第21話 清流のきらめきと、釣り堀での大騒動
木々のトンネルを抜けた先には、息をのむほど美しい光景が広がっていた。
山々から湧き出たばかりの澄み切った清流を巧みに引き入れた専用の釣り堀エリアは、周囲を豊かな新緑に囲まれ、水面が太陽の光を浴びてキラキラとダイヤモンドのように乱反射している。川底の小石や、水の中をスイスイと優雅に泳ぐ魚の影までハッキリと見通せるほどの透明度だ。
「わあ……すごい! 水がすっごく綺麗ですね! あんなにたくさんの魚が泳いでるのが見えるよ!」
七柰が柵の近くまで駆け寄り、水面を指さして目を丸くする。
ふと空を見上げると、太陽はすでに頭上の高いところへと昇りかけており、時計の針は午前十一時半を少し回ったところを示していた。
朝からずっと移動や準備で体を動かしてきた僕たちのお腹は、そろそろ正直な音を立て始めていた。
「あっ、皆、時計を見て! ちょうどお昼のいい時間だし、渓流釣りを本格的に始める前に、まずはあの休憩スペースでお昼ご飯にしない?」
宇都宮さんが釣り堀のすぐそばにしつらえられた、木製のベンチとテーブルが並ぶ広々とした東屋を指さしながら提案した。
「賛成だわ。朝早くから動いていたし、一度お腹を満たしておいた方が、午後の釣りに集中できそうね」
桐嶋さんがうなずき、僕たちはその休憩スペースへと移動することにした。
木漏れ日が優しく差し込む東屋のテーブルの周りに、僕たちはそれぞれの荷物を下ろして腰を下ろした。
KOHYOで買ったお弁当やサンドイッチを各自がテーブルの上に広げていく中、美波さんが、大きめの保冷バッグからなにやら丁寧に包まれたタッパーを取り出した。
「あのね、私、今朝は少し早起きして、実家のカフェの厨房を少し借りてお弁当を作ってきたの。美怜の分はもちろん、もしよければみんなで分けて食べてね」
美波さんが優しい笑顔を浮かべながら蓋を開けると、そこには彩り鮮やかな手作りのおかずがぎっしりと詰まっていた。
一口サイズの唐揚げに、卵焼き、ブロッコリーの胡麻和え、そしてタコさんの形をしたウインナーなど、見ているだけで食欲がそそられるお弁当だ。
「わあ……っ! 美波さん、これ全部手作りなんですか!?」
七柰が目をハート型にして、タッパーの中身を覗き込む。
「うん、お母さんに教わったレシピで作ってみたの。キャンプのお昼ご飯と言えば、やっぱり手作りの味がいいかなって思ってさ」
美波さんが少し照れくさそうに微笑むと、隣に座っていた更科さんが誇らしげに胸を張った。
「うちのお姉ちゃん、普段からカフェのお手伝いもしているから、料理の腕前は本当になかなかなのよ。私も時々、お姉ちゃんの手伝いをしながら色々と教えてもらってるんだから」
更科さんがそう言うと、美波さんは「もう、美怜、そんなに持ち上げないでよ」と言いながらも、妹の頭を優しくポンポンと撫でた。その仲睦まじい姉妹の姿に、見ているこちらまで心がほっこりと温かくなる。
「すごいなぁ……。更科さんも、普段からお姉さんと一緒に料理をしたりしているんだね」
僕が感心したように声をかけると、更科さんは少しだけ頬を染めながら、穏やかにうなずいた。
「うん……。キャンプを通じて、皆が美味しそうに楽しそうにご飯を食べてくれるのを見ていたら、私も刺激を受けちゃってね。最近では、私もキャンプで美味しいご飯を食べるために、お母さんや美波お姉ちゃんに頼んで少しずつ料理を習っているところなの。いつか、みんなをアッと言わせるようなキャンプご飯を振る舞えるようになりたいなって思ってさ」
更科さんのその言葉に、宇都宮さんが「いいねぇ、それ! じゃあ、次回のキャンプは更科さんの特製料理に決定だね!」と満面の笑みで大きく手を叩いた。
「ふふ、じゃあ私も負けないように、もっとレパートリーを増やしておかなくちゃね」
美波さんが微笑みながら、自分の作った唐揚げをみんなの取り分け皿に次々と乗せていく。
僕たちは、KOHYOで買ったロースカツサンドや焼き鳥重、そして美波さんの愛情たっぷりの手作りおかずをみんなでワイワイとシェアしながら、青空の下で最高に贅沢で賑やかなランチタイムを満喫した。
美味しいお昼ご飯ですっかりお腹も心も満たされた僕たちは、いよいよ本日のメインイベントである渓流釣りへと気合を入れ直した。
「お腹もいっぱいになったところで、いよいよ釣り堀での本番ですね。皆どこにするか、好きな場所を選んでください」
