始めている。
「皆、大満足の夕食になって本当に良かったね! さあ、美味しいご飯でお腹がいっぱいになったことだし、少し休憩したら……いよいよ今夜のもう一つの大きなお楽しみ、コテージでの映画鑑賞会の準備を始めようか!」
宇都宮さんが声をかけると、七柰は「やったぁ! ポップコーン食べながら、皆で映画を見るんだー!」と再び元気いっぱいに両手を挙げた。
満天の星空の下、賑やかで温かな夜の時間は、こうして徐々に更けて行く。