永澤さんがレンタルした釣り竿を手に持ち、頼もしいフィッシングマスターの顔つきで全員を見回す。
「夢先生、私、一番釣れそうな場所をキープしたい! 教えて、どこが一番おすすめ?」
宇都宮さんがさっそく永澤さんの隣にピタリと寄り添い、目を輝かせて尋ねる。
「ふふ、姫さん、実はこの釣り堀はどこにでも魚が行き渡るように工夫されているんですけど、強いて言うなら、あの水流が少し緩やかになっていて、水草の影になっているあたりが一番魚が集まりやすいポイントなんですよ」
永澤さんが丁寧に解説しながら、まずは全員に向けて手本を見せるために、釣り竿を構えた。
「それじゃあ、今から私が実際に竿を投げて、釣り方のコツを実践してみますね。よく見ていてください」
永澤さんは周囲の安全を確認すると、リズミカルな手つきで竿を後ろに引き、スッと前方に美しい弧を描きながら仕掛けを水面へと投げ入れた。
ピチャッ、と水面にウキが落ち、波紋が広がる。
「ポイントは、仕掛けを投げ入れたあとにただボーッと待つんじゃなくて、竿先をほんの少しだけ上下に動かして、餌が生きているように演出することです。こうやって……あ」
永澤さんが解説を続けながら水面から目を離さず、糸を垂らしていると、その瞬間──。
キュキュッと、ウキが勢いよく水中に引き込まれた。
「あっ……!」
「えっ、もう来たの!?」
僕たちが声を上げた瞬間、永澤さんは一切慌てることなく、見事なタイミングでビシッと竿を合わせた。
キリキリと糸が張り詰め、水中で銀色の魚体が激しく跳ねる。魚の元気な引きに合わせながら、永澤さんは巧みな手綱さばきで、スルスルと見事に岸の方へと魚を引き寄せていく。
「すごい! もう釣れちゃったよ、夢ちゃん!」
宇都宮さんが両手を叩いて大興奮する。
「お見事ね、夢! さすがフィッシングマスターだわ」
桐嶋さんも感心したように拍手を送る。
「魚が岸に近づいてきました! 水守さん、タモ(網)をお願いします!」
「了解、任せて!」
僕は手に持っていたタモを大きく構え、永澤さんが引き寄せてきた水際の魚の下へと滑り込ませた。
バシャッ! と水飛沫が上がり、網の中に綺麗なニジマスがしっかりと収まる。
「やったぁ! 大成功です!」
永澤さんがホッとしたような、誇らしげな笑みを浮かべる。
僕がタモから引き揚げてバケツに入れたニジマスを覗き込みながら、七柰が目をパチクリとさせた。
「すごい! ホントにこんなに簡単に釣れちゃうんですね! 夢さん、すごーい!」
「ふふ、ありがとうございます。コツさえ掴めば、誰でも簡単に釣れるんですよ。さあ、次は皆さんの番です。どんどんやってみましょう!」
永澤さんの力強い号令を合図に、僕たちはそれぞれ釣り竿を手に取り、思い思いの場所に散らばって釣りをスタートさせた。
「あ、私の針にも何か当たってる気がする……!」
更科さんが慎重に竿を握りしめながら、恐る恐る水面を見つめる。
その隣では、七柰が真剣な表情でウキを見つめていた。
「うーん、なかなか釣れないなぁ……あ、でも、なんかツンツンって引っ張られた気がする!」
七柰が一生懸命に竿を操作していると、ふと、少し離れた場所から驚きの声が上がった。
「あら……? なんか引っかかったみたい……よいしょっと」
なんと、キャンプ初心者の美波さんが、優雅にリズムを取りながら竿を持ち上げると、水面からピチピチと元気よく跳ねる魚の姿が飛び出したのだ。
「えっ……!? 釣れちゃった……?」
美波さんが目を丸くして自分の釣った魚を見下ろす。なんと、彼女は早くも一匹目のニジマスを釣り上げた。ビギナーズラックという言葉がこれほど似合う光景もない。
「すごいです、美波さん! もう釣れましたよ! まるでベテランの釣り人みたいです!」
永澤さんが駆け寄り、心から感嘆の声を上げる。
「あら、そんなつもりじゃなかったんだけど……なんか、糸を垂らして景色を眺めていたら、勝手に魚の方から食いついてきちゃって。ふふ、なんだか申し訳ないくらい簡単ね」
美波さんが上品に微笑みながら、次の獲物を狙い準備を始める。
周りのメンバーが「釣れたー!」「やったぁ!」と次々に歓声を上げ、バケツの中に次々と銀色のニジマスが溜まっていく中──。
その一角だけ、まるで時間が止まったかのように静まり返っている場所があった。
「…………」
そこには、額にうっすらと汗を浮かべ、血走りかけた目で自分のウキをじっと睨みつけている宇都宮さんの姿があった。
彼女のバケツの中は、まだ一匹も魚が入っておらず、底が見えたままだ。
「ぐぬぬぬ……っ! こんなはずは……なぜなの……!?」
宇都宮さんは両手でしっかりと竿を握りしめ、歯ぎしりをしながら低い声でうめく。
「さっきから、私の周りだけ魚が完全に見えないバリアを張ってるみたいに、一匹も近づいてこないんだけど……!?」
「姫さん、落ち着いてください。餌の位置が少し深すぎたり、糸が張りすぎていたりすると、警戒されちゃうんですよ」
見かねた永澤さんが、心配そうに宇都宮さんのもとへと歩み寄ってきた。
「いや、まだ慌てる時間では……たまたまだよ、きっと! 私の腕が悪いはずがない、今はたまたま魚が私の餌を見落としているだけだから……!」
必死に現実逃避しようとする宇都宮さんの肩を、永澤さんがポンと優しく叩く。
「ふふ、そんなに意地を張らないでください。ほら、ちょっとその竿を私に貸してみてください。こうやって、少しだけ仕掛けを浅くして、流れのヨレにそっと乗せてあげるようにすると……ほら、こうです」
永澤さんが宇都宮さんの手をとるようにして、正しい竿の動かし方と仕掛けの投入ポイントを丁寧に矯正していく。
「なるほど! そうやって少し手前に引き寄せるように動かすんだね!」
永澤さんに教え込まれた通り、宇都宮さんは新しいやり方でそっと仕掛けを水面に投げ入れた。
数秒後──。
「あ……っ! ウキが沈んだ! 今度こそ……! とりゃあぁぁぁっ!」
宇都宮さんが今までの鬱憤を晴らすかのように力一杯竿を合わせると、水面から見事な大物のニジマスが跳ね上がった。
「やったぁぁぁーーっ! 釣れたよ! 私にも釣れたーーっ!!」
宇都宮さんは自分のバケツに無事に魚が跳ね込んだのを確認すると、両手を高々と突き上げて大はしゃぎで飛び跳ねた。
「よかったですね、姫さん! さすがです!」
みんなが温かい拍手を送り、宇都宮さんは満面の笑みで「夢ちゃん、ありがとう! 私、あやうく丸ボウズになるところだったよ!」と大喜びした。
その後も、釣り堀エリアには笑い声と歓声が絶えず響き渡った。
「お兄ちゃん、見て! 私も自分で釣れたよ!」
七柰が満面の笑みで自分の釣り上げたばかりのニジマスを見せてくれる。鮮やかな虹色の輝きを放つその魚体は、まさに大自然の恵みそのものだった。
「すごいな、七柰! これで今夜のバーベキューは最高のごちそうになるな」
僕が頭を優しく撫でてやると、七柰は得意げに胸を張った。
桐嶋さんも「ふふ、自分で釣ってみると、意外と奥が深くて面白いものね」と、上品に微笑みながらさらに一匹を追加している。
こうして、約二時間にわたる大盛況の渓流釣りタイムは、全員が大漁という最高の形で幕を閉じた。
「皆さん、お疲れ様でした。十分すぎるくらいの大漁ですね」
永澤さんが満足そうに微笑みながら声を上げる。バケツの中には、キラキラと光る新鮮なニジマスが何匹も元気に泳いでいた。
「それじゃあ、この釣ったばかりの新鮮な魚たちを、さっそくキャンプ場のスタッフさんにお願いしに行こうか!」
宇都宮さんの掛け声に合わせ、僕たちは釣り上げた魚の入ったバケツを丁寧に持ち上げ、すぐ近くのスタッフ詰所へと向かった。
スタッフさんは僕たちの顔を見るなり、「おお、みなさん大漁でしたね!」と笑顔で迎え入れてくれ、すぐに手際よく専用のナイフを使って内臓の処理やウロコ取りなどの面倒な下処理をテキパキと進めてくれた。
「はい、お待たせしました。綺麗に内臓を取って水洗いしたから、あとは焼き上げるだけにしておいたよ」
スタッフさんが、丁寧に塩がまぶされた新鮮なニジマスたちを専用のジップロックや保冷パックに綺麗に並べて手渡してくれた。
「ありがとうございます!」
僕たちは丁寧に頭を下げて礼を言い、その下処理が終わったばかりの極上の食材を、持参していたクーラーボックスの中へと大切にしまい込んだ。
「これで、夜のバーベキューの準備は完璧だね! 鮮度もバッチリ保たれているし、焼くだけの状態だから夜が本当に楽しみだな!」
宇都宮さんが両手を合わせて嬉しそうに呟く。
清流のせせらぎを聞きながら、心地よい疲労感と達成感に包まれながら、僕たちは釣り堀エリアを後にし、自分たちのコテージへと戻った。




